2016年11月29日
オオドサの想い出・その3
兄がコンサブログを開設したのは2008年11月ですが、その1年くらい前から〇たさんやひばりさんなど、他所に盛んに書き込みを始め、すぐに有名人になった感がありました。 2008年はいろいろ事情があって、兄と本州で3回も会いました。 前述したホムスタへ行った他に2回も静岡へ行ったのです。 いつも正月、兄は帰省し、札幌でのんびりするのですが、2008年の正月は母が旅行に行き、実家には誰もいないので帰省しないことになりました。 でも、兄がひとりぼっちではかわいそうなので、いろいろ考えた結果、年末に静岡で待ち合わせ、大井川鐡道に乗ることにしました。兄に寂しい思いをさせなかったこのプランは自慢です。 そのときの様子はこちらで紹介しています。 また、9月の日本平にも、兄と二人で行きました。このときは二人とも休みを長くとることができたので、3泊4日の日程で、建設中の静岡空港を見たり、藤枝の知人宅を訪れたり、ゴンや岡田選手などの出身校の藤枝東を見てから日本平へ向かいました。試合は負けてしまいましたが・・ さらに天竜峡の川下りや、名古屋でガイドウェイバスとリニモ(リニアモーターカー)に乗り、トヨタ博物館に行くなど盛りだくさんで、想いでいっぱいの良い旅になりました。 兄もたいそう喜んで、行っておいてよかったです。 そのときの様子はこちらです。 兄はトヨタ博物館に大感激していました。 この年はお盆の帰省もあり、4回、兄と会うことができました。 お盆のドームではサンガ戦を見ました。この試合も負けてしまいましたが・・ このとき初めて母をドームに連れて行きました。母は足腰が弱っているので、私の車でドーム前の歩道橋のところで降ろし、北ゲートからはドームの車いすを借りました。 私が車を駐車場へ入れる間、兄は母の介助をしました。 そんなわけで、母の面倒を見る必要があるのに、またも兄はドームでビールを急ピッチで飲みました。 3杯目を買ってきたときにはさすがに私は取り上げて捨てました。 例によって、ビールにウイスキーを入れて増強していたのですから。 私一人で母と酔っぱらいの二人の面倒は見れません。 困ったものです。 兄はしばしばドームで転んでいました。飲みすぎなんでしょう。 雨で寒い厚別でも、絶対にビールは欠かせませんでした。意地でも飲むのです。 飲まずにいられないというのもあるでしょうけど、スタジアムでは絶対に飲むものだと信じているのでしょう。 スタジアムで飲まないような禁欲的なスタイルは嫌だという信念を持っているのでしょう。 そんな考えは、愚かだと思うのですけどね。 まあそんな問題はありましたが、兄は離婚し、一人で暮らしていたものの、コンササポになり、とても大きな生きがいを見つけ、少し暗かった人生が、パッと明るくなった感じがしました。 本当にコンサとコンササポには感謝しています。 ただ、2008年には人生の転機が訪れます。 リーマンショックの影響で、会社のリストラにあったのです。 会社が従来の受注を継続するためには何千万円もの設備投資が必要になり、その投資ができず、業務内容を一部見直し、兄には退社してもらうか、あるいは別の業務をする代わりに給与がそれまでの2/3に減額かという選択を迫られました。 2/3の給与では、購入したマンションのローンが払えないため、転職を余儀なくされました。 離婚して一人暮らしになったため、広いマンションを持て余していたので、処分して北海道に帰郷することにしたのです。 2008年の暮れ頃の話です。 2/3の給与でも失業保険でも、ほとんど同額なので、就活は後回しにして、さっそく兄は失業保険での生活が始まりました。 いつものように年末に帰省し、豪華おせちになりました。