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息子がサッカーを始めたのでサッカーを観るようになり、1997年のフロンターレ戦でコンサにはまりました。自分自身は全くの素人です。観戦はSB席。ホームゲームの半分はCVSやってます。

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『歓喜の歌は響くのか』  斎藤一九馬

2014年09月10日

先ほど 石狩南部に続き 石狩中部、北部にも 大雨警報が発令されました。
我が家からは離れていますが、遠くで 雷鳴が途切れません。
この2~3日は 北海道内でも 局地的な大雨で 各地に被害が出ています。
大きな被害が出ないか、明日の朝が心配です。


さて、「歓喜の歌は響くのか」
本屋さんの店頭で、平積みされた装丁を見てのジャケ買いでした。

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サブタイトルは ”永大産業サッカー部 創部3年目の天皇杯決勝”。
永大産業と聞いて 真っ先に思い浮かべるのは 昭和53年の倒産(会社更生法申請)で、
1800億円の負債を抱え、当時は戦後最大の倒産と言われて 大きく騒がれたものでした。
この本は、その永大産業のサッカー部の 創部から 廃部までのドキュメンタリー。
今から 約40年前、釜本邦成やセルジオ越後が現役で活躍していた頃の話しです。
僕は 中学生から高校生の頃で、ペレやベッケンバウアーのファンという同級生もいましたが、
サッカーは 本当にマイナースポーツでした。



永大産業サッカー部のユニフォームは 赤と黒の縦縞で、
コンサドーレサポーターなら シンパシーを感じるはず。
同じ赤黒の縦縞だった東芝とは パンツの色が違ったようです。

ワンマンオーナーから 「3年で一部リーグ入りだ」 と厳命されたのが 昭和44年。
山口工場にグラウンドを整備し、メンバーを集めて 正式に創部したのが 昭和47年1月。
その年に全国社会人サッカー選手権大会で優勝し、翌48年に JSL2部昇格、
更に 昭和49年に JSL1部へ昇格し、同年の天皇杯で 準優勝したものの、
会社の深刻な業績不振により 昭和52年3月で 廃部。
彗星のように現れて、わずか8年で 嵐のように去って行ったチームで、
企業の業績や論理に振り回された 企業チームの悲哀、光と影が描かれます。

今の時代では考えられないような 手段、裏技を駆使しての昇格には 苦笑いですが、
あの頃にも サッカーに人生を賭けた人たちがいたからこそ、今の日本サッカーがある訳で、
改めて 自分の街に応援するチームのある幸せ、有り難さを思います。


Jリーグが発足して以降も 
平成10年に 横浜フリューゲルスが 横浜マリノスとの合併により消滅するという事件がありました。
合併が発表された後は 9戦全勝で、天皇杯も優勝 という輝かしい思い出を残しての消滅。
リーグ戦最後の試合は 厚別で、我らがコンサドーレとの試合でしたが、泣きながら熱く応援するフリューゲルスサポーターの姿、チャント、サポソンが 今も忘れられません。
コンサドーレ札幌は そんな悲哀を 決して味わいたくはない訳で、改めて 今以上にサポートして行かなくてはいけないと感じます。
コンサドーレのスタジアムに 真の歓喜の歌が響くまで。
 

永大産業は再建に成功し、平成19年に東証二部へ再上場、平成23年には東証一部への再上場を果たしています。
サッカー部の復活は 有り得ないにしても、レノファ山口のスポンサーになってくれるくらいの可能性は無いものでしょうか。


雷鳴が 近付いて来ました。
が、心配していても どうしようもないので、そろそろ寝ます。



post by aozora

23:53

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