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2019年01月24日

釧路帯広出張記・その4 簡易軌道

釧路で少し時間があったので博物館へ行きました。

かつて根釧原野の交通機関として活躍した簡易軌道を詳しく紹介するようになったので見たかったのです。

交通機関が整備されてないのは開拓が進まなかった大きな要因だったようです。
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戦前は殖民軌道と呼ばれていて、主に馬が引いていたようです。
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時刻表があるわけでもなく、対向の車両が来たら、軽い方が荷を下ろして譲ったそうですが、言い争いになることもあったのだろうか。
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戦後は動力化が進んだものの、平均時速は10キロくらいだったようです。
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ディーゼルカーの登場で、平均時速20キロくらいにはなったようです。
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ミルク缶の運搬が最大の目的だったようです。絞ってすぐに運搬する必要がありますが、特に春先はぬかるんで馬車もトラックも困難で、道路が整備されるまでは簡易軌道が大活躍したそうです。
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戦前は組合組織の運営(一部は国直轄)だったのが、戦後はすべて町営(村営)になったそうです。
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現物の展示はこれくらいで、写真(動画)の展示が中心。
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軽いから重機はなくても人の手だけで元に戻せそうですね。
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最後まで残っていた区間も1972年に廃止になりました。
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ちなみに、根釧地区以外では東藻琴、歌登、美深、幌延などの他、当別やニセコ真狩間などにも存在し、ニセコ真狩間は1952年、当別は1958年に廃止になったそうです。


posted by かもめ |14:48 | 鉄道(船舶・航空機等) | コメント(2) |