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2017年09月28日

【映画】 ダンケルク

 昨日のメンズデー、仕事帰りに 札幌駅の上で観てきました。
 1番スクリーンには 中年男性中心に10数名だけでした。

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 1940 (昭和15年)年の初夏、まだ第二次世界大戦は初期で、ドイツ軍が圧倒的に優勢だった頃の話です。
 前年にポーランドに侵攻して勝利したドイツ軍は、オランダ・ベルギー・ルクセンブルグをも破り、5月には北フランスに侵攻。英仏連合軍の兵士 約40万人を フランス北西部の港町ダンケルクへ追い詰めます。
 この映画は ドイツ軍に包囲され、絶体絶命の窮地に追いやられた兵士たちの救出作戦 (ダイナモ作戦) を描いたものです。

 イギリスは ダンケルクへ艦艇を派遣しますが、ドイツ軍の潜水艦や航空機の攻撃により沈められ、なかなか兵士を救出できません。
 そこで 民間のあらゆる小型船も徴用して救出しようという事になり、900隻ともいわれる大船団で、5月末から6月初めにかけての 10日ほどに 35万人を救出します。
 最初は フランス兵は見捨てて イギリス兵を優先して救出する予定でしたが、ドイツ軍の判断ミスもあり、結果的には多くのフランス兵も救出します。
 ダンケルクの戦いは大きな犠牲を伴う英仏軍の敗北でしたが、多くの国民の協力により多数の兵士を救出できたことで国中が歓喜に沸いたそうで、ダンケルクスピリットとして今も語り継がれているそうです。

 こうした事は 欧米ではある程度知られているのでしょうけれど、日本人には殆ど馴染みの無い戦いです。
 しかし、監督は余計な説明は一切せず、しかも、陸海空軍や民間人など多数の視点で、時系列を無視して展開する為、予備知識のないままに観ると 非常に判り難い映画となっています。
 例えば、同じ駆逐艦の撃沈シーンやその駆逐艦を守るための空中戦のシーンが角度を変えて何度も繰り返し出てくるのですが、そうした技法を理解できていないと何隻もの駆逐艦が撃沈、戦闘機が撃墜されたように勘違いし、混乱してしまいそうです。

 ストーリーはシンプルで、若きイギリス兵トミーが祖国に帰る為に必死に逃げ惑う姿を描いています。
 サブストーリーには ちょっと良いところがありますが、メインのストーリーに深みはなく、特に感動するようなものもありません。残念ながら、さほど面白いとは思えませんでした。
 IMAX や 4DX など迫力のある大画面で、緊迫感のある映像や音響により、主人公の行動を追体験する映画なのでしょう。僕は2D (字幕) で観たのですが、観ながらそう感じていました。


 駆逐艦を守るために敵戦闘機と戦って撃墜されたパイロットが、民間船に救助されてイギリス本土に戻った時、他の兵士たちから 「空軍は何をやっているんだ!」 と毒づかれ、民間船の船長は 「僕は君がよく戦ったことを知っている」 とパイロットに声をかけ労わるシーンが出てきます。
 実際の戦いでも、空軍は大きな犠牲を出して戦ったのに、霧に隠れて地上や海上からは見えなかったそうで、やはり批判を浴びたそうです。精一杯やっても報われない事はあるものですね。


 ダンケルクの戦いの後、フランス軍は崩壊状態となり、6月13日にパリが占領され、21日には降伏を申し出ています。
 その後は、フランスではレジスタンスの戦いが始まり、ヨーロッパ各地で悲惨な戦いが続きました。
 「カサブランカ」、「史上最大の作戦」、「大脱走」、「パリは燃えているか」、「プライベート・ライアン」など、第二次世界大戦当時のヨーロッパを題材とした映画は数多くありますが、こういう戦争映画を観るたびに 改めて戦争の悲惨さ、怖さを感じます。


posted by aozora |21:21 | 映画 | コメント(0) | トラックバック(0)

2017年09月20日

『チョコレートコスモス』 恩田 陸

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 『蜜蜂と遠雷』 が気に入った人にはお薦めと聞き、紀伊国屋書店の店頭にもPOP付きで平積みしてあったので、読みました。
 『蜜蜂と遠雷』 はピアノコンクールが舞台でしたが、こちらは演劇の世界を舞台にしています。

 主人公は2人。恵まれた環境でエリート街道を歩んできた新進気鋭の女優、東響子と、ずぶの素人にもかかわらず驚異的な才能を持って登場した若き女優、佐々木飛鳥。人間味溢れる響子に対して、“演劇ロボット”とも揶揄される飛鳥。この二人を中心にテンポ良く進むストーリーは小気味良いです。
 演劇の公演や練習、いくつかのオーディションでの役者や女優の真剣勝負が臨場感あふれる筆致で描かれており、実際に舞台を観ているような感覚で、ピンと張りつめた空気感、緊張感、緊迫感がビシビシと伝わって来て、グイグイと引き込まれます。

 ただ、「そろそろこの辺りで、佐々木飛鳥なる少女がいったいどんな人間なのか、彼女の側から語っておく必要があるだろう」 という一文から始まる章は不要でしょう。
小説の流れを乱していますし、わざわざこんな章を設けなくても、流れの中で説明していく方法はいくらでもあるだろうに・・・ と思います。
 しかも、わざわざ章を設けてまで説明した飛鳥に足りないもの、欠けているものに関しては、彼女の限界や脆さ、危うさとして指摘されるだけで、きちんと描かれていません。このままでは飛鳥が天才すぎて面白くありません。

 本来は 『ダンデライオン』、『チェリーブロッサム』 の三部作の予定だったのが、諸々の事情により 続編が書かれていないのだとか。
 確かに この作品はまだ序章という印象で、仮にあえて余韻を残す終わり方にしたのだとしても ラストは中途半端で 未完だと思います。この本で張り巡らした伏線をきちんと回収し、佐々木飛鳥が本当の壁にぶつかった時の挫折感と、そこから這い上がる姿が読みたいものです。


 ところで、“チョコレートコスモス”  という花は、茶褐色の色だけでなく 匂いもチョコレートに似ているのだそうです。一度、実物を手に取って、匂いを嗅いでみたいものです。


【追記】 
 お風呂に入りながら ふと思ったのですが、この 『チョコレートコスモス』 の続編が中途半端になってしまった (連載途中で雑誌が廃刊になってしまった) ので、舞台を変えて書きあげたのが 『蜜蜂と遠雷』 だったのかもしれませんね。


posted by aozora |22:22 | 本の話 | コメント(2) | トラックバック(0)

2017年09月12日

『書楼弔堂 破曉』  京極夏彦

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京極夏彦の代表作と言えば、昭和20年代の混乱期を舞台に 古本屋 「京極堂」 の主、中禅寺秋彦が 憑き物落としの拝み屋として活躍する 京極堂シリーズ、江戸時代末期を舞台に 小股潜りの又市や山岡百介らが活躍する 巷説百物語シリーズですが、この作品は、明治20年代の東京の外れにある古本屋 「書楼弔堂」 を舞台に、弔堂の主が活躍する新シリーズの第一作です。

京極堂シリーズは 一見妖怪の仕業に見えるような不思議な事件を論理的に解決し、巷説百物語シリーズは 人の心の綾を妖怪の仕業に仕立てて解決するというものでしたが、この弔堂シリーズに 妖怪は出て来ませんし、事件も起きません。

弔堂は言います。
読まれぬ本は死んでいる。本は墓で、題簽に記された書名は戒名のようなもの、ここ(古本屋) は本の墓場である。読まれぬ本を弔い、読んでくれる者の手許に届けて成仏させるが我が宿縁。
だから、陸灯台のような古本屋の屋号は 「書楼弔堂 (しょろうとむらいどう)」。

「世に無駄な本などございませんよ、本を無駄にする者がいるだけです。」
「人に読まれぬ本は紙屑ですが、読めば本は宝となる。」
「ただ一冊、大切な大切な本を見つけられれば、その方は仕合せでございます。」
「ですから、その大切な本に巡り合うまで、人は探し続けるのです。」
弔堂の主は雄弁ですが、これらに限らず、本好きの心にストンと落ちる言葉が並んでいます。

弔堂の主は、人生に悩み、道に迷って訪れる者たちと話をし、その人の為の一冊を選び、その一冊を選んだ理由を語り、解決の道を示します。
この一連の作業を この本では 「探書」 と呼称しているのですが、これは一種の憑き物落としですね。
誰にどんな本を選んだのか、その理由は、、、、、これがこの本の醍醐味です。


6つの短編からなる連作短編集です。
探書壱 臨終 では 晩年の月岡芳年(浮世絵師)を、
探書弐 発心 では 書生時代の泉鏡花、 
探書参 方便 では 井上圓了(仏教哲学者、東洋大学創始者)、
探書肆 贖罪 では ジョン万次郎と岡田以蔵、
探書伍 闕如 では 巌谷小波(児童文学者)、
探書陸 未完 では 中善寺輔、高遠彬の悩みや迷いを解決します。

壱から伍までは実在の人物がモデルですが、陸の高遠彬は この本の狂言回しで、中禅寺輔も 物語の中の人物です。
中禅寺輔は 武蔵清明社の宮司、陰陽師ですから、京極堂と無縁という事はないでしょう。巷説百物語から京極堂へと繋ぐシリーズなのかもしれません。

全体に静かに穏やかに物語が進むため、京極堂シリーズや巷説百物語シリーズのような勢いのあるワクワクするような展開はありませんが、面白いです。
2作目が楽しみです。


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posted by aozora |21:21 | 本の話 | コメント(0) | トラックバック(0)

2017年09月08日

『NO.6 #1~9、beyond 』 あさの あつこ

 先日、あさのあつこの 『ミヤマ物語』 を読んだ後で この 『№6』 の存在を知り、面白いかどうか判らないので、とりあえず #1を古本屋で買って読み始めたのですが、読みだしたら止まらない、ハマりました。#8までは古本屋で買いましたが、その後は探し歩くのももどかしく、#9と beyondは いつもの紀伊国屋書店で新刊を購入しました。
 児童文学と大人向けの小説の中間、ヤングアダルト向けのライトノベルといったところでしょうか。本編だけで9巻ありますが、1冊1冊は薄くてすぐに読めるので、マンガのコミックを読んでいるような感覚です。中村文則の 『掏摸』、『王国』 の次に読んだので、余計に軽く感じた部分はあるかもしれません。

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 この作品は 近未来を舞台とした SF&ファンタジー&サバイバル小説です。
  (近未来と言っても 設定は2017年なのですが・・・・。)

 舞台は都市国家 「№6」。
 世界は大きな戦争により破壊され荒れ果て、人間が生活できる限られた僅かな土地に建設されたのが都市国家 №1から №6なのですが、「№6」 はその中でも最後に建設され、全ての生活環境がきちんと管理され、理想的な聖都市と呼ばれます。しかし、実態は 高い外壁で守られた厳しい管理社会、格差社会で、情報統制が徹底され、息が詰まるような社会です。また、外壁の内と外では更に大きな 天国と地獄のような格差があり、外壁の外は日々の生活もままならないような状況です。

 主人公は 紫苑(しおん) とネズミという2人の少年です。
 紫苑の12歳の誕生日に、暴力的な台風の中で治安局に追われて傷ついたネズミと呼ばれる同い年の少年を助けるところから物語はスタートしますが、本格的にストーリーが展開するのは4年後、2人が再開するところからです。「№6」 から 「凶悪犯罪者」 と呼ばれる2人が、外壁の外で生活しながら 「№6」 の隠された裏側、欺瞞を暴き、崩壊させるまでが本編。 Beyondでは その後日譚が語られます。

 紫苑とネズミは 光と影。
 作者は当初、「№6」 に象徴される国家というものを描きたかったそうですが、すぐに2人の少年に魅せられ、2人とその仲間の活躍、戦いが主になったそうです。
 全く違う世界で生活してきた異質な2人が、お互いを知る中でお互いに惹かれ合い認め合う存在となっていき、力を合わせて 「№6」 に立ち向かいます。信頼、友情、勇気、愛、言葉に書いてしまえば陳腐ですが、純粋な少年の成長物語にはやはり心惹かれるものがあります。
 詳しいストーリーは書きませんが、単純に面白いです。
 SF小説を書いてもやはり、あさのあつこは あさのあつこでした。


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posted by aozora |23:23 | 本の話 | コメント(0) | トラックバック(0)

2017年09月08日

『掏摸(スリ)』 『王国』 中村文則

『教団X』 を読んだ後、もう少し 中村文則を読んでみたくなったので、代表作と言われる 『掏摸(スリ)』 を読んでみて、で、『掏摸』 が面白かったので、その兄妹作と言われる 『王国』 も読みました。

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 『掏摸』の主人公は、天才的なスリ師。
 『王国』の主人公は、組織により選ばれた社会的要人に 意図的にセックススキャンダルを作ることを仕事とする女性。
 この2つの小説の舞台は日本の裏社会で、その闇に君臨する正体不明の化物、最悪の悪党として登場するのが「木崎」という男。

 自分で選択したはずの人生が、実は誰かの思惑通りに選ばされていたとしたら・・・。
 しかも、それは「神」などではなく、ただの「悪党」だったとしたら・・・。
 別な道を選択したくても、その余地はない。それも運命なのか?

 木崎は他人の人生や命を、自分が描いたシナリオ通りに動かす事を喜びとする変態で、この2人の主人公を利用し、翻弄し、命までも弄ぼうとするのですが、そこで何とか一矢報いようと必死に足掻く2人の姿を描いたのがこの2つの小説です。

 罠、策略、陰謀、裏切り、理不尽、悪意、恐怖が渦巻く裏世界は 重く、暗く、深いです。
 そのような中で、圧倒的な悪に立ち向かう2人に 果たして生き延びるチャンスはあるのか。

 ストーリーや結末は書きませんが、物語の構成はよく練られており、スリルとスピード、緊迫感のある展開で、エンターテインメント性もあり、グイグイと読み手を引き込みます。
 バカのひとつ覚え、語彙不足で申し訳ありませんが、どちらも面白いです。

 この2作は兄妹編と言われ、舞台や独特の世界観はリンクしていますが、続編というほどではなく、お互いに独立した作品なので、どちらかだけを読んでも問題ありません。
 ただ、両方を読むのなら『掏摸』からをお薦めします。


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posted by aozora |07:10 | 本の話 | コメント(0) | トラックバック(0)

2017年09月08日

CVSの皆さん! 次はボウリングでリベンジです!

 先週日曜日に 宮の沢で開催された 「夏の交流会 = ミニ運動会&BBQ」 に参加された皆さん、お疲れさまでした
 残念ながら僕は都合で参加できなかったのですが、皆さんのフェイスブックやブログを拝見すると、天気にも恵まれ、とても楽しそうで、美味しそうで、羨ましかったですよ。

 という事で、次の企画は ボウリング大会 vol.2アウェイゲームを観戦しながらの宴会兼表彰式 です。
 春に実施したボウリング大会で実力を発揮できなかった皆さん、リベンジのチャンスです。
 ボウリングに参加しない方も、サンフレッチェ広島との試合をテレビ観戦で応援しながらの宴会ですので、一緒に盛り上がりましょう!

 日程は 9月30日(土)
 ボウリングは 13時から、ディノスボウル札幌中央店で、参加費 2000円。
 宴会は 15時半から、魚桜-咲-で、会費 3000円。
 試合は 16時キックオフです。
 申し込みは CVS事務局まで、締め切りは 9月28日(木)です。

 大勢の参加をお待ちしています!

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posted by aozora |07:07 | CVS | コメント(0) | トラックバック(0)

2017年09月02日

『太宰 治の辞書』  北村 薫

 『空飛ぶ馬』、『夜の蝉』、『秋の花』、『六の宮の姫君』、『朝霧』 に続く 円紫さんと私シリーズの6作目、17年ぶりの作品です。

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 『朝霧』 で完結したと思っていたのですが、作者は《私》のその後と、芥川や太宰の事を書きたかったのでしょうね。
 もしかすると、最初に書きたかったのは芥川や太宰の事で、彼らの事を書くのなら《私》に語らせるしかないと思ったのかもしれません。
 (後で調べたら、あるインタビューの中で作者自身がそのように語っているのを見ました。)

 『太宰治の辞書』 は、「花火」、「女学生」、「太宰治の辞書」の3篇から成ります。日常の中の謎を探るのではなく、『六の宮の姫君』 の時のように、芥川龍之介と太宰治の文学の謎を深く掘り下げています。
 「花火」は、文豪ピエール・ロチの 『日本印象記』 と 芥川龍之介 『舞踏会』 の関係。「女生徒」 は、太宰治の 『女生徒』 と、その基になった有明淑の日記を対比させながら、太宰の創作の謎を解き、その文学性を語ります。「太宰治の辞書」 は、以前の作品では探偵役だった円紫師匠から出された問題を 《私》が解決していくスタイルで書かれており、太宰治が愛用したという辞書をメインに据え、彼の語彙の源を探ります。
 このような謎解きは 本好きには堪りませんね。ここに登場してくる作品を全て読んで、その謎解きの後追いをしてみたくなります。

 大学を卒業して みさき書房に入社した《私》も 今や40代。太宰の頃には初老と言われた年代で、職場では中堅の編集者として活躍しています。私生活においても、結婚して、中学生の息子が 1人おり、一昨年に 埼玉の夫の実家の近くに家を建て、忙しいながらも 平穏な毎日を送っています。 
 《私》の日常生活については殆ど語られていません。夫に関しても殆ど記述がなく、『朝霧』 で登場したあの男性なのかどうかもノーヒントです。《私》が どんな男性と どんな恋愛をして結婚したのか、ちょっと気になりますが、想像するしかないようです。
 しかし、“水を飲むように” 本を読み、文学の事になると目が無く、些細な事に違和感や疑問を感じ、その違和感の謎を解いていく文学探偵ぶりは 大学生の頃の《私》と何も変わっていません。
 そのような姿からは 平凡ながらも幸せな生活を送っている様子が窺え、自分の娘の事のようにホッとしました。


posted by aozora |15:15 | 本の話 | コメント(1) | トラックバック(0)