2014年03月31日
ジャンボ機退役
本日のフライトでもって、国内線からジャンボが消えました。(貨物便を除く) ジャンボが登場したとき、私は小学生でしたが、2階建て飛行機には驚いたものです。 私が初めて飛行機に乗ったのは1978年の大学受験のときでしたが、JALのジャンボでした。 それから33年間で26回、ジャンボに乗りました。 最後に乗ったのは3年前でした。 飛行機で一番良い体験したのは、北極上空でオーロラを見たことですが、そのときもジャンボでした。ブリティッシュエアウェイズ大阪(伊丹)発成田・アンカレッジ経由ヒースロー行でした。 飛行機で一番辛い思いをしたのもジャンボで、1985年のバーレーンでした。 ドバイが悪天候で降りられなく、代わりにバーレーンに一時寄港したのですが、灼熱の砂漠の中にある空港で、エアコンの能力が足りず、機内は灼熱地獄だったのです。1時間以上駐機場で駐機していたんですが、ターミナルビルへ行くこともできず、灼熱の機内に缶詰でした。 もう中東はこりごりです。カタールのワールドカップには絶対行きません。 ちなみに、私は今まで174回飛行機に乗ってますが、そのうちジャンボは26回なので第3位です。 記録付け出したのは15年くらい前で、その前の分は記憶に頼っているため多少の間違いはあるかも知れませんが、以下のようになります。 A300 49回 737 31回 747 26回 767 20回 727 13回 DC9(MD80/90) 8回 777 5回 A320 5回 DC10 4回 DC8 3回 YS11 4回 SAAB340 3回 BN2 2回 L1011 1回 以前、旭川・羽田線はA300が主力機だったので、これが1番になっていますが、これはもう日本では飛んでいません。 エアライン別だと以下になります。 TDA/エアシステム 53回 ANA 48回 JAL 43回 ADO 11回 SKY 6回 ブリティッシュエアウェイズ 3回 シンガポール航空 3回 HAC 3回 南西航空 2回 中央航空 2回 私が一番良く乗る路線は旭川・羽田なので、TDA/エアシステムがいまだにトップですが、もうすぐANAかJALがトップに躍り出ます。 飛行機に乗って、一番ぞっとしたのは1980年8月、那覇発石垣行南西航空737で、石垣空港に着陸したときです。 滑走路でもの凄い急ブレーキをかけ、どうしたのかと思ったら、滑走路端まで来ていて、あわやオーバーランでした。 案の定、その3週間後にオーバーラン事故が起こり、飛行機は丸焼けになりました
posted by かもめ |18:04 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(2) |
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この記事に対するコメント一覧
Re:ジャンボ機退役
かもめ殿
747が初就航した1970年の羽田空港ターミナルホテルは当時レストランで就航記念で
747グラムのジャンボビーフステーキを出しました。父はそのニュースを見て「実に下らん
バカバカしいにも程があると」不快感満載でした。
>案の定、その3週間後にオーバーラン事故が起こり、飛行機は丸焼けになりました
石垣空港は丘珠と同じたった1500メートルの滑走路にペイロード一杯の737をヘビロテで
運用するのは当時から危険を指摘されていました。同様に大田川の河川敷の旧広島空港も
1800メートルなのに767の国内線のみならず海外線のチャーターフライトをバンバン飛ば
していました。
キャプテンが少しでもタッチダウンが遅れると一気にランウェイエンドまで行ってしまいます。
実は成田の2500メートルのBランも大型機の着陸には危険だそうです。
posted by 大阪帰りの道産子| 2014-03-31 19:10
Re:ジャンボ機退役
> 旧広島空港も1800メートルなのに767の国内線のみならず海外線のチャーターフライトをバンバン飛ばしていました。
それは知りませんでした。
僕が新潟にいたとき、当時新潟空港は1900メートルしかないのにハバロフスクからツポレフ154が来ていまして、きわどい離着陸をしていました。
乗客の多くは体重の重たいソ連の共産党幹部と家族でしたから。
> 実は成田の2500メートルのBランも大型機の着陸には危険だそうです。
成田は基本、風向きに関係なくB滑走路を北西方向からの着陸、A滑走路を南東方向への離陸に使っているものの、追い風などのときの大型機は長いA滑走路を着陸に使うようですね。
全日空の767がB滑走路でオーバーランしたときは追い風でしたね。
追い風の離着陸を強いられる成田は欠陥空港ですね。
posted by かもめ| 2014-03-31 19:46