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HN aru 聖地厚別在住 旭川市出身 *変わらず当たり前 1964年生まれ *いい年齢になってきました 性別 ♀ たぶん *まだそうだ!たぶん 厚別・函館・室蘭ゴール裏 ドーム Gシート *今 違う 夢(妄想)・HFC最高幹部次席付電話受付係りなにそれ *ちょい自信なくなった(本気だったのか?!) 特技・ブログの文章が長すぎること *書けば長いのだが・・・
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2007年04月05日
コンサネタなし。 久しぶりに病院に行ってきました。 義父が検査入院したんです。 私が一番近いところに住んでいるので、たまには嫁として安心させようと 張り切りました。 久しぶりに会った義父は、嫁と孫を見て 「来てくれたんだ!」 と喜んでくれました。明日行く約束してたので(汗) 語る語る。 サービス精神旺盛な義父の話はとどまるところを知らず、まるで脳のシナプスのように 枝葉をどんどんひろげていきます。 一瞬たりとも気を緩めることが出来ません! 「もう帰らないといけないんでしょ? そこのね、エスカレーター使えばね、どこにでも行けるし、売店もあるよ。 昨日ね、あそこでね、あれ買ってこれ買って ここハンガーないんだよね、 いやだからさ、服はそこの引き出しにたたんで入れたんだよ 持ち物もね、もうね 3回目だから あっはっはっ、慣れたものですよ。 そこ、座んなさいよ、○○ちゃん(孫 高2) 大きくなったね~」 「もう、帰らないとね? リピート」 顔がだんだん赤くなってくる義父。 検査前で、血圧を下げる薬を止めている。 看護師さんが来て血圧を測ってもらったら上昇している! お父さん! もっとそばに居たかったけど、安静が必要だったので 明日また来るねと言って 帰ってきました。 自分には父という存在がほとんどなかったようなものなので、 結婚した頃は、義父との距離を縮めたい一方で、接し方がどうもわからず、 甘え方も、気の遣い方も ちぐはぐだった。 でも、気がつけば、義父も歳をとり、 私も 義父のほっぺたをモミモミ出来るくらいになった。 お父さんって可愛いのな。あらためて惚れました。 土曜日までは病院通いするぞ!義父はその日退院して 近郊のホテルに泊まり 日曜日に地元へ帰ります。 「そうだ!帰る前に寿司でも食べに行こう!」 と言われました。 どき。 日曜日は仙台だったりなんかする。 息子にまかせた(夫)。今日、私は言えなかった・・・ やっぱり駄目な嫁だ。 あ、その病院の駐車場でコンサステッカーを貼った車を見つけました。うほっ。 きっと その車の持ち主も 私の車を見て うほっと思ったに違いありません。
2007年03月28日
私的な日記にて追記とします。
彼は医師だった。 同じ病院の同じ病棟に配属された。 私は配属されたのであって、彼は希望してきたのだ。 いわゆる○○科ってやつを。 今は制度が微妙に違っているけれど。 医学部は6年制なので、普通に卒業し国家試験を通ると 24歳くらいかな? でも、彼はもともと医学部ではない、まったく別の分野の学部にいて、 医大に入り直して医師になった。 だから、同期の医師たちからは先輩のような年齢だった。 私はまだ20歳くらいだった。 それでも働き出したのは同じ時だから 右も左もわからないのは同じ。 特別に親しくなる機会もない状態ではあったが、何年も共に いると、お互いの成長ぶりにびっくりすることがあったり、 だんだん意見し合うようになる。 仲良くなった。「喧嘩するほど仲がいい」まったくその通りに。 彼は、自分に自信を持っていた。 決断するのに時間はかかる。しかし一度決断したならば 崇高なくらい、いやアホなくらい、固執した。 ある夜の勤務の時に、彼の患者さんの緊急検査のため、他の科の医師 とともに、緊急で検査室に降りた。 病棟勤務の自分だが行くしかなかった状況だった。 しかし一通りの手順は把握してる。やってやる。 患者さんは私たちを知っていてくれている。 初めての医師やスタッフばかりだと不安に違いない。 無理をしてでも降りていった。 うまくいった。 彼が言ってくれた。 「君でよかった」 いい仕事ができたと思った。 それから何度か2人で飲みにいった。 彼が最初にいた大学のポプラ並木も一緒に散策した。 ロバみたいなポニーかな、なにかいたな。 野球が好きで、さっぱりわからなかったが聞いていた。 彼が好んでいた居酒屋は、今思い出しても、どこかわからないくらい 袋小路の冴えない雑居ビルの中にあって、汚くて、マスターというのか 店主というのか、いずれにしろ、何もかもが冴えない店だった。 野球の話になる。 わからない。 「ヒットってなにか知ってるか?」と聞いてくる。 ホームランの一歩手前で入らなかったってことでしょ? そう言うと、本当に楽しそうにお腹かかえて店主と笑っていた。 違うよ・・・ぜいぜいしながら説明してくれたけど、よくわからなかった。 回診などについていく。 たまに 患者さんに本気で怒ったり、それが真実の怒りならばわかるが、 まるで自分の鬱積した思いをぶつけるような言い回しだったりしたことが あった。 病室を出てから言う。 今の言い方はいけない。違う。あんな態度とるべきじゃないよ! しばらく病棟の廊下に佇んで考える仕草をみせ、 「だな。俺が悪かったな」 そう言うと白衣の裾をひるがえして病室に戻る。 聞こえてくるのは 「すみません。さっきは自分が間違った態度をとってしまいました。 でも、僕は信じているんです。真剣なんです。わかって欲しくて。 でも謝ります。またあとで来ます」 そんな声。 大好きな医師だった。 そう。医師として、尊敬していた。 一番最後に覚えている彼の言葉。 「俺と患者さんは戦友みたいなものなんだよ」 残していってしまったんだね。馬鹿野郎・・・ でも、もう忘れるよ。それが一番の望みだろうから。 言いたくない。でも言う。 バイバイ。
2007年03月24日
明日は山形戦。現地へ向かわれる皆々様、念を送ります。 どうかやっつけて下さい。 最近、普通にたずねられる。「山形行くの?」とか。 自分はホーム信奉人間なのに、アウェーによく行っていると思われている っぽい。 思えば昨年初アウェーを経験したのが山形だったのは、苦い事実だ。 あれが山形だったのか?と問われても 「間違いない!」 と言い切れない。 覚えてるのは 豪華客車に乗ったことくらいだ。 暇なので、行ったアウェーを書いてみようっと。(記憶が頼り) ・山形 ・フクアリ×2 ・仙台 ・エコパ そして 今年の京都。 (地名とスタジアム名を同列にする美意識の無さよ) これだけだけどな。いや、凄いと言えば凄いけど、天皇杯絡みがあったし。 純粋にリーグ戦で行ったのは2回だけなのな・・・。 4月8日のユアスタには行く。チケット、飛行機、宿 完璧だ。 当初の予定としては、そのまま西が丘へ向かう予定であったのだが、 さすがに京都で散財してしまい、まあなんというか、財政難の予感。 子どもらに 「母さんのアウェー遠征一回で アレが何個買える」 「アウェー2回で 憧れのアレが買える」 そんな呪文に今回は屈したということにしよう。 いや単純に、残高 ヤバイから。 それでも、そっと ローソンでチケットを買ってきてくれた夫よ。 私は今、実を言うと、ローカル再放送の 「熟年離婚」というドラマに ひそかにはまっている。昨日で7回。ワンセグを駆使し見ている。 子どもに録画を頼もうとした日もあった。 「実は見ている」 そう言うと、 長男は 「意味ないよ、熟年離婚なんて」 と言う。 そうなのだ。やはり、そんなドラマをひそかに見ている母親に対し 何がしかの感情を持つのであろう。 でも、大丈夫。 ローソンでチケット買ってきてくれるお父さんと離婚だなんて! 有り得ないから! 説得力あるでしょ! え? お母さんが言い渡される? ・・・・・・・・・あるかも。ひょえー! 話それまくり。 今日は京都観光の話書こうかな。 コンサのおかげで京都行けたんだから、書きまくってもいいよね。いいんだ。
2007年03月20日
つづき (空気読めない投稿だな・・・) ほとんど自分用日記化しているので長いです。 とりあえず烏丸駅で (もちろん、からすま駅ですよ。修学旅行の時 とりまる駅 と読んだことのある人もいるだろう) コインロッカーに荷物を入れ身軽になる。 ちなみに 四条駅は しじょう駅と読みますよ。 ああ、知ってますか。 スタジアムに向かうには早すぎる気もしたので、ちょいと地上に出てぶらりとする。 しかし、銀行やら銀行やらのオフィス街っていうのかな、喫茶店らしきものも 見当たらず、ため息。 しまいに雨が降ってきて、とあるビルの入り口でぼーっと 雨宿り。 そのビルには塾も入っているようで、小学生らしき子どもたちが 走りこんでくる。 京都でも塾か・・・ 何もかも感慨深くなり、自分はここで 何をしているのだろうと はっと我にかえった。 めんどくせえ。スタジアムに行こう! また烏丸駅に戻って、「180円だからね」と教えてくれてた知人の言葉を思い出し 颯爽と切符を買う機械に(他に言い方ないのか)向かう。 すると、隣の空白に 「西京極へ行かれる方は、帰りが大変混雑しますので、往復券を購入することを お勧めします」 のような張り紙があった。 そうだな。 180円×2=360円 360円入れてボタンを押した。 ああああ! 一枚しか出てこない。 齢42(当時)にして往復切符すら買えない事実に驚愕した。 もう一度 180円を入れて西京極まで一枚買って安堵した。 確か京阪線の鉄道で行くのである。 階段を降りると、もちろんホームはふたつあり。ちゃんと路線図も確認し、 それでもさらに安心したく、近くにいたあんちゃんに 「西京極はこっちですよね?」 と聞いて、「そうですけど・・・」と言われました。ありがとう! 「・・・」について後に気づくことになる。 グッドタイミング!待つ間もなく私の乗るべく電車はきた。 乗った。西京極までは近いし、座ることもないだろう。乗車してすぐの反対側に 慎ましく立つ。発車オーライ! コンサマフラーを首に巻き、チケットホルダーをぶらさげ、頬を紅潮させ私はいた。 視線を感じるので、ふと周囲を見渡すと。 みんなこっち方向の座席仕様になっている!で、2~3人が、私のコンサグッズを 見ている気がして、そしたら、よく見ると、さっきまでホームにいた赤黒や紫な 人物が人っ子一人見つからないのである。 180円でずいぶん遠くまで行けるのな。まだ気づいていなかった。 何気なく外を見ていたら、スタジアムみたいなものが見えた。さよならー。 あれか?! あれか?! 「桂駅に停まります」 桂というところがどこかはわからんかったが、猛烈な予感 を感じ、飛び降りた。 ホームにいた駅員さんに、問うた。 「特急に乗りはったんやね、180円で」 「西京極に行きたいんなら、反対側のあの2番で待ちなさい」 「いいよいいよ、わざとじゃないんだから、精算なんていいからそのまま乗りなはれ」 泣けた。 そして大阪方面から私は西京極へ向かった。 さっきの特急で座ってうたた寝でもしていたら大阪に行っていただろう。 ちなみに帰りは、360円の切符が使えると信じていたのだが、自動改札でバタンと 扉がしまった。当たり前やね。 切符には 「烏丸→西京極」ってあるんだもんな。 また駅員さんのお世話になってちゃんと乗れました。 京都での失敗はこれくらいですね。あとは、もう万事順調。人間万事塞翁が馬。 つづきは 私が一番アッピールしたい人力車編です。 もう最高!人力車!誰か読むのかな。ははは。
2007年03月20日
これが思っていた以上に順調な仕上がりをみせました。 自分でも不思議です。 あの碁盤の目の街がよかったのでしょうか。 私の生まれ故郷北海道旭川市も碁盤の目だと教わり生きてきました。 なので自分の足で歩く限り迷うことはなく。 迷っても、角を曲がり続ければ戻れる安心感。そういう培ったものってのは 大事なものだと思いました。 しかし、乗り物においては、西京極へ行く時に唯一間違えました。 千歳を発つ時点から3人の人物と出会い、そのほかにも赤黒人間はたくさん いたわけだが。コンササポ・・・涙。 関西空港で4人集まり京都駅へ向かう。バスで行った。 空港で 「京都雑学の本」みたいな本を買う。 ビトンのバッグを持つかっこつけ野郎のそばで、青いガラガラを引きずる一人。 「ちなみにこれはね」と言うので、見かけによらずブランド物か!といきりたつや、 「折りたたみ出来るんです」 めんこいよ・・・。 バスの中で自分は京都雑学の本の地図を見ていた。 自分が泊まる東山近辺の地図を見ていて ぶっとんだ名称を見つけた。 他3人に 「このページですごい名前があるから!」と 本を流す。 1名がすばやく見つけ 「ここ行きなよ」 と言った。 笑ってすませたが、なんと偶然にも行った。何が起こるかわからない。 ちなみに他2名は、「どれかな・・・」などと、その方面には弱いらしかった。 京都に着いてお腹がすいたので、みんなでうどんを食べました。 なるほど。うどんの麺のこしこしさ加減はあれくらいをいうのだな。 今まで 「まだ硬い」と茹で続けていたので駄目だったんだ。勉強になるな。 他3名は京都駅そばにホテルがあるのでチェックインをすませてからスタジアムへ 向かうと言う。 自分は何気に東山だったので、迷った。 よし。コインロッカーに荷物を入れて西京極直行だ! 一緒にホテルに荷物置くかい?と言ってくれた仲間たちよありがとう。 しかし自分は言った。 「甘やかさないで!」 そして華麗に烏丸駅で別れを告げ一人になる。なった。 ここからが迷走だ。京都迷走なんたらというサスペンスはなかったか。 長いのでいったんやめ。
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