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初観戦は2000.4.23、函館千代台の山形戦(札0-2山)。このときは知人に連れられて観たので、コンサドーレって監督が岡田武史なんだ、というレベルでした。 負け試合でなぜ“魅せられた”のかはよく判りませんが、10月の昇格決定試合@平塚、J2優勝決定試合@厚別大宮戦、ホーム最終戦@厚別甲府戦も観ています。ひとえに、お付き合いいただいた方々が初心者の私を暖かく迎えてくれたからで、この場を借りて御礼申し上げます。 今年、6年ぶりのJ1。チームの目標はGMによれば実質は「石にかじりついても残留」とか。J1復帰といっても昇格初年はチャレンジャーです。何も恐れず胸をはり戦え-赤黒の勇士。
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2007年12月13日
先日、試合で振り返る2007年はやりましたので、試合ではない外側(アウトサイド)で振り返る2007年です。 時計の針を一年戻すと、「新潟にも勝っちゃたよ。次は甲府?、そりゃロスタイム3失点の借りを返すぞ!」になりますので、11ヶ月ほどにしておきます。
2007年体制を迎えた段階で、3年間続いたヤンツー監督から、みうみう体制へと移行します。この新監督就任が公になった段階で、「おいおい三浦って4バックだよな。大丈夫か?」という反応がサポーターから出ました。やはりあの2002年はトラウマとして残っており、我々は「コンサ=4バックはダメ」という思い込みが出来上がるくらい、2002年はショックが大きかったということでしょう。 加えて、新戦力となる外国人のうち、同じJ2のセレッソ大阪からブルーノ・クワドロスを獲得しました。セレッソは徳重をおなじJ2の京都へ放出(“はなてん”ではない、中古だけど)、「セレッソ狂ったか」と他チームにまで心配されていましたが、結果は皆さんの承知のとおり。 問題は、ブラジルから呼び寄せた“ダヴィ”“カウエ”という2人で、“ダヴィ”はブラジル人らしからぬ変顔。もっともロナウジーニョも変顔ですが、ダヴィは丸いし、立体的だし、サッカーボールに顔書きましたって感じで、オイオイでした。カウエは顔はまともなものの、名前がどーも“COWCOW”という大阪で中途半端に売れて、東京進出したら沈みっぱなし、という吉本芸人を連想していけません。ま、とにかく、4バックの出来るブルーノを頂きました。大阪はん、おーきに。 で、迎えた開幕戦は京都に惨敗。2002年よりはマシだな、とりあえず。って感じの不安なスタート。ところがその後は勝ちが先行し、4月の東京ヴェルディ戦は3点とって3点取られて1点とって勝つ、というなんだかよく判らない、つまりはコンサの試合では見たことがない試合をやってのけます。 この頃、注目は昇格候補とめされたものの絶不調に陥っていた東京の某J2チームの監督でした。5月の国立での最下位水戸戦ではなぜか他サポが水戸側に多数集結し、水戸が勝っちゃいます(札幌は草津にひっそり負けます)。 で、辞める辞めない、切る切らないで大騒ぎの間に大阪の監督があっさり交代し、首の皮一枚で東京の方は繋がります。クチの悪いサポは「監督切ったらチーム強くなる」とか言っていましたが、「首切ったってどうせコーチ昇格だろ。コーチはあの人だから(以下自粛)」と言っていたのは我々も心のゆとりがあった証左です。 夏に向けて貯金貯金といっていたら、あっさり夏を乗り越え、「行くんじゃね?これ行くんじゃね?」と思っていたら9月に大ブレーキ。もともと選手層も薄いですし、勝てなくなったときに思い切って入れ替えることがし難いのですが、それより三浦サッカーというのは9月の勝率が低い、というかほとんど期待できない。某誌に載った3番と4番の対談でもありましたが、実は8月より7月9月の方がキツイらしく、これは来季以降覚えておきましょう。 おまけに9月にはメインスポンサーの不祥事まで発覚し、サポ一同、天を仰いだことです。とは言うものの、地元はいざ知らず、本州では大阪の某料亭さんの方がいろいろネタを小出しにしてくれたこともあって、「白い恋人が買えない」なんてニュースは全然ありません。大阪はん、毎度。 幸い、メインスポンサーがどっかに買収されることもなく(同じ洋菓子メーカーでありましたからね)、胸に入った商品名も「日本を撤退した外資系通信企業の名前を秋まで付けつづける」というお間抜けなチームの二の舞にはならずに、最終戦で東京のチームを大阪のチームが引き分けに持ち込み、J2ながら「サッカーで優勝したよ」でシーズンを終えました。やっぱり、大阪はん、毎度。 というわけで、来年対戦するもうひとつの大阪はん、よろしゅう頼んまっせ!
2007年12月10日
J1の16位とJ2の3位が対戦するJ1J2入替戦がホーム&アウェーで行われ、J2の京都サンガFCが昇格、J1のサンフレッチェ広島が降格することになりました。これで、来季のJ1J2のチームの顔ぶれが確定しました。 コンサドーレ札幌は2001-2002年シーズン以来のJ1となりますが、前回とは少々環境が異なります。 ・16チームから18チームに増加 ・前期後期2シーズン制から年間1シーズン制に ・年間成績下位2チームのみ自動降格から下位2チーム自動降格+16位入替戦 ・Vゴール方式の延長戦が廃止、90分勝負 主な点はこのくらいでしょうか。とりあえずコンサドーレの来季の目標は残留(「優勝」ではない)であり、中期的にはJ1定着だと思います。 Jリーグ1部が上記のようになった2005年以降の年間成績を眺めると個人的に一つの傾向が見られます。18チームのうち、優勝争いに絡むのが4-6チーム、中位に落ち着くのが6-8チーム、終盤まで降格争いに関わるのが4-6チームと3つの集団に分かれることです。概ね各チームの顔ぶれはほぼ同じで年によって1-2チームの入替があります。 浦和レッズやガンバ大阪は毎年上位に入ってきますし、FC東京、横浜マリノス、名古屋グランパスエイトといったところは優勝にも降格にも関わらない位置に早々と付いてしまいます。一方、毎年のようにボーダーライン上で秋に一喜一憂しているチームも同じような顔ぶれがあります。 もとより年によって入れ替わりもあり、一概には言えませんが結果から見ればそうなります。コンサドーレとしてはとにかくまずは中位に安定できる戦力を整えるのがこのオフの目標です。 かつて同じJ2で対戦し、昇格したアルビレックス新潟あたりが当面の目標になるでしょう。ただし毎年の戦力の入替(若返り)は必要で、そこが上手くいかないと降格争いを演じることになってしまいます。 「面白いサッカー」からほど遠いものになるかもしれません。しかし実績を積まないことにはいい選手は獲得できませんし、運営費も増えません。上を見ればキリがないですが、現実を見ながら少しずつ上積みしていけば、「面白くて強いサッカー」が出来るときが来ることを信じて、来年は頑張りましょう。
もう失敗はゴメンです。
2007年12月06日
2007.03.03 三浦俊也の札幌初戦は実に評価に困る試合でした。 2007.03.21 開幕戦後の3連勝はまぐれではないことを確認。 2007.03.31 室蘭でブルーノ・クアドロスが来たことに感謝。 2007.04.08 J2の戦いは、相手とともに主審との戦いでもあった。 2007.04.12 西が丘で滝修行。 2007.04.15 笠松で古き良きJ2のぬるま湯につかる。 2007.04.23 東京ヴェルディとの激闘を制して首位にたつ。 2007.05.03 敷島で草津の術中にはまる。 2007.06.10 鳥栖でJ加入500ゴールを勝利で祝い、 2007.06.24 アウェーなのにホームと同じくらいの人が飛田給に来た。 2007.08.05 8月になってようやく草津の呪いを解き、 2007.08.16 協会による酷暑試験にも耐えた。 2007.09.02 “まる”に“かつ”なのに引き分け。 2007.10.07 GKのGKによるGKのためのPK。 2007.10.27 昇格を確信した四国の夜。 2007.11.18 なのにココ一番では焦らされて、 2007.12.01 最後に決まった二度目のJ2卒業。 今季の観戦成績、9勝4分4敗。いい一年でした。
2007年12月03日
11月11日の鳥栖戦からコンサドーレに昇格確定のチャンスが生まれ、勝てば決まる京都戦をゲーム終盤PKで引き分けに持ち込まれ、お休みで他力だった51節は、これまた京都が終了直前に勝ちを手にしてお預けになりました。 結果的に、最終節を迎える段階で、1~3位が未確定。コンサドーレは東京ヴェルディ1969に得失点差で1位を明け渡しました。 さて、上記を北緯64度アイスランドの首都レイキャビクで知ったのですが、水曜日にレイキャビクをあとに、ニューヨークで1泊。そこから成田経由で試合前日に北の大地へ入りました。 で、試合開始直前、横断幕がゴール裏に用意されたのを見て、「なんだよ人文字ないのかよ」と叫んだのですが、ビックフラッグの下から文字が下半分出てきたときには、すいません泣いてました。試合は序盤、札幌は動きが堅く、水戸に攻め込まれ続ける状態。前半11分、コーナーキックから塩沢に頭で合わされ、失点します。このヘッドは体勢を崩しながら何とか合わせたもので、高木がまったく触れないところへ飛んでおり、コンサドーレとしては不運でした。 ところがこの不運がコンサドーレに風を呼びます。前線からゴールキーパーまで目が覚めたかのように躍動し、攻めに転じます。水戸の攻撃は散発的になり、コンサドーレが何度もゴール前まで攻めあがります。前半終了間際、愛媛戦で開花した秘密兵器・西がゴール右からヘッドで中央へ送り、それを砂川が胸でトラップ、そのボールを“めんこいダビぃ”が回転しながらゴール上のネットに突き刺すシュートで同点。 コンサドーレは引き分けでも昇格が決まるのですが、後半も引いて守るなんてことはなく、後半15分、運動量の落ちた砂川に代えて岡本を投入します。未だ若い岡本は、守備にやや難がありますから、これは明らかに攻めの交代。その10分後、西嶋が接触プレーでもないところで足を押さえて倒れこみ、池内と交代。愛媛戦でも大塚が同じように負傷しましたが、もう選手も満身創痍です。 そんななか、勝ち越しはこれまた若手の岡本が起点になります。相手DFとGKの間に「ほれ、走れー」とばかりに浮き球を送ります。これに馬脚を現した(文字通りに)めんこいダビぃが追いつき、背負っていたDFを振り落として、これまたゴール上部のネットに突き刺します。なんであんな難しいコースにシュート打てるヒトがPK外すのかはよく解りません(あ、ウマいからか)。 そのまま、いつもの堅い守りで昇格決定。数分後、多分数十秒間だけでしたが、電光掲示板に“CHAMPION”というサインが表示されました。現場では「やったー優勝だぁ」と叫んだのですが、そのあとに表示された東京Vの試合結果と表示する順序を間違えたのかも知れません。いずれにせよまた泣きました。そのあとのことはよく覚えていません。
とにかく、これで春先の約束がようやく果たされました。たった一つの約束を反故にされつづけた5年間は長かった・・・。
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初観戦は2000.4.23、函館千代台の山形戦(札0-2山)。このときは知人に連れられて観たので、コンサドーレって監督が岡田武史なんだ、というレベルでした。 負け試合でなぜ“魅せられた”のかはよく判りませんが、10月の昇格決定試合@平塚、J2優勝決定試合@厚別大宮戦、ホーム最終戦@厚別甲府戦も観ています。ひとえに、お付き合いいただいた方々が初心者の私を暖かく迎えてくれたからで、この場を借りて御礼申し上げます。 今年、6年ぶりのJ1。チームの目標はGMによれば実質は「石にかじりついても残留」とか。J1復帰といっても昇格初年はチャレンジャーです。何も恐れず胸をはり戦え-赤黒の勇士。
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