2008年11月09日
「死んでいる」ダンマクにチームの歴史を感じたり。
昨日の浦和戦 いつも通り声を出して応援しました。 チームに変革を求めるために今なにかアクションを起こさないといけないというUSの考えには 理解するところはあるのですが いかんせん、今回の方法論、そしてどのように応援自粛の状況から日常のゴール裏へ戻していくのか、 なにをもってヴィジョンを示されたか、そしてそのヴィジョンが納得のいくものだとどのように判断するのか、 見えないことが多すぎて 応援自粛という行動には賛同できませんでした。 なんとなくまわりの雰囲気で「応援する」「応援しない」のほうにつくってのも それはそれで覚悟をもって行動にうつしたUSに失礼だと思うし (「する」「しない」の判断以上に、「このクラブのあるべき姿を真剣に考える」ことが重要なはずですから) 自分の考えの上で応援させてもらいました。 まぁ、応援したという行動の結果も、今の気持ちは「満たされなかった」の一言で 仮に応援しなかったとしてもそれは同じだったと思います。 試合に負けたということだけでなく。 始めに収束前提での話もなんですが、 応援しないことがUSにとって本来望むべきことではないことは確かでしょうから USが応援自粛という行動をどのような形で収束させるのか、これは大事だと思ってます。 (納得がいかないなら来年以降もずっと応援自粛し続けるのなら別ですが) 札幌のゴール裏に「応援する」USはやはり必要。 USの今後の動きに注目しています。 もちろん、それ以上にHFCの動きにも。 試合後の浦和ゴール裏から出された「(札幌)おまえはすでに死んでいるbyエメルソン」のダンマク いろいろ調べると、いろんな経緯があるんですね。 ここに詳細があるのですが 経緯を見てると あの弾幕は単なる煽りではなく、浦和サポの札幌に対する(いびつすぎる形の)愛情表現だと勝手に解釈させていただきました。 (J2札幌コール含めて) こういうのも含めて、コンサドーレっていうチームの13年の歴史であり、 6年札幌サポやっててもまだまだ若造だなと、そう感じたのでした。
posted by わたらせばし |10:59 | コメント(6) | トラックバック(0)