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去舟庵海人です。 コンサドーレとヨットを楽しんでいます。 読書もします。 落語も好きです。 コンサドーレがどのように進化をし、変わっていくか 熱い気持ちを前面に出して応援していく所存であります

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あくまでトリノオリンピック

2006年02月14日

此処にいたってもトリノオリンピックを見逃している私です。

このブログを長く書いていれば、オリンピックをそりゃ見られないですm()m

でも、この年になると昔話はたくさんできるけど、新しい話は覚えられません。
なぜか記憶があやふななはずなのにです。

それでは、続きを・・・

報道の手伝いをさせてもらいますといろいろなハプニングに遭遇します。
開会式はカメラマンと一緒に向こう正面というか、聖火台に登る通路の脇に陣取っていました。
隣にはNHKのハンディテレビを持ったカメラマンがいました。
おいしい位置です。
私たちは貴賓席にいる人たち(VIP)を撮影しようとしていました。
そして、私に例のモータードライブ付きのカメラを与えられ、指示をされました。
何でも撮れと。で撮りました。放たれた鳩を。

まぁ、プロ仕様のカメラで撮れるものといったらこんなものです。

そして佳境に狙ったものは聖火の受け渡しです。
辻村さんから渡された瞬間をフォーカスするはずでした。
シャツターをカメラマンが押した瞬間、前にいた観客がみんな立ち上がってしまいました。
この時こそカメラに写された中身を知りたいと思ったことはありませんでした。
今現在だったらデジカメでしょうから、取れた写真はすぐ見られるでしょう。
すぐにその結果はわかるでしょうけど。

昔ですからカメラの中は神のみぞ知るという有様です。

結果は大成功。すばらしい写真となっていました。
あの当時に新聞を見た方ならお分かりだと思います。

一面トップの写真となりました。本当にうれしかったです。

撮ったカメラマンは時事通信社の池田さん。一世一代の写真と言って良いと思います。

プレスセンターに帰って現像された写真を見て、お互い小躍りした覚えがあります。

仏人のデスクも即決したぐらいです。この写真が全世界の新聞のトップに載ったのは言うまでもありません。
さすがに新聞までは収集できませんでしたけど。

当時の新聞を捜して眺めてください。聖火トーチを受け渡す二人の男女を。

ん、当時の写真は寄付しました。
多分大倉山のジャンプ台のそばにあるミュージアムにあるはずなんですが。
寄付者は私なんですが、著作権の関係で展示は無理なのかな。

まだまだある昔話と言うことで、また明日。

オリンピックが終わらないうちに収めないと・・・



post by 去舟庵海人

22:24

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もうトリノどころじゃない

2006年02月13日

世間様はトリノに向いているのに、このブログは34年前のことをぶつぶつと書き連ねている私です。

オリンピックは今でこそアマチュアだけではなく、プロも参加できるようになりました。
でも、34年前は一騒動ものでした。なんせプロというより宣伝することをしただけで追放でしたから。
この札幌もそのような騒動があり、選手が出場どころか本国に帰還を命じられたりしました。

今とは隔世の感がありますね。

宣伝というのはメーカー名の入ったスキー板を見せて写真をとるというようなことでした。ですからメーカー名も小さくプリントもしくは縫取りとしなければならなかったのです。

アマ資格がずいぶんとうるさい時代でした。

IOC会長さんはブランデージさんでしたが、プレスセンターまで足を運んで慰労しに来てくれました。
その時の写真もありますがすべて札幌市に寄付いたしました。

ちなみに新聞紙上に乗った写真は私たちアルバイトが伸ばしたものを乾燥させて各国に郵送もしくはFAXしました。

FAXといえば写真電送することですが、この札幌のときに本格的に実用化されて使用されました。
結構大きな機械というより、今の卓上型のコピー機なみの大きさでしたが、なんたって時間がかかることこの上ない(現在の機械に比べてですが)。
A4ぐらいの写真を一枚送るのに約一時間ぐらいかかっていましたから、大変でした。
でも時差を考えるとこれでも当時良かったのかもしれません。

もうひとつFAXはカラーじゃありません。白黒というより白黒じゃないと送信できませんでした。
センサーがもうひとつの時代ですから、白黒じゃないと識別できないのです。
ですからカラーの写真は郵送もしくは特急便(飛行機便)で、それ以外では新聞に速報として載せる場合はFAXという対応でした。

ついでにFAXの中身はを想像してください。地震の揺れを針でなぞるみたいに、ドラムに写真を巻きつけて針がその白黒の陰影をなぞるといった方式の機械でした。当時はこれが最新式の機械でした。

写真はカラーと白黒が共存していた時代でもありました。
そういえば、写真のフィルムが事務所に届けられた時にホント驚きました。
棺おけみたいな箱にすべてがフィルムが入っていました。
メーカーはコダック。あれだけの量はどうなるのかと思いましたけど、あっと言う間にさばけてしまいました。

確かにフィルムを使う量はプロのカメラマンです。一人で2、30本は一日で使っています。
この時に私はカメラのモータードライブなる代物にお眼にかかりました。この道具ならすぐになくなるわけです。

もうひとつモータードライブの使う理由があります。
撮影する対象は千分の一、万分の一を争うスポーツです。
機械仕掛けでなければいい写真は取れません。
これが最大の理由でしょう。

まだまだ、この話は続きます。

トリノオリンピックが終わってしまう。



post by 去舟庵海人

22:20

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トリノオリンピック2

2006年02月12日

トリノオリンピックのことを書こうとして、昔話ばっかりしている私です。

こうなったら、続きを書きます。それほど、強い印象を覚えた時間を過ごしましたから。
ですから、同じような経験をしてほしいなぁと思います。
あの頃は年齢に関係なくいろいろな人達がボランティアや仕事でよい経験したと思いますから。
コンサのCVSもこのような時間を過ごしていると思います。

それでは昔話をさせてください。
札幌オリンピックといえば「ジャネット・リン」ですよね。
ええ、私たちも取材に行きました。
今で言えば独占取材です。アポといっても選手村に行って本人を呼び出し、インタビューしたのですが、こんなに簡単なもので出来ました。

それもこの日は前の日から大雪で、バイアスロンの取材というか、競技が延期になりまして、身体が空いたから穴埋めに記事をものにしましょうという、実に安易な日程の行動でした。

おまけといっては何ですが、選手村の前で出待ちをしていたら、建物から出てきた人が三笠宮殿下で、こちらがびっくりしました。
お付の人もいなく、というよりご本人が先に出てきて、後から皆さんが出てきました。
おかげさまで一言二言お話が出来ました。たわいないことで、どうせならいっぱい話しをすれば良かったと後から気が付きましたけど。
この時は「ジャネット・リン」の取材に気が向いていましたから。

そういえば、私たちはこの期間「EPU」という腕章をつけて行動していました。
正式名称は「European Photogrpher,s Union」←スペル合ってる?
そうなんです、腕章ひとつで競技場やその他もろもろの場所に入れたんです。
今では考えられません。

まぁ、この腕章のおかげで外人さんにいっぱい話しかけられました。
もちろんブロークンイングリッシュですべて対応しました。
通じたのかわかりません。言葉より態度で押し通すしかないんですけど。

そういえば、昨日のタクシーの話ですが今でもあると思いますが「東交ハイヤー」という会社が使われていました。
このタクシーの運転手さんも応対するために英語を勉強したと言っていましたけど、役にたったのでしょうか・・・
ただ、カメラマンや記者を乗せてあちこちに行くため、得がたい経験をしたとは言ってしました。

またまた長くなりました。第三弾を明日にいってみようかと。
本当は結論というか、言いたいことがあるのですが。前置きり話でこんなに引っ張っています。
ご迷惑ついでに読み飛ばしてください。



post by 去舟庵海人

21:48

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トリノオリンピック

2006年02月11日

トリノオリンピックが始まりましたね。私は寝ていました、開会式。

選手が活躍してくれることを祈っています。

私の年齢はオリンピックは冬季の方に親しみがあります。
やっぱり札幌で開催された思い出がありますから。

もう34年前にもなるんですね。早いものです。
今となっては怒涛の11日間でした。ちなみに2月3日から13日まででした。

私はこの開催日の数日前からアルバイトとして、報道陣の小間使いとして働きました。
時事通信社に採用され、勤務先はプレスセンター(今の青少年会館にありました)。
参加している国、地域からすべての報道陣がつめていました。
ですから、共通語は英語、でもAFP、タス、UPI、共同、新華社、もちろん時事通信が共同というより一緒にすべての競技に取材しにいくのですから、すさまじい活況を呈していました。

私ともう一人が雑用とされる仕事を任されるのですから、ホントすさまじい仕事をしていました。

この時の経験から、私は日本語の通じない空間におかれても驚かないようになりました。
ブロークンイングリッシュでOK。
だって、プレスセンターにいる人たちだって英語が母国語じゃないのですから。ちなみに10か国語以上が飛びかっていましたから。
デスクは仏人、取材記者は米国、北欧三国、ドイツ、オランダ、スイス、イタリア等々、このほかにカメラマンも欧州からほぼすべての国から来ていました。

私たちはプレスセンターでは現像の手伝いや写真の乾燥とか、選手の記者会見時のカメラマンの手伝いをしていました。
ちなみにメダルを取った選手の記者会見はわざわざ此処まで来ていました。

それから、一番大事な仕事はカメラマンが取ったネガを現場からプレスセンターまで運ぶ仕事というのがありました。
ジャンプ会場の宮の森や大倉山からタクシーで急いで運んで、現像を担当しているオランダ人スタッフに手渡しするのが役目でした。

70m級の宮の森ジャンプ台へ行く時は、大変でした。
あの時は真駒内から宮の森に行く時は数メートル置きに立っている警官の中をただ一台、私たちが乗ったタクシーがぶっとばしていく状況を想像してください。もちろん交通規制されていました。

天皇陛下がご覧になると言うので一般車両は通行止めというか、いちいち検問していたのに、この時は外人カメラマンが外国語を怒鳴って通るものですから、私と日本人カメラマン(時事通信社員)もあきれて声を出せずじまいでした。

宮の森ではプレスは天皇陛下が見ている場所のすぐ下で、ここで撮影していました。
もちろん、私もいました。ネガ運びの仕事です。

ですから、笠谷選手のジャンプ写真は私が運びました。

それこそ飛んで帰りました、プレスセンターまで。
そして、すぐにとって返し宮の森の下まで。ところがこの時天皇陛下の日程が変更されていまして、金銀銅の揃い踏みということで、天皇陛下がお帰りなる時間を延長したみたいで、私はあえなく車を降ろされ、やむなく一人警官の居並ぶ中、走って山登りする羽目になりました。
おかげで表彰式は見ていません。もちろんその揃い踏み写真も運びましたけど。

このオリンピック期間中、いろいろなことがありました。
そしてたくさん取材のお手伝いしました。

長くなったので続きはまた明日、思い出話につきあってください。



post by 去舟庵海人

19:39

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第二弾熊本キャンプ

2006年02月10日

12日からは熊本でのキャンプが始まります。
という事は私の思い出話、第二弾です。

熊本では宿泊しませんでした。ただ市内観光で一日過ごした思い出はあります。
行った先は水前寺公園と熊本城、実にベタな行動でした。
時間をあまり用意しなかったものですから、このような観光になった次第です。
純粋なドサンコとしてはお城はやっぱり見物しがいはあります、ハイ。

印象は見晴らしが良かった程度しかありません。やっぱり宿泊しておけばよかったと今頃になって思います。
藤堂家のお城だったり、細川家のお城だったり歴史の勉強の復習しがいのある町との印象があります。

現在の話で言えば「ロッソ熊本」でしょう。
昨年から練習試合をしてもらったり、差し入れをしてもらったり、おまけにウチの若いもんを預かってもらったり、今となっては親近感を感じています。
北海道と九州と距離はありますけど、気持ち的には大変近しい町に感じているわけでして。

昔話としては内容がありません。時間が少なかったせいです。
他にもいっぱい見所があると思います。
「ロッソ熊本」が対戦相手としてJリーグに昇格した時にはこちらに行く機会があるやも知れません。

そうなったらいいなと心から思う次第です。
ええ、よいしょじゃありません。勝ち名乗りを戴くために参上したいと言っておきたいと思います。

でも同じ「2」のせんで居る?

練習試合のみで終わらしてください。

    



post by 去舟庵海人

21:55

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宮崎物語

2006年02月09日

今日で宮崎キャンプが終了ですね。
南国シリーズ第一弾はどう評価して良いのか。←グッドジョブと考えたいです。

練習や練習試合を見てないのでなんとも言いづらいですけど。

宮崎といえば、私は学生時代に三泊しました。懐かしいです。
えびの高原では雪に見舞われました。三月の話です。
でも北海道は雪が残っている時に、土が見えていましてグラウンドで高校生が練習していました。
うらやましいと思い、北海道の高校は勝てないなぁとも思いました。

あれから大分経ちましたけど、北海道の高校生が三連覇しようとかの話で、時は変わったとの実感があります。
この事から北海道とか九州とか沖縄とかの地域性は考えなくてもよくなり、練習の質とかの問題であり、選手の意識とかにその本質が変わっていると思います。

宮崎は今でこそ野球のメッカではなくなっています。
むしろJリーグや日本代表の練習地に衣替えしています。
コンサはかつては海外キャンプに行っていましたが、ヤンツー監督は練習のための練習よりも、練習試合のための練習に意識を持っているように見えます。

選手も試合があることによって小テストを受けているみたいで、選手の意識向上に大変刺激的ですね。

前にも書きましたがカウントダウンの状況になってきましたので、一日千秋の気持ちでいます。

それにしても雪はもういいんですけど



post by 去舟庵海人

23:34

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円生と志ん生

2006年02月07日

タイトルに書いた「円生と志ん生」という本を買い求め、読み始めました。
著者は井上ひさし(敬称略、すみませんねぇ)

実はタイトルを知っていましたが、中身も見ずに買いました。
開いてびっくり、シナリオじゃありませんか。
そりゃそうだ、井上氏は脚本家でも有名ですから。

私自身は志ん生のファンだから、名前が出たらだぼはぜのように食いついてしまうからしょうが無いけど。

内容は詳細には書きません。買って読んでください<(_ _)>
でも、ちょっとさわりだけ。

円生→謹厳実直な性格
志ん生→いい加減な自他とも認める性格 
この二人が慰問と称し、戦時下の満州へ。
終戦と相成り、命からがら旅というか逃げ回る。

大体、この二人が旅をすること自体無理があるのに、ひょんなことで道連れになってしまったという話のシナリオです。

志ん生さんのエピソードはありえないと言う物が多い人です。
関東大震災の折、大揺れの最中酒がなくなると言って、酒屋へ行き大酒を飲み地震だか酒酔いだかわからずに過ごしたとの話があります。

円生さんはきっちりとした性格どおり、高座での噺は数秒の違いなく落語を語り終えるという人です。
最後は突っかかって「勉強しなおしてきます」と言ってそのまま死ぬまで高座に上がらなかったという頑固な性格でした。

落語だか漫才だかわからない話ですので、本当は演劇として見た方が良いと思います。
東京で公演したと思いますが、そこまで確かめていません(-_-;)

小冊子というより新書版の大きさですから、乗り物に乗ったときに読める厚さですし、値段も手ごろ(1260円)。

ぜひともお読みください。←落語協会の回し者じゃありません。



post by 去舟庵海人

22:52

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もうちょっと早く気づかんかい

2006年02月06日

昨日の大雪にめげています。
それで今日は汽車(電車じゃありません)に乗って出勤することに覚悟を決めていました。

いつもならバスに乗って地下鉄に乗り換えというコースを選ぶのですが。
コンサの試合はいつもこれですわ。

でも土曜日の帰りに利用したのですが、なんといってもバスどころか軽四輪ですら、すれ違えません。
ええ、あくまでもバス路線です。

いつもなら30分ぐらいの道のりですが、止まりどまり、やり過ごしで50分ぐらいかかって家のそばのバス停までという経験で帰宅しました。
ですから朝のラッシュ時、道の状況ということで汽車通勤で万全。

朝は難なくOK。

で、帰り。地下鉄に乗り、目指すは最終バス(7時代です)。
地下鉄の改札をとおり、目の前にあるバス時刻表。
大きく表示されている。

「この路線は雪害のため運休」

雪害ぃーーーー

確かに一日に50センチ降りやがった。 ←すまぬ、言葉がはしたない。

もちろん、地下から地上まで行ってバス停留所まで恐る恐る進みました。
バス停に数人あきらめきれずいました、私の同類が。

うーん、朝に気づいていれば。

地下鉄代を返せーーーー。



post by 去舟庵海人

22:31

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お試し期間

2006年02月05日

今日の練習試合は四十五分を四本という二試合分の手間でした。
今、活動できる選手をすべて試させるという、なんとも豪華な時間を作っています。

これは選手にとってもスタッフ、監督・コーチにとっても貴重な経験だと思います。

ポジション別にシャッフルしながら、選手間の意志疎通も図れるだろう。
選手も自分の個性・特性をアピールできるだろうし、自分以外の選手にもわかってもらえるだろうと思います。

一昨年、昨年との質の違いを感じます。

昨年は苦戦した相手に自分達の質アップを実感できたのではないでしょうか。

第一クールはお試し期間かとひそかに覚悟していましたが、この分ではひょっとしてキャンプ中の間にお試し期間が終わってしまうのではと・・・

確かに練習試合は本番の試合とモチベーションの違いはあるとは思いますが、でもやっぱり試合形式は絶対いいと思います。

強さを相手に見せつけ、己が自信に結びつけてほしいと期待します。

新人(プロ一年生)もこの期間に成長してほしい。
決してチャンスはゼロではないのだから。

そして、コンサにチャンスを求めてきた新加入の選手もアピールを期待しています。私たちのチームはすべての選手にチャンスがあります。
監督はすべての選手にその眼を注いでいます。

うーん、わくわくしてきました。
私たちサポは少々のことで動じないぐらい、いろいろな体験をしてきました。

後は喜びを矜持するだけです。



post by 去舟庵海人

21:31

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春は名のみ・・・

2006年02月04日

立春の日の大雪、さぞかし大変でしょう。
お疲れ様です。

こんな札幌の空模様に対し、宮崎キャンプは順調とか・・・
そして、第二戦の練習試合がどのような内容で成果を見せるのか。
楽しみです。

雪の中から春を待つ、北海道ならではの気持ちがあります。

ただ、練習試合でも見たいですねぇ。生の試合を。

「春運ぶ コンサのたより 南から」 ←俳句のつもりではありません

 それにしても降り過ぎ、積もりすぎ。



post by 去舟庵海人

23:38

コンサドーレ コメント(0)