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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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2008年01月10日
年賀状は、正直言って面倒で、年々枚数を減らしてます。 10年前は200枚くらい出していたけど、今年は120枚まで減らすことができました。 もっと減らしたいけど、世話になった人とか、親しい人には出さないわけにいかないし、取引先なら 返事を出さなくても済みますが、普通の人からなら返事を出さないわけにもいきません。 でも、出すからには、平凡な年賀状では嫌なので、北海道らしい冬景色でかつ、家族全員が 揃った写真を入れるようにしてました。 昔は1枚の写真しか使えなかったので、家族全員集合させるのが大変でした。(猫が多いので) パソコンが登場してからは楽になりました。 近年はドームや厚別での写真をプリントしてました。これなら雪景色でなくても北海道らしいし、コンサの宣伝にもなります。 今日、町内のある人が挨拶に来て、「コンサドーレの写真を見て嬉しくなりました」と言ってくれて感激でした。 今回の年賀状は50節のドームでの記念撮影と、三浦監督の胴上げの写真を使いました。 新潟で世話になった人からの年賀状に、「昨年、初めてアルビの試合をビッグスワンに見に行きました。」 「はまりそう」「息子はアルビレックス・ベースボールクラブに入りました」「オレンジのタオルを振って頑張ります」 面倒で嫌だと感じる年賀状でも、こういうのを見たら嬉しいですね。
2008年01月09日
東京オリンピックのときにユーゴスラビア代表がサインした中にオシムさんのがありました。まだ「オシム監督」のままですが、近いうちに「オシム元監督」に訂正するのでしょう。 メキシコオリンピックの際のフェアプレー賞です。世界初の日本が誇る栄誉ですね。蹴鞠がありました。サッカーミュージアムはお茶の水駅の近くです。 東京へ行かれた際は、是非、行ってみて下さい。 http://www.11plus.jp/
2008年01月08日
東京から静岡に行くには、(在来線特急がある伊豆は別として)、普通は新幹線を利用します。 静岡駅に1時間毎に「ひかり」が停車するようになったせいか、東京・静岡間の急行も廃止されています。 でも、私の出発点が荻窪なので、新宿から小田急ロマンスカーに乗る手段もあります。 少し時間がかかりますが、乗ったことないし、早起きは得意だし、運賃も安く済みます。 だとしても、小田原まで箱根湯本行きに乗って、あとはJRというのが普通なんですが、私は 御殿場線に乗ったことないし、松田からJR御殿場線に乗り入れ沼津まで行くロマンスカーにしました。 ロマンスカーというと、日本では珍しい連接車で有名でしたが、最近は普通のボギー車が多く、 希望の便は箱根湯本行きも沼津行きもボギー車だということもあって、沼津行きにしました。 昔は沼津行きロマンスカーも連接車で、国鉄線内を走る唯一の連接車だったのですが。 (昨年からJRも京葉線で連接車を走らせていて、結果次第で増やすようですが、車軸直接駆動で、 ギア比1:1というか、ギアなしという面白い機構です)この「あさぎり」は、神奈川県の松田から御殿場線に乗り入れ、丹那トンネルが開通する 前は、東海道線随一の難所だった峠を越えて静岡県に入り、御殿場や裾野など、富士山の 麓を走って沼津まで行きます。さすがに多くの乗客は御殿場と裾野で降り、沼津まで 行くのは少数でした。やはり、沼津以西に行く人は普通は新幹線を使うのでしょう。 もっとも、町田から乗る人も多かったし、八王子方面や神奈川県北部の人には便利でしょう。 新宿駅で1編成くらい連接車を見れるかと思ったら、まったく見れなかったので、 1982年にジュネーブからパリまで乗ったTGVの連接構造の部分の写真を貼っておきます。フランス新幹線が開業した翌年で、まだ最高時速260Km/hの時代です。 (この数ヶ月後に270Km/hにスピードアップし、今は新型車両では320Kmのはず) 85年にオオドサと、アヴィニョン→マルセイユ、マルセイユ→パリで乗ったのと同じ形式です。連接車は日本ではロマンスカー以外に札幌市電や江ノ電、西鉄の他、京阪では戦前からありました。 昔、2両連結の札幌市電があり、モーター付いた車両の後ろにモーターなしの 客車を連結していて、「連結車」と呼ばれていたのですが、その後に連接車が 登場した際、その流れで「連接車」とは呼ばずに「連結車」と、間違った呼称を交通局がしていました。 2両あることをわかりやすいようにと思って、知ってて間違った書き方したのでしょうね。
2008年01月07日
オオドサと合流する前日の12月29日は千葉に住んでいる娘とお茶の水のサッカーミュージアムに行きました。 ここで一番感動したのは案内のお姉さんでした。 美人が親しく声をかけてきて嬉しかったのですが、それが感動したのではありません。 (いや、それも感動したのですけど、感動はそれだけではありませんでした) 私と娘がコンササポだと知ると、「私は宮古島の出身で・・・」 上里選手の話題で持ち切りになったのは言うまでもありません。 地元でJリーガーが誕生したのは、相当大きなニュースで、かなり期待されているようです。 たまたま「J1への軌跡」を私が持っていたので彼女に見せたら上里選手の写真を見つけて喜んでいました。 彼女を喜ばせただけでもミュージアムに行った甲斐がありました (笑 ビデオ上映の部屋があり、スクリーンは横長で、10メートルはあると思います。 普通の横長画面の3倍の横長で、02年のWカップ決勝ハイライトを上映してましたが、 下の写真のように、ゴールからゴールまで、つまりピッチ全景が1つの画面に 入っていて、とても素晴らしくて感動しました。家庭では無理でも、たとえばスピカスタジアムでこういう上映ができるようになったら良いですね。 02年のWカップを再現したエリアですが、やはり宮本選手はフェイスガードしてますね。あれからもう6年もたつのですね。 審判の持ち物ですが、カードの裏には書き込み欄(枠)があるのですね。写真は北海道から持っていったカニとイクラをメインにした29日のディナー。 会場は東京の家内の妹の家です。東京駅の大丸で買い物したのですが、工事中で売場が縮小されていて、なだ万は お総菜がなくて弁当しかなくて残念。(笹寿司は、なだ万で買いました) でも、この中で一番美味しいと思ったのは、なだ万の高菜の笹寿司です。 何年か前、福岡の宿で食べた高菜が美味しくて、その後しばしば高菜を 買ってみるのですが、そのたびに「やっぱり本場の高菜でないと美味くない」 と思ってましたが、本場ではなくてもさすがに、なだ万のは美味しいです。 実は昨日、旭川のイオンで九州美味いもの市をやっていて、高菜が売られていましたが、 添加物表示をみたら、「赤○号、黄○号」などがあり、買いませんでした。 なんだかもう高菜を食べる気が失せてしまいました。 ちなみに、今日現在、おせちも雑煮もまだ食べてません。 こんな正月は生まれてから49回目の正月で初めてのことです。
2008年01月06日
大晦日は大井川鐵道に乗ったあと、静岡駅前のホテルに泊まりました。 ディナーは、ホテルのブッフェで、飲み放題付きで4,000円。 値段に見合った内容で、特別凄いご馳走ではありませんが、前日が凄い ご馳走だったので、十分な内容でした。 私もオオドサも疲れたのか、新年のカウントダウン10分くらい前に寝てしまいました。 元旦は、JRで清水駅に行き、無料シャトルバスでエスパルスドリームプラザへ。 JR車内やプラザからは富士山が見えましたよ。元旦に富士山を拝めるのは気持ち良いですね。 プラザにはエスパルスのショップはありますが、エスパルスに関する展示はなく、少し期待はずれ。 エスパルスのマスコットのパルちゃんはいましたが。 ここの一番の目玉は、サッカーとは関係なく、寿司ミュージアムなんです。 寿司屋は10店舗あり、普段は11時開店のところ、元旦は10:30開店ということで、 開店と同時に入店し、ブランチに。 ところが急にオオドサが、「風邪みたい」ということで、だるさと寒気に襲われ、 ちょっと食べたところでダウンし、私が持参した漢方薬を飲ませました。 見学しようと思っていた、清水すしミュージアムは諦め、タクシーで清水駅に向かい、 予定よりも早い新幹線で帰途につきました。 ひどいインフルエンザで高熱が出るのではと心配したけど、薬が効いたようで 寒気も取れ、新幹線の中で寝たら汗かいて発散して大事に至らなかったようです。 そんなわけで、清水では写真がありません。 私は夕方、羽田発の飛行機で旭川へ向かいましたので、羽田での写真を貼り付けます。私が乗ったエアドゥ機と、その後方は出発待ち渋滞の飛行機群です。 乗った機種は元エアーニッポンの老朽化したB737。本当にボロかった。 ヘリテージ・レイルウェイ(保存鉄道)のあとは保存飛行機? 最後にちょっとアクシデントがあったけど、大事に至らなかったし、とても素晴らしい旅でした。 オオドサと、島田を案内してくれたNさん、その他、鉄道関係者や旅館のスタッフ、 一緒に藤枝東を応援した人たちなど、静岡の皆様に感謝しております。 あと、ヘリテージ・エアライン社にも (笑
2008年01月05日
大井川鐵道本線(金谷・千頭間39.5km)では、1976年からSLの保存運転が行われています。 今回の道中の最大のイベントは、このSLに乗ることで、31日に千頭から金谷まで乗りました。 30日に電車で千頭に着いた際、ちょうど千頭発金谷行きのSLが出発するところでした。このC-56ですが、1936年に製造され、苗穂に配属されて北海道で活躍していたのですが 1941年に日本軍の南方作戦のためにタイに運ばれて、戦後もタイで活躍したのち、 ディーゼル化で不要になった1979年、日本に里帰りして大井川鐵道で走っていました。 ところがボイラーが傷んで4年前に廃車になっていたのを、違う機関車の ボイラーを載せ代えるなどの整備を行い、つい3ヶ月ほど前に現役復帰しました。 その際、タイで走っていた当時と同じ塗装にしたのです。(従ってタイ語が書かれてます) 運転開始のときにはタイの人気女優さんも駆けつけてます。 ちなみに、ボイラーは長年使うと肉厚が減って寿命が来てしまうのです。 この機関車ですと、14kg/cm2もの圧力がかかるため、だんだん壁が減っていくのです。 加圧水型原発の蒸気パイプの点検がずさんで、穴があいて死者が出た事故も同じ理由です。 明治村で走っているSLは、交換部品もないので、ボイラーを新製するという とてもコストのかかることをやっています。 C-56だと機関車本体部分はC-12と同じため、程度の良いC-12を見つけて そのボイラーを載せ代えたのでしたが、それでもかなりコストかかっているでしょう。 ちなみに、日本の線路幅の1,067mmに対してタイは1,000mmと異なっていますが、 わずかな違いなので、比較的簡単な改造工事で走行可能です。 で、オオドサ・かもめが乗ったSL列車は、この写真のC-10です。なぜか静岡で雪景色。C-10は780馬力なのに対して前日のC-56は590馬力しかありません。 炭水車があるのでC-56は大きく見えるけど、実は逆に馬力ありません。 C-56はパワー不足のためか、後ろに電気機関車の補助が付いて、些か興ざめなのと 乗り心地が悪いはずで、C-10の方に乗って正解だったようです。 (後方補機だと、ごつんごつん突き上げられて、とても乗り心地悪いのです) 客車は1941年製造で、私が高校に通ったときと同型の車両。 もちろん禁煙ですが、当時の趣を出すために灰皿は付いたまま。 映画やTVドラマなどの撮影に良いように、4両のうち1両は「2等車」 1両は「3等車」の表示をしていました。 静岡は遠くて、まとまった休みがないと、ゆっくり旅ができないので、なかなか 来れなかったのですが、ようやく日本一の保存鉄道に乗る念願が叶って大満足でした。
2008年01月04日
31日の午前中は大井川鐵道井川線(千頭・井川間25.5km)に乗りました。 素晴らしい雪景色でした(笑 1990年、途中にダム湖を建設し、水没する区間が新線に切り替わったの ですが、勾配がきつい1.5kmの区間がラックレール(歯型レール)式の 一つの方法であるアブト式が採用されました。アブト式は1963年まで、峠の釜飯で有名な信越線碓氷峠でも採用されていました。 (あそこは釜飯よりも玄米弁当の方が好きだけど) 25.5kmを約1時間40分かけて走るので、標定速度(平均時速)約15kmで、自転車並です。 黒部峡谷鉄道とほぼ同じ標定速度で、遊園地等の列車を除いて日本一遅い列車です。 その次に遅いのは、京都の嵯峨野観光鉄道(旧山陰線のトロッコ列車)の17km/hのはずです。 井川線は、もともとダム建設の資材運搬目的で建設されたので トンネルも小さく、車両もトロッコ客車並に小さいです。 この日は3両の客車を引いてましたが、混雑する紅葉の時期は8両になるそうです。 ディーゼル機関車は335馬力しかなく、パワーの最も少ない気動車1両程度の 能力ですけれども、軽い客車をゆっくり牽引するから、この程度でいいのでしょう。 スピードメーターは40kmまでしかありませんでしたから。 でも、意外だったのは、アブト区間で追加連結されるアブト式電気機関車は、 56トンもあるのに221kW(295馬力)しかないのです。 さすがに8両連結のときはアブト式電気機関車は重連にするそうですが。 スイスのブリエンツ・ロートホルン鉄道と姉妹鉄道になってますが、(自治体同士も 姉妹都市となっていますが)、あちらは最大で倍以上の急勾配をアブト式SLで運転しています。 登山鉄道で、全区間アブト式なので、8kmを1時間かけて走行しますので、 平均速度は井川線の半分以下です。(下りは下車して走った方が早そうです) 26年前にブリエンツの近くのインターラーケンに泊まったことがありますが、 冬季は休業するので残念ながら乗れませんでした。 代わりにこんな、鉄道マニア以外、日本人が来ないようなとんでもない スイスの辺境(フランス国境を挟むシャモニーの裏側に当たるあたり)に行きました。
2008年01月03日
12月30日、オオドサとは東海道線六合駅(島田市)で待ち合わせました。 なんでこんな場所かというと、下の写真の碑を見たかったんです。 1960年に狭軌鉄道スピード世界一を記録した場所なんです。(その後、南アに抜かれましたが)昨日書いたように、この日は蓬莱橋と川越遺跡を見て、大井川鐵道に乗りました。 大井川鐵道に関しては明日にでも詳しく書きますが、日本における保存鉄道の パイオニアでして、1975年に国鉄からSLが消えた翌76年には早くもSLの復活運転を開始してます。 私は子どもの頃、旧栗沢町(現岩見沢市)に住んでいたので、75年はSLで高校に通ってました。 最後のSLに乗っていた人間が最初に復活したSLに乗るのは感慨深いものがあります。 SL運転は1日1往復なので、30日は時間が合わず、31日に乗る予定にしていて、この日は 普通の電車に乗りましたが、「普通」といっても、ほとんど保存鉄道並の骨董列車でした。 10年くらい前まで大阪・和歌山方面で活躍した南海電車の車両で、当時を偲ばせる エアロプラザ高島屋などのステッカーも随所にありました。 こういう保存鉄道に乗るために来る人も多く、翌日、宿を出てからのバスは、 何か雰囲気が変(ほとんどの乗客が30代か40代の男性)だと思ったら、 乗客のほとんどが大井川鐵道に乗るために来た鉄道マニアだったんです(笑 (自分らが最も雰囲気をおかしくしてるだろって) JR東海道線金谷駅から大井川鐵道で40Kmほど南アルプス方向へ北上した地点の千頭(せんず) からさらにバスで40分ほど急峻な山道を進んだ、もの凄い山中に、この日の宿の寸又峡温泉があります。 なんでこんな秘境と言っても良い場所に比較的大きな温泉街があるのか不思議ですが、 とても泉質が良い(美人の湯)のも理由の一つでしょう。(「すまたきょうおんせん」と読みます) あと、寸又峡温泉の知名度を高めた事件の影響もあるのかも知れません。 1968年に起こった金嬉老事件です。5日間、ライフル持って籠城した旅館の隣の宿に泊まりました。 事件のあった旅館は今でも(増築はしたものの)当時の建物で営業しています。 私は当時小学2年生でしたが、世間が大騒ぎしていた記憶があります。 写真は凄いご馳走だけど(鰻を一口かじったあとの写真ですが)これ以外に鹿刺しなどもありました。紅葉の時期は混雑するようですが、この日は貸し切りで、食事は2食とも部屋出ししてくれました。 さすがに31日と元日は全14室満館になっていました。 でも、一番驚いたのは雪が降って、道路がシャーベット状になっていたことです。 まさか静岡が銀世界だなんて、全く考えてませんでした。 旭川空港でスノトレから夏靴に履き替えたのだけど、そのままでもよかった? (笑 結構山中に入った寸又峡ならわかりますが、千頭でも降っていました。 さすがに、「こんなことは滅多にないのですが」ということで、年に3~4回だそうですが、 それに当たるのは運が良いのか悪いのか・・
2008年01月02日
12月30日に静岡市から西に電車で25分くらいの島田市でオオドサと合流しました。 途中、藤枝を通過しましたが、ここ出身の岡田選手はどうしているかと 思いましたが、帰ってから、新しい所属先が決まったと聞いて安心しました。 島田では知人の案内で島田宿・大井川川越遺跡と蓬莱橋を見物しました。 川越遺跡は、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」で有名な 人の肩や連台に乗って川を渡った旧東海道最大の難所にある宿場町です。左がオオドサ、右は案内してくれた地元の知人です。 写真を見てわかるとおり、江戸時代の町並みが少し残ってますが、残念ながら 木曽路のように、完全に復元したわけではありません。今後に期待してます。 次の写真は蓬莱橋です。世界最長の木造橋で、ギネスブック認定です。島田宿の少し下流に位置しますが、明治12年に大井川に架かった橋で、 人や荷車が通行でき、今でも健在です。 とはいっても、たびたび流され、現在工事中で途中までしか渡れません。 対岸まで渡れないのに通行料100円を払いました(笑 写真と反対側は建物などが全くなく、時代物の映画のロケでも使われるそうです。 蓬莱橋のたもとに「蓬莱茶屋」というソバ屋があり、桜エビのかき揚げソバが美味しかったです。 ソバ自体は北海道でも栽培が盛んなダッタンソバで、これは普通でしたが、 桜エビがとても美味しかったです。 北海道では桜エビは乾燥させたのしかありませんので、普段味わうことの できない美味しさに感激でした。 店も禁煙で快適でした。(残念ながら平日は禁煙でないそうですが)
2008年01月01日
初詣の習慣はありませんが、ここには拝みたいと思います。 ぱんぱん (写真の日付を直してませんでした) さて、年末は東京と静岡に行って来て、今日(元日の晩)に北海道に戻りました。 静岡ではオオドサといろいろ面白いことがありました。 明日以降、珍道中を披露したいと思いますが、タイムリーな話題を一つ。 静岡のある田舎町で、31日に昼食のために入った食事処で、ちょうど高校 サッカーのTVが流れていました。香川西と、地元の藤枝東の対戦です。 藤枝東は戦力外になった岡田選手の出身校で、同期には長谷部や水戸の 金沢もいますし、ゴン中山も先輩です。 そのメシ屋は、さながらスポーツバーと化していて、私は、「北海道から 来てますが2回戦では室蘭大谷と当たりたいので、私も応援してるんですよ。」 などと良いながら、他のお客と一緒に応援していました。 藤枝東の勝利が決まった瞬間は大歓声で、メシ屋のおばあちゃんが涙流して 感激しているのは、さすがサッカー王国だと思いました。 明日の試合が楽しみですね。本当は決勝で対戦したかったですけどね。
2007年12月28日
今晩東京に行き、明日はお茶の水のサッカーミュージアムに行く予定です。 30日からはオオドサと珍道中を繰り広げます(笑 大井川鐵道やエスパルスドリームプラザとか行く予定です。 面白い写真なども紹介できたらと思いますので、お楽しみに。 また来年、よろしくお願いします。 (パソコン持って行くので、旅の途中で書き込むかも知れません)
2007年12月25日
写真は私が学生時代に小樽で撮った義経。(「しずか」もいたはず) 私も25年前は今よりも10kgも体重が軽くてスレンダーで格好良かったなぁ(笑 鹿島の増田選手にコンサがオファーを出してますね。 でも、大分や仙台も狙っているそうだし、なかなか決まらず、だんだん心配になってきました。 実は私は彼が大好きなんです。 一度だけ生で見ました。 04年8月15日の宮の沢でのサテライト戦です。 増田選手はとても男前だと思ったし、さらに、なかなか良いプレーをして、 「こんな良い選手が鹿島ではレギュラーでないのか。それならコンサでプレーして欲しいなぁ。」と思いました。 でも、翌年はほぼ、鹿島のレギュラーとなり、北京五輪代表メンバーにもなったので、 皆さん、ご存じだと思います。 ところがその後、代表から外れ、さらにリーグ戦も出番が減っていましたね。 (9月の新潟戦では途中出場準備していたのに、キーパーに赤紙出て、出れなかったですね) ちなみに、その試合(04年のサテライト)ですが、鹿島の選手として池内も 出ていたし、コンサの石井も初めて見ました。 (だと記憶してますが、データベースが停止しているので確認できません) 0-2とビハインドだったのに、終盤に1点入れ、さらにロスタイムが過ぎて もういつ笛がなってもおかしくないのに、なかなか笛を吹かずに時間が 過ぎ、キーパー(もんじゃ?)も上がって、いくらなんでもこれがラストプレーという時、 同点ゴールで、感動のドローという、コンササポにとって、とても良い試合でした。 ちなみに、その試合で苦笑したことがあります。 ボールが場外(南側の公園方向)へ出てしまったのですが、ボールパーソンは 予備のボールを持ってなく、代わりのボールを用意するのに、しばらく時間が かかったのです。サテライトはこんなもの?
2007年12月24日
昨日載せた写真で、試合の時と大きく違う点に気づきましたか? 座席の上の方が明るいのです。 上の写真が一番わかりやすいですが、昨日の写真なら上2つ。 普段(試合のとき)は薄暗くて閉鎖感があるのに、明るくて開放感あります。 そう、ここはガラスで外から日が射し込んでいたのです。 (昨日の下の方の写真は日没で暗くなってます) 私はここがガラス窓だったとは知りませんでした。 試合の時もブラインドを開けて欲しいと思ったのですが、それでは外から タダ見できてしまってダメですね。 でも、3F(キッズコーナーのあるところ)よりも上の部分は開けてもいいのではないですかね?
2007年12月23日
ドームで開閉式可動席(回転移動させる、傾斜の緩やかな部分ではなく、S席の あたりのピッチを出し入れする部分)の移動の実演をやっていたので見ました。 当初、私は座席を跳ね上げてホバリングステージを出し入れするのかと 思ったのですが、それでは頑丈なヒンジのコストやスペースが必要だろうし、 そうではなく、簡単に言うと、アコーディオンの蛇腹を畳むように、座席部分を コンパクトにしてから、左右の座席の下方にスライド収納するシステムでした。 ちょっと複雑なので、45分くらいかかるし、老朽化したらメンテナンスに コストがかかりそうな心配もありますが。 こういう構造なので無駄なデッドスペースが出来るわけですね。 (SB席にある、客席のない部分) もう少し工夫できなかったのかな。 あと、もう少し客席とピッチを近くできなかったのかと、いつも思います。 ゴール裏あたりで4~5メートル、さらにS席とSS席のカーブを直線的に して、8メートルくらい近づけられなかったかと思ってます。 もちろん、その場合は野球場のスペースが小さくなりますが、フェンスも高いし 現在は100メートルある両翼は95メートルあれば十分ではないでしょうか? 今から改造するわけにもいかないし、こんなこと言っても仕方ないけど。 それと、もう少しSS席が少なく、逆にホームゴール裏が多かったらよかったと 思いますが、野球のフライが天井に当たらないよう等の理由でサッカーに 無駄が生じる結果となったのでしょう。 野球用の放送席とサッカー用の放送席を別々に作らず、1つで済ませる ために席の多いところをサッカーのSS席にするしかないのですが、この際 いっそのことサッカーの時の放送席はゴール裏ということにして、 ピッチを入れて90度回転させず、そのままにしたら、ホームゴール裏の 客席が多くて良いのですが。これなら一切改造しないでOKですよ。 選手や審判もゴール裏側から出入りしてもらいましょう (笑
2007年12月21日
「ドームがタバコ臭い」と言うと、意外だと思う方が多いかも知れませんね。 でも、タバコ臭いのです。 ドームには喫煙ルームがありますが、そこからロビーに漏れるのです。 さらに2F(ホーム側SA入り口付近)まで流れてきます。 しかもなんと、一番漏れがひどい喫煙所の隣が授乳室ではありませんか。 同一建物での分煙は不可能で、禁煙しかないとWHOが宣言するほど、分煙ではダメなんです。 でも、客席は大丈夫ではないか、と思いますよね。 実は客席も大丈夫ではないのです。 近くに喫煙者がいると、タバコ臭くなってしまい、私は咳や目の痛みを 起こし、ひどいときは吐き気や頭痛まで起こします。 喫煙者の肺や着衣からから発するタバコ物質は、厚別なら風で、ある程度飛散しますが ドームだと屋内で風がないので、結構これで受動喫煙するのです。 とくに試合前やハーフタイムに喫煙所でタバコ吸って客席に戻ったばかりの人は、相当強烈です。 だから、以前はSAやSB、S席あるいはSS席で、なるべく空いている席を選んだし、 近くにタバコ臭い人がいると、席を移動しました。 ところが、最近は私はゴール裏での応援が好きになったのですが、熱烈応援席だと たいてい客でびっしり埋まっていて、タバコ臭い人から逃げることは容易でありません。 なるべくタバコ吸わなそうな人の隣(前後)を選んだりしますが、なかなか上手くいきません。 (お盆のセレッソ戦のときは、オオドサが上手いこと席を選んでくれましたが) コンサを応援するために、こんな苦労を余儀なくされることを、喫煙者は知らないでしょうし、 大げさなどと思うかも知れませんが、アレルギー体質の私には切実な大問題なんです。 だからスタジアムは完全に禁煙だと助かります。 完全に禁煙で、一歩スタジアムに入場したら、帰るまで全くタバコが吸えない サッカー場は、おそらく西京極だけでしょう。 また、ドーム敷地内は喫煙所以外は禁煙なのに、ルールを無視して歩道などで タバコを吸う人が結構います。 開場前の並びで吸う人もいますので、開門前に並ぶのは、ちょっとためらいます。 最終戦のときは、試合前にチケット売場の横で太鼓を持った人が吸ってました。 応援のリーダーという立場の人が、そういうことをするのは残念です。 サッカー観戦するために、これだけ余計な心配をしないといけないのです。 コンサの応援に専念できるよう、早く改善してもらいたいです。
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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。
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