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1959年北海道生まれで新潟の大学を出て、横浜勤務ののち、1986年から道北に住んでいます。最初は旭川で、次に1991年から2008年まで浜頓別町に住み、2年ほど旭川へ戻ったのち、士別経由で現在は和寒に住んでいます。 コンサ観戦に行ったことがあるスタジアムは、ドーム・厚別・室蘭・函館・アウスタ・ホムスタ・鴨池・味スタ・とりスタ・平塚・カシマ・うまスタ・富山・レベスタ・ヤマスタ・キンチョウ・フクアリ・埼スタ・べアスタ・Eスタ・昭和電ド・瑞穂・トヨスタ。(サテライトでは宮の沢・士別天塩川) コンサ以外では長居(セレッソ対ロアッソ)、ユアスタ(ベガルタ対アルビレックス)、ミクスタ(北九州対ザスパ)で観戦したことがあります。

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走れメロスを再計算

2014年02月07日

コンサ日和さんので、走れメロスは走ってない? という記事を知りました。
その中学生の計算では、北緯38度のシラクサでは夏至の頃は日の出が4時頃で日の入りが19時としていますが、それでは大雑把なので、私が詳しく計算しました。

まず、シチリア島のシラクサの位置は北緯38度ではなく、北緯37度05分になります。
その位置での日中の時間は14時間42分(シラクサ時間で、日の出4:39 日の入り19:21)なので、中学生の計算よりは18分短いだけで、似たようなものです。

メロスの復路は、中学生の試算では、足止めをくらった時間を除いて12時間で39kmを走ったことになるので、平均時速は3.25kmになりますが、私の試算では11.7時間なので、3.33kmになります。ほとんど同じですね。
食事や休憩などでさらに2時間ロスしても、正味9.7時間で、時速4.2kmで、平均したペースであれば全然走らなくて良いことになりますから、中学生の考えは正しいように思います。
足止めの時間の前提が正しければですけど。

メロスが走ったコースは10里(39km)ですが、江戸時代、東海道492kmを12日~15日で歩くのが普通だったそうで、1日あたり33km~41kmになります。
だから早朝から日没まで39kmを歩くのは、なんともないことになるのです。
そもそも設定が甘かったのかも知れませんが、まさか太宰はこんな突っ込みされるとは思わなかったでしょうね。


post by かもめ

17:56

コメント(3)

この記事に対するコメント一覧

大阪帰りの道産子

Re:走れメロスを再計算

2014/02/07 22:27

かもめ殿 「歩けメロス」だったのですね(^^;) >早朝から日没まで39kmを歩くのは、なんともないことになるのです。 ボクは1979年に毎日放送で植村直己さんの北極点プロジェクトのスタッフでした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9D%91%E7%9B%B4%E5%B7%B1 当時彼から、71年に徒歩での南極横断のシュミレーションで稚内から鹿児島まで 徒歩で縦断した話をスタッフとの食事会で伺いました。約3020㎞を51日間ですから 一日平均59㎞を歩いた事になります。日の長い6月末から8月にかけてです。 彼は「普通に歩けばなんともない」と言ってたのが印象的でした。

かもめ

Re:走れメロスを再計算

2014/02/07 22:48

植村さんは59kmですか。単に距離だけなら不思議でないけど、夏の暑いときに南の方を歩くのは大変だったかも。 鹿児島から稚内まで3000kmを歩いたマークギブンスさんは88日間なので、1日平均34kmですが、彼は陳情やイベントもあり、距離が短い日もありました。 何もない日は40~50kmくらい歩くのが普通で、60kmくらい歩く日もありました。 忍者は1日30里走ったとか、40里とも50里とも言われるのは半信半疑ですけど、50kmくらいなんともないことでしょう。 最近は100キロマラソンが増えて来ていますよね。

大阪帰りの道産子

Re:走れメロスを再計算

2014/02/07 23:03

かもめ殿   >夏の暑いときに南の方を歩くのは大変だったかも。   植村さんは夏至の頃の北海道で距離を大幅にかせいだそうです。冒険時と違い軽装 だった様です。ですので宿泊はテント設営では無く、71年当時北海道ではどんな小さな 町でも駅前旅館があって日没後でも予約無しで泊めてくれて格安なのにまともなご飯が 出たようです。まるで江戸時代の宿場町の旅籠? マークさんも道内はとても歩き易かったと思っています。

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