カレンダー

プロフィール

初観戦は2000.4.23、函館千代台の山形戦(札0-2山)。このときは知人に連れられて観たので、コンサドーレって監督が岡田武史なんだ、というレベルでした。 負け試合でなぜ“魅せられた”のかはよく判りませんが、10月の昇格決定試合@平塚、J2優勝決定試合@厚別大宮戦、ホーム最終戦@厚別甲府戦も観ています。ひとえに、お付き合いいただいた方々が初心者の私を暖かく迎えてくれたからで、この場を借りて御礼申し上げます。 今年、6年ぶりのJ1。チームの目標はGMによれば実質は「石にかじりついても残留」とか。J1復帰といっても昇格初年はチャレンジャーです。何も恐れず胸をはり戦え-赤黒の勇士。

最新のエントリー

月別アーカイブ

リンク集

カテゴリー

コメント

検索

狂った歯車を元には戻せない

2008年04月25日

関塚隆氏が川崎フロンターレ監督を辞任した。

今年の川崎フロンターレ(以下、川崎F)は、開幕までは優勝候補に挙げられるほど戦力が充実していると評判だった。ジュニーニョ・チョンテセという前線に、中盤に中村憲剛に加えて、レンタルから復帰したフッキを加えた布陣というのは、戦う相手にとっては脅威どころか恐怖すら感じる。

ところが開幕戦、昇格組のヴェルディにドローという苦しいスタートを迎えた。この試合はナマで観ていたのですが、攻撃陣は確かに揃っていたものの、互いの連携に乏しく、噛みあっていなかった。相手がフッキを知り尽くしたヴェルディというのも川崎Fにとって運が悪かったのかもしれない。

その後、ジュニーニョの日本国籍取得への動きなど、いいニュースもあったものの、起用法による意見の相違からフッキの退団、関塚監督自身の体調不良による入院など、悪いニュースが相次ぎ、とうとう辞任にまで至ってしまった。

関塚氏の川崎Fにおける経歴は、J2優勝(04年)、J1準優勝(06年)、ACL決勝T進出・ナビスコ杯準優勝(07年)と、まさに川崎フロンターレの栄光とともに刻まれてきた。ただ、J1ではタイトルが一つもないことから、時には「無冠」というありがたくない肩書きが付けられる事があり、それは当人も意識していたと思われる。

そのあたりの微妙な圧力や、フッキ退団のきっかけとなった選手交代など、徐々に関塚氏の体調に影響を及ぼしたと推察される。室蘭でのナビスコ杯で、大橋を下げた交代も第三者的に見て不思議に感じた。歯車というのは小さな狂いでも廻しつづけるとその振動で思わぬところを破壊したり、小さかった狂いがどんどん拡大して、最後は歯車を全て破壊してしまうことがあります。歯車自体が壊れてしまったら、全て取り替えるしか方法はありません。

川崎Fの戦力はフッキが去った今でも強大である。ただ、チームの精神的支柱を失った影響はゼロではない。いま川崎Fは岐路に立っていると思う。


関塚氏、いずれウチの監督になって欲しい人でした。派手そうには見えない風貌もウチ向きだと思うのですが・・・。


京都vs大宮

2008年03月17日

今節はホームに行けなかったので、西京極で京都vs大宮を観ました。他所のチームの話なので、写真はなし。

試合展開を簡単に説明すると、前半に吉原宏太のゴールで先制する。このゴールはGKと1対2の局面で阿波踊り藤本からのパスを受けたのだが、オフサイド臭いパスでした。副審が藤本の突破に追い付いていませんでした。

後半開始早々、ゴール前の混戦から柳沢の足元に“急にボールが来た”のをとりあえずゴールの方向へ転がしたら、コロコロコロという感じで入って京都が追いつく。
試合を決めたのは、後半の半ば過ぎ、大宮のゴール前からのクリアを渡邊大剛がミドルレンジから豪快に振り抜いたボールがゴール左上隅に吸い込まれたシュート。このシュート自体はある意味「事故」に近いものだが、後半に入ってからは京都がゲームを支配していたことから生まれたチャンスだった。


この試合、前半と後半でゲームの支配者が入れ代わった試合でした。それを作り出したのは、カトQこと加藤久・京都監督です。
前半、大宮の堅い守りに対抗するため攻撃に枚数を掛けた京都はパスミスから失点。シュートもミドルレンジから散発的で、大宮の「キッチリ守って速攻」という形を崩せませんでした。

ハーフタイムにカトQが動きます。パウリーニョに代えて田原、DF平島を下げてFW徳重を投入します。前の枚数が増えたことで、大宮のDF陣に揺さぶりを掛けます。これが早速、得点を呼びました。その後はまったく京都ペースで、追加点を奪い、勝利を挙げました。

京都は最初は4-4-2の中盤ダイヤモンド型だったのが、後半は4-1-2-3とも思われる布陣になったり、ゲームの状況に応じてフォーメーションが変わるヨーロッパの強豪クラブのような戦い方をしました。おまけに守る局面では、シジクレイがあちこちに顔を出し、3人ぐらい居るのではないかという活躍ぶり。いやはや、ヒゲオヤジは手強い、というのが正直な感想です。


チケット貧乏

2008年02月27日

なんだかんだで、J開幕まであと10日ほど。

J2時代は前日でも買えたチケットはJ1ともなるとそうも行かない。とりあえず先週あたりから売り出しが始まって、手元に実券が集まってきました。

・3/08 鹿島アントラーズvsコンサドーレ札幌
・3/09 川崎フロンターレvs東京ヴェルディ
・3/16 京都サンガFCvs大宮アルディージャ
・3/30 柏レイソルvsコンサドーレ札幌
・4/29 浦和レッズvsコンサドーレ札幌

Jチケット
関係ない試合が2つほど混じってますが気にしない気にしない。 それより、ナビスコの柏戦を買い忘れた・・・。ローソンしか売ってなくて面倒だよなぁ→生活圏にローソンがなくて、会社から帰るときに一つ手前の駅で降りて、片道3分ほど歩いて往復する必要アリ。



J2だと一週間ごとに買っとけば良かったのだが、ほぼ1か月分を一気に買うとなんだか大枚が消えた感じがしてしまうねぇ。最終的には同じ金額なんですが。
あと無くさないかとか、当日忘れないかとか、ちょっと不安だ・・・

あ、これも買ったのですが、知人に頼んだのでまだ手元に来てない(カネも払ってないし)。
・3/23 コンサドーレ札幌vs川崎フロンターレ


才能=素質+努力

2008年02月14日

シーズンオフとはいえ色んな話題がサッカー界にあるわけで、契約7日で帰った外国人とか、酔っ払ってクルマの屋根に飛び乗った選手とか(某新聞社のサッカーCMを思い出した)、まぁ触れません。

たまたま仕事中にヨーロッパ諸国のデータが載った資料を目にしまして、気になる数字がありました。
オランダ1600万人、ベルギー1000万人、英国6000万人。

何かといえば人口です。これらの国は、サッカー界で言えば日本よりは実力が上の国ばかりです(英国に至っては3分割-ウェールズが日本より強いかはよく判らん)。かたや日本は人口1億超えています。まぁ単純に人口でスポーツ界を計れば、お隣の国があらゆるスポーツで1番を席巻することになりますが、そこには身体的特徴とかもあるでしょうから、そうはならない。

いま日本人のプロサッカー選手ってざっと1200人くらいでしょうか。彼らが日本のトップレベルにいるわけです。そこに辿りつくには努力も必要ですが、もって生まれた素質も大きく影響すると思います。

子供にミットを持たせるかボールを蹴らせるかというと、多分前者の親が圧倒的ではないだろうか。仮にすごいサッカーセンスを持った子供がいるとしても、周囲にサッカーを勧める大人が誰もなく、そういうチームもなく、野球をやってみたものの開花せず、最終的に会社勤めになって生まれてきた子供にやっぱりミットを持たせる・・・素質が無駄になっていることには誰も気付かないまま。これは大きな損失だと思います。子供の頃は努力で才能が一番伸びる時期だけに殊更。

日本のプロサッカー選手で静岡県出身者が多いのも、ある意味では子供の頃の周囲の環境に左右される証拠みたいなものでしょうか。サッカー界の将来のためにも素質を見出すことは重要だと感じました。人口3900万人のアルゼンチンがマラドーナを輩出し、メッシがいま出てきています。モネールも出てきたけど。


2008年日本代表を○○へ

2008年01月29日

8月20日に岡田ジャパンが札幌で親善試合をやるらしい(いや曽田が観るだろうから、ネ申前試合か?)。その関係で涼しい北海道でキャンプを張る計画もあるとか。
http://www.nikkansports.com/soccer/japan/p-sc-tp2-20080121-309848.html

岡田と日本代表のキャンプといえば忘れられない試合がある。2001年5月19日のヤマハスタジアムでのジュビロ磐田戦。和波が先制弾を決めて、岡田(当時コンサドーレの監督)が1-0で逃げ切りに掛かった89分にロングボールに高原が首を延ばし(競馬の世界で喩えるなら「クビ」差で名塚が競り負け)、同点にされてしまい、延長戦でVゴール負けした試合だ。コンサドーレには静岡県では一度も勝ったことがないという不名誉な記録があるのだが、あの瞬間がもっとも「勝利」に近づいたことは間違いない。
確か2001年1stステージは磐田が制し、5月19日がターニングポイントだったと言わしめた試合である。

あの日のヤマハスタジアムには「2002年日本代表を磐田へ」というキャンプ誘致の横断幕が出ていた。試合前、くしくも高原と同じ“ヤス”の字を名に持つ人物が、その横断幕を見て内輪で今も時々ウケる名言「2002年××を磐田へ」を吐いたのだが、あの時東京から知人が乗って来た新幹線のグリーン個室はもうない。


コンサドーレは2002年を最後にJ1から降格し、今年ようやく復帰した。くしくも高原直泰は2002年を最後に欧州へ移籍し、今年からJ1に復帰する。名言の「××」は未だに磐田には誘致されていない(東静岡はあったな)。
翌2002年のヤマハスタジアムでの試合は・・・ハンドボールの試合だったように記憶している。


U-22五輪予選最終試合

2007年11月22日

昨夜のU-22北京五輪アジア予選最終試合も、後半からテレビ観戦でした。

80分過ぎ位から1点取られたらほぼ決まるという状況で、出川哲郎状態(=やばいよやばいよ!)だったのですが、相手陣内で得たFKをコーナーに運んで時間稼ぎに出たのを見て(いや、正確にはその前にサウジに攻められている時にGK西川がマイボールをすぐ取らずに相手が詰めてくるまで触らなかった時が最初)、「コイツらスゲーな」と思って安心しました。

いや、時間稼ぎぐらい誰でも思い付きますが、ああいうシチュエーションでちゃんとやれるということと、何よりも時間稼ぎできる状態を作り出せる=つまり防戦一方ではなく、少ない人数で攻めてFKなりCKを取れる=に感心しました。


88分にPK取られて同点にされてしまう試合を観た後だけに、そう感じるのかもしれませんが→まぁこれもある意味“お約束”なので、ショックは実はそんなに大きくない。

ソリマチ(=タニマチではない)が、ピッチ上で挨拶のときに、こみ上げるのを堪えたのを見て、あぁこのヒトも苦労したんだなぁ、と思いました。といっても、采配という点では、昨日の試合は評価できません。よくありがちの怖くてイヂれない症候群だったようです。

【付記】
25日、ひょっとしたら昇格が決まるかもしれない時間はサッカーの母国にいます。日本にいるなら赤黒のユニをつけて西京極へ行き、京都が負けたときには、「♪J1へ行こう、J1へ行こう、J1へ行こう、仙台と行こう」と唄っていたかもしれませんが(=んなこたぁできるわけがない^^;)


ナンちゃって蘇我

2007年08月30日

昨夜は会社が終わってから、蘇我の方へサッカーを観に行ってきました。定時退社で試合開始から見れる唯一の競技場です。その割には未だ2回目で、1回目が昨年の天皇杯、つまりジェフが燃え尽き症候群だった試合です。

さすがに今日はまともでした。というか前半は互角の戦いでなんとかジェフが1点取ったのですが、後半2点目が入った後はトリニータがバランスを崩してしまって、ジェフの遣りたい放題になりました。トリニータとしてはバランス崩してでも前がかりにならざるを得ず、実際3点目が入るまで諦めていませんでした。結果、前半1-0/後半5-0とワンサイドゲームになってしまいました。

さて、千葉の11番については「続きを読む」へ・・・。


蘇我臨海



千葉の試合で、後半途中から出てきた彼に触れない訳にはいくまい。

まぁ、スピードとかテクニックについてはそれなりの素質を持っていたので、大分相手だと勝負できます。ただ、羽生から「シュートをどうぞ」とばかりのパスをゴール前で貰ったのに、トラップをミスってモタモタしている間にシュートを打てなくなってしまっているのは、昔と変わっていない。

ついでに血気盛んなところもそのままで、大分の選手とセンターライン付近で小競り合いになっていました。もっとも、それを見つけた主審が、ゲームを止めないまま走りよって注意を与えた為、主審が見ていない中央でジェフの選手と大分の選手とが交錯して、大分の選手が傷んでいる間に2対0という決定的場面を作る(ジェフの5点目)お膳立てをしたのは事実ですが。

FWとして点を取るというのがどうもやはり上手くないのは、どうもねぇ。容姿は違えど、ウチのいまの11番と全く同じです。これは2人揃わなくて良かったというべきか?

ああ、蘇我へ行ったのですから、当然サマナラのナンは食べましたとも。豊平峡とどっちが旨いか、と聞かれても、北の方は食べたことがないので比較できません。


8・22日本代表戦

2007年08月23日

昨夜の代表戦(ぢつは3つあったのですが、国内で開催された2つについて)をテレビで観戦しました。
といっても大分の方は後半25分過ぎからしか見ていないので、いやぁカメルーンすごいなぁ、スーパーサイヤ人みたいなプレーするなぁ、と思っていて、後半終了間際にトゥーリオが笛がなってから大きく外にボールを蹴りだしたときに、をいをいと思ったことぐらいしか印象ありません。

で、国立の方。こちらは強化試合と違って本番ですから、ムードも緊張感も全然違います。ただひとり、いつも通りだったのは実況アナウンサーでしょうか。テレ朝がイチオシするアナウンサーをA代表ではなく五輪予選に持ってきたのですから、放送局としてどっちが重いかは解っていたのでしょうが、いつものようにどうみてもCKで主審がそれを指し示しているのにゴールキックと言って堀池巧に訂正されたり、「平山のシュートォォォ!惜しくもバーの上!」といってからセルジオ越後(の壁)に「ハンドだね」と指摘されたり、まったくいつもと同じ。

ウルサイだけでなくイライラするんですよね、見てて。これだったらオーストラリアでゴルゴルを10何回か言ったヒトの方がマシに思えます。イライラはしませんから。


ボクはこの人が実況のときは、基本的に全裸です。盗み聞きですか?メモまで取って・・・ではなく、基本的にミュートです。

昨日まともな音量にしていたのは、アジアカップでの日本ヴェトナム戦で、ヴェトナム人が「ホーチミン師」を唄っていたので、今回も聞けるかな、という淡い期待があったからです。
ま、実際はホームが逆転しているので、聞こえませんでしたが。「ホーチミン師」、“水曜どうでしょう”ではそれなりに有名な唄です、ハイ。


J2の中心で曽田が叫ぶ

2007年07月10日

J's Goalの7月9日付Newsで、「J2は7月もやっています」的な告知があるのですが、添えられている能田達規氏のイラスト。我らがヨン様ソダンがど真ん中にいます。

http://www.jsgoal.jp/news/00051000/00051006.html

うーーむ。J2を代表する選手なわけね・・・。

ところで、ベガルタは誰なんでしょう?
何回見ても、ボクらの希望・岩本輝雄に見えるのですが(笑)。


監督明暗

2007年05月08日

あまり他チームのことをとやかく言うべきでは無いのですが、同じリーグに所属する、東京ヴェルディ1969のラモス瑠偉監督の続投と、セレッソ大阪の都並敏史監督の解任が、1日違いで決まりました。

年々、監督を替えるタイミング早くなっているようで、それだけに開幕のスタートダッシュに監督生命がかかっていると言っても過言ではありません。

キャンプから長いリーグ戦までを考えると、監督を途中で替える事は、それまでの期間を無駄にしてしまう可能性が大きく、失敗となった例は事欠きません。かくいうコンサドーレも2002年、2003年と監督人事に後手後手の対応で、選手・サポーターともに苦汁を舐めた歴史があります。

ところが昨年、横浜FCがリーグ第一戦で監督解任、第2戦から就任した高木新監督の指揮で躍進し、最終的には首位でJ1昇格を決めました。

早ければ良い、という訳ではないですが、早い方が良い、というのもまた事実です。第1クールが終わった段階での監督留任と監督解任、吉となるか今後に注目です。


コンササポ的には、吉よりも凶となることを念じます。