コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2010年10月23日

電報2

この時間に書こうと思ったら、午前中に更新していて、おまけに「つづく」なんて言うことを書いてるものだから、ネタを探していましたと言う、みえみえの嘘をさらしているブログはここです、はい。

電報、学生、貧乏

この三題話なら、これしかありません。
「マルオクレ」

なぜカタカナと言うと昔は電報と言ったからカタカナしか送れませんでした。
何時ぐらいから漢字もひらがなもOKになったのでしょう。

カタカナの電報は簡潔明瞭、字数制限ありな上に字数が多いと値段が高い。
貧乏学生は親にこの言葉でお金を送金してもらったそうです。

そして、この文章を書いていたら思い出しました。
有名なエピソード

文豪ビクトル・ユーゴーが「レ・ミゼラブル」を出版したときに売れ行きを心配した際、出版社に送った電報が

 「?」

そして出版社が返信した電報が

 「!」

実に簡潔で内容が理解できる電文です。
世界で一番短い電文とされています。

そして日本で出された電報で有名なのは
南極越冬隊員の妻が夫に贈ったものです。
当時は南極へは電報かモールス信号だけでしたからです。
大晦日の紅白歌合戦でよく南極からの電報が紹介されていました。

忘れていました。
妻から夫に当てた電報は

 「あなた」

結局言いたい言葉はこの言葉、心がこもっています。
この電報をもらった夫も南極にいた仲間も涙したと聞いています。

電報って好いものじゃありませんか。




posted by 去舟庵海人 |23:15 | 日々徒然 | コメント(4) | トラックバック(0)

2010年10月23日

電報

後ほどと書いていながら、寝てしまって何を書くのだったろうと思い出せないブログは朝刊ネタ です。

今朝の朝刊土曜日版ですが、電報の話が載っていました。
90年代までは4000万通あったが昨年度は1420万通になったとか。

あたしらは電話みたいなものは一部特権階級か会社の持ち物で自家用なんて畏れおおくて・・・

ですから連絡は電報で  みたいな。

私が初めて個人として電報が来たのは、忘れもしない大学1年生、それも4月。
大学から来ました。呼び出しの電報です。
ええ、我が家には電話なんてありゃしません。
不自由でもありませんでしたしね。
友達は近所、いつもアポ無しでいって帰って来やしません。
親も大体あすこの家にいると思っていましたし、その通りでした。

でも大学からの電報には驚きました。
なにかしでかしたかと思いました。
当時大学は全学ストライキ中でしたから。

何事も無く電報事件は終わりましたけど、あれ以来電報といえば慶弔だけですね。
最近も電報を出しましたけれど花輪(アレンジメント)付の弔電ですね。

喜ばれました。

もらったこともありますが、それも弔電でお盆付というもので今でも重宝しています。
仏壇に置くお盆てそうそうありませんです。


まだまだ電報のネタ
あります

続く     って多分

posted by 去舟庵海人 |10:08 | 日々徒然 | コメント(0) | トラックバック(1)