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2010年11月26日

can

赤ん坊の頃の私は体が弱く、

月に20日は病院通いだったらしい。


突然の高熱。


母自身、もう既に発病しており、痛みを堪えながら私を抱き、

何度も何度も病院まで走ったという。



静かに、そして確実に、母の病気は進行し、





やがて母は、我が子を抱き上げることさえ出来なくなっていった。





今では自分で食事をとることも、すっかり困難になってしまった母なのだが、

私が子供の頃は、まだ少しは手も動いたので、


母が食事の支度をしていた。



でも、ずっとは起きていられないため、幾度も休みをとりながら、

だから何時間もかけて、やっと出来上がる母の手料理。



不自由な手で作られた母の手料理は、いつも不格好で、

コゲてたり、クズレてたり。



重い皿は持てないから、

プラスチックのオシャレでもなんでもない皿で。




それが我が家の食卓だった。




が、いつしか、箸も包丁も持てなくなった母は、

台所に立つことさえ出来なくなっていった。









自分で出来ることが、なくなるということ。



その痛みと恐怖を、きっと私は何も理解していないだろう。









最後に母の手料理を食べたのは、いつだったろう。


何を作ってもらったんだろう。




ちゃんと、おいしいよって言ったかなぁ。

いつも、ありがとうって言ったことなかったなぁ。






あれが最後になるなんて、思ってもいなかったから、



もうなんにも覚えてないや。




なんにも、覚えてないや。





posted by た |15:59 | ココロ | トラックバック(0)

2010年09月30日

教室の扉

小学2年、いや3年か。

曖昧な記憶の中にいる、その担任教師。



名前は・・・覚えていない。



ただただ、とてつもなく怖い先生だった。



授業中に突然、数人の生徒の名を呼び、教室の前に並ばせ、

端から順番にビンタを繰り返す。


またある時は、立たせた子供の足を払って転倒させ、

その子の顔の上に座る。



みんなの前でズボンを脱がされた子もいた。



子供達は、先生が何故怒っているのかさえ、わからないまま、

突然訪れる、その恐怖の時間に怯え続けた。






体育の授業、ドッジボール。






先生は、いつも生き生きとしていた。


小さな子供達に、大人のフルパワーのボールを命中させては楽しんでいるようだった。





ある時、先生の投げた強烈なボールが、眼鏡の少年の顔面に直撃した。

眼鏡は弾け飛び、少年は大きな音を立ててその場に倒れ、動かなくなった。



慌てて駆け寄る先生は、激しく動揺し心配そうに少年の名前を叫んだ。

けれど、先生が心配していたのは、少年のことではなかった。



その証拠に、先生は最後まで少年を保健室に連れて行こうとはしなかった。








しばらくして先生は、学校を去ることになる。







いつ、どのタイミングで、なんの理由で、学校を去ることになったのかは、

もう何も覚えていない。









新しい担任は、とても優しい先生だった。




子供達はその優しさに触れ、ゆっくりと笑顔を取り戻し、そして変わっていった。



特に変化があったのは、あの怖い先生に最もマークされていた少年だった。



先生の体罰の対象は、決して無差別ではなく、決まった子供達で、



その中心にいた最もマークされていた少年は、ようやく恐怖から解放され、

みるみる変化し、やがてクラス一番のガキ大将になり、



そして、いじめっ子になった。





新しい担任は、その子を抑え込むこともコントロールすることも出来ないまま、




いじめはエスカレートしていった。





教室を新たな恐怖が覆った。







今になって、


あの先生は、本当に怖いだけの教師だったのだろうか、と思う時がある。



私の断片的な記憶の中で、いつのまにか出来上がっていった、

ひとつのストーリーと「怖い先生」というイメージ。



もしも、そこに大きな間違いや誤解があったとしたならば、




本当は、もっと深い場所にあったのかもしれない真実に気付かないまま、





私はあの教室の扉に、鍵をかけてしまったのかもしれない。





posted by た |23:00 | ココロ | トラックバック(0)

2010年01月16日

クシャクシャの地図

子供の頃に暮らしていた町の、

大きなビルが建つ、その場所には、


ひとつの小さな思い出がある。



それは、まだそこが空き地だった頃の話で・・・





その日、ある計画を思いついた私は、すぐ実行に移した。



ある計画とは、いつもは誰も行かない空き地に、こっそり宝物を埋め、

その場所を記した宝の地図を、近くの公園に置いておく。




そして偶然、誰かがその地図を見つけ、やがて宝物を探す大冒険が始まるのだ。




 想像しただけで、ワクワクした!!




高鳴る胸と踊る心で、一気に地図を書き上げ、


手には小さなスコップと「たからばこ」と書いた箱に、お気に入りのオモチャを入れて、

私は、その空き地に急いだ。



誰にも見られていないか、周囲を気にしながら、

隠れるように、私は宝箱を埋めた。



次は、宝の地図だ。



昼時の公園、子供達の目を盗んで、さりげなくさりげなく、

砂場の横の、もう少し奥の、結局は公園の片隅の外れに、


わざとクシャクシャにした地図を置き、風に飛ばされないように石をのせ、

満足げに笑みを浮かべると、そのままダッシュで家まで帰った。




そして、大冒険が始まるのを、じっと待った。




ただひたすら、待った。





 ワクワク!
  ドキドキ!

 ワクワク!
  ドキドキ!







だけど、最後まで、


冒険者は、ひとりも現れなかった。






夕暮れの、子供達も帰った公園に、宝の地図だけが、そのまま残っていた。



ノートの切れ端に、エンピツで書いた、ただそれだけの宝の地図。


誰にも見つけられず、拾われず、砂まみれで。






私は手を伸ばし、そっと地図の上の石を取った。



強い風が音を立て、



宝の地図とワクワクを、遠くにさらい、




見えなくなるまで、ずっと吹いていた。






posted by た |13:51 | ココロ | トラックバック(0)

2009年10月22日

坂道で

子供の頃、母の車椅子を借りて、

自宅前の小さな坂道で、よく遊んでいた。


車椅子に乗ったまま滑走する坂道は、

とてもとてもスリリング!!!で、たまらなかったけれど、


大人用の車椅子に乗って上る坂道は、

小さな子供の腕の筋肉には、けっこうキツかった。






 上っては下り、下っては上り。






そんなある時、

杖をついた、見知らぬお婆さんが、私に声をかけてきた。



 「足が悪いのかい、可哀想に・・・」



優しいその声は、かすかに震えていて。




私は突然の事で、どう返事をしていいのか、わからないまま、

気が付けば、小さく「ハイ・・・」とだけ、答えていた。





それから少し話をしたが、私は最後まで足が不自由な子供を演じ続けた。



どうしてだろう。



本当のことは言えなかった。




やがてお婆さんは、私の手をそっと握りしめ、真っ赤な目で、


 「頑張るんだよ・・・」と、言うと、



涙を隠すように、その場を去った。








 嘘を、ついた。








杖をつき、足を引きずりながら去って行く、

お婆さんの後ろ姿は、とても小さく寂しそうで。



けれど幼かった私は、そんなことなどすぐに忘れて、車椅子滑走を楽しんだ。







しばらくして、疲れた私はそろそろ家へ帰ろうと、

車椅子から降り、片付けをしている時だった。



私は強い視線を感じ、振り向いた。



するとそこには、買い物袋をさげた、さっきのお婆さんが立っていた。





・・・!!!?





お婆さんは、普通に歩いている私の姿を見て、

一瞬、何がなんだか、わからなく混乱していた。



が、やがて全てを理解したお婆さんは、何故だかちょっと笑って、

そして、とても哀しい顔をした。








坂の上と下で、


ただ見つめ合ったまま、私達はずっと動けなかった。








全てが止まって見えた。









その日から、


私は車椅子で遊ばなくなった。











・・・と、


そんな思い出話より、




 しゅんピーです!!


  岩ピーですッ!!!
   沼ピーですッ!!!
    俊ピーですッ!!!
     介ピーですッ!!!



 しゅんピーです!!!!!







試合に出られるって、


たたかえるって、



凄いことなんだってこと、



当たり前じゃないんだってこと、




忘れてしまうところだった。





おめでとう、しゅんピー。






posted by た |14:20 | ココロ | トラックバック(0)

2009年08月20日

アンブレラ

雨が降ると、

思い出すクラスメイトがいる。


中学1年の、雨の放課後。

ひとり帰る、少女の後ろ姿が、不意に蘇る。



少女のさす傘の骨は、何本も折れていて、

靴には、大きな穴があいていて、

制服は、入学式の日から、もうボロボロにくたびれていた。




複雑な家庭環境と、絵に描いたような貧しさの中にいた少女は、

学校の教室でいつも、ひとりぼっちだった。






優しくて、真面目で、健気で、頑張り屋さんで・・・





今なら、いっぱいわかるのに、

涙が出るくらい、わかるのに、





あの頃、少女はずっと、ひとりぼっちだった。






同じクラスだったのは、中1の時だけ。

だから、卒業後のことは、なにひとつ知らない。






少女は、どんな大人になったのだろう。



どんな人生が、あったのだろう。







結局、

最後まで、一度も見ることがなかった、少女の笑顔。





だからこそ、願う。



今は、笑っていてほしい。





働き者の亭主と、時々派手な夫婦喧嘩をしながらも、


生意気だけど、可愛い子供たちに囲まれて、



毎日毎日、笑っていてほしい。




ブサイクなくらい、クシャクシャにした顔で、




安心して、笑っていてほしい。






posted by た |14:00 | ココロ | トラックバック(0)

2009年03月11日

ゴール

中学の時の学校行事。

春だったろうか、秋だったろうか、


マラソン大会。


私は、これが苦手だった。


グラウンドを二周して、それからコースへ出る。

しばらくして私はまるで予定通りに、走るのをやめる。



いつものこと。



横をスイスイ走り過ぎて行く、他の生徒の後ろ姿を見つめて、

キミタチすごいねー・・・と、歩きながら、そう思った。




 見慣れた景色と、変わらない町並みは少し退屈で。




私を追い越していく時、クラスメイトのひとりが、

歩いている私の背中を押して、そして手を引っ張った。



すごく乱暴に、とてもめんどくさそうに。



だから私も、わざとめんどくさそうに、また走り始める。





ふたりで並んで、走った。


疲れて歩くと、手を引っ張られた。



何度も歩いて、何度も走った。





そうやって、ゴールした。




毎年毎年、そうだった。











友よ。


いつだって、めんどくさそうに、私を助けてくれた友よ。





不器用な私の隣で、めんどくさそうに笑ってた友よ。






今はもう、どこにもいない友よ。






小学生みたいな、あどけなさを残した横顔、斜めにして。


踵をふんだ運動靴で、背伸びして。



早く大人になりたかった、なれなかった。





友よ。


 また会おう・・・また、走ろう。










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2009年02月04日

らーめん

祖母は、ラーメンが好きだった。

いつも食べていた、というイメージがある。


・・・インスタントラーメン。


たぶんきっと、安かったからだろう。





祖母は、幼い時に両親を亡くしたため、

まだ小さい子供の頃から、働きに出ていたという。

だから、小学校さえ通うことなく、大人になった。



やがて結婚し子供を産み、そして戦争もあった。



戦後、事故で夫を亡くした祖母は、室蘭の港で男達に混じり、

力仕事をいくつもして、三人の娘を育てたと聞いたことがある。



誰もが必死になって生きていた時代。

綺麗事では済まされない、いろんなことが祖母にもあったのだろう。


祖母の本当の苦労なんて、誰ひとり知らないのかもしれない。






そんな祖母に、私は育てられた。


物静かで、優しい祖母だった。





祖母との思い出のひとつに、こんなことがある。



学校に行けなかった祖母は、字を書くのが苦手だった。

だから、よく書き間違いをしていた。


ある時、祖母がチラシの裏をメモ用紙にして、

その日、スーパーで買う予定の物を書いているのを、

こっそり、のぞいたことがあった。



間違いだらけだった。



その中でも、インスタントラーメンを、『らめん』と書いていたのが、

まだ子供だった私のツボに入ってしまい、大爆笑した。



それからというもの、私は祖母が何か書いていると、

いつもノゾキこみ、その度に大笑いした。



祖母の気持ちなど、考えもせず・・・






今になって思う。




もしかしたら祖母は、ものすごく傷ついていたのではないだろうかと。


一緒に笑いながら、ホントは悲しかったんじゃないだろうかと。






後悔と自己嫌悪が、ずっと消えずに残っている。










 ばあちゃん。


 いつになるか、わからないけれど、

 いつか、ばあちゃんのいる、そっちに行った時、

 ちゃんと謝るからさぁ。


 でも、その時、久しぶりに、ばあちゃんのメモ見たら、

 やっぱり爆笑しちゃうと思う。


 ごめんよ、ばあちゃん。


 だけど、ばあちゃん、その時、一緒に食べよう。


 ばあちゃんの好きだった、



 ちょっとのびた『らめん』を。





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2008年11月26日

ママレモン

遠い遠い日。

私はひとり、イタンキ浜に立っていた。


小さな左手には、祖母からもらった、ママレモンの容器。

その中に丸めて入れた手紙には、幼い文字が並んでいた。



何を書いたのかは、覚えていない。



私は全身をバネにして、ママレモンを海へ放った。


すぐに波に押し戻される容器を、拾っては放り、拾っては放り、

何度も何度も繰り返した。




誰が読むわけでもない手紙を、

あの時、私は必ず誰かに届くと信じていた。

ただ伝えたい想いがあった。





やっと波に乗り、ママレモンの容器が沖へと向かったのは、

もう、日が傾く頃。



もしかしたら、ただ容器を見失っただけなのかもしれない。

水が入って、沈んでしまっただけなのかもしれない。



でも、あの時、私は生まれて初めての達成感に包まれていた。

まるで、でっかい勲章をもらった気分だった。






あの日、

沈む夕陽の中、

水平線の、更にもっと向こうを見ていた私の目は、

きっとキラキラして、最高にいい顔をしていたと思う。













日曜日のサンピアザ。

初めて行った、パブリックビューイング。


光の広場の隣にある本屋さんで、


ずっと欲しかった、しまふく寮通信の『本』を見つけた瞬間の私の顔も、



あの日に負けないくらい、




きっと、いい顔をしていたと思う。







posted by た |14:08 | ココロ | トラックバック(0)

2008年08月01日

待合室

激しい雨が降った先日、

手術を終えた母が病室に戻ってきた。

大きな手術ではなかったので、会話はすぐに交わすことが出来た。


母と二人きりの病室。


母は迷うように、けれど、しっかりとした声で話しはじめた。


それは、母が結婚して間もなく、妊娠した時の話だった。

まだ若く、やりたいことや夢もあった母は、

出産への結論をすぐに出せずに、かなり悩んだという。


そして、最終結論を出す日、

母は病院の扉を開ける瞬間になっても、まだ迷っていたらしい。


病院の待合室には、ひとりの見知らぬ老婆が座っていた。

着物をきちっと着た、とても上品な老婆だった。

その老婆は、初めて会う母に突然こう言った。


・・・子供は産みなさい・・・子供は産みなさい・・・


母はその時の言葉を、耳ではなく直接、心で聞いたような気がすると言っていた。


不思議な感覚の中、気が付けば、いつのまにか老婆の姿は、待合室からいなくなっていたらしい。


迷っていた母は、まるで最初から決めていたかのように、出産という道を選んだ。



それから、



無事、出産を終え、母親になった幸福感に包まれていた最中、

母は発病し、長い長い闘病生活を迎えることになる。


母にとって生涯たった一度だけの出産になった。





何故、母が今になってこの話をしたのか、

そして、あの時の老婆がどういう存在だったのか、

それは、わからない。


でも、ただひとつ確かなのは、あの老婆がいなかったら、

今、自分がこの世にいなかったかもしれないということ。







久しぶりだった、母の入院。

医療の現場は、相変わらずの激務で、

みんなハードワークを繰り返していた。

ベッドの上の人も、それを支える人も。





人は誰も強くない。

ヒーローなんて、ホントはいない。

それでも毎日、みんな戦ってる。

自分のため、そして誰かのため。




ある者は、白衣を着て、



ある者は、赤と黒のユニフォームを着て、




また、ある者は・・・






posted by た |14:58 | ココロ | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年06月25日

呼ぶ背中

何歳の頃の出来事なのかさえ、わからない遠い記憶。

場所は、室蘭のデパートの1階。

祖母とふたりで遊びに行った時のことだった。


1Fフロアには当時、お菓子売り場があって、

私はその甘い香りの中を、ひとりグルグル駆け回っていた。


たくさんの人が賑わう店内で、一組の親子がふと目に入った。


白い着物の母親と、白いワンピースの女の子。


ふたりは私に背中を向ける形で立っていた。

やがて、ゆっくりと歩き出す親子を見て、何故か私は


ついていかなくちゃ・・・


そう思った。


その親子はまっすぐデパートの出入り口に行き、そのまま外の通りに出た。


なんの迷いもなく、ついていく私。


どんどん進んでいく親子は、けして姿勢を変えず、最後まで顔を見せることはなかった。


と、親子は突然、交通量の多い車道に飛び出し、反対側の歩道に行ってしまった!!


私も急いで追いかけようと車道に一歩、足を出した時だった。


耳の奥で、何か声が聞こえたような気がした。



・・・イッチャダメ



その声にハッと我に返った私は、あわてて来た道を戻った。





デパートに戻ると、祖母が大声で私を探していた。

私の姿を見つけた祖母は、泣きながら私を力一杯抱きしめた。

不安な気持ちが、祖母の体温で消されていった。



病気で入院している母に代わって、ずっと私を育ててくれた祖母。


いつも優しく、いつだって味方だった。





もう一度だけ。


もう一度だけでもいいから、


会いたいなぁ。





おばあちゃん・・・





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2008年06月16日

室蘭で

室蘭にはしばらく帰っていない。


そして、イタンキ浜には更にずっと行っていない。



子供の頃、毎日の遊び場だったイタンキ浜。


室蘭の海。





五歳くらいの頃だろうか、


祖母の家に預けられ、暮していた時期がある。



その祖母の家は山の上にあり、イタンキ浜を見下ろすことができた。



ある日、泡のような物体が帯状に連なり、海岸を埋め尽くしているのが見えた。


祖母とふたり、すぐに山を降り見に行った。


浜辺はあきらかに異様だった。


そしてそこには、大きなカメラを持った男がいて、海岸の様子を何枚も撮影していた。


海に入れる季節ではなかったので、波に濡れないように距離を置いて波打ち際を歩いていると、



不意に強い波が迫ってきた!!!



それを避ける祖母と私。


が、波のスピードは速く、左右から挟み込むようにふたりを囲んだ。


逃げ場をなくしバランスを崩した私はそのまま倒れ、大量の海水を飲んだ。


まるで何者かに足を引っ張られるかのように、強い力で私は波にさらわれた。


意識が遠くなっていくのがわかった瞬間、祖母が私の腕を引き上げた。


祖母は腰まで海につかっていた。



私は泣いていなかった。



ただ、その様子を無言で撮影しているカメラマンを不思議な気持ちで見ていた。



ずぶ濡れのまま家へ戻る二人の背中に、いつまでもシャッター音が響いていた。






その時はまだ、私の中の大きな変化に気付いていなかった。





今でも私は、海に入ることが出来ない。




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2008年06月02日

言えなかった

小学1年生の時、

朝の通学途中、晴れていた空が急に曇り、雨が降り始めたのは、

いつもの歩道橋を渡り終えた頃だった。


傘もカッパも持っていなかった。


強くなる雨の中、トボトボとひとり歩いた。


地面を濡らす雨を数えながら歩いていると、不意に目の前の雨が止んだ。



・・・!?



ふと見上げると、隣に見知らぬ少年が立っていた。


傘の中に入れてくれていた。



六年二組。



名札に書かれた、その文字だけが妙に記憶に残っている。



少年はにっこり笑顔を見せたきり、あとは何も言わなかった。


ひとつ傘の中、無言のままの6年生と1年生。


ふたりは学校へ続く宮の沢の坂道をただ歩いた。





それだけの出来事だった。



人生の中のたった数分のこの出来事を、今も強く覚えている。


人見知りの激しいあの頃だったから、お礼も言わずに黙って教室に行ってしまったこと


今でも後悔している。



わずかな時間だったけれど、あの少年は私の人生に確かに関わってくれた。



ただ、



あの日、言えなかった「ありがとう」は


これからもずっと忘れ物のまま、胸の奥に残っているのだろう。





posted by た |14:04 | ココロ | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年05月21日

しまふく寮

夢を叶え、スポーツを職業に出来た人を、特別な存在だと思っていた。


選ばれし幸運な人。

欲しいモノを手に入れた人。

遠い遠い世界の人。


そう思っていた。



でも少しだけ違った。


その「選ばれし幸運な人」は、選ばれ続けなければならない人生を背負っていた。



そして、そのことに気付かせてくれたのが、しまふく寮通信だった。



しまふく寮のことをTVで知ったのは去年。

ブログがあることも同時に知った。


でも、しまふく寮通信を読み始めたのは今年になってから。


しまふく、という名前さえ忘れていたのに、何故 読みたいと思ったのかは覚えていない。



最初から読んだ。


何日もかけて読んだ。


サッカーの知識も、コンサドーレについても、ほとんど何も知らないまま読んだので、ピンとこない事も多かった。


だから何度も繰り返し読んだ。


選手の顔や名前を知るにつれ、今まで見えていなかった風景や想いも感じられるようになり、

気付けばすっかり感情移入。


これが、コンサドーレとの出会いだった。



今でも時々読み返すことがある。

読む度、新しい発見がある。


ただ、何度読んでも必ず、画面をスクロールさせる指が止まってしまう言葉がある。




・・・一期生。



その言葉を目にすると、胸が熱くなる。


1期生の多くがそれぞれの道を歩んでいるという。

だから彼等の事はほとんど知らない。

にもかかわらず胸が熱くなるのは、あの日の納会のせいだけではないだろう。


今のコンサドーレを応援すると同時に、彼等の人生も応援している。



私の中では、今でも彼等はしまふく寮の食堂にいて、笑ったり、歌ったりしながら楽しく過ごしている。



これからも、ずっと。





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2008年05月12日

小さな時間旅行

月を見上げる度に思うことがある。

数えきれないくらいの人達が見た月。


坂本龍馬も 紫式部も

ピカソも クレオパトラも


同じこの月を見上げた夜があった。


そう考えると不思議な感動に包まれる。



いくつもの命のバトンタッチを繰り返し、「今」が存在する。



持株会の目標を達成した2008年。



例えば今から百年後。


人々はどんな想いで月を見上げているのだろう。



そして、その時のコンサドーレの戦士達は どんな闘いを繰り広げているのだろう。



未来のサポーターさんへ。


最高の応援、頼みますよ。



大丈夫。



ちゃんと笑顔で バトンタッチするから。

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2008年05月07日

「扉」

はじめまして。

サッカーもブログも初心者で、わからないことだらけだけど

動き出してみようと思う。


広いようで狭い、狭いようで広いこの世界で、手をつなげる人に会いに行こう。



笑いながら。


歌いながら。



母の車椅子を押しながら・・・






よろしくなのです。

posted by た |00:41 | ココロ | コメント(0) | トラックバック(0)