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HN aru 聖地厚別在住  旭川市出身   *変わらず当たり前 1964年生まれ  *いい年齢になってきました 性別 ♀ たぶん  *まだそうだ!たぶん 厚別・函館・室蘭ゴール裏  ドーム Gシート       *今 違う   夢(妄想)・HFC最高幹部次席付電話受付係りなにそれ  *ちょい自信なくなった(本気だったのか?!) 特技・ブログの文章が長すぎること  *書けば長いのだが・・・

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マニュアル派?AT派?日記

2008年02月23日

車の運転免許持ってる方は 運転好きですかね。
仕方なく運転してますかね。
必要に迫られ 気づけば生活の必需品となっていて あまり考えないですかね。

私は車の運転が大好きです。
札幌に来てから あまり楽しんでないなというのが本音ですが、
いろいろな土地に住み、近隣の町におもむいたり 抜け道を探すのが好きでした。
こうして今 札幌に住み 行く場所もいちいち考えたり、
気軽におもむきたいな・・・行ってどうする・・・何するよ・・・
みたいな現実的な考えが脳裏をかすめるような つまんない人間になってしまうと、
走行距離もおのずと減りつつあります。

免許をとった時に たまたまうちにあった新車がマニュアル車だったので
ためらうことなくマニュアル車の免許をとりました。
自分が免許を取得した頃は まだAT車はそんなにメジャーじゃなかったような。
いえ、これは自分の感想です。もう バリバリAT車の時代だったかも!

今時分は どちらかを選択するみたいですね。 やっぱ、マニュアルじゃない?
などと書いてみる。

それでも教習の中で 「AT車授業」も含まれており、 教官に 「楽なのよ、これ」と
言われ 乗りました。 別に楽だともなんとも思いませんでしたがね、緊張してたから。

前にも書いたかな・・・ 人によく喋るので 書いたことあるかもしらんが、まあいいか。
AT車は 信号待ちなどの時 ブレーキを踏んでなきゃならない。
何故なら ブレーキから足をはずすと 車はのろのろと進む。

「はい、この現象をなんといいますか?」 教官からの質問。
AT車に乗るのは カリキュラムの一環で体験学習♪みたいな感覚でいた自分はおののいた。

・・・・・ わかりません。
教官  「ほら、コーヒーに入れる アレ。アレですよ!」
私    「・・・・マリーナ・・・かな」
教官  「それはパンに塗るやつじゃなかった?じゃなくてね ほら、あれ!あるでしょアレ!」
私   「く、クリープ!!!」
教官  「当たり!」

そんな時代でした。

オートマに乗り始めてから マニュアル車との違いに苛立つこともあった。
まあ、いきなり セダンのマニュアルから ワゴン車のATになったのだから 仕方がないけど。
しかもディーゼル車だったし、エンジンの綺麗なぷるるるるーな音や
回転数が上がっていくときの高揚感は 経験することもなく。 いつかまたマニュアル車に乗りたい!
と思っていた。

でも、結局 好きな車に出会えたけれど、AT車。 気持ちマニュアルモードついてるけど
あの、半クラの感覚はもう味わえない。クラッチ板・・・ 普通の交換時期より早かったなあ・・・。
ああ、へたくそだったのね。 ぶるんぶるんきききーどはらっしゅ!な運転は どこかですれと。

先日の新聞で 十勝でそういった自家用車でぶるんぶるん出来るところがあると知った。
行きたい。
行きたいー!


post by aru

11:24

日記 コメント(9)

故郷1 (日記)

2008年02月21日

故郷でもなんでもないんだけど
時々 無性に恋しくなり 帰りたくなる場所がある。
あそこだけは なんとなく特別。

わたしが生まれたのは旭川で、結婚して子どもが出来て でもすぐに夫の転勤が決まるまで
その土地から離れるということは あまり覚悟していなかった。(←詰めがいつも甘い)
本当は 育児休暇を経て復職するのが希望だったけれども、夫がいないんじゃ話にならない。
いくらつぶしのきく職業に携わっていたとしても、また乳飲み子抱えながら知らない土地で一から
やり直すだけの根性がそのころの自分にはなかった。
絵に描いたようなマリッジブルー及びマタニティーブルーを とことん味わった。
(母と祖母は わたしの目につかないように そっと 塩をまいていた 後に聞いた)

初めて住んだ知らない土地。それは富良野。 めっさ 近いわね。今にして思うと。
でも 海外のような気分だった。さみしくてさみしくて。
それも 山すそのようなところに住処があって ベビーカー押すのも一苦労。
免許をとりました。26歳で ぴったり26万円かかりました。
教習所で 仮免落ちました。 泣きました(笑)
一応バリバリ仕事していた名残があったので 怒られるってことに慣れてなかったのかと
あとで自己分析。 
でも、長男は そこで 新たなジジババに出会う。 こよなく愛され今に続く。
本当のジジ(夫の父)を 「おじちゃん」と言い 富良野のおじちゃんを 「じいちゃん」と呼ぶ。
そのたんびに わたしは気を失いそうになった。

そのあと北見へ。次男はここで誕生(神社じゃないよ ちゃんと日赤で産んだよ)。
そして深川。
そして恵庭。
そして 稚内だ。 (そのあと 札幌の今の場所に)

稚内が無性に恋しくなる時がある。なんでだろう?

海があったからかなあ。とふと思うのである。
内陸育ちの自分にとって 海とは 留萌あたりまで車走らせ(友達の) 泳ぎに行ったり
キャンプに行ったり 夏の華やかな そうサザンオールスターズが必ずBGMにあるような
そんな場所であった。

ところが。違った。海水浴が出来るのは ある一定の場所で それも2週間ひらければいいとこ。
てか、海水浴した覚えないや。

なんか長くなります。 稚内に初めて行った日のこと。そこでの2~3年。
少しずつ書きたくなりました。画像もなんにもないけれど。

しばし コンサとまったく関係ない思い出話 突入しよう。


post by aru

20:12

日記 コメント(0)

お酒で思い出した あらら~

2008年02月16日

いい年齢にもなって いまだに自分のお酒の適正な量を知らずにいる私だ。

いやはや。参った。
とてつもなく他人事とは思えない何かがあったな。

ああ・・・ それしか言えない。 誤解なきよう くれぐれも よろしく。

いや、自分の話ですから。
マジメな人は読まないでください。 例の事件とはなんら関係なし。
言いたいことは お酒はこわいね・・・しみじみエスパルスとかあったな・・・



私はお酒が好き。
アルコールが血中に入ってきて ほんわりしてくる感覚・・・。
たまんない・・・。

でも 強いかというと自信がない。もしかしたら弱いのかもしれない(むはっ)。
ほどほどということが出来ない。
飲み始めたらとことん飲む。
それこそ 自分が 「もうだめ 具合わるい」 という己の信号をキャッチするまで
とことん飲んでしまう。
信号をキャッチした時は 時すでに遅し 覆水盆に返らず ということも稀にだが、ある。
ふくすい 云々に関しては意味が違うかもしらんけど。

誰にだって 過ちはあるだろう。それを他者に語るかどうかではないか。
私は語る。
以前 パトカーに乗せられて 家に帰ったことがある。札幌に住む前だ!
犯罪は起こしていないけど、他人から見たら犯罪に見えたのだろう。

いわゆる 通報された。 というやつ。

「酔った私を介抱してくれていた夫」 それはいたって普通の出来事だった。

だが、それは 深夜も過ぎた明け方の 3時かそれくらいだったはずだ。
しかも 家の中ではなく 小規模な繁華街を 少し離れたらあっという間の閑散区域だった。
学校の集まりでしこたま飲んだ。 飲んだ私のために 友達が夫を呼んでくれた。
それだけのことだ。
それだけのことだ。

それだけのことじゃなかったのか・・・・。 時間と場所の問題だったのね・・・。
 
通報された方は私の 「いやー! 離してよ!」 が聞こえて 犯罪の匂いありと思われたのか、
そもそも その声が迷惑だったのだろう。
駆けつけて下さった警察官に 私は 後に聞くと 「 いやーパトカーはじめて うれぴー」 とか
言っていたらしい。
健やかに目覚めた時、
家族全員に白い目で見られ 「なんとなく パトカーに乗ったような 汗」 と気づいた。

そんなことを経験したならば話せずにはおられない。
臆面もなく素面で知り合った人に話してしまったりもして
距離をおかれたような気もしないでもない。

固形物のようにかたい人と私は話ができない。
コンソメだって 固形より 顆粒が好きなんだ。 いちいち叩かないでいいしすぐ溶けるしな。
味見だって早く出来るし いいんでない?

なんだい。
おりこうさんになんてなれないわい。 
 
それにしてもすごい雪。 作戦を練らなければ!
雪かきっていつすればいいのか。 さっきもしたよ! ご近所の目というものもあるしな。
あああ! だめだめ人間に愛の手を!


post by aru

15:47

日記 コメント(2)

我が家の受験生

2008年02月15日

息子たちの受験も佳境に入ってきました。
コンサなブログにも受験生が何人もいらして、我が事のようについ見てしまいます。
みんな頑張っておくれー。

兄貴のほうは センターで撃沈してしまったので もう奇跡が起こるのを呆然と見守るしかない。
予備校の資料に早く目を通したいところだが、本人は 「せめて 2次終わってからにしてw」
と言うので じりじりしながら待っている。
倍率やら 定員に対して何人受けるかとか(同じか) もう慣れた。全然驚かない。
ただ、親同士の情報交換はつつがなく行われており (予備校について)
「あそこはどーだ」 「ここは こーだ」 
「年間いくらくらいだ」 「成績によって免除があるとな?!」 
と ひっそりと盛り上がってるというべきか 肩は落としている。

その兄貴も何をしているのか、部屋にこもって勉強しているのかさっぱりわからない。
笑い声だけは 敏感に聞こえるわけだが。
いたって元気であり、ならば雪かきのひとつでもしてくれや!と思うのだが・・・
絶対甘やかせてしまったと、積もる雪をひたすらじっと眺めていると自己嫌悪に陥るので
見ないようにしている。

昨日、次男は私立のA日程試験をしてきた。こちらも撃沈のもよう。
兄貴が 数学だけ解いてくれたらしい。
今日、次男はそれを学校に持って行ったらしく
「兄ちゃんのレポートが 思わぬ人気だった。先生にも頼まれて見せた」 と得意気に帰ってきた。

どれどれ!見せてもらった。
すごい。 なにこれ。 
兄ちゃんすごいね と思わず言ったら 「だよね」 と言う。他人事みたいに。
二人で ははは・・・と笑う。

やっぱり他人だと思われてるのかい?と聞くと
「俺のもちネタで絶対の笑いがとれるレパートリーのひとつなんだ」と
またも得意気に 「兄と自分の違いについての定説」 を語ってくれた。
実際には図すら用いて笑いをとるらしい。

まあ 要するに 母親の遺伝子が主に自分にきてしまったか、神社かコインロッカー・・・
という ひどい話だ。
自虐ネタに走ってるところなんか 確かに似てるし、
またそれをネタにブログ書いてるんだから、まったく その通りだ。

次はB日程がある。
「どうやって行くかなあ」 と友達と悩んでいるそうだ。私は知らない。
第一、その場所がどこにあるのかすら 私は知らない。まあそういうことだ。

せめて いい姑にだけはなろうと固く心に誓っている。これはマジ。


post by aru

14:51

日記 コメント(0)

見当識障害あたふた(日記)

2008年01月31日

昨日なんですが慌てました。
そして自分の本性を知った。
家族に急病があり。コンサネタもなし、長い自分の日記になりますので。
なのでここは追記とします。


昨日の朝方から 昨年より同居している齢71が(私の母)
「風邪ひいたみたい。今日は寝てるね」 はいよー。

ところが午後3時頃でしょうか おトイレに行ったあと、近くの階段に座ったまま
虚ろな目をしていた。
どうした? 「え?・・・・・・」 無言。
しきりに 両手を撫でさすったり 同じ動作を繰り返している。
どうした? 「え?・・・・・・」 無言。 ついにきたのか。

やばいのかもしれない。その時の恐怖・・・目の前が真っ暗になった。大げさじゃなく。
立てるかどうか確認し とりあえずベッドに寝かせる。
血圧を測る。 (もうこの時点で 脳血管障害と思ってた)
血圧正常。

おもむろに 名前聞く。 言える。
ここはどこか? 「札幌の・・・えーと」
誕生日は? 言える。
わたしは誰? ○○ 合ってる。
100から7引いてみて  ・・・・・・・7
(こりゃヤバイ 母的に)
ほら そこにいるあなたが連れてきた猫の名前言ってみて  ・・・のね・・・
(それはこの家に前からいた猫だ)

救急車呼ぼうかと本気で思った。

でも 麻痺はない。目も問題ない。虚ろだけど。
よし。マイカーで病院に連れて行こう。 
万が一のために オムツをあてよう。 祖母の時使って残っていたオムツをあてる際に
気づいた。
身体 あちーよ!!! そこでようやく熱を測ったわたし。 39℃。
・・・・・
血液検査も何もなかったし 点滴だけで帰ってきたけど、
おそらく 高熱による脱水だったのだな。
見当識障害も 高齢だと簡単にあらわれる。
現場をはなれ家にいると正常な判断すら無理。

おじいさん先生(Dr) インフルエンザではないと思うけど 今 流行ってるはしかかもね。
えと・・・
言ってしまった。
「母のことも心配ですけど、うち、2人受験生いるんですけど ガクガクブルブル」
Dr  いやこればっかりは わかりませんねえ。 イソジンガーグルでうがいして
   おばあちゃんと隔離してね。

はい。
イソジンガーグル家にあるけどな。
明日9時に来てね。とおじいさん先生。 
あーと、うち、出願変更することになって 明日9時に学校行かなきゃならないんですよう。
「出願変更? どこからどこへ? あんまり意味ないんじゃない?笑」
いや、そこまで言われますと返す言葉もございません・・・

決して嫌いなタイプのおじいさん先生ではなかった。
しかし 10日前 母が紹介状を持って受診した時に 違うお薬を 出して下さいました。
単なる商品名の違いだろうと あまり気にもしていなかったのですが。
そのもようを己で書いたカルテを見て 老眼鏡を上げたり下げたりしながらおっしゃいました。

「うーむ・・・ なんで僕 この薬出したんだろう。まさかそのせいで・・・違うよね あはは」

・・・あはは・・・  病院かえようかな・・・

母よ。回復しておくれ。
わたしは もう少しだけ あと少しだけ 介護の生活から離れていたいのだよ。
あなたの 見当識障害を目の当たりにした時に 一番に浮かんだのは、
ごめん、あなたのその時のつらさに思いを馳せるどころか
「ああ・・・また介護か」 だったのでした。

介護生活13年。終わってやっと3年。 また一緒にコンサに行こうお母さん。

そんな病院受診や わたしの慌てっぷりを しっかりフォローしてくれた息子たち。
「大丈夫だから。落ち着いて!」
「それ持つから!くつした履かせるから!」
「靴履かせるから!車椅子押すから!」
なみだボロボロ。 服の着替えすら手伝ってくれた。

そして飛んで(運転だけど)帰ってきてくれた夫。 お騒がせして申し訳ありません。
やっぱりネタにしてしまった。
日記ということで。

でも思った。
いつなんどき 自分がそのような目にあうかわからない。
「今日は何年何月何日?」
聞かれても きちんと答えられる自信ありませんので わかりやすいこと聞いてね。

あなたの大好きな地元のサッカーチームの名前は?
「・・・オレンジさいたま」
すぐに救急車を呼んで 脳神経外科に運んでやって下さい。


post by aru

12:12

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