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初観戦は2000.4.23、函館千代台の山形戦(札0-2山)。このときは知人に連れられて観たので、コンサドーレって監督が岡田武史なんだ、というレベルでした。 負け試合でなぜ“魅せられた”のかはよく判りませんが、10月の昇格決定試合@平塚、J2優勝決定試合@厚別大宮戦、ホーム最終戦@厚別甲府戦も観ています。ひとえに、お付き合いいただいた方々が初心者の私を暖かく迎えてくれたからで、この場を借りて御礼申し上げます。 今年、6年ぶりのJ1。チームの目標はGMによれば実質は「石にかじりついても残留」とか。J1復帰といっても昇格初年はチャレンジャーです。何も恐れず胸をはり戦え-赤黒の勇士。
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2007年11月15日
昨夜はテレビで後半から観戦。しかし、実況と解説が“あのふたり”じゃ、歯止めというか締まりがない。 それはそうと、試合終了後にコンサ関係のブログをあちこち眺めていたら、昨夜のACLを取り上げているひとは、見事に2000年を話題にしていますねぇ。 クラブ経営(<こう書くとススキノの店みたいだ)の難しさを感じた夜でもありました。分岐点では僅か1度の違いが、先では相当の隔たりが出来るのだなぁと。
2007年10月29日
愛媛のアウェー戦は行きづらい。 2006年は、3月の火曜日の祝日と8月の木曜ナイター。2007年は6月の平日ナイター(例の主審の試合)で、今回が初「行きやすい」試合になり、しかも超割アリ、ということで千歳松山便満席。 そんな愛媛が2度目なのですが、前回は昨年夏に東京から18時間掛けて負け試合を観に来て、また夜行で戻るという、松山ピストンだった試合でした。 さて、今回。なんだか松山よく来るなと思ったら、6月にヤクルトvs日本ハムを見に来たばかりでした。そんなわけ、試合前に道後温泉本館でサイコロは振らなかったですが「坊ちゃん」の真似事をしてから、競技場入りしました。 なんだか解らないのですが、ジャコ天のカツって2度揚げのような気がするが、いいのか↓で、まぁ結局、パンがなくなって、ジャコ天カツだけ食べたのですが…
正直に言いますと、ロスタイムに入った段階で“勝ち”は諦めました。一緒に見ていた人の手前、クチには出しませんでしたが。内容的に悪くはなかったのですが、ゴールマウスに嫌われている(いろんな意味で)のが両チームともあって、こんな日はどうやっても入らないのがこれまでの経験則です。 そんな中で、「緊急招集」して、「途中出場」した「秘密兵器」がロスタイムに「西決勝弾」を決めてしまったのですから、これはもう何かの後押しがあるとしか思えませんでした。なんだか四文字熟語ばかりですが、気にしない気にしない。 愛媛で昇格が決まると信じて、2ヶ月前に超割を決済してやってきたサポの皆様方もご満足いただける結果だと思います。西だけに“Go West”したのは間違っていなかった。 時計を少し戻すと後半40分ごろ、ゴール前にいた曽田がベンチに対して手を上げていたのが全ての始まりでした。どうやら、前線に上がっていいか?と聞いているみたいで、こんなシーンは初めて見ました。曽田としては、自分が上がれば何とかできる、と思っていたのでしょう。紙一重ながらも首位を護り続けている自信なのかもしれません。 ロスタイムの歓喜から21時間後、松本でヴェルディがロスタイムに追いつかれました。J1では広島がロスタイムに2点取られて追いつかれる。この週末のJリーグはロスタイムで流れが変わる展開が多かったのが印象的でした。 見難いけど、ヒーローインタビュー終わってゴール前でひとりバンザイする西↓
2007年10月19日
昨日の北海道日本ハムファイターズのクライマックスシリーズ制覇のシーンを見ながら、頭の中の冷静な部分が、すごい勢いで回転しだした。 ファイターズが北海道に移転したのは2004年からですが、それにあたってはいろいろ紆余曲折があった(2004年以前は実はほとんど知らない)。スポーツビジネスと言うのは観客があって成立するものでありながら、経営収支を担うのは観客からの興行収入よりスポンサー収入の方が大きい、という現象が普通に起きます。とは言うものの観客あってのスポンサーですから、観客をないがしろにすることは不可です。 プロ野球チームがいくつも存在する関東において、日本ハムファイターズを応援する人は、「なんとなく応援」ではなく「積極的に応援」する人たちの集まりです。逆説的に言えば、そこに限界があるから、日本ハムは移転を考えたわけで、「最初に北海道」ではなく、「最初に移転」だったわけです。 そこでプロ野球チームがない地方から北海道をチョイスしたわけで、そこには、旧来からのファン層を失っても構わない、という覚悟があったと思います。その代わり、日本ハムというチームをまったく知らない人たちを掘り起こす必要があったわけで、その道具(あえてこういう言い方をします)が新庄剛志だったといえます。 ただ新庄といえども、いるだけで観客を動員するほどのパワーがあるわけではなく、2004年4月にスカスカの札幌ドームで野球を観た経験もあります。 移転元年の2004年、ファイターズの応援はほとんどが旧来の東京を中心とした応援団に支えられていました。東京時代のファンには、新庄剛志なんて客寄せパンダにしか見えないという意見があったのも事実で、その見方は間違っていないのも事実です。 新庄呼んでもそれだけでは効果は少ない。そこから最大限の効果を引き出すには、ひとつは宣伝、もうひとつは成績です。2004年、ファイターズはシーズン3位、2位の西武ライオンズにプレーオフで敗れて終わります。そこそこの成功を納めたといえます。 翌2005年は5位、この年に近鉄とオリックスの統合、東北楽天イーグルスの参入でパリーグの世間的認知が拡大しましたが、成績はパッとしませんでした。しかし、この2005年にダイヤモンドの原石を手に入れます。ダルビッシュ有投手の獲得です。 2006年のリーグ優勝、日本チャンピオン、アジアチャンピオンは記憶に新しいところですが、ひっそりと東京時代からのマスコットで、東京主催限定で存続していた“ファイティー”が引退します。つまり球団として、東京との決別をしても大丈夫な基盤が北海道に出来た、という判断がそこにはあったのだと思います。 さて、翻ってコンサドーレはこの現象をどう分析しているのか、そこから何が学べるのか。
プロ野球を眺めていて、サッカーと根本的に違うのはマスコミの扱い方です。ある程度の枠は絞っていますが、試合前の練習中でも結構マスコミの人間が選手の間をウロウロしています。 無論マスコミと言うのは、必ずしもチームの思うように報じてくれない。あるいは批判もある。そんなことはおそらく承知の上で、清濁合わせ呑んでいるのだと思います。マイナスがあってもいい、トータルでプラスになれば、それで良いと考えている節があります。 だから、的外れな質問をするキャスターの番組にも出演させるし、監督も批判的な報道をする記者に対しても、表面的には平静に応対する。 一方、残念ながらサッカーの世界ではかなりクローズな状況になっています。試合直前の選手の映像で出てくるのはだいたい、バスから足早に競技場に入っていく姿だけで、ましてや声なんてありません。試合当日に拾える声といったら、終了後のコメントぐらいです。 練習も遠巻きに眺めて、終了後に帰るところで少しインタビューするぐらいでしょうか。ちょっと長い話をしようと思えば、チームを通してセッティングが必要になります。 こんな状態の選手をテレビ出演させても、通り一遍のことしか聞けません。サポーターは普段から見ていますから、それなりの思い入れもあるので、的外れな事を聞くキャスターに対して苛立ちを覚えるかも知れません。仕事とはいえ、お互い良く解っていないのですから、ピントがずれるのは当たり前です。 いずれにせよ、マスコミへの応対は世間の関心を呼ぶ、つまりは観客を増やす、それによってスポンサーが期待できる、という部分が多なワケですから、もうちょっとやりようがあるのは間違いなく、そして今年のコンサドーレ(選手もスタッフもフロントも)はそれを学ぼうと努力しているように見えます。 どんなに一生懸命学んでも、そこに成績が伴わなければ効果の期待度は薄いのですが、今年は良いことに成績が伴っています。あと少しで、その学習が一気に開花するところへ来ています。もう少しです。 んーかなり無理やりにまとめた気がする・・・時間切れなので、また書き直すかもしれません。
2007年10月16日
別に星大輔の来季を占う話ではありません。 さる方のブログによれば、上位5チームが下位との対戦に全て勝ち、上位5チーム同士の対戦は引き分けと仮定すると、3位以内が11/11に決まって、自動昇格は試合のない11/25に確定することになるそうです。野球のマジックが、本当に“マジック”と思えてしまうぐらい、計算能力のない脳細胞には、勝ち点積み上げ方式のサッカーの方が解りやすく(これでも高校で微分積分・確率統計までやったんですが・・・)、京都が1試合少なく札幌の休みがラス前にあることから優勝マジックは最後まで点灯しない可能性が高そうです。 現状で、昇格(3位以内)の可能性をそれなりに残しているのは7位福岡までで、今後の予測はきわめて難しいですが、足らない脳味噌を駆使して考えてみました。
チーム別に見ると3位仙台はかなり苦しい日程です。休みを除いた6試合中、昇格に絡むであろう上位7チームとの対戦が5回あります。最初にセレッソ-休-福岡と自チームより下位とあたるので、手を抜けません。逆にいうと、6チーム中5チームとあたるわけですから、昇格争いのカギを握っているとも言えます。 もっとも福岡は、札幌に今週末に敗れると戦線脱落の可能性があります。札幌としては勝つことは当然ながら敵の数を減らすことも意義のあることで、福岡戦はなんとしても勝ち点3が欲しいところです。 あと7節、もちろん全部の試合が大事ですが、中でも47節は休みの仙台以外の上位が全てホーム開催、つまり上位vs下位のカードが並ぶので、取りこぼすと一気に順位が下がる可能性があります。その裏返しが48節で、仙台-福岡以外は全てアウェー開催。この47/48節は極めて重要です。そのあとの48-50節は上位7チーム同士の対戦が2試合ずつ組まれているので、47/48節の結果如何によっては、一気に自動昇格/入替え戦進出が決まってしまう可能性もあります。 勝ち点積み上げ方式での順位決定というルールなので、上位3チームにそれぞれ1回ずつ休みがあるのに、4位と5位のチームは休みがない、というのが星読みを極めて難しくしています。 札幌にとっての天王山は11/18のホーム京都戦になるのは間違いないでしょう(結局、結論はココにくる)。 愛媛戦と京都戦は行きます。愛媛はコレだな。
2007年10月09日
上野から北斗星で行きました。 といっても1日早く乗ったので長万部からニセコへ入って一泊。翌日、ニセコから厚別へ。試合が終わった日の夜、青森行き急行<はまなす>号に乗って、そこから東京まで地べたを這って戻りました。 いや、はまなすには乗っていましたとも。TDKサポ数名。まぁ彼らは青森から<いなほ>に乗り換えて、ホームタウンへと戻っていきました。 まぁ、指4本掛かっていた“勝ち”があと一本の隙間からスルッと逃げていったのは間違いないですが、その責めを佐藤優也に求めるのは可哀想ってもので、90分で勝てなかった試合ではなかったですし、119分に点が取れた試合でもあったと思います。 敗因を考えると、TVの生中継がなく、つまりはどこかの空の下で息子を応援したい父親がナマで見れなかったということであり、あのPKを蹴る佐藤優也に必要だったのは、あくまでも冷静な父親のテレパシーではなかったでしょうか。リンク先を見れば解りますが、優也は父の生まれ故郷に負けたということです。 そんなの関係ねぇ!だとは思いますが。コートも着ず、顔を上げることが出来ない佐藤優也。キミだけに責任はない。 でも、Tottemo Damedatta Konkai。
TDKに負けたというと、未だ納得できるのですが、仁賀保に負けたと言い換えると、ちょっと悔しいなぁ。
2007年09月03日
11日間で4試合という過密スケジュールの中の第3ラウンドは、愛媛FCを迎えての函館ホーム開催戦。 結果を見れば1-1のドローですが、かたやホームで首位、かたやアウェイで10位でサポ推定20人の対戦ということを考えれば、負けたに等しいのが札幌で、勝ったに等しいのが愛媛でしょう。全日空最終便で羽田に飛んだ愛媛の選手の表情も明るかったです。 試合内容をひと言でまとめれば、「ウチがやりたい事を相手がやっていた」。コンサ・ホームユニvsコンサ・アウェイユニって感じに見えなくもないくらい、白い方は前線からプレス掛かっていましたし。たぶん実現は薄いと思いますが、宮の沢で対戦したFCソウルと向こうで試合するとこんな風になるのではないでしょうか。FCソウルのホーム・ユニはアディダスの赤黒縦縞です(なぜかウチに一着ある)。 主審は岡田正義氏。かつてはJ主審の中でも評価の高かった方ですが、最近は芳しくないウワサもチラホラ聞きていたので、お手並み拝見という感じでしたが、さすがと言うかベテランの味というか、カードゼロで見事にコントロールしていました。9年前のフランスW杯を吹いた氏も49歳、体力的な面もあるでしょうし、J自体が高スピード化していますから、難しい面もあるのでしょう。イタリアの審判の定年は45歳ですし。 というわけで、“続き”は試合には直接関係のない余談です
さてこの朝はニセコからレンタカーで馳せ参じました。アチコチで繰り広げられる白黒熊(赤色回転灯付)とのバトルを回避しつつ、昼過ぎに函館空港でクルマを返して、バスと市電を乗り継いで千代台へとやって来ました。まずは昼食調達とハセガワストア千代台店でやきとり弁当(大)を入手して競技場に向かったのですが、ここで問題発覚。友人とSA席で観るハズが、なぜか私が買ったのはSB席。差は500円とはいえ、芝生と椅子の差はでかい。こんなチケットを2800円(前売)を金出して買う人がいるのか、かなり疑問に思っていたチケットを自分が買っていました(苦笑)。 そんな訳で、前半は芝生の一番後ろで立ち見していたのですが、前の通路を試合中にウロウロする人多数で、とても落ち着いていられない。どこか落ち着くところを探しつつ、前半が終わる直前に移動していたら、SB席のホームよりまで来たところで池内先制弾。ゴールの瞬間は見逃しておりました。 前半終了した瞬間にトイレに駆け込み、用を済ませて出てきて、ファンクラブブースを往復して売店を冷やかしていたら、3~4年前に厚別で何度かお会いしたことのあるKさんとバッタリ出会い、そのままホームゴール裏B自由席へ拉致られました。 いわゆるコアサポのとなりのような場所で、飛び跳ねる必要は無いものの、立ち続ける必要はある場所に無理やり詰めてもらって入りました。当然ながらチームカラーに染まる必要があるので、この瞬間から半袖シャツ一枚に。いやぁ寒いの何の。で、各自のスペースを調整している間に、愛媛が一点返し(また見逃した)、ゴール裏はイヤな空気に。とりあえず寒いので大声上げて45分間応援しつづけました。 30半ばのオジサンには、相手チーム攻撃中は休めるファイターズの方がラクですな。もっとも以前は足に負担が掛かるのは田中幸雄と古城だけだったのが、最近は工藤やら稲葉ジャンプ100人飛んでもダイジョーブ、とか過激なものが増えていますが。 そんなわけで、函館からJAL最終便で帰還しました。
2007年08月20日
北海道新聞のサイトから。 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/44306.html?_nva=33 湘南戦を前に、中2日の疲れを質問されて- 「疲れ? ないですよ。京都戦は右サイドだったんで前半は西日が当たらず日陰になっていたし。(主将の)芳賀に、『絶対にそうなるサイドを選べ』と言った通り」。 京都戦後半終了間際にペナルティエリア寸前でパウリーニョへファールしたことについて- 「青少年は決してまねをしないように」。 湘南戦、負けちゃいましたがこの記事を読んでなんだか安心しました。ホーム不敗“神話”なんて基本的に信じていないので(神話というものは結果から生み出されるもの)、いつかは負ける時が来るし、そのときに負けたから何が生まれるかが大事だと思っています。そういう意味で、この余裕があるというのは、西澤の、あるいはチーム全体の、状況を物語っているのだと思います。 これは、実に良い状況で、長いJ2のシーズンを戦う上で、心理状況というのは極めて重要です。心理状態が悪いと、戦う前から負けているという状況は、かつて経験しています。
まぁいまの状況では、チームとして試合内容よりも、チームの周辺に毎年のように出てくる“腐敗神話”の方が気がかりです(だから神話は信じていないよ)。メインスポンサーがチームを投げ出した前例はゼロではないので。
2007年08月17日
西京極というのは、平安京の西の端(極)というのが地名の由来です。でも、東京極はないんだな、これが。 で、その西京極での第34節、京都サンガFC戦は17:20キックオフ。試合前に携帯に届いた先発メンバーのお知らせには「気温が37℃を超えておりますので、試合会場へお越の方は熱射病にご注意下さい。」という追記があるほど。事実、京都の16日16時の気温は36.9℃でした。ただ、京都という街は盆地の東西に鴨川と桂川という川があり、基本的に涼しくなるのはこの川からで、Jリーグの公式記録では気温34.4℃となっています。ただ西日を正面に受けるバックスタンドの体感温度はそれ以上で、試合開始直前までスタンド裏に避難していました。 サッカーをする上でかなり過酷な条件なのは間違いなく(そう考えると甲子園の高校球児たちは身体に悪い事を強制されているのは間違いない)、それは札幌も京都も関係ない。試合が始まるときには率直な感想として、「選手も審判も観客も、みんな倒れるなよ」。つまり勝ち負けは二の次と感じていました。それでも先制点が転がり込んでくるのがいまの札幌の強みで、前半38分、西谷のFKを相手GK平井が弾いたところを西嶋が押し込んで先制。今季初ゴールの西嶋はお約束のごとく、数名の選手にのしかかられておりました。 前半終了間際、バックパスをカットしたパウリーニョが猛然とゴール前に突進して、堪らず曽田が後ろから引っ掛けてPK献上。曽田くん次はお休み決定。ドローで前半終了しました。 後半は立ち上がりから京都ペースで札幌は散発的な攻撃しか出来なくなります。66分、京都の外人コンビが繋いだボールが徳重に出て、決められてこの試合初めてリードを許す。もっとも後半はかなり日が傾いて過ごしやすくなったのですが、前半に体力を奪われたためかノーガードの打ち合いみたいな展開になり、試合を観ていて「これは途中交代の選手がカギ」と思っていました。徳重のゴールは途中出場のアンドレからパウリーニョを経由しており(もっとも現場ではアンドレもパウリーニョも区別つかん。とにかく外人ふたりで、そのうちひとりは途中出場)、あーやられたと思いましたよ。 劣勢になったことで、三浦俊也監督は中山に代えて石井、大塚に代えてカウエと次々カードを切りましたが、これが吉と出ました。得点にはなりませんでしたが、石井がゴール前に突進して飛び出した京都GK平井に引っ掛けられて、平井にイエローが出たあたりから札幌がペースをつかみ、右サイドをドリブルで持ち上がった藤田からクロスが入り、スナマコのシュートを平井がはじいたところをダビィが押し込んで同点。これ、ちょうど目の前で見ていましたが、征也のドリブルが大変素晴らしく、功績大です。 その直後、砂川のパスを受けた石井がドリブルでDFを抜いてシュート。これが決勝点となりました。実にFWらしい得点で謙伍は相当嬉しかったのか、ガッツポーズでサポーター前まで走って来ました。 このあと京都の猛攻を受けますが、前半から出ている選手はもう足が思うように動かない状態で、パス・シュートの精度も悪く、かたや札幌は守りはリーグ屈指ですから、何度か危ういシーンがありながらも凌ぎきって勝ち点3を手中にしました。 いやもう、よくやりましたよ。ホントに。
ハーフタイムから散々予告がありましたが、大文字五山送り火のため、ライトアップは京都市内では自粛となっており、スタンドの照明も19時50分で消えますということなので早々と撤収。五山送り火の内、左大文字と船形を電車の窓から鑑賞して、巨大ローソクならぬ、京都タワーのライトアップも消えていた京都駅から新幹線で帰ってきました。 で、なによ福岡引き分け、仙台・東京Vが負けって・・・。
2007年08月06日
敷島は多分6回目の訪問。 1回目はザスパのJFL時代なので除外としても、2回目の2005年J2第3節(3/19)は、1点先制(ザスパ草津のJ加盟初ゴール)されてそのあと4点取って勝ったものの、3回目2006年J2第20節(6/7=水曜ナイター)は1点取られて2点取ったのにオウンゴールでドロー。昇格を諦めた一戦でした。4回目は2006年J2第47節、フッキの2ゴールで勝った試合(記憶がほとんどない)。5回目が今年のJ2第13節、植木繁晴に札幌の弱点を攻められた試合。 草津戦アウェーでの観戦成績は2勝1敗1分。でも2005年は隣のサッカー・ラグビー場だったから、敷島公園陸上競技場では1勝1敗1分。とくに今年は好スタートだった札幌が第1クールでつまづいたのが3月の草津戦で、そのあともホームでドロー、と苦手なのかという感じ。雷と前線のお陰で過ごしやすくなった今年3回目の対戦は、コンサドーレのだめっぷりが目立つ試合で、中盤の草津のプレスに手を焼いて、前線へまともなパスが入らない。後ろのサッカー少年から、相手はこれで首位?という声まで聞える始末。前半ヘタレモードながらもセットプレイから中山のアタマで先制。こういうときにセットプレイで点を取れるのは大きい。というかここ数年、取られてばかりだった気が・・・。 ところが後半は、ダメダメながらも草津のプレスが薄まったのと、中盤で時間を掛けずに前へボールを動かすことによって余裕が出来て、征也のクロスがスナマコに入って、追加点。 これで草津の勢いが削がれるかと思いきや、ますますパワーアップしてもうサンドバック状態。こりゃヤバイよ~と思ってみていました。地元前橋育英卒の相川はゴール前の絶好の位置でボールを股抜きしてるし・・・。 ところがゴール前に入ったボールがサイドへ流れて、中山が戻したが逆サイドまで転がってしまったのを、征也がズドンとミドルで3点目。さすがに草津も諦めました。
というわけで今季草津戦初勝利を見届けて、試合終了後に一緒に観ていた地建というニックネームのオジサマの奥様にクルマで出迎えていただき、21時25分には高崎駅東口に着き、21時38分発のMAXとき350号で帰ってきました。ブログを書くヒト↑裸族化。
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初観戦は2000.4.23、函館千代台の山形戦(札0-2山)。このときは知人に連れられて観たので、コンサドーレって監督が岡田武史なんだ、というレベルでした。 負け試合でなぜ“魅せられた”のかはよく判りませんが、10月の昇格決定試合@平塚、J2優勝決定試合@厚別大宮戦、ホーム最終戦@厚別甲府戦も観ています。ひとえに、お付き合いいただいた方々が初心者の私を暖かく迎えてくれたからで、この場を借りて御礼申し上げます。 今年、6年ぶりのJ1。チームの目標はGMによれば実質は「石にかじりついても残留」とか。J1復帰といっても昇格初年はチャレンジャーです。何も恐れず胸をはり戦え-赤黒の勇士。
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