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2011年12月31日

おにぎり

おにぎりを握ってくれる人はいますか。


あなたのために。



頼んでもいないのに、いらないって言ったのに、


それなのに、握って持たせてくれる人はいますか。



おにぎりを握ってくれる人はいますか。


その人を、大切にしていますか。



その気持ちを、かけがえのないものだと感じていますか。






しょっぱくても、キレイな三角形じゃなくても、






おにぎりを握ってくれる人はいますか。



そしてあなたも、




誰かのために、握っていますか。





posted by た |21:25 | | トラックバック(0)

2011年10月31日

来年

もうすぐ、雪が降る。


もうすぐ、冬が訪れる。



「来年のお正月は、どこで迎えられるんだろうねぇ・・・」



病室で母が、ふと呟いた。





たぶんきっと、家には帰れない。





だからといって、ずっと病院にいられるような、

そんな優しい時代でもない。





母を待つ現実。





やがてたどり着くであろう、最後の場所が、



たとえ、そこが、どこで、あっても、




いつだって一緒に、そばにいるから、





大丈夫、大丈夫。






なーんにも、心配しなくていい。







posted by た |22:10 | | トラックバック(0)

2011年07月31日

覚悟

二年ぶりに、


母が入院した。




病室の窓から見える景色は、あの時とまるで同じだけれど、




何かが、



何かが大きく変わろうとしている、




そんな予感がした。





posted by た |07:20 | | トラックバック(0)

2011年03月17日

 無事を祈る。


 無事を祈る。



 ただ、無事を祈る。




posted by た |14:30 | | トラックバック(0)

2010年06月20日

父の日々

幼い頃、両親を亡くした父は、

すぐに養子に出された。



子供のいない、ある夫婦の大きな大きな家へ。



その養父母には、もうひとり養子がいたが、

最初の子供は、父がもらわれる少し前に亡くなられたらしい。





・・・父が養子。





その話を、父から直接聞いたことは一度もない。



いつだったか、母が教えてくれた。






父の体に残る、いくつもの傷跡も、


右手の親指の関節が変形し固まり、全く動かないのも、





その全ての原因が、養父母からの虐待だった。







食事も満足に与えられず、


朝から晩までこき使われ、殴られ、蹴られ、罵られる日々。







養父母にとって父は、我が子ではなく、ただの奴隷だった。







虐待、虐待、虐待の毎日が続く中、


中学を卒業した父は、逃げるようにその家を出た。







そして、十年後、







父は母と出会い結婚し、やがて私が生まれた。







時々、私はつい思ってしまう。





 もしかしたら、

  たぶんきっと、





母は、父と出会わなければ、病気になることもなく、


車椅子の生活を、強いられることもなかったであろうと。








父と母の出会いは、そういう出会いだった。





次の悲しみが、すぐそこまで来ていた。






posted by た |21:55 | | トラックバック(0)

2010年04月07日

裏通り

母は、病気で、

障害者で、車椅子で。


何度も何度も手術を繰り返し、

手も足も全身、消えない傷跡だらけで。





だからビジュアル的には、やはり美しいとはいえず・・・





いつかのある日、

母と近所のスーパーまで、買い物に行った時、


反対側から歩いて来た女子高生が、車椅子の母をチラッと見て、

すれ違いざま、無機質につぶやいた。





「キモイ・・・」





その瞬間、私は心臓をえぐられるような痛みを感じた。





「なんか、おいしいもの売ってないかなぁ~。」


いつもと変わらないように振る舞う、母の声を聞きながら、

私は遠い昔のことを、思い出していた。





それは、私が思春期の入り口に、さしかかる頃・・・





あの頃の私は、母の車椅子を押すのがイヤでたまらなかった。


理由は単純、その姿を友達に見られるのが恥ずかしかったから。








毎日毎日、ずっと家の中にいる母は、

たまの外出を、本当に楽しみにしていた。


けれど、内心イヤイヤ車椅子を押す私は、

いつも人通りの少ない、狭い裏通りを選んだ。




「向こうの商店街のほう行こうよぉ。」

そう願う母に、


「こっちのほうが、近道だから!!」

と、私は遮るように返事をする、



同じようなやりとりが何度もあったが、

やがて母は、もう何も言わなくなっていった。





そんな忘れてしまいたい記憶が、痛みと共に蘇った。





母は、病気で、


障害者で、車椅子で。



それでも必死に、それでも懸命に、私を育ててくれた母を、



私は、恥ずかしいと思っていた。


誰にも、見られたくないと思っていた。





ひっそりと暗い裏通りを、隠れるように車椅子を押す、



あの頃の安っぽい自分を、





私は一生、許さない。






posted by た |00:25 | | トラックバック(0)

2009年09月16日

兄妹

大伍と桜子ちゃんが、

兄妹だと知ったのは、いつだったろう。


ちょっとビックリしたけれど、顔を見て納得。

ウン、たしかに似てる。




ひとりっ子の私は、兄弟というものが、

基本的に、よくわからない。


たぶんきっと、こんな感じなんだろうなぁーっと、

何度、想像してみても、結局やっぱり、想像でしかない。



だから、

兄ちゃんとか、妹とか、

姉ちゃんとか、弟とか、


私にとってそれは、ずっと憧れにも似た、羨ましい存在だった。





純と蛍や、「ひとつ屋根の下」の柏木兄弟や、


そして、大伍と桜子ちゃんは、



私の心の奥の、手の届かない場所を、いつだって、チクチク刺激する。








・・・ひとりっ子。








親の愛情を当たり前に独占し、

お菓子やオモチャの取り合いもなく、

当然、兄弟喧嘩を一度も経験することなく、


私は、のんびり大人になった。





そして、ある時、



私は、その事実を知る。




私には、妹がいる・・・ということを。





posted by た |14:20 | | トラックバック(0)

2009年04月11日

救急車

深夜、

もう二度と乗りたくなかった、

その車を呼んだ。



・・・119。



寒い夜だった。

病院も、朝も、とてつもなく遠くに感じた。



揺れる狭い車内、

消えそうな意識の中で、


 迷惑ばかりかけて・・ごめんね・・・と、母が泣いた。





発病から、43年。

その大半を、ベッドの上で天井を見て過ごした。



いつまでたっても、母のたたかいは、終わらない。











熊本戦。



ずっと病院にいた私が、その結果を知ったのは、

試合が終わって、何日も過ぎてからだった。



明日も病院、応援には行けない。




勝つということ。


負けるということ。





教えてください。



 たたかうって、なんですか?






posted by た |22:00 | | トラックバック(0)

2009年01月24日

道化師

友人の「彼」は、

いつも明るく元気で、とてもとてもユニーク。


どんな集まりの時でも、常に笑いの中心にいる。


さすがにそれは言い過ぎだろうという、

過激で鋭いツッコミも余裕で受け止め、更なる笑いにしてしまう。


安心してなんでも言える、そんな「彼」が、みんな大好きだった。


もちろん私もそうだった。






でも、ある時、気付いてしまった。



「彼」の心は、ズタズタに傷ついて、

もうボロボロになっていた。



何を言われても平気なはずの「彼」の心は、

誰よりも繊細で、脆く壊れやすかった。



・・・深くて大きな傷。



それでも「彼」は、ピエロを演じ続けた。



みんなを笑わせるため、場を盛り上げるため。





 もういい!!もういいよ!!!


私の心の声は、きっと「彼」に届いていたと思う。



でも「彼」はにっこり笑って、私の肩をポンポン叩いて、


 ダイジョブ、ダイジョブ、心配スンナ!



と、なにひとつ変わらなかった。





いやいやなんかじゃない。



しょうがなくでもない。




それが「彼」の生き方だった。













たとえば教室で。


たとえば職場で。



たとえばコンサドーレで。




おどけた道化師たちが、あたりまえに笑顔を運んでくれている。



数えきれないほどの傷や痛みを、




隠していることさえも、上手に隠して。






posted by た |14:04 | | トラックバック(0)

2008年10月28日

出口

しまふく寮から、

これまで、どれくらいの人が去って行ったのだろう。


・・・それぞれの理由で。


言葉に出来ない、いろんな気持ちを、

精一杯の笑顔に作り替えて、最後のドアを開けて。



  バイバイ、みんな。

   バイバイ、しまふく寮。









まるで迷路の中にいる、揺れるコンサドーレ。



人のココロの天気図は、いつも不安定なものだけど、

小雨の中、傘をさそうかどうか迷うより、

時には、どしゃ降りのド真ん中で、ズブ濡れになるのもいいさ。

でっかい声で、叫べばいいさ。









そして応援にも、いろんな形があって。



燃えるような、魂をぶつけ合うような応援もあれば、


街角で、ふと目にした赤や黒の色に、選手のことを想い出す、



そんな応援もあるのかもしれない。









手探りでも、


出口は、きっと見つかる。





posted by た |14:28 | | トラックバック(0)

2008年10月06日

電話ボックス

あの頃、

あたりまえに、

どこにでもあった、電話ボックス。


こっそり家を抜け出し、電話ボックスへ走った、あの夜。

何度も何度も深呼吸して、ダイヤルした、暑かった夏休み。



人と人を繋ぎ、いくつものドラマが生まれた場所だった。




真夜中の電話ボックス。



雨の電話ボックス。





「会いたい・・・」と、泣いた彼女も。


正直な気持ちを言えずに、大切なものを失った彼も。




繰り返される喜怒哀楽の、その傍らに、

いつも寄り添うように、ただそこにあった電話ボックス。







止められない時の流れの中で、消えていくモノは、たくさんあって。



便利になりすぎた世界は、どこへたどり着くのだろう。







ふと、思った。


明日、携帯電話を置いて、家を出よう。





「・・・・・・」





そんな小さな勇気さえ、失くしてる自分を、笑ってやった。






posted by た |18:48 | | トラックバック(0)

2008年08月06日

隠してた

高校野球。

北海道の高校が負けた。


こらえきれない涙を、どんなにどんなに帽子で隠しても、

肩や背中は正直で。




・・・勝って涙、負けて涙。




私には、こういう涙の経験がない。


だから、涙のシーンを見ると、切なさと同時に、

うらやましく感じたりもする。





一緒にがんばってきた仲間と、同じ涙を共有できるということ。



そういう機会もないまま、今までの人生、過ごしてしまったなぁと、

思いかけて、気が付いた。



そんなことはなかった。


機会は何度もあった。




ただ、私が人前で絶対、泣けないだけだった。





ずっと、涙を隠していただけだった。





posted by た |16:44 | | コメント(0) | トラックバック(0)