2015年01月29日
竹鶴物語・その1
私が竹鶴夫妻に興味を持つようになったのは、15年ほど前のことです。 知人を余市のニッカの工場へお連れしたところ、マッサンとリタのロマンスに凄く感動したのです。 その日は札幌から車でニセコへ移動したのですが、途中に綺麗なトイレがあって禁煙でお茶が飲める場所ということで寄っただけで、今なら余市ワイナリーに寄ったと思います。 15年前は禁煙でお茶が飲めるところはほとんどなく、タバコが苦手な私にとって、リタハウスは貴重な存在でした。 そんな、ついでの工場見学だったのですが、とても喜んでもらったため、マッサンとリタのロマンスが強く印象に残り、興味をいだくようになったのです。 ドラマが始まると、描かれていることは、どこまでが事実で、どこが創作なのかがとても気になるようになりました。 ネットである程度はわかりますが、情報は限られています。 先日、何気なく本屋で眺めていたら「ヒゲのウヰスキー誕生す」という本があったので、つい買ってしまいました。 多少は想像で描いた部分はあるとは思いますが、ほぼ、事実に相違ない内容だと思います。 興味深かった点などを紹介したいと思います。 竹鶴さんは大阪高等工業専門学校を卒業する1916年3月に摂津酒造に入社し、初任給は23円。当時の教員の初任給の倍近くで、大工の日当の約20日分なので、現在の貨幣価値では25万円くらいの、新人にしては、ちょっとした高給のようです。 このころ、日本各地でワインの瓶の破裂事故が発生していたものの、竹鶴さんが製造担当した赤玉ポートワインは、適切に殺菌作業が行われていたため、1本も破裂せず、寿屋の社長も喜んでいたようで、高給に恥ずかしくない仕事をしたのではないかと思います。 なお、ドラマでは太陽ワインも売り上げがガタ落ちになっていましたが、実際は破裂を起こしたライバル社の蜂印葡萄酒が売れなくなった分、寿屋の赤玉ポートワインがシェアを伸ばし、特需に沸いたようです。 当時、竹鶴さんは大阪で母と妹と3人で暮らしていたようです。 ドラマでは、母は広島を出たことがないと言っていたような気がするのですが。 その年の12月に徴兵検査があり、検査官がアルコール製造従事を知り「アルコールは火薬製造の重要な原料だから今後もお国のために精々仕事に励むように」ということで徴兵されずに済みました。 明日はスコットランドへ渡る話を紹介したいと思います。