2008年09月09日
「信じる」ことは大切だけど難しい
ずいぶん前の話だけど、 友人が娘(当時小学生)とクラスメイトとのトラブルに頭を抱えていた。 こじれたので親が出るまでになったらしいのだが、 「相手の親が 自分の子どもの言ってる嘘を信じ切ってて話にならない」というのである。 誰だって身内は信じたい。 友人も自分の娘を信じていたわけだから、 相手の親も、 友人のほうこそ娘の嘘を信じ切っていると思っていただろう。 嘘をついているのはたった一人だと思うのだが。 なぜこんなことを思い出したかというと、 一連の大相撲の騒動を見ていたからである。 親方は弟子を信じていたという。 弟子は我が子と同じだから信じていたのだそうである。 「本人がやってない」と言うんだから潔白を信じていると。 げに難しきは I believe.である。 そして、その前の騒動で逮捕された元関取が釈放されて会見していた。 やったことは悪いと思うが 「日本のみなさん、すいません」とか「これからはまじめにやります」とか 自分のことばで謝罪しているのがとても印象的だった。 昨今の企業や政治家の不祥事では 「誠に遺憾である」とか「痛恨の極み」とか原稿に書いたようなお詫びしかしなくて 目をつぶって聞いていたら誰が言っているのかわからないもんね。 まあ、不祥事対応マニュアル本なんかも出てるから、 そうなっちゃうのも無理ないけどさ。 あ、なんか、話がそれちゃったな。 「寮監の言った通り」へのお返事です。
posted by rocket2号 |17:17 | 酔いドーレ日記 |