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初観戦は2000.4.23、函館千代台の山形戦(札0-2山)。このときは知人に連れられて観たので、コンサドーレって監督が岡田武史なんだ、というレベルでした。 負け試合でなぜ“魅せられた”のかはよく判りませんが、10月の昇格決定試合@平塚、J2優勝決定試合@厚別大宮戦、ホーム最終戦@厚別甲府戦も観ています。ひとえに、お付き合いいただいた方々が初心者の私を暖かく迎えてくれたからで、この場を借りて御礼申し上げます。 今年、6年ぶりのJ1。チームの目標はGMによれば実質は「石にかじりついても残留」とか。J1復帰といっても昇格初年はチャレンジャーです。何も恐れず胸をはり戦え-赤黒の勇士。

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【08J1#01】ほろ苦いJ1開幕

2008年03月08日

2008.03.08 16:00@県立カシマサッカースタジアム
鹿島アントラーズ4-0コンサドーレ札幌 (0-0/4-0)
'50新井場(鹿) '64新井場(鹿) '70マルキーニョス(鹿) '89佐々木(鹿)

待ちに待った2008シーズン開幕。初戦のカシマは2002年、降格が決まったスタジアム。あの時ボクはここにいなかった。つまり今年がはじめてのカシマスタジアムとなる。

カシマスタジアム
                        =横縞大応援団= 鹿島アントラーズは前週のゼロックス・スーパーカップ広島戦で、岩政と大岩の2人のDFが退場し、この日は出場停止。代わりに出てくるのが、伊野波と中後なのだから、札幌からすればうらやましい選手層ではある。 結論から言えば、2度もPKのチャンスをものに出来なかった相手に負けるのは悔しい。ただ、前半は曽田がいない状況で守備陣は機能していたし、後半途中からFWとして入ったクライトンはキープ力で他のコンサドーレの選手を超える能力を示した。 少なくとも、2002年の開幕戦、広島ビックアーチで味わったほどの絶望感は感じなかった。 まぁ、J2優勝とはいっても、強化費最低クラスのチームで昨季優勝チームと勝負するのは、容易いことではないということだろう(勝てる可能性がゼロとは思っていない)。



チケット貧乏

2008年02月27日

なんだかんだで、J開幕まであと10日ほど。

J2時代は前日でも買えたチケットはJ1ともなるとそうも行かない。とりあえず先週あたりから売り出しが始まって、手元に実券が集まってきました。

・3/08 鹿島アントラーズvsコンサドーレ札幌
・3/09 川崎フロンターレvs東京ヴェルディ
・3/16 京都サンガFCvs大宮アルディージャ
・3/30 柏レイソルvsコンサドーレ札幌
・4/29 浦和レッズvsコンサドーレ札幌

Jチケット
関係ない試合が2つほど混じってますが気にしない気にしない。 それより、ナビスコの柏戦を買い忘れた・・・。ローソンしか売ってなくて面倒だよなぁ→生活圏にローソンがなくて、会社から帰るときに一つ手前の駅で降りて、片道3分ほど歩いて往復する必要アリ。



J2だと一週間ごとに買っとけば良かったのだが、ほぼ1か月分を一気に買うとなんだか大枚が消えた感じがしてしまうねぇ。最終的には同じ金額なんですが。
あと無くさないかとか、当日忘れないかとか、ちょっと不安だ・・・

あ、これも買ったのですが、知人に頼んだのでまだ手元に来てない(カネも払ってないし)。
・3/23 コンサドーレ札幌vs川崎フロンターレ


才能=素質+努力

2008年02月14日

シーズンオフとはいえ色んな話題がサッカー界にあるわけで、契約7日で帰った外国人とか、酔っ払ってクルマの屋根に飛び乗った選手とか(某新聞社のサッカーCMを思い出した)、まぁ触れません。

たまたま仕事中にヨーロッパ諸国のデータが載った資料を目にしまして、気になる数字がありました。
オランダ1600万人、ベルギー1000万人、英国6000万人。

何かといえば人口です。これらの国は、サッカー界で言えば日本よりは実力が上の国ばかりです(英国に至っては3分割-ウェールズが日本より強いかはよく判らん)。かたや日本は人口1億超えています。まぁ単純に人口でスポーツ界を計れば、お隣の国があらゆるスポーツで1番を席巻することになりますが、そこには身体的特徴とかもあるでしょうから、そうはならない。

いま日本人のプロサッカー選手ってざっと1200人くらいでしょうか。彼らが日本のトップレベルにいるわけです。そこに辿りつくには努力も必要ですが、もって生まれた素質も大きく影響すると思います。

子供にミットを持たせるかボールを蹴らせるかというと、多分前者の親が圧倒的ではないだろうか。仮にすごいサッカーセンスを持った子供がいるとしても、周囲にサッカーを勧める大人が誰もなく、そういうチームもなく、野球をやってみたものの開花せず、最終的に会社勤めになって生まれてきた子供にやっぱりミットを持たせる・・・素質が無駄になっていることには誰も気付かないまま。これは大きな損失だと思います。子供の頃は努力で才能が一番伸びる時期だけに殊更。

日本のプロサッカー選手で静岡県出身者が多いのも、ある意味では子供の頃の周囲の環境に左右される証拠みたいなものでしょうか。サッカー界の将来のためにも素質を見出すことは重要だと感じました。人口3900万人のアルゼンチンがマラドーナを輩出し、メッシがいま出てきています。モネールも出てきたけど。


2008年日本代表を○○へ

2008年01月29日

8月20日に岡田ジャパンが札幌で親善試合をやるらしい(いや曽田が観るだろうから、ネ申前試合か?)。その関係で涼しい北海道でキャンプを張る計画もあるとか。
http://www.nikkansports.com/soccer/japan/p-sc-tp2-20080121-309848.html

岡田と日本代表のキャンプといえば忘れられない試合がある。2001年5月19日のヤマハスタジアムでのジュビロ磐田戦。和波が先制弾を決めて、岡田(当時コンサドーレの監督)が1-0で逃げ切りに掛かった89分にロングボールに高原が首を延ばし(競馬の世界で喩えるなら「クビ」差で名塚が競り負け)、同点にされてしまい、延長戦でVゴール負けした試合だ。コンサドーレには静岡県では一度も勝ったことがないという不名誉な記録があるのだが、あの瞬間がもっとも「勝利」に近づいたことは間違いない。
確か2001年1stステージは磐田が制し、5月19日がターニングポイントだったと言わしめた試合である。

あの日のヤマハスタジアムには「2002年日本代表を磐田へ」というキャンプ誘致の横断幕が出ていた。試合前、くしくも高原と同じ“ヤス”の字を名に持つ人物が、その横断幕を見て内輪で今も時々ウケる名言「2002年××を磐田へ」を吐いたのだが、あの時東京から知人が乗って来た新幹線のグリーン個室はもうない。


コンサドーレは2002年を最後にJ1から降格し、今年ようやく復帰した。くしくも高原直泰は2002年を最後に欧州へ移籍し、今年からJ1に復帰する。名言の「××」は未だに磐田には誘致されていない(東静岡はあったな)。
翌2002年のヤマハスタジアムでの試合は・・・ハンドボールの試合だったように記憶している。


コンサドーレ札幌関東?

2008年01月25日

Jリーグ日程が発表になりました。
コンサドーレの関東での試合がこれだけあります。

・03/08土【Jリーグ1節】鹿島vs札幌@カシマ 16:00
・03/20祝【ナビスコ1節】柏vs札幌@柏の葉 16:00
・03/30日【Jリーグ3節】柏vs札幌@日立台 16:00
・04/05土【Jリーグ5節】FC東京vs札幌@味スタ 14:00
・04/16水【ナビスコ3節】千葉vs札幌@フクアリ 19:00
・04/29祝【Jリーグ9節】浦和vs札幌@埼スタ 16:00
・05/10土【Jリーグ12節】大宮vs札幌@NACK5 16:00
・05/31土【ナビスコ5節】川崎Fvs札幌@等々力 15:00
・07/13日【Jリーグ16節】千葉vs札幌@フクアリ 19:00
・08/23土【Jリーグ23節】横浜FMvs札幌@ニッパ球(三ツ沢) 未定※
・10/26日【Jリーグ30節】川崎Fvs札幌@等々力 未定
・11/22土【Jリーグ32節】東京Vvs札幌@味スタ 未定
※日程変更の可能性アリ。


今シーズンは、リーグ戦34試合、ナビスコ6試合の計40試合。その半分が札幌の主催になりますが、このうち室蘭と函館が一試合ずつありますので、札幌圏(札幌ドームと厚別)が18試合あります。
一方、上記関東各地のアウェーゲームは12試合あったりします。つまりは札幌で3試合やったら、関東で2試合という比率。いやはやまったく。
どっかのチームみたいに改称できますね、「コンサドーレ札幌関東」。

関東の試合はなるべく行くことになります。唯一の平日がフクアリ(蘇我)というのは、出来すぎです。しかし近すぎて「行くぞ!」という気にならないのも困ったもので。長い間、山形とか鳴門とか愛媛とか笠松とか、時刻表片手に計画練らないと行けなかったところばかりでしたからねぇ(苦笑)。

あと、個人的に未勝利である静岡県の試合が9月までないのもびっくりです。


融資と減増資とマスコミ

2008年01月23日

このブログの2008年最初の記事がマイナスな話題と言うのもウチらしいといえばウチらしいですが。

最初に断っておきますが、私はサッカーも経営も政治もマスコミも素人です。
ただ、マスコミ勤務やHFCに近い知人や、旅先でよく会う道職員もいます。で、仕事は現在経理です。ですが、以下は具体的資料にあたって書いているではないので、以下のエントリーには色んな間違いがあると思いますが、大まかに捉えていただきたく、枝葉末節が違うというご批判はどうかご勘弁ください。


某全国紙で報じられたコンサドーレの融資問題ですが、報じている内容は概ね事実だと思います。HFCの社長と専務が地元紙の云々は、ちょっとばかり本心が出てきて勇み足だと思います。あの一文がなければ「良いまとめ記事」と見受けられます。決して「特ダネ」ではないですが。

まぁ報じている新聞社が、プロスポーツ界(特に野球)においていかに多大なマイナス影響を与えているか、などということは議論のすり替えでしかないのでこの際脇へどけましょう(書いちゃったけど)。

道と市から融資を受けている10億円について、利子だけ払って原本をまったく返していないことが極悪のような書き方をされていますが、このこと自体はそんなに悪いことではありません。私の勤めている会社も、銀行から融資を受けていますが、もちろん返済期限があります。ただその期限に全額返しているかというとそうでもありません。

例えば10億円を年利1.1%で1年間、3/31まで借りている場合、3/31に一旦全額返して、即日10億円の融資を1年間受けることになります。つまり帳簿上は3/31に10億1,100万円を会社の口座から銀行へ支払、銀行から逆に10億円が振り込まれます。しかしながら実際には預金残高は1,100万円しか減っていません。つまり借り入れ利息だけ支払った形です。
もっとも相手が銀行ですから無担保というわけでもないですし、当座の取引上も上記のプラス・マイナスが記載されますからカタチの上では、融資終了+新規融資ということになります。
不良債権が問題化したときに、銀行がいわゆる「貸し剥し」と呼ばれる手段で多くの中小企業を倒産させたのは、このスパイラルを融資終了で終わらせ、新規融資をしない、とした方法を多用しました。バブル期に銀行が無理やり貸し付けた融資が担保価値低下で不良化したことから、貸し剥したので、銀行の責任はどうなるという意見もありました。


10億の融資を返済期限に一旦返金して利子だけ払って借り直すことは自転車操業にも見えますが、必ずしもそうとは限りません。会社を運営していくと入金と支払がありますが、このタームは必ずしも一致しません。その間に必要となるのが運転資金と呼ばれるお金です。融資額≒運転資金の場合は、自転車操業に近い状態ですが、融資額<運転資金となっているのであれば、融資の金利にもよりますが自転車操業とはいえません。
無借金経営というのは聞こえはいいですが、裏返せば銀行からお金を借りる(担保を含めた)信用がウチにはありません、という可能性もあります。なので、普通の企業の場合は、ある程度の融資を受けつつ会社を運営しています。

今回のケースで問題となるのは、HFCに返済金額をそろえることができないということです。現状では融資額>運転資金という状態になっています。HFCと北海道もしくは札幌市との契約がどうなっていたかはよくわかりません。ただ2003年から道の融資の期間は5年となっていたようですから、少なくとも2004年以降、利払いだけだったと非難される筋合いはないと思われます。融資契約に返済方法として、「毎年1億ずつ返済」となっていれば別ですが、大新聞の記事を読む限りはそういう条項もないようです。

今回の記事の中で、融資について問題となるのは「期限が来たのに返せない」「無担保融資」「優遇された低金利」ぐらいかと思います。「返せない」というのはHFCの経営陣が負うべき責任(=貸主への説明義務、元が税金だけに、究極的には道民市民への説明)ですが、「無担保」と「低金利」は融資契約をした双方に責任(それもどちらかといえば貸主の責任が重い=借主が条件をよくしようとするのは自明の理)があるわけで、一方的にHFCが悪であるという記事の論調は書き手の記者の理解不足(取材不足)、および新聞社としての見識を疑わざるを得ません。

また、こういう記事を書く場合は、当事者であるHFC社長にコメントを求めるのが通常ですが、「コンサドーレは道民の財産で、つぶしてしまえば大きなマイナス。チーム存続がまず第一」という今回の記事に対してか定かではないコメントが書かれています。現社長は新聞社出身ですし、現役記者だったころはかなりのやり手だったそうなので、あるいは意図的にコメントを取るのを避けたのかという疑いも抱いています。

正直なところ、HFCという会社はかつてからマスコミ対策というか広報というものに対する展開が下手で、結果的にマイナスになっている部分があると思います。近年、ここのブログなど場合によっては他のサッカー運営母体企業より進んでいる部分もありますが、これとて外部から持ち込まれたものであり、HFCから出てきた話ではありません。
金がないのは判りますが、広報というものは金がなくても出来ることは沢山あります。プレスリリースなんてタダで出来る宣伝という見方も出来ます。そういうものはどんどん活用していくことが、いざという時に大きな資産になる可能性があることにもっと注目して欲しいと思います。せっかくマスコミ出身のトップがいるのですから。


PlayじゃないBack2007

2007年12月13日

先日、試合で振り返る2007年はやりましたので、試合ではない外側(アウトサイド)で振り返る2007年です。

時計の針を一年戻すと、「新潟にも勝っちゃたよ。次は甲府?、そりゃロスタイム3失点の借りを返すぞ!」になりますので、11ヶ月ほどにしておきます。


2007年体制を迎えた段階で、3年間続いたヤンツー監督から、みうみう体制へと移行します。この新監督就任が公になった段階で、「おいおい三浦って4バックだよな。大丈夫か?」という反応がサポーターから出ました。やはりあの2002年はトラウマとして残っており、我々は「コンサ=4バックはダメ」という思い込みが出来上がるくらい、2002年はショックが大きかったということでしょう。

加えて、新戦力となる外国人のうち、同じJ2のセレッソ大阪からブルーノ・クワドロスを獲得しました。セレッソは徳重をおなじJ2の京都へ放出(“はなてん”ではない、中古だけど)、「セレッソ狂ったか」と他チームにまで心配されていましたが、結果は皆さんの承知のとおり。
問題は、ブラジルから呼び寄せた“ダヴィ”“カウエ”という2人で、“ダヴィ”はブラジル人らしからぬ変顔。もっともロナウジーニョも変顔ですが、ダヴィは丸いし、立体的だし、サッカーボールに顔書きましたって感じで、オイオイでした。カウエは顔はまともなものの、名前がどーも“COWCOW”という大阪で中途半端に売れて、東京進出したら沈みっぱなし、という吉本芸人を連想していけません。ま、とにかく、4バックの出来るブルーノを頂きました。大阪はん、おーきに。

で、迎えた開幕戦は京都に惨敗。2002年よりはマシだな、とりあえず。って感じの不安なスタート。ところがその後は勝ちが先行し、4月の東京ヴェルディ戦は3点とって3点取られて1点とって勝つ、というなんだかよく判らない、つまりはコンサの試合では見たことがない試合をやってのけます。
この頃、注目は昇格候補とめされたものの絶不調に陥っていた東京の某J2チームの監督でした。5月の国立での最下位水戸戦ではなぜか他サポが水戸側に多数集結し、水戸が勝っちゃいます(札幌は草津にひっそり負けます)。
で、辞める辞めない、切る切らないで大騒ぎの間に大阪の監督があっさり交代し、首の皮一枚で東京の方は繋がります。クチの悪いサポは「監督切ったらチーム強くなる」とか言っていましたが、「首切ったってどうせコーチ昇格だろ。コーチはあの人だから(以下自粛)」と言っていたのは我々も心のゆとりがあった証左です。

夏に向けて貯金貯金といっていたら、あっさり夏を乗り越え、「行くんじゃね?これ行くんじゃね?」と思っていたら9月に大ブレーキ。もともと選手層も薄いですし、勝てなくなったときに思い切って入れ替えることがし難いのですが、それより三浦サッカーというのは9月の勝率が低い、というかほとんど期待できない。某誌に載った3番と4番の対談でもありましたが、実は8月より7月9月の方がキツイらしく、これは来季以降覚えておきましょう。

おまけに9月にはメインスポンサーの不祥事まで発覚し、サポ一同、天を仰いだことです。とは言うものの、地元はいざ知らず、本州では大阪の某料亭さんの方がいろいろネタを小出しにしてくれたこともあって、「白い恋人が買えない」なんてニュースは全然ありません。大阪はん、毎度。

幸い、メインスポンサーがどっかに買収されることもなく(同じ洋菓子メーカーでありましたからね)、胸に入った商品名も「日本を撤退した外資系通信企業の名前を秋まで付けつづける」というお間抜けなチームの二の舞にはならずに、最終戦で東京のチームを大阪のチームが引き分けに持ち込み、J2ながら「サッカーで優勝したよ」でシーズンを終えました。やっぱり、大阪はん、毎度。


というわけで、来年対戦するもうひとつの大阪はん、よろしゅう頼んまっせ!


展望2008

2007年12月10日

J1の16位とJ2の3位が対戦するJ1J2入替戦がホーム&アウェーで行われ、J2の京都サンガFCが昇格、J1のサンフレッチェ広島が降格することになりました。これで、来季のJ1J2のチームの顔ぶれが確定しました。

コンサドーレ札幌は2001-2002年シーズン以来のJ1となりますが、前回とは少々環境が異なります。
・16チームから18チームに増加
・前期後期2シーズン制から年間1シーズン制に
・年間成績下位2チームのみ自動降格から下位2チーム自動降格+16位入替戦
・Vゴール方式の延長戦が廃止、90分勝負
主な点はこのくらいでしょうか。とりあえずコンサドーレの来季の目標は残留(「優勝」ではない)であり、中期的にはJ1定着だと思います。

Jリーグ1部が上記のようになった2005年以降の年間成績を眺めると個人的に一つの傾向が見られます。18チームのうち、優勝争いに絡むのが4-6チーム、中位に落ち着くのが6-8チーム、終盤まで降格争いに関わるのが4-6チームと3つの集団に分かれることです。概ね各チームの顔ぶれはほぼ同じで年によって1-2チームの入替があります。

浦和レッズやガンバ大阪は毎年上位に入ってきますし、FC東京、横浜マリノス、名古屋グランパスエイトといったところは優勝にも降格にも関わらない位置に早々と付いてしまいます。一方、毎年のようにボーダーライン上で秋に一喜一憂しているチームも同じような顔ぶれがあります。
もとより年によって入れ替わりもあり、一概には言えませんが結果から見ればそうなります。コンサドーレとしてはとにかくまずは中位に安定できる戦力を整えるのがこのオフの目標です。

かつて同じJ2で対戦し、昇格したアルビレックス新潟あたりが当面の目標になるでしょう。ただし毎年の戦力の入替(若返り)は必要で、そこが上手くいかないと降格争いを演じることになってしまいます。

「面白いサッカー」からほど遠いものになるかもしれません。しかし実績を積まないことにはいい選手は獲得できませんし、運営費も増えません。上を見ればキリがないですが、現実を見ながら少しずつ上積みしていけば、「面白くて強いサッカー」が出来るときが来ることを信じて、来年は頑張りましょう。


もう失敗はゴメンです。


Playback 2007

2007年12月06日

2007.03.03 三浦俊也の札幌初戦は実に評価に困る試合でした。
2007.03.21 開幕戦後の3連勝はまぐれではないことを確認。
2007.03.31 室蘭でブルーノ・クアドロスが来たことに感謝。
2007.04.08 J2の戦いは、相手とともに主審との戦いでもあった。
2007.04.12 西が丘で滝修行。
2007.04.15 笠松で古き良きJ2のぬるま湯につかる。
2007.04.23 東京ヴェルディとの激闘を制して首位にたつ。
2007.05.03 敷島で草津の術中にはまる。
2007.06.10 鳥栖でJ加入500ゴールを勝利で祝い、
2007.06.24 アウェーなのにホームと同じくらいの人が飛田給に来た。
2007.08.05 8月になってようやく草津の呪いを解き、
2007.08.16 協会による酷暑試験にも耐えた。
2007.09.02 “まる”に“かつ”なのに引き分け。
2007.10.07 GKのGKによるGKのためのPK。
2007.10.27 昇格を確信した四国の夜。
2007.11.18 なのにココ一番では焦らされて、
2007.12.01 最後に決まった二度目のJ2卒業。

今季の観戦成績、9勝4分4敗。いい一年でした。

J2CHAMPION



【第52節】たった一つのこと約束したんだ

2007年12月03日

11月11日の鳥栖戦からコンサドーレに昇格確定のチャンスが生まれ、勝てば決まる京都戦をゲーム終盤PKで引き分けに持ち込まれ、お休みで他力だった51節は、これまた京都が終了直前に勝ちを手にしてお預けになりました。
結果的に、最終節を迎える段階で、1~3位が未確定。コンサドーレは東京ヴェルディ1969に得失点差で1位を明け渡しました。

さて、上記を北緯64度アイスランドの首都レイキャビクで知ったのですが、水曜日にレイキャビクをあとに、ニューヨークで1泊。そこから成田経由で試合前日に北の大地へ入りました。

で、試合開始直前、横断幕がゴール裏に用意されたのを見て、「なんだよ人文字ないのかよ」と叫んだのですが、ビックフラッグの下から文字が下半分出てきたときには、すいません泣いてました。

オンリーワン
試合は序盤、札幌は動きが堅く、水戸に攻め込まれ続ける状態。前半11分、コーナーキックから塩沢に頭で合わされ、失点します。このヘッドは体勢を崩しながら何とか合わせたもので、高木がまったく触れないところへ飛んでおり、コンサドーレとしては不運でした。 ところがこの不運がコンサドーレに風を呼びます。前線からゴールキーパーまで目が覚めたかのように躍動し、攻めに転じます。水戸の攻撃は散発的になり、コンサドーレが何度もゴール前まで攻めあがります。前半終了間際、愛媛戦で開花した秘密兵器・西がゴール右からヘッドで中央へ送り、それを砂川が胸でトラップ、そのボールを“めんこいダビぃ”が回転しながらゴール上のネットに突き刺すシュートで同点。 コンサドーレは引き分けでも昇格が決まるのですが、後半も引いて守るなんてことはなく、後半15分、運動量の落ちた砂川に代えて岡本を投入します。未だ若い岡本は、守備にやや難がありますから、これは明らかに攻めの交代。その10分後、西嶋が接触プレーでもないところで足を押さえて倒れこみ、池内と交代。愛媛戦でも大塚が同じように負傷しましたが、もう選手も満身創痍です。 そんななか、勝ち越しはこれまた若手の岡本が起点になります。相手DFとGKの間に「ほれ、走れー」とばかりに浮き球を送ります。これに馬脚を現した(文字通りに)めんこいダビぃが追いつき、背負っていたDFを振り落として、これまたゴール上部のネットに突き刺します。なんであんな難しいコースにシュート打てるヒトがPK外すのかはよく解りません(あ、ウマいからか)。 そのまま、いつもの堅い守りで昇格決定。数分後、多分数十秒間だけでしたが、電光掲示板に“CHAMPION”というサインが表示されました。現場では「やったー優勝だぁ」と叫んだのですが、そのあとに表示された東京Vの試合結果と表示する順序を間違えたのかも知れません。いずれにせよまた泣きました。そのあとのことはよく覚えていません。



とにかく、これで春先の約束がようやく果たされました。たった一つの約束を反故にされつづけた5年間は長かった・・・。