スポンサーリンク

2010年11月26日

can

赤ん坊の頃の私は体が弱く、

月に20日は病院通いだったらしい。


突然の高熱。


母自身、もう既に発病しており、痛みを堪えながら私を抱き、

何度も何度も病院まで走ったという。



静かに、そして確実に、母の病気は進行し、





やがて母は、我が子を抱き上げることさえ出来なくなっていった。





今では自分で食事をとることも、すっかり困難になってしまった母なのだが、

私が子供の頃は、まだ少しは手も動いたので、


母が食事の支度をしていた。



でも、ずっとは起きていられないため、幾度も休みをとりながら、

だから何時間もかけて、やっと出来上がる母の手料理。



不自由な手で作られた母の手料理は、いつも不格好で、

コゲてたり、クズレてたり。



重い皿は持てないから、

プラスチックのオシャレでもなんでもない皿で。




それが我が家の食卓だった。




が、いつしか、箸も包丁も持てなくなった母は、

台所に立つことさえ出来なくなっていった。









自分で出来ることが、なくなるということ。



その痛みと恐怖を、きっと私は何も理解していないだろう。









最後に母の手料理を食べたのは、いつだったろう。


何を作ってもらったんだろう。




ちゃんと、おいしいよって言ったかなぁ。

いつも、ありがとうって言ったことなかったなぁ。






あれが最後になるなんて、思ってもいなかったから、



もうなんにも覚えてないや。




なんにも、覚えてないや。





posted by た |15:59 | ココロ | トラックバック(0)