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去舟庵海人です。 コンサドーレとヨットを楽しんでいます。 読書もします。 落語も好きです。 コンサドーレがどのように進化をし、変わっていくか 熱い気持ちを前面に出して応援していく所存であります

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トリノオリンピック

2006年02月11日

トリノオリンピックが始まりましたね。私は寝ていました、開会式。

選手が活躍してくれることを祈っています。

私の年齢はオリンピックは冬季の方に親しみがあります。
やっぱり札幌で開催された思い出がありますから。

もう34年前にもなるんですね。早いものです。
今となっては怒涛の11日間でした。ちなみに2月3日から13日まででした。

私はこの開催日の数日前からアルバイトとして、報道陣の小間使いとして働きました。
時事通信社に採用され、勤務先はプレスセンター(今の青少年会館にありました)。
参加している国、地域からすべての報道陣がつめていました。
ですから、共通語は英語、でもAFP、タス、UPI、共同、新華社、もちろん時事通信が共同というより一緒にすべての競技に取材しにいくのですから、すさまじい活況を呈していました。

私ともう一人が雑用とされる仕事を任されるのですから、ホントすさまじい仕事をしていました。

この時の経験から、私は日本語の通じない空間におかれても驚かないようになりました。
ブロークンイングリッシュでOK。
だって、プレスセンターにいる人たちだって英語が母国語じゃないのですから。ちなみに10か国語以上が飛びかっていましたから。
デスクは仏人、取材記者は米国、北欧三国、ドイツ、オランダ、スイス、イタリア等々、このほかにカメラマンも欧州からほぼすべての国から来ていました。

私たちはプレスセンターでは現像の手伝いや写真の乾燥とか、選手の記者会見時のカメラマンの手伝いをしていました。
ちなみにメダルを取った選手の記者会見はわざわざ此処まで来ていました。

それから、一番大事な仕事はカメラマンが取ったネガを現場からプレスセンターまで運ぶ仕事というのがありました。
ジャンプ会場の宮の森や大倉山からタクシーで急いで運んで、現像を担当しているオランダ人スタッフに手渡しするのが役目でした。

70m級の宮の森ジャンプ台へ行く時は、大変でした。
あの時は真駒内から宮の森に行く時は数メートル置きに立っている警官の中をただ一台、私たちが乗ったタクシーがぶっとばしていく状況を想像してください。もちろん交通規制されていました。

天皇陛下がご覧になると言うので一般車両は通行止めというか、いちいち検問していたのに、この時は外人カメラマンが外国語を怒鳴って通るものですから、私と日本人カメラマン(時事通信社員)もあきれて声を出せずじまいでした。

宮の森ではプレスは天皇陛下が見ている場所のすぐ下で、ここで撮影していました。
もちろん、私もいました。ネガ運びの仕事です。

ですから、笠谷選手のジャンプ写真は私が運びました。

それこそ飛んで帰りました、プレスセンターまで。
そして、すぐにとって返し宮の森の下まで。ところがこの時天皇陛下の日程が変更されていまして、金銀銅の揃い踏みということで、天皇陛下がお帰りなる時間を延長したみたいで、私はあえなく車を降ろされ、やむなく一人警官の居並ぶ中、走って山登りする羽目になりました。
おかげで表彰式は見ていません。もちろんその揃い踏み写真も運びましたけど。

このオリンピック期間中、いろいろなことがありました。
そしてたくさん取材のお手伝いしました。

長くなったので続きはまた明日、思い出話につきあってください。



post by 去舟庵海人

19:39

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