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2017年03月23日

『コンビニ人間』  村田沙耶香 

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第155回 芥川賞受賞作です。
オーロラタウンの紀伊国屋書店で買ってきて、帰り道で数ページ読んだまま自宅のテーブルに置いておいたら 家内が読みだして、面白そうだから先に読みたい というので譲ったら、いつもは読むのが遅い家内が 一日で読み終えました。
短いし、サクサクと読めます。立ち読みだけでも読めそうです。


注意! この後、ネタバレあります。


主人公は 大学に入学して間もなくから18年間、ずっと同じコンビニでアルバイトをしてきた36歳の独身女性。幼い頃から喜怒哀楽に乏しく、他人の感情を理解できない。容姿は凡庸で、食べる事にも 男にも興味が無く、当然ながら男性経験も無し。何をしてもどこかズレており、家族からも浮いてしまっているので、一人でアパート暮らしをしています。

彼女は 自分が所謂普通とはちょっと違っている事を自覚していて、普通ではない事による面倒を避ける為に 必死に周囲の普通人のマネをして努力します。遂には、好きでもない男と一緒に生活をする (曰く、男に餌を与えて飼う) のですが、そのことがきっかけで 実は周囲が自分をどのように見ていたかに気付き、自分の居場所だと思っていたコンビニからも裏切られる。
そのシーンは切なく哀しいです。

ただ、この主人公は 世間の多数派から外れたマイノリティであり、それなりに悩んでいるのですが、自分の人生を否定せず、あまり悲観的に考えていないのが良いですね。
特にラスト、
「身体の中にコンビニの 『声』 が流れてきて止まらないんです。私はこの声を聴くために生まれてきたんです」
「私は人間である以上にコンビニ店員なんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです」
と 開き直るかのように自分の生き方を絶対的に肯定するシーンは 清々しいほどです。

この主人公は たまたまコンビニに自分の居場所を見つける事が出来ましたが、広く周囲に合わせる事が苦手で、狭い世界だけでしか生きていけない人は 多分 大勢います。
そういう人たちにとって、普通である事を押し付けようとする周囲の圧力は 迷惑以外の何物でもないのでしょう。
この主人公のように、自分が自分である事を認め、自分が生きることの出来る世界を見つける事が 最初の一歩なのでしょうけれど、それを見つけられる人は 幸せなのかもしれません。


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posted by aozora |21:01 | 本の話 | コメント(0) | トラックバック(0)

2017年03月23日

『落日燃ゆ』  城山三郎 

今朝起きたら窓の外は一面の銀世界。
今日は宮の沢で練習の予定でしたが、さすがに外では無理だったようですね。
まだしばらくは寒い日が続くようですから 怪我には十分気を付けて欲しいものです。

さて、

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43年前、昭和49年に発表された小説で、城山三郎の代表作のひとつです。
第二次世界大戦のA級戦犯として処刑された広田弘毅 (ひろた こうき、1878年2月14日-1948年12月23日) の生涯を、激動の昭和史と重ねながら、広田の性格同様に淡々と抑制した筆致で描いています。
なんで今頃この本? と言われそうですが、初めて読んだ時から強く心に残っている作品で、これまでにも何度か読み返しています。
今回は たまたま古本屋で目に留まって、自宅の本棚にある事は判っていたのですが、買ってしまいました。

第二次世界大戦のA級戦犯とは、極東国際軍事裁判所条例第5条に定義された3つの戦争犯罪、a.平和に対する罪、b.通例の戦争犯罪、c.人道に対する罪 のうち、項目a の 平和に対する罪で訴追された者をいい、項目b、項目c で訴追された者を それぞれB級戦犯、C級戦犯と呼びます。
A級戦犯として逮捕、訴追された者は 100名以上に及びますが、東條英機や近衛文麿のように 早々に自決(自殺)した者もおり、最終的に 東京裁判で絞首刑を宣告されたA級戦犯は7人でした。そのうち 6人は軍人でしたが、ただ1人、広田弘毅だけは文官で、外務官僚、総理大臣、外務大臣を経て、終戦時は重臣という立場にありました。

広田は、総理大臣として、外務大臣として、重臣として、それぞれの立場で戦争を防ぐために必死に和平への道を模索しますが、その度にその努力を水泡に帰すような邪魔が入って叶わず、結局、日中戦争、第二次世界大戦が勃発し、敗戦を迎えます。
しかし、広田は 「高位の官職にあった期間に起こった事件に対しては喜んで全責任を負うつもりである」 として潔く自分の責任を認め、東京裁判において一切の弁解をせず、それを黙って受け入れたそうです。

もちろん この作品は広田の立場にたってその生涯を描いた小説ですから、これが全て真実だとは思いません。実際、優柔不断で弱腰な人物と評する声もあるようですし、次世代の平和の為に話すべき事はきちんと話し、事実を明らかにする責任の取り方もあったのではないかとも思います。
しかし、自ら計らわず、常に広く情報を集めて次に備え、与えられた立場を静かに受け入れ、その責任をしっかり果たそうとした姿勢。その一方で、妻や家族を思い遣る深い愛情。この作品で描かれる広田の姿には 心を打たれます。 

第二次世界大戦を描いた本は 本当にたくさんありますが、その多くは将校や兵士、一般市民の視点から描かれたもので、政治家の視点から描いたものは少ないように感じます。その意味でも とても面白い作品だと思いました。
広田の同期として 吉田茂も登場しますが、対照的な性格の彼との対比も面白いです。

最近も右だ、左だ、教育勅語だ と喧しい(かまびすしい)訳ですが、様々なイデオロギーや利害関係、思惑を超越した中で 事実を明らかにするのは 難しいですね。
何事も関わった人の数だけ異なる視点と真実があり、目の前にある森友学園の問題さえ真相解明は難しいのですから、歴史上の問題となると不可能と言わざるを得ないのかもしれません。


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posted by aozora |20:45 | 本の話 | コメント(0) | トラックバック(0)

2017年03月21日

【映画】  アサシン クリード

この類の映画は 家内は観ないので、メンズデーに一人で観てきました。
3月3日公開で、予告編は面白かったと思うのですが、既に終了間近のようで、客席はガラガラでした。

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原題は “ASSASSIN’S CREED”、“暗殺者の信条” という意味で、同名のコンピュータゲームを原作として、新たなキャラクターとストーリーで映画化した作品だそうです。
「エデンの果実」 といわれる世界を変えうる力を持つ秘宝を守る 「アサシン教団」 と、それを奪って人類の支配を目指す 「テンプル騎士団」 が、何世紀にもわたって対立しているという構図で、主人公は アサシン教団の “伝説のアサシン” の血を引く者。彼はテンプル騎士団が開発した遺伝子操作装置 「アニムス」 により DNAに眠る祖先の記憶を呼び覚まされ、現在と過去を行き来しながら 伝説のアサシンの戦いを疑似体験していく中で 歴史に隠された謎を解明するのですが、それと同時に アサシンとして覚醒していくというストーリーです。
今作は作品の世界観や登場人物の紹介がメインという印象でしたから、これを第一作としてシリーズ化を目指すのでしょうね。


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posted by aozora |21:45 | 映画 | コメント(0) | トラックバック(0)

2017年03月05日

【映画】  LA LA LAND

試合は残念でした。
前半を0-0で終えたところまでは良かったのですが・・・・
来週のホームで まずは1勝! ですね。


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昨日の夕方、試合の前に 札幌駅の上で観て来ました。
3番スクリーンは 最前列まで人が入り、ほぼ満員でした。

大渋滞の高速道路でのダンスシーンから始まるオープニングは ハッピーなミュージカルを予感させましたが、いやいや、なかなか、どうして、一筋縄では行かないですね。

ラストの10分間で 完全にやられました。
深い余韻の残る 甘く 切ない 素晴らしい映画でした。 
 
歌があって、ダンスがあって、夢もあるミュージカルで、過去のミュージカル作品へのオマージュも散りばめられていますが、ミュージカル ミュージカルしていません。
ミュージカルが苦手な人にも 是非 見て欲しい作品です。

もっと書きたいけれど、これからご覧になる方も多いと思いますので、ここまでにします。
僕は 多分 もう一度観に行くと思います。

アカデミー賞では 作品賞を取れませんでしたが、監督賞、主演女優賞、主題歌賞など 6冠!
充分 納得です。


posted by aozora |08:32 | 映画 | コメント(2) | トラックバック(0)

2017年03月03日

『騎士団長殺し』  村上春樹 


第1部 顕れるイデア編 は 出張先の仙台空港で購入し、第2部 遷ろうメタファー編 は 札幌に帰ってから紀伊国屋書店で購入し、昨日 読み終えました。

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僕はハルキストではありませんが、昔から村上春樹が好きで、新作が出れば すぐに買って読んでいるので、この作品も 楽しく面白く読み終えました。
巷では この作品は ハルキ的世界の集大成、大いなるマンネリなどと言われているようですし、作中の 「風の音に耳を澄ませて」 というコミのセリフからは 原点回帰なのかとも思うし、どのように表現すれば適切なのか判りませんが、いつもと変わらない安定的な村上春樹の世界、大人向けのファンタジーです。

一方、いつもの定番アイテムが いつものように登場し、またか! と思ったのも 正直なところ。
村上春樹は、自分の中に 「物語のたまり」 があって、小説を書くときはそこから物語を拾いながら無意識のうちに書いているそうです。そこには 様々なストーリーやアイデア、ヒント、素材が たくさん集められているのでしょうね。
村上春樹に限らず、誰でも物を書く時は そうした素材を集めてから書き始めると思うのですが、その質や 量が 違うのでしょう。僕の 「物語のたまり」 が 我が家の物置だとすると、村上春樹のは amazon の物流センターといったところでしょうか。
そこに集まるものは どうしても自分の好みや趣味に合うものが多くなるでしょうから、そこから拾い集めると 同じような素材が多くなるのも仕方のないところ。この作品も、そういう事なのかもしれません。

また、主人公の 「私」 は画家なのですが、
「どれだけ長くキャンパスの前に立って、その真っ白なスペースを睨んでいても、そこに描かれるべきもののアイデアがひとかけらも湧いてこなかった。どこから始めればいいのか、きっかけというものが掴めないのだ。私は言葉を失った小説家のように、楽器をなくした演奏家のように、その飾りのない真四角なスタジオの中でただ途方に暮れることになった」 と語ります。
しかし、一度何かに触発され きっかけを掴めると
「それは私自身が描いたものでありながら、同時に私の論理や理解の範囲を超えたものになっていた。どうやって自分にそんなものが描けたのか、私にはもう思い出せなくなっていた。それは、じっと見ているうちに自分にひどく近いものになり、また自分からひどく遠いものになった。しかしそこに描かれているのは疑いの余地なく、正しい色と正しい形を持った」 作品が出来上がるのだといいます。
これは 作者自身の執筆の姿と重なるのでしょうか。

アーティストは誰でも これが自分の代表作になると信じて新作を発表する、過去の作品が代表作と言われ続けるのは心外だ と聞いたことがあります。
残念ながら、僕にとっての村上春樹の代表作は、今作を読み終えた今も 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」、或いは 「ねじまき鳥クロニクル」 です。


ところで、
村上春樹の作品に登場する音楽、車、酒、服などで 具体的な名前で書かれるものは、その殆どが 村上春樹の眼鏡にかなったハイセンスなものばかりなのですが、この作品の中で主人公がスーパーマーケットで選んだビールは 「サッポロ」 でした。
 


posted by aozora |22:45 | 本の話 | コメント(2) | トラックバック(0)