2011年11月08日
★突然子育て日記★007
二年ぶりです。 前回は、小学校に上がる直前でさてどうなるかという、とても気になるところで終わってましたね。w 結果から言うと、現在息子は普通小学校に在籍する二年生ですが、毎日通っているのは小学入学前に通っていた通園施設の学童版(フリースクール?)へ通っています。 なんと、毎日朝と午後に私が車で送り迎えしていますですよ。仕事の妨げになるったらありゃしない。^^; でも一年前を思えば、状況はずっと向上しているんです。 正確には一年半くらい前ですね。 普通学級で「普通」の学生生活を送らせてあげたい。さらには普通に近い成人として自由な就職・・・つまり、本人が望む人生を選ぶことができる可能性をキープしておいてあげたい、という希望を捨て切れなかった私は、幼稚園時代の通園施設の近所で、その通園施設からウチ同様に普通学級にチャレンジする子が多いS小学校に入れることにしました。 この時、意見が根本から食い違う嫁の意向を完全無視する形をとってしまった事が後々まで尾を引くことになります。 嫁を蔑ろにした事の言い訳をさせてもらえば何時間でも話ができるのですが、ここでは割愛します。 最悪、自分が全ての尻拭いをすると覚悟を決めて、学区外のS小学校へ入学するための裏技を駆使しました。 いざ入学すると、協力してくれる気になったように見えた嫁が息子に付き添っての毎日の小学校通いが始まりました。 何度も繰り返すように、息子は一見すると何の問題もないように見えますが、それこそ病的に自信が持てない性格をしています。苦手な事や慣れない事には最初から「自分にはできない」と決めつけ、固まってしまったり泣き出したりということが当時は今より多かった。小学校という環境への変化や毎日の勉強は、息子には少々無理のある高さのハードルだったようです。 でも、ギブアップしたのは息子よりも嫁の方が早かったという・・・。^^; 元々精神的にとても弱い人だったのですが、三ヶ月近くの通学でストレスが限界値を越えたようです。自分の意向とは真逆の行動で自分が辛い目に遭い続けるのだから無理もなかったのかもしれません。すっかり鬱になってしまいました。家事も十分にこなせなくなり、やがて文字通り何もできなくなってしまいます。 やむなく、当初の予定通り私が息子に付き添って学校へ通うことにしました。 何でもないようなことが他の子と同じように行うことができず苦しむ息子と毎日過ごすのは、なるほど精神的に非常に辛いものがありました。 それでもさらに二ヶ月近く頑張った頃、ある事件が起きました。クラスのクソガ・・・お子様Rが、息子の上靴を学校の庭に沈めたんです。 息子の心の傷は私の想像をはるかに超えて深く、それまでの無理も加わって完全に不登校になりました。 困った私はかつての通園施設の先生に相談し、方向転換して関連のフリースクールへ通うことにしたんです。 ちなみに嫁はリタイアから2ヶ月ほどでなんとか回復して概ね普通になりました。^^; といってもガチの不登校児となってしまった息子はフリースクールへもすぐに通おうとはしませんでしたね。職員の人が毎日ウチに顔を出して息子と遊んで親睦を深め、じょじょにじょじょに心をほぐして行き、やっとのことで現在のように私の送迎で通えるようになりました。 それが今年の初夏の出来事です。 不登校スタートから実に一年近くの時間がかかりました。 普通学級は一旦断念しましたが、完全に望みを絶った訳ではありません。5年生くらいになってやっと普通学級に通えるようになった子がいるとも聞いたし、もっと長いスパンで構えようかと。 取りあえず今は毎日を楽しく元気に過ごす事が大事なんだと言われていて、実際そうだと思ってます。 長々書いたついでに、小学校のクラスの印象をちょっと。 とにかく、子供たちの息子に対する優しさに驚きました。学校へ行くと一言もしゃべれずモジモジしてしまう息子に気さくに声をかけてくれたり、いろいろと手伝いをしてくれました。もちろん全員がそうだった訳ではありませんが、概ね全体の雰囲気として息子をサポートしてくれようとしていたように感じます。 もう一つ、最大のラッキーは担任のS々木先生が発達障害児に対して非常に理解があったこと。あの先生じゃなかったら、もっと早い段階でリタイアしていたかもしれません。 現在、息子は一年前よりもずっと活き活きとしているように思えます。これで障害者なんだと言っても、冗談だと思われるかも。 毎日のゲームである程度文字は読めるようですが、書くのが苦手でまだスラスラと文字が書けません。その問題を如何にクリアするかが当面の課題です。
posted by ヨートク@AGRE |21:31 | 家族のこと | コメント(0) | トラックバック(1)
スポンサーリンク
スポンサーリンク