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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

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CONSAISM clasics #29

2008年03月09日

clasics #29、また今回も内容が現在と微妙にシンクロしております。
狙ってるわけじゃないんだけどなあ。


この原稿を書いている段階(清水戦後)では札幌は潔く最下位。スポーツ新聞に「降格マジック」なんて書かれている現状だ。
自分もその清水戦のため、日本平へ行って来た。歴代の清水FCの選手名碑(1986年のメンバーの中には「赤池保幸」の名前!)を見ながら昔のサッカー(主にJリーグ創設時代)についてあれこれと昔話をしたり、静岡の暑さに半ば呆れたりしながら競技場へ行った。それでもって日本平のガサガサに荒れたピッチと、先週の磐田戦とはまるで違う、凧の糸が切れたような選手たちの集中力に負けてきた。
試合が終わったあと自分には怒る気力などもうとっくのとうに失せてしまっていて、ここまできたらやれるところまでやってやろうじゃないか、と逆に思っている位だ。実際試合前にはそういうことを話し合ったりもした。それでも点を取られるとゴール裏の声は萎え、薄れ、聞こえなくなる。思っていることとやっていることが逆を向いている、どうすりゃいいんだと思いながら友人の車に乗せてもらって帰った。
 
目の前に見えないけれども、そんなに大きく見えないけれども越えられない壁。乗り越えられそうで阻まれる壁。その向こうは大きく開けているのに、それがわかっているのに、あと少しなのに、あと一歩なのに、それが届かない、踏み出せない。「壁を乗り越える」という現実がこんなに歯がゆいもので、越えられないことが悔しいことは初めてだったかもしれない。
でもこういう経験を味わったわけがないというわけではないし、誰もがどこかで経験することなのだと思う。自分もそうだし、社会人になってからその経験は増える一方だ。自分では解決できなかったことを何事もないように解決する先輩。その一声で全てをOKにしてしまう上司。道を切り開いて行くいろんな人々の姿。そういう姿を見るたびに「自分にはなぜできないのか」と自分に問いかけて、考えてきた。決定的に自分と異なる何かを持って生まれてきたという訳でもないのに、自分よりハイレベルのハードルを越えていく人々に歯がみして、劣等感を味わって、そのたびそれでも上へ上へ行きたいと思い、そのたび壁から落ち続けている。
 
自分の札幌に対する気持ちも同じ。もう少しなのに。もっともっと上へ行きたいのに。行けるのに。そう思う気持ちばかりが募っていって、現実とと遊離しかけている感覚。そんなことを言ってもいきなり見知らぬ力が備わる訳じゃない。一歩一歩、ピッチを踏みしめて、パスを出して、声を枯らして、旗を振って、拳を突き上げて、そのひとつひとつの動作と思いの積み重ねでしかこの壁を突き破ることはできないのだ。さっきの会社の先輩や上司も、自分にできることを自分にできるだけやってきて、今があるのだ。
そう思うと、なぜか気持ちがふっと軽くなった。背伸びやジャンプを繰り返していっても、たぶんこの壁は破れない。一つ一つ築き上げて、そうして乗り越えるしか方法がないのだ。そしてそうするためには今できることをできるだけやるしかないのだ。
この、今の自分の感覚を他の言葉で言い換えれば「開き直る」「腹をくくる」という言葉になるのかもしれない。でもそれと「諦め」とは異なる座標にあるものだ。諦めは開き直りも腹をくくりもしない、傍観するだけだ。自分は諦めないで、今やれることを、今打ち破れる壁を抜けてゆき、そしてそれを延々と続け、より高いハードルを越えて行くのだと思う。それが否が応でも直面する現実で、この世にある限り人それぞれに突きつけられた枷でもあるのだと思う。それならば答えはもう、出ている。それを認識するだけだ。
 
自分は応援しかできない立場なのだから、やることはただひとつ、今この現実でできることを、精一杯に世界に放つ、それだけ。

声を挙げないで終わりたくはない。
だから今この瞬間を、瞬間を越えた刹那を、現実を見据えて見える未来を自分のものとするために、応援したい。
諦めないことを決めたら、それだけで自然と顔を上げて、前へ進めるはずだ。
 
 ひとつだけ決めよう
 あとは自由
 約束しよう
 あきらめない
 それだけがルール
              (坂本龍一・甲本ヒロト『桜のころ』)


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23:06

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CONSAISM clasics #28

2008年03月06日

clasics #28、このあたりから人生とか哲学とかに例えてサッカーを語り出してきます。文章もなんだか堅い。


サッカー好きでサッポロ好き、という以外は、僕も多分に漏れずごく普通のサラリーマンの一人だ。
朝起きて、シャワーを浴びて、ネクタイを締め、ラッシュにもまれて東京へ、会社へと早足で歩く。
そんなわけでごく普通にいろいろと仕事上での失敗も成功もある。電話をかけたり、会議したり、資料作ったり、ごまかしたり、謝ったり。上司とのコミュニケーションがうまくいかなくていらいらしたり。プレゼンで何を話そうか考えて耳から煙が出そうになったり。でも割合に日々のサイクルは単調で、普通の人とおそらく変わらない平日の一日。でも、すべてがうまくいく日があれば、トラブルが起こって不安と焦燥と憤りのうちに一日が終わることもある。
そういうときに、僕がしおれた菜っぱみたいに疲れてぼーっと帰りの電車に乗っているときに、ふと浮かんでくる情景がある。

場所はどこかの競技場。厚別にも似ているし国立競技場のようでもあるけれど、はっきりとはわからない。僕はそこを俯瞰的に眺めている。ちょうどテレビが反対側のゴール裏を映すみたいな感じ。
やがて選手入場の音楽が鳴り、同時にゴール裏ではそれをかき消すほどの声が響き渡る。めいめいが手にマフラーを、旗を広げ、赤と黒の荘厳な光景が僕の視界を覆う。
フェアプレーフラッグに先導されて、札幌の、そして対戦相手の選手が入場してくる。スタンドに向かって整列し手を挙げる選手達。それと同時に縦に揺れるスタンド、振り回されるマフラーや旗、爆発する声、声、声。この試合を見るために集った人々が想いのたけをありったけに、これでもかと言うほどに詰め込んでみんなが歌っている。叫んでいる。
試合が始まる。応援の響きは一層その激しさを増し、それに押されるかのように札幌の選手達は前線から果敢にプレスをかけていく。ディフェンスラインも高く、全体がコンパクトになっているのがよくわかる。そして何より選手達から伝わる気持ちがある。戦う気持ち。勝ちたい気持ち。
札幌ペースのまま試合は進んでいく。ボランチの選手が見事な読みでインターセプトを見せ、サイドアタッカーが鋭いドリブルで切れ込んでいく。早くて低い理想的なクロスがゴール前に上がる。けれどもフォワードが合わせられなくてボールがこぼれ、そこに猛然と走り込んできた二列目がミドルを放つが相手キーパーに止められる。あっと言う間にカウンターで攻め込まれ、ディフェンスのスライディングもわずかに届かず、絶好の位置からシュートを打たれる。けれどもキーパーが美しい弧を描いて跳びクリアする。ラインを上げろ、と味方を鼓舞するキーパーの姿と重なり合うように歌い出すスタンド。僕らのチームを鼓舞し、僕らも選手も共に戦うための歌。声とボールの動きが止むこともなく、そこに一つの大きな響きが体中を埋め尽くしていく感覚。
 
だけどそうして浮かべている情景には、不思議なことに選手の顔がはっきりと出てこない。背番号もあやふやだし、そもそもここがどこなのかもわからない。相手のチームがどこなのかもわからない。そんな奇妙なビジョンの中で、僕の頭の中の札幌は攻め込んでいく。ピンチを招く。先制する。失点を食らう。さらに逆転ゴールを奪われる。
一瞬の静寂、そして悲鳴とため息が漏れる。けれども、選手の誰かがすぐさまボールを脇に抱えて走り出す。取られたら取り返すばかりだ、と言わんばかりの勢いでボールをセンターサークルに置き、そして札幌は再び攻撃を掛ける。同点ゴールが決まる。耳を貫く狂喜の声。赤と黒の交錯する、猛り狂うスタンド。みんなが立ち上がり、拳を突き上げて喜んでいる姿。けれども、それすらもどこか朧気な世界。顔の見えない情景。
 
けれどもその断片だけは何故か見えるのだ。体を張り歯を食いしばって競り合うディフェンダーの顔が。相手を振りきってサイドラインを疾走するアタッカーの形相が。隙をついてゴールを奪わんとするフォワードの野生に満ちた目が。ゴールキーパーの絶対的な自信に溢れた表情が。
そして僕は理解してしまう。すべての表情が僕のものであることを。ピッチの上で戦う自分、それをゴール裏で後押しする自分、冷静にメインスタンドから見つめている自分。僕は僕自身と戦っている。自身の内面からの恐怖や不安と。日常の些末で不快な出来事と。思うようにいかない意志の疎通と。それらすべてが、この競技場の中で展開されている。
その感覚を覚えて、僕はそれらに打ち勝ちたいと強く想う。自分の人生の中で、一度で良いからとてつもなく美しいゴールを決めたいと想う。僕が守るべきモノを守りたいと想う。信じるべき人を信じていたいと想う。胸を張って歩きたいと願う。

夜の漆黒に染まった電車の中で窓に映った自分の目を見つめながら、僕はそんな想いが心の奥から湧き出る音を聞く。そして同時に、現実の世界では目の前のドアが開き、僕は電車を降りる。そして生きる力を(というのは大げさで照れるけれども)、完全にではないけれど、いくらか取り戻している自分に気づいて家へと歩き出す。そして眠り、目覚めれば新しい朝が始まる。僕はユニフォームを着て社会のピッチへ駆け出していく。
  
このゲームがまだまだ続くことを、僕は本能でわかっている。
だから、がむしゃらに走って、走って、走ってやる。
ゴールを決めてやる。
この試合に勝ってやる。


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23:01

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CONSAISM clasics #27

2008年03月04日

clasics #27、今回は忘れられない「あの日」の記憶。


僕は帰りの電車に乗り込んだところだった。
酔いの回った頭で携帯電話を取り出してメールを打とうとしたら、ニュースメールが来ていたらしい。どこかのビルに飛行機が突っ込んだ、というニュースだった。
ふーん、と僕は思って、携帯をしまい込んでウォークマンを耳に押し込んだ。
 
家に帰って、着替えて、シャワーを浴びて、酔い醒ましにオレンジジュースを飲みながらいつものようにラジオを聴いていた。けれども、いつもとは様子がおかしい。
緊迫した声でしかし冷静に、国営放送のアナウンサーがニュースを伝えている。ずっと、繰り返し伝えている。どこかの国の様子が中継されている。どうやらさっきメールで見たニュースのことらしい。
今度はテレビをつけてみた。やっぱりニュースしかやってない。テレビの向こう。ニューヨーク。エンパイアステートビルの片方から上がる黒煙。聞こえてくる誰かの叫び声とざわめき。程なくして、僕は二機目の航空機が、もう片方のビルに突っ込んでいくのをブラウン管の向こうに見た。怪獣映画の撮影みたいに、まるで何かの冗談みたいにあっけなく、ニューヨークの象徴が崩れ落ちていく。テレビの向こうのニューヨークは、悲劇と混乱にに支配された別世界だった。
あの日から一年が過ぎた。あの事件に関してあまりにも多くの物事が行われ、語られ、憎しみと悲しみが世界を覆った。必死の救助活動、テロリズムへの怒り、そしてテロリストへの報復。そして、すべてはまだ終わってはいない。
 
Jリーグでも(そしてもちろんそれ以外のスポーツも)テロリズムの落とした影を僕は目にした。J2を見に行った大宮サッカー場では半旗が掲げられ、黙祷が捧げられた。湘南のゴール裏には「NO TERROLISM」の横断幕があった。FC東京のサポーターは、「Imagine」の歌詞を横断幕にして、ゴール裏に掲げた。星条旗も見かけられた。けれどもそれらはもうここにはない、一年たった今では。それは全く関心がなくなったということではなくて、心の中に占める「9.11」の記憶がだんだんと小さくなっているのか、あるいはこの日常に麻痺してしまったのかもしれない。繰り返される空爆。異常なまでの警戒態勢。熱心にイスラム主義を語り、アメリカを語る人たちの姿。日常の中に霞んでゆくそれらのすべて。けれどそれでもサッカーは続いていく。笛が鳴り、プレーが始まる。そういう世界に僕たちは生きている。
そして僕は目の前の試合に没頭する。ゴールの瞬間を待ちわびる。2時間後の勝利の雄叫びを心待ちにしている。打ちひしがれるなんてまっぴらだ。そのときの僕の頭の中には、サッカーボールが駆けめぐっている。今この瞬間に空爆が始まり、何千人死んだとしても、いくつビルが倒れたとしても、僕はおそらく気にしない。たとえそれを事実として知っていても。そうして家に帰ったらテレビなりラジオなりをつけてニュースを見たり聴いたりするだろう。そしてそのとき初めて恐怖に打ち震える人々のことを思うのだろう。
テロの犯人探しの向こう側、遙か離れた極東の島国で、今日もホイッスルが吹かれる。そして僕らの生活は変わらないし、この国のサッカーは変わらない。残酷であっても、冷徹であっても、それがこの世界の事実。そしてサッカーから僕が得るのは、その事実を受け止める勇気。

それでも僕はあの日の大宮サッカー場の雰囲気を忘れたくないと思う。選手も、審判も、観客もみんな立ち上がり、未だ見知らぬテロの犠牲者に黙祷を捧げた一分間を。その中で僕が感じた、この世界で生きているという事実を。アフガニスタンでワールドカップを見ていた人々の目を。たった一つのボールを追いかけ、スタジアムに駆けてゆくカブールの子供達の姿を。それがいま、僕が思うこと。絶対に忘れたくないこと。


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23:47

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CONSAISM clasics #26

2008年03月01日

今回はclasics #26、奔流怒濤の大事件(私事)を経て文体もからっとさせてリニューアル。
これ書いたとき、読んだ人たちから「一気に文体変えてどうしたの?」と良く言われたことは内緒。


僕はもともと日焼けしやすい肌をしている。
一度日に焼けると腕やら顔やらが赤くなるより早く黒くなり、あっという間に夏男完成しかも長持ち、という訳だ。ただし外見だけだけれども。
今年の夏もずいぶんと日に焼けた。会社の人から「そんなに焼けて、どこ行ったんだ?」なんて聞かれるくらい日に焼けていた。そのたびに僕は答える。
「あ、これですか?サッカー焼けですよ~。」
 
今年の僕の肌が(特に腕周りが)どうして一気に焼けてしまったかはだいたい見当がつく。国立2連戦のせいだ。まず最初の浦和戦。僕は10時半という、普通の「サッカーファン」なら決して来ないであろう時間に国立競技場に来た。しかも僕より早く並んでいる人がいた。つくづくサポーターというのはナンギな性分やなぁ、なんて関西人でもないのにつぶやいて列に並ぶ。
アウェイサポーターの入場列は代々木門というところに設定されていて、この場所が晴れた空の下で並ぶには少々、いやかなりきつい場所である。だだっ広い入場ゲートの前にロープが縦に幾列も張られていてそこに並ぶわけなのだけど、何しろ燦々と降り注ぐお天道様の紫外線を遮る場所がどこにもない。気温30度をとっくにオーバーした東京のど真ん中で、そこに並んでいるだけでたらたらと汗がつたい、じりじりと僕のカラダの露出した部分を容赦なく焼いていく。これはもう我慢大会の領域である。このままいたらぶっ倒れるなおい、なんて話しながら日陰を求めてその場を離れた。
隣にある明治公園の木陰でわずかな涼をとりながらいろんな人たちと話す。顔なじみの人、久しぶりの人。初めて顔を合わせる人。いろんな話。バカ話。昔の話。そして応援の話。そうして時間は過ぎていって、入場しても太陽はまだ高い位置から僕たちを照らしていた。けれどもその長い長い、僕たちを照らしていた太陽はどうやら僕たちの味方ではなかったらしい。時間は流れ、夜になり、ボールが動き、ゴールが決まり、ゴールを決められ、そして最後は僕たちの目の前でVゴールを押し込まれ負けた。
次の日にベッドからのそっと起きあがり洗面所の鏡を見ると、腕と、サングラスをかけていたところ以外の顔の部分が信じられないほど黒くなっていた自分がいた。
びっくりした。
 
それでも僕は(というかアウェイサポーターの大多数も、だけど)翌週の日曜日に同じ顔で同じ場所に並んでいた。しかし今回は余裕を持って開門1時間前の4時前に代々木門に同じように並んでいた(そもそも浦和戦が異常だったのだが)。そしてきっちり僕よりも前に来て並んでいる人がいた。ここまで来るとサポーターというのはナンギな性分、とか言うよりも何か別の苦行を課せられる坊主のような感じだ。
しかしそんな夕方になろうとする時間でも、東京の夏の太陽は容赦なく照りつけてくる。何しろ浦和戦の時に並んでいる最中梅雨明けをしやがった太陽だ。夏本番の太陽だ。僕の皮膚が焼ける感触が伝わってくる。
そうして僕らは同じように入場して、キックオフを待ち、そしてボールが動き、立て続けに3点取られて「がんばれ札幌!」なんて東京サポーターからコールされて、素直に頑張って見たけれど1点取るのが精一杯で、負けた。
そうしてやはり次の日に鏡を見ると、いっそう黒さを増した肌がそこにあった。
肌に当たるシャワーが痛かった。
 
2,3日経つと焼けた部分が痛み出した。じんじんと火傷をしたような痛みではなく、日に焼けた部分をひりついた痛みが静かにまとわりついてくる感覚。
痛いなぁ、と呟きながらそれでも僕は何でもない風をして会社に行き、仕事を淡々とこなした。ミスもあったし成功もあった。普通の生活の日々。
そうしてその間、札幌は未だ勝ち星をあげられずにいた。
ただ、もう日に焼けるのは嫌だった。真っ昼間に外に出てどこまで焼けてしまうのか、、たまったもんじゃない。
 
8月10日も普通の休日だった。キックオフの頃に買い物にでて、冷房の効いた百貨店のお中元コーナーで祖母の喜寿祝いを探していた。気に入ったものを見つけて、支払いを済ませて、携帯で試合結果を確認する。1対0。勝った。やっと勝った。
嬉しかったと言うよりもほっとしたという感情の方が強くて、僕は人知れずため息をついた。深く、大きい安堵のため息をついた。そしてそろそろ帰ろうかと腕時計を見る。
腕時計の巻かれた僕の左腕。真っ黒だった腕は少しいい具合に色が落ちてきて、あのひりついた痛みもいつの間にか消えていた。

僕たちの夏はこれから始まる、と思った。ここからが札幌の夏だ。そしてそれがずっとずっと続くことを、熱く僕らを焦がすことを、勝利が続くことを心の中で願いながら、僕はいつもよりも軽いフットワークで人々をかわし、電車に乗った。
 


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23:29

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CONSAISM clasics #25

2008年02月25日

clasics #25です。文体チェンジとリーグ再開直前の、ちょっと短めなヒマネタ。


 以前札幌の自宅に帰った時に、せっかく一家そろったのだからどこかに食べに行こうという話になり、自宅から歩いて5分ほどのところにあるイタリア料理店に入りました。そこは自分の通った高校のすぐ裏手で、もうその店が開店してから数年は経っているでしょうか、今までに何回か行った事があります。
 そのときはちょうど2,3年ぶりに店に入ったので、いろんなところが少しずつ変わっていてそんなところを見渡しながら夕食をとっていました。料理は昔食べた味と変わらずおいしく、サーヴィスや店のスタッフの人たちの人柄も変わらず暖かく、自分たちは十分に満足して食後のコーヒーを飲んでいたとき、店の白い壁の一角に見たことのなかったサインが書かれていることに気がつきました。
 サインの主は「Takeshi Okada」、岡田前監督のものです。日付を見ると「2001.12.17」と、ちょうどコンサドーレの監督を退任した頃のものでした。
 お店の人に話を聞いてみると、この日に岡田さんはごく親しい知人やお世話になった人たちを招待し、パーティを開いて感謝の意を表し、その後その様子も収めたアルバムを配ったという事でした。サインの上にはその日のメニューが、これも岡田さんの直筆で壁に書かれています。イタリア語はほとんど理解できない自分ですが、それでもいい素材をいい料理法で食べられたんだな、ということがよくわかるほどの内容でした。それにしても有名人が自分の店に来たときに色紙にサインを書いてもらって壁に飾っていたりするのはよく目にしますが、壁に直接書いてもらうというのはちょっと珍しいのではないでしょうか。ちなみにその隣には、知人に配ったものらしいアルバムの一ページを切り取って貼り付けてあり、そこにはコックの服に身を包んだ岡田さんとそのお子さんが手にサーモンを持って、壁のサインを背景に写真に写っています。その表情はとても柔らかで、監督とい重圧から解き放たれた安心感や、一つの仕事を終えた充実感のようなものが見ていて伝わって来たのと同時に、札幌という土地が岡田さんを受け入れ、励ましてきたその土地の暖かさというか、そんなものも同時に感じる事ができました。
 その後岡田さんが退任し、期待を持って迎えられた柱谷新監督は解任という結果に終わり、現在はイバンチェビッチ新監督の下でJリーグ再開へ向けてトレーニングを積んでいます。果たしてイバンチェビッチ新監督が岡田さんのように広くサポーターに受け入れられるかどうかというのは、余所者を暖かく迎える北海道人としての気質だけによるものだけではないと思います。新監督が記者会見で「自分の役目はこのチームを一部に残留させる事だ」と語ったように、勝利と残留という結果も伴わなければ札幌という土地に受け入れられたとは言いづらいのではないでしょうか。そしてその結果を残すために、自分たちは今このチームを支えていかなければならないと思うのです。ゴール裏だけでなく、街全体でこのチームを支えて、みんなで盛り上げて行かなければならないのではないでしょうか。札幌にはまだワールドカップの記憶が残っています。その記憶や熱気を、今度はコンサドーレのために注げたらいいな、なんてことを考えています。そして岡田さんと同じように、あの店の壁にサインをして欲しいなんて勝手な事を考えています。


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23:26

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CONSAISM clasics #24

2008年02月21日

clasics #24です。シーズンオフの話から、ワールドカップで感じた違和感をかかえつつJ再開へと向かう気持ちを書いた今回のコラムです。


長かったような、短かったような、日本と韓国を中心にして世界を熱狂に、時には悲しみに染めたワールドカップという祭典が終わりを告げました。実際に現地で見る事ができた人も、テレビの前に毎晩かじりついていた人も、それぞれに感じるところは数多くあったのではないでしょうか。選手の見せるゴール、セーブ、ため息の出るようなスルーパス。スタジアムで感じた雰囲気。審判のジャッジ。そしてホスト国、日本と韓国の戦い、それを取り巻く国中の熱情、異常なまでの盛り上がり。
実際自分もスタジアムで、テレビの前で、街頭で、いろんなところでワールドカップの空気を肌に感じてきたつもりです。そしてどの場所に行っても、どこで見ていても感じられたのは、ワールドカップというのはサッカーだけにとどまらない、世界中の国の人々との交流であり、サッカーを中心にした全世界的なお祭り騒ぎであるということでした。

その中で自分が最も感じたのは、ワールドカップを、日本代表を取り巻く日本中の雰囲気の異様さのことです。本当に子供からお年寄りまで日本代表に関心を持ち、中田や小野や稲本を語り、みんなが青のユニフォームに身を包み、そしてひとたび勝てば渋谷で、新宿で、全国で人々が見知らぬ人とハイタッチを繰り返し、お祭り騒ぎになっていたこと。また別のところでは、ベッカムやバティストゥータといったスター選手を一目見ようと選手バスを待ちかまえ、あたかもアイドル歌手が顔を見せたかのような歓声をあげるファン(ビートルズ来日みたいだ、なんて思ったのは自分だけでしょうか)。日本人って、いつの間にこんなにサッカーが好きになったのだろう、いつの間にこんなにサッカーファンが増えたのだろうと思ってしまう盛り上がりで、なんだか嬉しいところもあるけれどそれよりも居心地の悪さというか、どことなく画一的で薄っぺらいファン感情への反発というか、そんな気持ちが渦巻いているこのごろです。
 
そう、自分が感じるのはなんだか「薄っぺらい」感じなのです。日本代表が初勝利を遂げた日、渋谷では多くの若者が狂喜して騒いでいました。韓国代表がベスト4に進出した日、新宿では韓国の若者と一緒に日本の若者も加わって騒いでいました。でも、そこには「自分の国が勝った!」という喜びではなく、「よくわからないけど騒いでおこう」という、サッカーとは全然関係のない、勝利の名を借りたただの馬鹿騒ぎにしか思えなかったのです。日頃のストレスがサッカーという代弁者によって都合良く排出されているような感じでしょうか。ワイドショーではワールドカップではなく、ベッカムの髪型、ベッカムの年収、ベッカムの奥さんと、サッカーとはとてもかけ離れたような話しかしない、それでいて「サッカーって面白いですね」なんてコメンテーターが言っているのを見ていて本当に嫌になりました。そんなピントはずれの盛り上がりを眺めて、これからの日本のサッカーがどうなるのかを考えると不安になって来ます。

おそらく、ワールドカップであることを「利用して」騒いでいる人たちや、選手の顔にしか興味のない人たちはこのままサッカーのことなんか忘れてしまってJリーグのことなど見向きもしなくなるでしょう。テレビもJリーグの事なんて、試合結果を見せてはい、終わりです。それでは次の話題・・・。それではワールドカップを自国で開催した意味などないのではないでしょうか。こうやってワールドカップを目の当たりにして、人々がもっとサッカーや、それ以外のスポーツに興味を持ってもらうこと、応援していたチームの勝利の喜びや敗北の悔しさを知ってもらうこと、サッカー(を含むスポーツすべて)が何故あれだけ人々に愛されるものなのかを感じてもらうこと、そういう人たちをたくさん増やすことで日本のスポーツがよりいっそう盛り上がることが究極の目標のはずではないのでしょうか。確かにあの日馬鹿騒ぎをしていた人のうち、幾人かはサッカーを本当の意味で好きになり、スタジアムに通うようになるのかもしれません。しかし、この盛り上がりを無駄にしないためにも一人でも多くの人たちがサッカーに興味を持ってもらうようにしなければならないのではないでしょうか。別に札幌の試合だけに来てくれ、というわけではありません。磐田でも鹿島でもいいのです。日本代表の礎を作っているのはJリーグであり、Jリーグもまた面白いものだと思ってもらえること、そのためには今まで以上にサポーターもJリーグを盛り上げなければならないと思いますし、それは札幌にも当然当てはまることです。札幌をより今まで以上に応援して、J1残留を果たすこともその一つです。

あっと言う間にJリーグは再開されます。それまでに気持ちをしっかりと切り替えてまずは神戸戦。リスタートはもうすぐそこです。
 


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23:11

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CONSAISM clasics #23

2008年02月19日

再び一回ずつの掲載ペースに戻って、今回はclasics #23。引き続きワールドカップネタでお送りします。ある意味、直前に御殿場で見た練習試合の惨状から目を背けるために書いたとか書かなかったとか。


22日の土曜日、自分は練習試合を見に御殿場へ向かいました。
けれど、今回書くのはそのことではなく、その後東京に帰ってから見た光景やそこで考えたことです。御殿場からJR、小田急を乗り継いで新宿経由で帰ったのですがちょうど新宿に着いた時間がスペイン対韓国の試合時間と重なっていて、延長戦をどこかで見られないものかと探していたら、とある喫茶店でテレビを放映しているのが見えてとっさにその店に入りました。
ブレンドを頼み画面に目を凝らすとちょうど延長後半も終わろうかというところで、さして時間をおかずに主審がPK戦突入を告げる長い笛を吹きました。ウェイトレスの女の子は韓国人らしく、店に来ていた友人らしい他の女の子と興奮気味に話しながら食器を片づけたりレジを打ったりしていました。そうしてホアキンのキックを李雲在がセーブすると飛び上がって喜び、そして洪明甫の足の動きをじっと見つめていました。
ゴールが決まった瞬間、さっきよりも大きな喚声をあげて喜ぶ彼女は、早口にうれしさをまくし立て、喜びを爆発させながらながら、それでもレジを打ったり食器を下げたりしていました。その目にはうっすらと涙が浮かんでいて、自分も何か「良かったね」と声をかけたくなるような、そんな気持ちになってしまいました。それにしても韓国というチームの粘り、どんな状況でもゴールをねらい続ける姿勢、そして圧倒的という言葉も霞むほどのスタンドの赤、そして声援。本当にすばらしいとしか言えない、スタジアムの雰囲気です。

そうして喫茶店を出て、少し新宿の街を歩いて、夕食をとるかと店に入ったところで道路から「テーハンミングッ!(大韓民国!)」の声がどこからか聞こえてきました。新宿やその隣の大久保は韓国人の多い街なので喜びあう人たちが結構いるだろうな、と思っていましたが、やはりその通りでした。顔に大極旗のペインティング、「Be The Reds!」のTシャツ、手には大極旗をはためかせて歌舞伎町を歩いています。その人々を目にして思わず顔がにやけてきて、なんだか自分もうれしくなるような感じでした。勝利の喜びを素直に、誰にもはばかることなく表しているその姿はほほえましいというか、うらやましいというか、通りすがりの人たちをも笑顔にさせるそんなパワーがあるんだなあと思いました。そんな人々の姿をもう少し見ていたくて、しばらく新宿にとどまっていることにしました。
歩き回っているとちょうどトルコ対セネガルを放映しているバーがあって、店の前に人だかりがしています。ちょうどいいや、と自分もその中に加わることにしました。店の内外の人だかりは日本人だけでなくどうやらいろいろな国籍の人たちがいるようで、そのうちにどこからともなくイングランド人のグループもやってきて、試合を見ながらなぜだかイングランドの応援歌を歌い始めたりして、訳が分からないけどなんだか楽しい気持ちでビール片手にテレビを見ていました。
後半もそろそろ終盤にさしかかろうかという頃、再び「テーハンミングッ!」の声が聞こえてきました。さっきよりももっと大きな声、たくさんの人。振り返ると100人はいたでしょうか、大極旗を振り回しながらこちらに向かって歩いてきます。そして店の前で「コリア!コリア!コリア!」の大コール。韓国人も、日本人も、さっきのイングランド人も国籍なんか問わないで、みんなが笑顔で手を叩き、声をあげています。みんなが韓国が無敵艦隊を打ち破り、4強入りを祝福して、見知らぬ日本人が見知らぬ韓国人とハイタッチをして、握手をして。「横浜へ行こう!」と肩をたたき合って。この瞬間、日韓の歴史や対立の感情が消えてしまったような、そんな感覚すら覚えさせる光景でした。
実は、大学時代に自分は日韓の交流サークルのようなものに顔を出していて、韓国に10日ほどホームステイをしながら旅行した経験があります。また、高校時代には修学旅行で3泊4日の韓国旅行に行った事もあります。そのときにやはり共通の話題となったのはスポーツ、特にサッカーでした。もちろん日韓のこれからのあり方、過去の歴史の捉え方で意見を戦わせた時間もありましたが、それを離れるとサッカーの話でみんな盛り上がったものです。
そんな昔の事を思い出し、やっぱりサッカーというものは世界の共通言語だと改めて感じたりしながら、そろそろ帰ろうかと新宿駅東口に向かいました。
そこにはさっき見た韓国人の大集団がさっきよりもさらに盛り上がりを増して「オー、ピルスン(必勝)コリア!」と肩を組んで歌っています。その輪の中には日本のレプリカを着た日本人も混じっています。その光景を見たとき、誇張でも何でもなく
「ああ、日韓の新しい時代が来る」
と思いました。
互いの過去やわだかまりや国民感情やそういう物をいっさい抜きにして互いが互いの健闘を祝福し、一緒に喜んでいる。この輪の中にはただ騒ぐのが好きだからという理由で加わっている人もいるのでしょうが、その中には「自分が一緒に肩を組んでいるのは韓国人だ」という感覚がないような感じがしました。互いが互いを憎み合い、反発する感情しか持ち合わせていなかった過去から確かに新しい一歩を踏み出したのだと思いました。少しながらも日韓関係について考えた経験のある自分にとって、こんなにうれしい光景はなかったのです。

そして願わくば、この関係がより深まって日韓がさらに進んだパートナーシップを築いていければいいな、と思います。自分にとってのその第一歩が、新宿駅東口のこの光景です。まだまだ感情や言葉や国民性や、互いに理解し合って、時には意見をぶつけ合って、越えていかなければならない壁はまだまだ多くあると思いますが、この場にいた人たちみんながこの記憶を忘れずに、これからも感情を共にできるようにできればいい、と思います。
 


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20:36

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CONSAISM clasics #21/22

2008年02月16日

チームは既に熊本キャンプに突入していますが、こちらは粛々とclasics #21/22をお送りします。

なんで「clasics #21/22」っていうことかというと、このあと宮城にワールドカップを見に行けることになって、そのことを2回に分けてコンサイズムに載せていただいたんですね。で、まあわざわざこのブログにまで分けて載せるほどのものでもないだろうということで今回は2回分。それではどうぞ。


まずは渡辺さんのコラムに関して、自分は渡辺さんとchooさんに謝らなければいけませんね。
・・・ごめんなさい、ワールドカップをこの目で見てしまいました。(笑)
 
金曜日の夜遅くに宮城で行われるメキシコ対エクアドルのチケットが手に入り、そこから一気にアドレナリンが吹き出てきました。だって絶対手に入らないと思ってもうほとんど諦めの境地でしたから。大げさかもしれませんが、「世界がこの目に映る、この手で触れられる」のです。興奮しない訳がありません。テレビの前の日本戦より、自分の目で見る試合の方がずっと大事だし、価値あるものですし。
そして日曜日、早朝に一路仙台へ。ワールドカップの行われる街の雰囲気に早く触れたかったのもあるし、手に入れたのはチケットの「引換券」です。まずは指定場所で本券と引き替えなければどちら側のサイドなのかも全くわかりませんし、引き替え場所が混乱して時間がかかることも十分予想していたので。特に今回のチケットをめぐる騒動は何が起こるかわからないので、不安なところもありました。
朝6時半過ぎの新幹線はかなりがらがらでしたが、ちらほらとメキシコやエクアドルのレプリカを着た人たちを見かけました。夜が遅かったのでうとうとしながら新幹線に揺られ、仙台駅に着いてみるともう駅前には緑、白、赤の国旗を身にまとい、鍔の広い帽子をかぶった人たち。紛う事なきメキシコ人です。仙台の人には物珍しいのか(というか、どこでも珍しいですよね)格好の記念写真の的になってしまっていました。ともかくも、こういう人に出逢ったらまずは挨拶です。

「ビバ、メヒコ!」
 
そうしているうちに新幹線から降りるメキシコ、エクアドル双方のファンの数は日が高くなるにつれてどんどんと増えていきます。しかし圧倒的にメキシコ人が多いです。みんな改札を出て出口に向かいながら
 
「メヒコ、メヒコ、ラ、ラ、ラ!」
 
と歌っています。そしてその数は膨れ上がっていき、中南米の陽気な騒々しさが一都市の朝を賑わせています。たまにエクアドル人がちょっとした対抗意識で応援歌を歌いながら通りますが、その声を聞きつけるや一斉にブーイングです。でもそこに悪意は感じられません。ちょっとした礼儀みたいな感じです。今回、双方のファンがにらみ合うような場面には出くわしませんでした。それどころか互いにすれ違いながら握手したりとか、そんな感じで友好的な感じすらしましたし。
そうして引き替え開場の開く10時になり、チケットの引き替えも無事に済ませ(スムーズでした。5分も待たないくらいで本券が手に入りました)、会場の宮城スタジアムへ。列車とバスを乗り継いで行くのですが、乗り換えも待たされることなくすんなりと移動でき、特に迷うこともなく到着しました。行きも帰りも、交通機関の混乱というのは特に大きなものはなかったです。徹底した交通規制によって、バスと列車、地下鉄に輸送手段を絞り込んだのが良かったのでしょう。
この間にボランティア、駅員、警備員、警察官、消防などいろいろな人たちの姿を目にしましたが皆表情は優しく親切だったのが印象的でした。個人的にはもっとものものしい警備を予想していたので、とても好感が持てました。

到着したスタジアムの周辺では人々が思い思いに開場までの時間を過ごしています。ずっと騒いでいるというより、静かに皆佇んでいるという感じでしょうか。でもそこには、これから始まる90分を待ちこがれる高揚感がありました。強い風に時折あおられながら、青空の下で自分もその中の一人になっていました。
自分にとってのワールドカップが始まる、そう思うと自然と笑顔になってきます。そしてここにいる人たちも、みんな笑顔です。
仰ぎ見る宮城スタジアムの銀色と日光に照らされて、キックオフの笛の音を待ち望むのと同時に、このまま試合が始まらなければこのままみんな笑顔で、こんな幸福な時間が過ぎてしまうのがとてももったいないような気もしたりして、複雑な思いにふけりながら開場を待つのでした。
 


で、その続き。


そうして開場となり、早くスタジアムの雰囲気に触れたかったので早々に入場することにしました。ゲートの向こうではメキシコ、エクアドル双方のサポーターが集まり、歌を歌って騒いだり、のんびりひなたぼっこしていたり思い思いに時を過ごしています。
思っていたよりも入場はスムーズで、最低30分以上は並ぶのかなと思っていましたがそれほど待たされることもなく、ボディチェックも特に問題なく通る事ができました。今回は駅からスタジアムの流れがとてもスムーズで、関係者もとても好意的で気持ちよくスタジアムへ向かうことができています。
今回手に入れたのは赤色の区分のチケット、つまりはエクアドル側。郷に入れば郷に従えとばかりにエクアドルのマフラーを購入してにわかエクアドルサポーターです。後からは続々と入場してくるサポーターたち。陽気さをいっそう増して入場するなり歌い出します。4年に一度のこの祭典の場を楽しもうと、みんな明るく騒いでキックオフを待ちこがれます。そして選手が練習のためにピッチに現れるとその高揚はさらに高まり、声援が一段と大きくなります。
その中でよく聞いたのが「si se puede!」というエクアドルサポーターのコール。この言葉は日本語で言えば「やればできる」みたいな意味なのですが、エクアドルのサポーターが周囲の日本人を応援の輪の中に取り込もうと「si se puede! ガン、バ、ロウ!」と続けていて、それが日本人の観客にとても受けたらしくとても盛り上がっていました。単純に言えば「頑張ろう」っていう意味だよな、となんだか納得です。
そうして選手入場。一瞬スタジアムが静まり、その後に今までよりももっと大きい歓声が空を震わせるように上がる中、メキシコ、エクアドル双方の選手達が入場し、スタジアムの興奮が一気に沸騰します。もちろん自分もその中の一人になっていました。ワールドカップの舞台が今ここにある、テレビで見るだけでは終わらない自分のワールドカップが今始まったんだ、そんな気持ちが高まってくるのを感じながら、サポーター達が大声で、誇りを持って堂々と歌うメキシコの、そしてエクアドルの国歌を聴いていました。

試合開始の笛が鳴り、そして幕が開きました。
 
いきなり前半5分にエクアドル・デルガドがヘッドで先制、そしてこれがエクアドルのワールドカップ初ゴール。そのときのエクアドルサポーターはチーム初のゴールに驚喜するかと思いきや、ゴール裏からは見にくい位置のゴールだったので喜びよりも驚きの方が大きい感じで、でもなんだか激しく喜ぶというよりもこのワールドカップで点を獲ったという事をかみしめるような喜び方でした。しかしそれでかえって選手達は集中が切れてしまったのかボールを奪われる事が多くなり、ついには前半28分、メキシコ・ボルゲッティのゴールで追いつかれてしまいます。しかしエクアドルサポーターは落胆の顔を見せず、そんなことはわかっているさとでも言うような表情で応援を続けています。そこには自分の国を代表しているチームに注がれる変わらぬ愛情が感じられるような、そんな感じがしました。その後もなかなかボールをつないで攻めていく事ができず、後半12分、トラドのミドルシュートがエクアドルゴールに突き刺さり逆転を許します。それでもやや歓声は小さくなったとはいえ、途切れることのない「エクアドル! エクアドル!」、そして「si se puede!」の声。「やればできる、だから頑張ろう」と選手達に声をかけ続けます。

試合終了後間際に何度か惜しいチャンスがありましたがゴールにつなげる事はできず、結局エクアドルはグループリーグ2連敗となり、決勝トーナメント進出は絶望的になってしまいました。そのときにエクアドルサポーターは悲しいのか苦笑いなのかわからない、複雑な表情をしていましたが、その中にはチームが初めてゴールを決めたと言うことに対する満足の気持ち、「これがサッカーというものさ」という諦めにも少し似た感情も少し見られたような気もしました。いまでもあの表情は記憶に深く焼き付いています。
 
できればこのまましばらくスタジアムにとどまって、それぞれのサポーターの表情を見たかったのですが、ここから仙台駅まで混雑すると思われたので後ろ髪を引かれる思いで早足にバス乗り場へと向かいました。ワールドカップの余韻というものを楽しむという点においては、このスタジアムは少し遠かったのかもしれません。結局試合終了後すぐにスタジアムを出て、仙台駅から新幹線に乗ったのは7時少し前。そして家に着いてテレビをつけると横浜に試合終了の笛が響きわたるところでした。
 
人生で初めてのワールドカップ観戦は少し駆け足気味で過ぎて行った一日でした。しかしそこで触れたものはとても大きかったように思えます。サッカーを通して知らない人と言葉を交わし、気持ちを伝える楽しさや、サッカーがさらに祭典という場を得たことでその輝き、楽しさを増し、その場にいる人を笑顔にさせるということ。サッカーの楽しさという物を、この一日で改めて実感できたような気がしました。
 
ちなみにあの一日以来、少しきついな、辛いかな、と思うことがあると、こっそり口の中でつぶやく言葉があります。

「si se puede!」と。


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23:39

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CONSAISM clasics #20

2008年02月14日

clasics #20です。もう20回目。
この回からしばらく2002年ワールドカップネタになる……のかな?


これを書いているパソコンから少し目を上げると、そこにはブラウン管にワールドカップの映像。慣れ親しんだ札幌ドームの芝の上で戦う世界の選手達。まだ実感のわかない開幕四日目の今です。
いろいろと手を尽くしてチケットを当たってみたものの手には入らず、金券ショップに飾られるチケットは桁が一つばかり多い物もあってとてもじゃないけど手が届かない。そんなこともあって今回はテレビ観戦かな、と思っておとなしく家にいると、テレビに映るのは空席の目立つスタジアム。なんなんだ一体、と思って当日券の売られているらしいサイトにアクセスしてみてもいっこうに繋がらないチケット無間地獄。とにかくももどかしく憤りの深いワールドカップ。
というわけで一枚のチケットも手に入らないので、おとなしくテレビ観戦の毎日です。何試合か見ても「ああ、日本でワールドカップが行われているんだ」という実感には程遠く、日本によく似たどこか別の国で行われているような感覚さえしてきます。ことサッカーに関しては「実際に自分の目で見て、経験する」ことしか信じない自分の性格から、余計にそう思うのかもしれませんが。そうすると実際に会場に足を運ばれた人はどんな感想を持ったのかな、なんて思います。サッカーだけでない「世界」は体感できたのでしょうか。それとも「キリンカップの拡大版」くらいの感覚だったのでしょうか。
そして自分が思うのは、早くもワールドカップの終わった後の事だったりします。世界のレベルを目の当たりにした人たち、それまでサッカーのことを何も知らなかった人から何試合と見続けてきた人たちまでみんなワールドカップを見ることで、サッカーに対する見る目のレベルというのか、視線は間違いなくいい意味で変化すると思います。一言で言えば「目が肥える」とでも言うのでしょうか。前回のフランス大会でも同じ事は何回も言われてきたはずですが、今回は自国での開催、おそらくそのレベルはフランス大会よりも遙かに向上するでしょう。そういう人たちが増え、ワールドカップがどこかの国の手に渡り、日本にはつかの間の休息の後にリーグが再開される。そのときに今まで見てきた人、初めてサッカーにふれた人たちがJリーグに対してどんな見方をするのかがとても興味深いところです。
もちろんJリーグのレベルは世界に敵うべくもありません。スタジアムは観客の数より空席の数の方が多いかもしれません。でも、そこにあるものもまたサッカーなのです。ワールドカップの熱狂とはまた違う、手を伸ばせば届くところにある身近なサッカー。自分の住む街のサッカーがそこにあり、愛着のあるチームを応援できる喜びがあり、ひょっとしたらワールドカップ以上かもしれない歓喜があるのかもしれない。そういう良さも知ってもらえればいいなと思う気持ちです。
 
そんな中、札幌は柱谷監督の解任が報じられました。このニュースに溜飲を下げた人も入れば、解任の動きの遅さに憤る人、それぞれだと思います。それでも解任という動きに至った経緯には、政治的な事は抜きにしても一つの要因としてサポーターの行動の結果であるという事が言えると思います。そしてそういう行動には責任が伴うものです。自分たちは言い訳のできる逃げ場を一つ、自分たちの意志で切り捨てたのです。監督の首が一つ飛んだくらいで劇的に勝ち続けられるほど甘い世の中ではありません。これまで以上にチームを支えなければいけない状況になったのです。
おそらくリーグが再開されたあとは、甘えなど許されない試合が続くことでしょう。危機感がなければ、あっという間に2部行きです。まずはそれを絶対に許さないために応援していかなければならないと考えています。
そんな事も頭の片隅におきながら、まずはそのときまで、世界に触れて楽しむ事としましょうか。


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23:50

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CONSAISM clasics #19

2008年02月12日

ちょっと間が空いてしまいましたがclasics #19です。
ワールドカップ時期で試合もなくネタもなかったので、今回も応援論の話。


チームもオフのまっただ中、新外国人は発表されず、ワールドカップはまだ開幕していない。そういうわけで、日曜の夜自分がどこにいたかというと神宮球場、ヤクルト対横浜。
おまえ虎キチじゃないかと、自分の事をよく知っておられる方々からは何か物でも飛んできそうな勢いですが、特にどちらの応援をしに来たわけではないのです。純粋に野球とそれぞれのファンの応援を見に来ただけで。
3塁側の外野席に席を確保してビールを飲みながら試合開始を迎えると、それまで小康状態だった空からぽつぽつと雨が再び降り出してきました。1回表を終えると雷鳴もとどろきだして来ました。そして1回裏が始まると雨も本格的に降り出して、たちまちのうちに轟々と音を立てて降り出しました。観客席のファンは一斉に地下の売店コーナーへ引き上げていきます。計らずも統制のとれたその動きに一瞬見とれてしまったことは秘密です。そうこうして雨が上がるのを待つうちに中止の放送があり、目的の「応援を見にいく」と言うことは果たせませんでしたが、野球だからこそのイベントというかアクシデントだよなぁ、と考えてしまいました。ふつうよほどのことがない限り雨でもプレー続行なのがサッカーだし、応援だって雨だからといって休まない。こうやって屋根の下に駆け込むのもまた一興、というわけで。
そんな日曜の夜でしたが、実は試合開始前にもう一つ、ほんの少し野球を見てきました。同じ神宮で会場を待っていると明治対法政の大学野球をやっていました。のぞいてみるとそこは法政の応援席で、昔ながらの変わらぬ光景と言うべきでしょうか、学生服を着た応援団が必死に応援をしていました。
実は自分も中学、高校と応援団をしていた経験があります。中学の時は中体連の時に合わせて毎年結成されていたのですが、そのうち2年と3年の時に応援団に入っていました。とはいえ、自分は他の部活に入っていたので積極的に応援した、という訳ではなかったですし、その当時のいわゆる不良同士の諍い(ああいう改造制服は格好の目の敵にされるのです)のような物もあったりして、ほとんど応援自体ができなかったのですが。
その後入った高校でも年に一度の体育祭のために応援団が結成されるのですが、1年の時にそれに入っていました。確か3つのチームに別れていて、自分は青組だったと記憶しています。この青組、一番「硬派」な応援をする応援団で唯一のチアリーダーなし、応援の練習は最も厳しかったものです。朝は6時半から朝練、昼休みに昼食そっちのけで練習、放課後もどこか近場の公園を見つけては日没までまた練習。しかもすべて裸足。よくもまぁがんばれたものだと今になって思います。でもその後過激な練習がたたって、腰を痛めてしまったのですが。ついそんなことを思い出していました。
ゴール裏での応援も確かにいいですが、たまにはこういう全く違った応援の形を見るのもいいものだと思います。ただそれは手段こそ違え、目的は一緒であり、つまりは応援するチームのために声をあげる、盛り上げて声援をプレーヤーに伝えて、少しでも勝利に近づけることなのだと思います。それこそが応援するということのたった一つの目的であり、それはたとえばプロ野球のトランペットとメガホン、応援団のエール、サッカーのような歌と声の応援と方法が異なっているだけなのであって。
そして神宮、法政応援団のきびきびとした動きを見ていて昔の自分を思いだしていたら、一列に整列した団員を前にして応援団長が締めの一言を言うところでした。彼の言葉をこっそり聴かせてもらっていたら、こういう言葉が聞こえてきました。
「今日はいい応援ができ、試合に勝つことができた。それは全員が一生懸命応援しただけでなく、ふつうの学生も一緒になって声を出してくれていた。だからこそ応援が盛り上がる事ができた」
そういうことです。応援が盛り上がるからこそ、声が届く。ただの流れで始めた応援であっても試合が終わる頃には手を握り、大きな声をあげて勝利を願う。それがスポーツで、それが応援というものの魔力なのだと思います。


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23:49

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