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2008年09月29日

シマふく隊&りょうぼ。さん、そして

ヨックンですッ!!

 ミックンですッ!!

  ホックンですッ!!


3人そろって、シマふく隊でーすッ!!!



と、そんなステキな夢を見た、その翌日、



ちえりあエコフェスタにて、りょうぼ。さんのトークショー。


松田聖子のようにキュートに、

中森明菜のようにセクシーに、

あーんな話や、こーんな話を繰り広げ、

全てを語り終えた後、舞台を去って行くその姿は、

まるで、山口百恵のラストステージのようだった。



と、例えが、おもいっきり「昭和!!」だったことには、

わざと気付かぬフリをした、その翌日、





第27節 FC東京戦。



ピッチには、いつもいるはずの二人の姿はなかったけれど、


彼等は、

誰かに頼りながら戦ってきたわけでも、

誰かの背中に隠れながら戦ってきたわけでもないから、

なにも恐れたりはしない。


そう、いつだって、ベストメンバー。



幾重にも重なる、様々な感情が、伝わってくるような激しい試合の結果は、



・・・1-2



プロとして、人として、男として、


胸を張れる結果を出すことは、とてもとても大事なこと。





だけど、結果だけが全てではないことも、みんなは知っているから、


また、彼等に会いたいと思うし、

もっと、彼等を見続けたいと願う。


まだ、終わらない。






そして、純貴。

おめでとう!!!


みんなが、あなたを待っていました。





なにもかもが、これから始まります。







と、いろんなことを考えさせられた、その翌日・・・


posted by た |14:25 | コンサドーレ達 | トラックバック(0)

2008年09月24日

おばちゃん

おばちゃん。

不死身で無敵、

世界最強の生命体、おばちゃん。


宇宙空間でも生きられるんじゃないか!?つーくらいの、

圧倒的な存在なのに、何故か、どこか憎めない、


ぷりてぃーな、おばちゃん。




私の思い出の中にも、そんなイメージそのままの、おばちゃんがいて。



父とふたり、宮の沢に暮していた小学生の頃、

隣に住んでいた、おばちゃん。


くるくるパーマで、エプロンからハミ出た巨体に買い物カゴさげて、

学校帰りの私に、いつも、

「お父さん、今日も遅いのかい?ウチおいで、ゴハン食べにきな!!」

と、金歯を輝かせながら声をかけてくれた。




豪快で大声で地獄耳で、なんでもありのおばちゃんを、

怖がる人もいたけれど、



長い長いひとりぼっちの寂しさに負けて、

隠れるようにして泣いていた私を見つけ、

ギュウっと抱きしめ、一緒に泣いてくれた、おばちゃん。


ついつい仕事中心の生活になってしまい、家を留守にしがちな父を、

本気で怒鳴りつけていた、おばちゃん。


誰よりも強く、誰よりも逞しく、

誰よりも優しく、誰よりも涙脆かった、おばちゃん。


ありがとう。

ありがとう。


ありがとう。





あの頃、暮していた家は、もうなかったけれど、

今でも、宮の沢にいるのかな。



コンサドーレの応援、してたら嬉しいな。





posted by た |14:17 | うひ | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年09月19日

変わらない

笑った。

歌った。

また、笑った。



久しぶりに会えた友は、相変わらずで。


会う度、いつも同じ話で。


でも、それがサイコーに楽しくて。





みんな、あの頃とは色々と変わってしまったけれど、

いろんな荷物、抱えてるけれど、


会えば、いつだって、あの頃のまま、

なにひとつ、変わってない。




今度、いつ会えるか、わからない。


これが、最後かもしれない。



だから、




笑った。


歌った。



また、笑った。



そしてそして・・・





こっそり、泣いた。





posted by た |22:23 | ボール | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年09月17日

シアワセって

母の歩行訓練に付き添った午後、

リハビリ室は、少しだけ暑かった。


車椅子を使わずに、母が歩ける距離は、ほんの数メートル。

入院中に、筋力が衰えないように、毎日リハビリに通っていた。


うっすらと汗をかきながら、いつもの半分程しか歩けなかった母が、

「まだ、こんなに歩けるんだから、お母さんは幸せ者だぁ。」

と、そう言って、ちょっと笑った。





時々、

シアワセって、なんだろうと、わからなくなる。


なんの悲しみもなく、なんの苦しみもなく、

なんの悩みもなく、なんの迷いもなく、

なんの痛みもない、そんな人生なんて、


これっぽっちも、うらやましいとは思わない。





・・・ホントニ、ソウ?





人生って、まだまだよくわからないけれど、


山頂から見下ろす景色も、谷底から見上げる景色も、


きっとそれぞれに、意味や価値があるはずだから、



これからコンサドーレが、たどり着く場所に、




たとえ、どんな風が吹いていたとしても、





決して、フシアワセなんかじゃないと、信じているのです。






posted by た |11:00 | ボール | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年09月03日

ジャッジ

6年間で4つ。

私は全部で4つの小学校に通いました。

そして、その最初の学校が、宮の沢の小学校でした。


それまで、祖母に預けられていた、室蘭の大沢町にある小学校に入学する予定だったはずが、

急遽、父がひとり暮す、札幌の宮の沢へと変更になった、大人達の事情を、私は知らない。



小学1年生から4年生までを過ごした、宮の沢。

父と二人だけの暮らしは、何かと不便だったけれど、

私はあの町が大好きだった。


父は仕事が忙しく、家にいる時間もあまりない日々。

寂しくなかったといえば、嘘になる。


朝、起きたら、誰もいない。

学校から帰って来ても、誰もいない。

そして、そのまま一人、次の朝を迎える。

あたりまえの日常だった。


  「いってきます」「いってらっしゃい」

  「ただいま」「おかえり」


あの頃の私には、縁のない言葉だった。


それでも、私はあの町が好きだった。



 飛距離を競った公園のブランコ。

 チョウチョやバッタを捕まえた原っぱ。

 石をぶつけて栗を落として拾った林。

 ミニスキーで滑った、おじさんが作ってくれた雪山。

 路面電車、地下道、歩道橋、そしてマルちゃん。



なにもかもが、夕焼けの色のようにあたたかく。






今でも時々、

あの頃の小さな自分に会いたくなると、

訪れてしまう、宮の沢。


元気いっぱいに駆けていく、あの頃の自分には、

もう追いつけないけれど、

小さな私は振り返り、大人になった私をじーっと見つめ、

両手で大きく、ある時はマル、ある時はバツと、

私をジャッジしてくれる。





時に迷い、くじけそうになる私に、パワーをくれる宮の沢に、

もうひとつ、特別な場所が増えた。



ひたむきに、ボールを追い続ける彼等に会いに行く。






ココロ、ハズム。





posted by た |14:25 | ボール | コメント(0) | トラックバック(0)