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去舟庵海人です。 コンサドーレとヨットを楽しんでいます。 読書もします。 落語も好きです。 コンサドーレがどのように進化をし、変わっていくか 熱い気持ちを前面に出して応援していく所存であります
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2006年02月22日
いよいよ発表されました。ドームの雪割り。
スコップもって地下鉄へ。
うーん、ちと恥ずかしい。でも、そうやって来る人たちもいる。
私は多分車で参加すると思います。
ここ2年は雪割りを手助けするような暖かい気候だったと思う。
今年もそうあってほしい。
この雪割りが春の恒例となってきたこともあるが、一番の願いは選手と共に戦う集団の先駆けの行動のような気がします。
私自身、この雪割りに参加することにより、戦闘モードになり、シーズンインの気持ちになりますから。
いつもスタンドから眺めるピッチを選手の目線と一緒の立場になると、その広さが際立ちます。
いつもフリーになっている選手を見つけろと言っているのが、いかに難しいかと思います。
でもやっぱり見つけろ(^^)v
そして、この雪割りが終わると宮の沢でのすいか隊があります。
ぜひとも、芝に触れてください。
2006年02月21日
今日、昨日とプラスの温度の日が見られるようになって来ました。
開幕へ、じわじわと天候も変わって来ました。
うーん、ドームの雪わりの告知はまだかいな。
このイベントというか、決起集会というべきか、開幕戦の露払いの行事と言ってよいでしょう。
これに参加してこそ「春の告知」の感覚が私にはあります。
皆さんもそうじゃありませなんか?
「春よ来い、早く来い」
2006年02月19日
かの地で選手諸君が練習試合で活躍しているらしい。
一部の神サポが実況してくれますが、なんとなくもどかしい。
いろいろな選手の組み合わせを試しつつ、試合運びや連携をこなしているらしい。
それなりに強さを見せているらしい。
JFLやJ1のチームに対しても強さを見せたり弱さをさらけ出したり。
うーん、水虫が痒い。じゃ無い、靴の上から書いている、いや掻いている。
早く選手の動きを見たい。試合を見たい。
昨年の今頃はこんな気持ちをもてなかった。むしろ不安で恐る恐る眺めていた。一昨年の終わりごろの成長を確かめかった気持ちだった。
今年はどれくらい強さが備わったのか、まだまだ弱さを克服する最中で、これから成長していく過程なのか、この眼で確かめたい。
2000年は確かにダントツの1位で駆け抜けたけど、でも強いというよりははらはらの試合運びでとりあえず負けなかったという感じでした。
エメ一人で戦闘していたような感じでしたから。
今はチームとして若いもんが束になって戦ってやるという感じになっているのでしょうか。
雪の中から春を探し出す今日この頃。早く春になれ。
さて、ロッソ熊本戦で征也が「すばらしいゴール」を決めたとか。
ボレーシュートでミドルを決めたとか、聞き及びました。
ん、どこかで見たことがあるような。
そうじゃ、札幌ドームで見たぞ。
Uなんとかワールドで日本代表として後半から出てきた征也がボレーのミドルシュートを叩き込んだぞ。
起死回生の同点シュート、絵に描いたようなシュート。
「素晴らしいーーーーシュート」だった。
2006年02月17日
今日帰宅途中に何気なくメーターを見ますと、と言うか渋滞の一番最後に並んだものですから、ふとメーターを見ました。
えぇーーーー「キリ番じゃぁーーーー」
「050000」
三年近くの履歴で五万キロ、何事もなく乗っています愛車です。
そうでもないか、一度追突されたな。
後はこすっているし、あちこち傷もあるなぁ。
でも大金の払う故障もないし、特にぐずることもないし・・・・
持ち主がズボラで洗車もしないし、メンテナンスもまめにしないし・・・
カミさんは十年持たすと宣言しているから、後七年かぁ。
となると、十五万キロはゆうに走ることになる。
無事に生涯を終えてほしいが、その前に乗り手にガタがきそうなんですけど。
2006年02月16日
なんとなくテレビ観戦をしようとすると、カーリングなんです。
肩が懲ります。力が入って。
思うようにいかないねぇ、ストーンが。
此処で思い切り話を飛ばします。
思うように行かないのがヨット。←無理筋ですなぁ。
風任せのスポーツなので、行きたい方に進まない。
風向きがしょっちゅう変わる。おまけに強くなったり、弱くなったり。
カーリングもコントロールしようとするが、思うようにストーンが・・・・
でも、それが面白いんですわ。
世の中、思うように行かないのが自然。
すべてが諸行無常です。絶頂期からまっさかさまへ。
ホリィ(自粛)、コイズ(自粛) いやいや、うまいことが続かない。
ヨットはうまくいかないのが当たり前と言う社会です。
ですから、なすがままに風に身を任す。
自然体で生きていきましょう。
勝つことも必然、負けることも必然。
どちらも真実、どちらも受け入れて生きていかねばなりません。
自然に立ち向かうことはうまくいくこともあります。
でも圧倒的に人間は弱いのです。
機械や道具で乗り越えていこうとするに過ぎないのです。
弱いことを自覚して、強さを蓄えていく。
これでいきましょう。
弱いから強くなれる。
2006年02月15日
なかなかオリンピック中継を見られないのですが、本質的にスポーツ好きな私です。
札幌オリンピックのことに終始しましたけど、私はぜひともオリンピックを地元でやってほしいと思っています。
しかしながら昨今の事情、金銭面の費用負担をどうするか、且つまたオリンピック終了後の後始末というか、ハード面をどう生かしきるかが問題でしょう。
札幌オリンピック終了後にリュージュとかボブスレーの競技人口がひろまらなかったことを見てきました。
設備の維持や更新がなかなか出来ないのも、そういう面もあるのではないかと思います。
メリットは地元の意識、すなわちボランティアが隅々までいきわたることだと思います。
このような大会は一般市民の参加がなければ絶対成功しないと断言できます。
札幌が大都市であることは疑いないところですが、一人一人の手伝いというか意識がなければ無理だと思います。
つまり費用は税金とか寄付とかになりますし、マンパワーはボランティアに頼らざるを得ないからです。
此処にいたって我がコンサの事情とリンクしていると思いませんか。
チームに金がないなら私たちが出す。人の力がいるなら、自分達の時間をやりくりする。
スポーツだけではないと思いますが、スポーツはわかりやすいコンテンツと言っていいと思います。
ただ、私は時間をあせってはいません。近々の事とは思っていません。
いつか出来たら良いなと思っています。
私自身はちょうど学生時代にオリンピックを体験できました、スタッフとして。ほんの偶然でしたのですが。
アルバイト募集の話があったので、それに乗っただけでした。
友人からの紹介でしたので、あまり考えもせずに決めただけでした。
今となってはとっても良い経験だったと思っています。
ですから、皆さんにも体験してほしいと思うからです。
ボランティアをなさった人たちはあの当時、いろいろな場所や地域であったと思います。
それぞれのところでいい思い出が出来たのではと想像します。
私の考えは身近にスポーツや文化があればとってもいいなと思う。
それには自分自身が参加をしなければだめだろうなと思っています。
何日もわたって書き連ねましたが、言いたかったことはこのことです。
やってみれば、やってみなはれ。
2006年02月14日
此処にいたってもトリノオリンピックを見逃している私です。
このブログを長く書いていれば、オリンピックをそりゃ見られないですm()m
でも、この年になると昔話はたくさんできるけど、新しい話は覚えられません。
なぜか記憶があやふななはずなのにです。
それでは、続きを・・・
報道の手伝いをさせてもらいますといろいろなハプニングに遭遇します。
開会式はカメラマンと一緒に向こう正面というか、聖火台に登る通路の脇に陣取っていました。
隣にはNHKのハンディテレビを持ったカメラマンがいました。
おいしい位置です。
私たちは貴賓席にいる人たち(VIP)を撮影しようとしていました。
そして、私に例のモータードライブ付きのカメラを与えられ、指示をされました。
何でも撮れと。で撮りました。放たれた鳩を。
まぁ、プロ仕様のカメラで撮れるものといったらこんなものです。
そして佳境に狙ったものは聖火の受け渡しです。
辻村さんから渡された瞬間をフォーカスするはずでした。
シャツターをカメラマンが押した瞬間、前にいた観客がみんな立ち上がってしまいました。
この時こそカメラに写された中身を知りたいと思ったことはありませんでした。
今現在だったらデジカメでしょうから、取れた写真はすぐ見られるでしょう。
すぐにその結果はわかるでしょうけど。
昔ですからカメラの中は神のみぞ知るという有様です。
結果は大成功。すばらしい写真となっていました。
あの当時に新聞を見た方ならお分かりだと思います。
一面トップの写真となりました。本当にうれしかったです。
撮ったカメラマンは時事通信社の池田さん。一世一代の写真と言って良いと思います。
プレスセンターに帰って現像された写真を見て、お互い小躍りした覚えがあります。
仏人のデスクも即決したぐらいです。この写真が全世界の新聞のトップに載ったのは言うまでもありません。
さすがに新聞までは収集できませんでしたけど。
当時の新聞を捜して眺めてください。聖火トーチを受け渡す二人の男女を。
ん、当時の写真は寄付しました。
多分大倉山のジャンプ台のそばにあるミュージアムにあるはずなんですが。
寄付者は私なんですが、著作権の関係で展示は無理なのかな。
まだまだある昔話と言うことで、また明日。
オリンピックが終わらないうちに収めないと・・・
2006年02月13日
世間様はトリノに向いているのに、このブログは34年前のことをぶつぶつと書き連ねている私です。
オリンピックは今でこそアマチュアだけではなく、プロも参加できるようになりました。
でも、34年前は一騒動ものでした。なんせプロというより宣伝することをしただけで追放でしたから。
この札幌もそのような騒動があり、選手が出場どころか本国に帰還を命じられたりしました。
今とは隔世の感がありますね。
宣伝というのはメーカー名の入ったスキー板を見せて写真をとるというようなことでした。ですからメーカー名も小さくプリントもしくは縫取りとしなければならなかったのです。
アマ資格がずいぶんとうるさい時代でした。
IOC会長さんはブランデージさんでしたが、プレスセンターまで足を運んで慰労しに来てくれました。
その時の写真もありますがすべて札幌市に寄付いたしました。
ちなみに新聞紙上に乗った写真は私たちアルバイトが伸ばしたものを乾燥させて各国に郵送もしくはFAXしました。
FAXといえば写真電送することですが、この札幌のときに本格的に実用化されて使用されました。
結構大きな機械というより、今の卓上型のコピー機なみの大きさでしたが、なんたって時間がかかることこの上ない(現在の機械に比べてですが)。
A4ぐらいの写真を一枚送るのに約一時間ぐらいかかっていましたから、大変でした。
でも時差を考えるとこれでも当時良かったのかもしれません。
もうひとつFAXはカラーじゃありません。白黒というより白黒じゃないと送信できませんでした。
センサーがもうひとつの時代ですから、白黒じゃないと識別できないのです。
ですからカラーの写真は郵送もしくは特急便(飛行機便)で、それ以外では新聞に速報として載せる場合はFAXという対応でした。
ついでにFAXの中身はを想像してください。地震の揺れを針でなぞるみたいに、ドラムに写真を巻きつけて針がその白黒の陰影をなぞるといった方式の機械でした。当時はこれが最新式の機械でした。
写真はカラーと白黒が共存していた時代でもありました。
そういえば、写真のフィルムが事務所に届けられた時にホント驚きました。
棺おけみたいな箱にすべてがフィルムが入っていました。
メーカーはコダック。あれだけの量はどうなるのかと思いましたけど、あっと言う間にさばけてしまいました。
確かにフィルムを使う量はプロのカメラマンです。一人で2、30本は一日で使っています。
この時に私はカメラのモータードライブなる代物にお眼にかかりました。この道具ならすぐになくなるわけです。
もうひとつモータードライブの使う理由があります。
撮影する対象は千分の一、万分の一を争うスポーツです。
機械仕掛けでなければいい写真は取れません。
これが最大の理由でしょう。
まだまだ、この話は続きます。
トリノオリンピックが終わってしまう。
2006年02月12日
トリノオリンピックのことを書こうとして、昔話ばっかりしている私です。
こうなったら、続きを書きます。それほど、強い印象を覚えた時間を過ごしましたから。
ですから、同じような経験をしてほしいなぁと思います。
あの頃は年齢に関係なくいろいろな人達がボランティアや仕事でよい経験したと思いますから。
コンサのCVSもこのような時間を過ごしていると思います。
それでは昔話をさせてください。
札幌オリンピックといえば「ジャネット・リン」ですよね。
ええ、私たちも取材に行きました。
今で言えば独占取材です。アポといっても選手村に行って本人を呼び出し、インタビューしたのですが、こんなに簡単なもので出来ました。
それもこの日は前の日から大雪で、バイアスロンの取材というか、競技が延期になりまして、身体が空いたから穴埋めに記事をものにしましょうという、実に安易な日程の行動でした。
おまけといっては何ですが、選手村の前で出待ちをしていたら、建物から出てきた人が三笠宮殿下で、こちらがびっくりしました。
お付の人もいなく、というよりご本人が先に出てきて、後から皆さんが出てきました。
おかげさまで一言二言お話が出来ました。たわいないことで、どうせならいっぱい話しをすれば良かったと後から気が付きましたけど。
この時は「ジャネット・リン」の取材に気が向いていましたから。
そういえば、私たちはこの期間「EPU」という腕章をつけて行動していました。
正式名称は「European Photogrpher,s Union」←スペル合ってる?
そうなんです、腕章ひとつで競技場やその他もろもろの場所に入れたんです。
今では考えられません。
まぁ、この腕章のおかげで外人さんにいっぱい話しかけられました。
もちろんブロークンイングリッシュですべて対応しました。
通じたのかわかりません。言葉より態度で押し通すしかないんですけど。
そういえば、昨日のタクシーの話ですが今でもあると思いますが「東交ハイヤー」という会社が使われていました。
このタクシーの運転手さんも応対するために英語を勉強したと言っていましたけど、役にたったのでしょうか・・・
ただ、カメラマンや記者を乗せてあちこちに行くため、得がたい経験をしたとは言ってしました。
またまた長くなりました。第三弾を明日にいってみようかと。
本当は結論というか、言いたいことがあるのですが。前置きり話でこんなに引っ張っています。
ご迷惑ついでに読み飛ばしてください。
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