2009年11月16日
『されど われらが日々-』 柴田 翔
昭和39年上半期の芥川賞作品で、全共闘世代のバイブルとも呼ばれたそうだ。 僕はその2世代くらい後で、巷ではしらけ世代と呼ばれる世代になるのだけど、まだ 学生運動の残滓があちこちに残っており、全共闘世代が持っていた熱に懐かしさや憧れを持つ奴も少なからずいた世代。 2年前に新装版で文庫が再発売された時に思わず手にとって買ってしまったのだけど、何となくそのままになっていて、先日 やっと読んだ。 実に30年ぶり。 (30年前の文庫本も 本棚にある) 1945年8月、太平洋戦争の敗戦により、日本人はそれまで信じてきたものを否定され、価値観の大幅な変更を余儀なくされた。 その10年後の1955年7月、第6回全国協議会(六全協)で日本共産党はその方針を大幅に変更し、全共闘世代は自らが信じるものを 再び失ってしまった。 六全協後の虚無感漂う全共闘世代を描いているため、学生運動関連の本と勘違いされるけど、実は恋愛小説であり、人生に悩む青春文学。 30年を経て改めて読み返してみると、若さゆえの苦悩、どうしようもない甘さ、非情なまでの冷たさ、独善、身勝手などと共に、デビュー作ゆえの作者の力み、文章や構成の拙さを感じるけど、30年前にはずいぶんと共感し、何度も読み返したものだった。 人生に対する真摯な態度など、青臭いと言われるかもしれないけれど 今読み返しても 共感できる部分は少なからずあって、この本が扱っているのは 普遍的なテーマなのだろうと思う。 ただ、登場人物がエリートばかりなので、それだけで共感できないという人も多いだろう とも思う。
posted by aozora |21:19 | 本の話 | コメント(0) | トラックバック(0)