2006年01月07日
傍観者のたわごと
野球とサッカーを結びつけることは非常に無理があり、時には暴論となってしまうことがある。
しかし、スポーツライター二宮清純氏のコラムを読んで、思わずうなってしまった。
「野球における残塁をサッカーの決定率で表すと、日本代表はなんと残塁の多いことか」
なるほど。この表現はサッカーに疎い野球ファンにも良くわかる表現だと感心した。このとき二宮氏は日本代表のことを話しているが、この話は当然コンサドーレにも通じる。
常に付きまとっていながら解決の糸口が見出せず、最後は個の問題にもなってしまう決定力の問題。昨年は池内の抜群の決定力にコーナーキックの場面でFWの選手名より池内選手への期待の声が高まったのが何よりの証拠だ。
昨年、チームは決定力というよりも決定機を増やす努力をしていた。そのおかげもあって、確実に決定機は一昨年よりも増えた。
しかし。しかしである。
このあとが続かない。最終節近くには清野の爆発的な決定力が生まれたが、最後の最後はどうしても「組織力」ではなく「個の力」に頼らざるを得ない現実がそこにあったように思う。
二宮氏のコラムは、こうも言っている。
「サッカーW杯フランス大会のときにマルセイユの記者からこんな話を聞いた。『たとえは悪いがゴールを奪うということは銀行強盗と一緒。戦略も戦術も必要だが、最後は度胸だ。』なるほど、うまいことを言うもんだ」
私も感心した。と、同時になるほどとも思った。
話を戻そう。
コンサドーレ札幌は多くの決定機を作れるようになった。しかし、そこまで。
過去、コンサドーレに在籍していたストライカー達。彼らの度胸は見ていて感じ取れるものがあった。
「あそこを突破するか!」
「あれをひとりで持って行くか!」
「あれを決めるか!」
今の若手中心のコンサドーレにそういった度胸を求めるのは無理な話なのだろうか?
清野はその度胸を感じることのできる数少ないプレーヤーだ。石井あたりにもその素質を感じることができる。
今年の補強で、最後にそのあたりを期待させてくれるような話が舞い込んでくれないものかと期待している。
ところで、あとは度胸・・・というのは、乱暴な結論だろうか?
posted by ykk-i |10:46 | 私的コラム | コメント(2) | トラックバック(0)