カレンダー

プロフィール

1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

最新のエントリー

月別アーカイブ

リンク集

カテゴリー

コメント

検索

aftertalk #30

2008年03月13日

clasics #30でした。
末期感がありありの文章だなあ。今とシンクロしてるのかも、と思ったけどそれは言い過ぎか。かたや崖っぷちからずり落ちそうな状況、今は開幕戦が終わっただけ。ともに初戦で大敗したという事実だけは変わらないけど、こんなところでフラグ立てたってしょうがない。
まあ、負けが込んでいて気持ち的にも荒れていたんだろう。こういう暴力的な文章を書くことはまずない人間だ(と思っている)し、こういう荒れているときに書く文章というのはたいてい内面を鬱々と垂れ流すか自己批判を繰り返すような内容になってしまう。って書いてて最低だな自分とか思ってしまった。このままいくとお家芸の自己批判無限ループ地獄にいってしまいそうなのでむりやりでも話題を変えてしまうことにしよう。

この時に僕が思っていた「泥臭い姿」の札幌を見たい、という夢は、昨年まででだいたい果たされたんじゃないかと思う。J2最下位をはじめ、たいていのアクシデントは経験してきたし、運命に流されそうになったこともあったけどそのたびにチームは乗り越えてJ1に戻ってくることができた。そのことは素直に嬉しい。見ていて気持ちの伝わるサッカーほど魅入られるものはない。海外のサッカーやテレビで見るJリーグでは、そのところがどうも伝わってこなかった。映像回線を経由すると、気持ちも減って伝わるらしい。でも、スペインリーグはちょっとのめり込んだ、特にベティス。ホアキンやアスンソンがばりばり言わせてたころのああいう戦術が好きなのかも。でもレアルとかバルサとかああいう華麗なサッカーはなんだか好きになれなくて、アトレチコとかベティスとかビルバオとか、そういう地味っぽいところのサッカーをよく見ていた。ちなみにスペインばっかり見ていたのは、当時BSアナログがリーガの中継をやっていたから。そのあとブンデスリーガばっかりとかアルゼンチンリーグばっかりとか見ている時期もあったし、どうやら海外リーグの好みというのはあまりないらしい。でもセリエAはあんまり積極的に見なかったかなあ。
結局僕が好きなのは「泥臭くて地味」というサッカーらしい。やれやれ。


post by retreat

21:14

aftertalk コメント(0)

CONSAISM clasics #30

2008年03月12日

clasics #30、いよいよせっぱ詰まってまいりましたという02年シーズン終盤の話。
文章にもかなり危機感が増してきております。


思い出したくもない。
打ちのめされた。
末期症状。
涙も枯れ果てた。
 
そんな言葉が埋める札幌関係のネット。電話越しの友人の声。メールで近況を伝えてくれた古いゴール裏仲間の言葉。もう既にみんな「諦めモード」にはいりつつある。否、どっぷりとはまりこんでいる。
いつからか一戦ごとに、選手から集中力が抜けていくのが見えて来るようになった。ゴールが決まらないことを当たり前のこととして受け入れるようになった。勝てないことを芝のせいにした、言い訳めいた戯言しか聞こえてこなくなった。
どんどん選手と僕らとの壁が高くなり、溝が深くなっているような感覚が毎日訪れ、そしてその深さと高さは毎日大きくなっている。
 
会社の中でもそういう話になることが、たまにある。「札幌はもうダメだな」「いつ2部に落ちるの?」と言われる。ただ自分は黙ってその言葉を受け入れるだけだけど、裏側には煮えたぎるのを感情がある。
そういうことを言う奴は誰だ。
俺の札幌を糞味噌に言う奴は誰だ。
正直怒鳴り散らして、殴り飛ばしてやりたい気持ちがあるのだけれど、その原因はやはり札幌自身に帰結する。だから気持ちの持って行き所がない。自分自身に溜め込むしか出来ない。そうして再びはまりこむ泥沼。サッカーを発明したやつを一瞬憎む。
 
そして今、現在の自分自身の心の中は、諦めと反抗が拮抗してせめぎ合っている状態。片方の僕は「もうどーでもいいよ」と足を投げ出し、もう片方は「最後の最後まで勝負を捨てない」と固く決意している。たぶん、どちらも正しい感情だと思う。そしてたぶん、僕のとる行動は後者なのだとも頭のどこかでわかっている。どうせやるなら最後まで応援していたい。文句や涙はそのあとに付随して来ればいい。願わくば涙なんて流さなくて良いようにしたい。僕は札幌に関しては、そういうタイプの人間だ。
 
札幌がたとえ2部に落ちたとしても観客は厚別に1万人程度はコンスタントに入るだろうし、僕は僕でいろんなアウェイの試合に行くだろう。でも、それは「サッカーがある」から行くのではない。「札幌のサッカーがある」からそこに行くのだ。面白いサッカーなんて世界中のどこにでも転がっている。テレビでヨーロッパのどこかのリーグ戦でも見ていればいい。そしてワールドクラスの美技に歓声を上げていればいい。けれども僕が望むのは、どんなに泥臭くても走り続ける札幌の姿なのだ。あるいは、そのプレーの一瞬なのだ。それをただこの目に焼き付けたいから、語りたいから行くのだ。それを望んでいるから、声を張り上げて歌うのだ。
 
もしも僕がずっとずっと歳を取ってこの年の札幌のことを「何もない、ただ負けていった年だった」などとは言いたくない。「それでも立ち向かおうとしていた、少なくともその姿は僕には見えた」と、未来の僕に言わせて欲しい。
 
だから。
 
せめて、運命に諾々と流される姿だけは見せないで欲しい。それでももがいてあがいて苦しんで、どうしようもなくなったときにしか現実を受け入れないで欲しい。身勝手で我が儘な感情論だと思うけれども、僕はそう思っているし、そのために僕自身に出来ることを厭わない。
 
自らを信じて、運命に抗うその姿が、僕の今一番見たい札幌の姿なのだ。


post by retreat

21:44

classics コメント(0)

aftertalk #29

2008年03月10日

clasics #29でした。
この回でいちばん悩んだのは最後の引用部分で、自分で散々悩んだ末に「これいいですかね」とメールを送ったら「載せちゃいますか」とあっさり返信がきてちょっと膝の力が抜けた。個人的にはそれほど載せたかった名曲ということ。前に何度か三角山放送局のラジオ「コンサドーレ GO WEST!」に出させていただいたことがあったけど、そのときもこの曲を持っていって「かけてください」とお願いした。そういうこともあって出るときはなにがしかの曲を持っていくのが通例というかお約束みたいな感じになっている。と書いたところで曲を聞き返そうとCDを探したんだけど、見つからないので諦めて戻ってきました。まあそのうち見つかるでしょう。

ラジオは一度紹介で出させてもらって、その後は予定していた方が出られないときに行くという代打的な感じだった。当然ながら持っていくのは全部違う曲で話すことも全部違う。坂本真綾はまあよしとして(するのかよ)、RAGE AGAINST THE MACHINEとかよくかけてくれたなーと思う。しかも「Gerrilla Radio」だもんなあ。次に出るときがあったらまた一日持っていく曲で悩むんじゃないだろうか。今度はもうちょっとサッカーに近いものにしよう。
話すネタも一日頭の片隅で考え続けて、順次メモに取っていくという方法だった。出なかったときは琴似駅前のミスドに入ってうんうんと唸ってた。でもそうやってまとめたネタで話すときはなんとなく堅い感じになっちゃって、話のノリも悪かった。やっぱり自然にでてくるのがいちばん良い。
あの頃はふらふらしてたから自由にラジオに出られたりしていたけど、毎週月曜日が必ずしも休みではない仕事についた(当然、土日も必ずしも休みではない)のでもういつでもどうぞというわけにもいかなくなってしまった。喋りたいこともかけたい曲もいっぱいあるし、また出たいなあ。


post by retreat

21:11

aftertalk コメント(0)

CONSAISM clasics #29

2008年03月09日

clasics #29、また今回も内容が現在と微妙にシンクロしております。
狙ってるわけじゃないんだけどなあ。


この原稿を書いている段階(清水戦後)では札幌は潔く最下位。スポーツ新聞に「降格マジック」なんて書かれている現状だ。
自分もその清水戦のため、日本平へ行って来た。歴代の清水FCの選手名碑(1986年のメンバーの中には「赤池保幸」の名前!)を見ながら昔のサッカー(主にJリーグ創設時代)についてあれこれと昔話をしたり、静岡の暑さに半ば呆れたりしながら競技場へ行った。それでもって日本平のガサガサに荒れたピッチと、先週の磐田戦とはまるで違う、凧の糸が切れたような選手たちの集中力に負けてきた。
試合が終わったあと自分には怒る気力などもうとっくのとうに失せてしまっていて、ここまできたらやれるところまでやってやろうじゃないか、と逆に思っている位だ。実際試合前にはそういうことを話し合ったりもした。それでも点を取られるとゴール裏の声は萎え、薄れ、聞こえなくなる。思っていることとやっていることが逆を向いている、どうすりゃいいんだと思いながら友人の車に乗せてもらって帰った。
 
目の前に見えないけれども、そんなに大きく見えないけれども越えられない壁。乗り越えられそうで阻まれる壁。その向こうは大きく開けているのに、それがわかっているのに、あと少しなのに、あと一歩なのに、それが届かない、踏み出せない。「壁を乗り越える」という現実がこんなに歯がゆいもので、越えられないことが悔しいことは初めてだったかもしれない。
でもこういう経験を味わったわけがないというわけではないし、誰もがどこかで経験することなのだと思う。自分もそうだし、社会人になってからその経験は増える一方だ。自分では解決できなかったことを何事もないように解決する先輩。その一声で全てをOKにしてしまう上司。道を切り開いて行くいろんな人々の姿。そういう姿を見るたびに「自分にはなぜできないのか」と自分に問いかけて、考えてきた。決定的に自分と異なる何かを持って生まれてきたという訳でもないのに、自分よりハイレベルのハードルを越えていく人々に歯がみして、劣等感を味わって、そのたびそれでも上へ上へ行きたいと思い、そのたび壁から落ち続けている。
 
自分の札幌に対する気持ちも同じ。もう少しなのに。もっともっと上へ行きたいのに。行けるのに。そう思う気持ちばかりが募っていって、現実とと遊離しかけている感覚。そんなことを言ってもいきなり見知らぬ力が備わる訳じゃない。一歩一歩、ピッチを踏みしめて、パスを出して、声を枯らして、旗を振って、拳を突き上げて、そのひとつひとつの動作と思いの積み重ねでしかこの壁を突き破ることはできないのだ。さっきの会社の先輩や上司も、自分にできることを自分にできるだけやってきて、今があるのだ。
そう思うと、なぜか気持ちがふっと軽くなった。背伸びやジャンプを繰り返していっても、たぶんこの壁は破れない。一つ一つ築き上げて、そうして乗り越えるしか方法がないのだ。そしてそうするためには今できることをできるだけやるしかないのだ。
この、今の自分の感覚を他の言葉で言い換えれば「開き直る」「腹をくくる」という言葉になるのかもしれない。でもそれと「諦め」とは異なる座標にあるものだ。諦めは開き直りも腹をくくりもしない、傍観するだけだ。自分は諦めないで、今やれることを、今打ち破れる壁を抜けてゆき、そしてそれを延々と続け、より高いハードルを越えて行くのだと思う。それが否が応でも直面する現実で、この世にある限り人それぞれに突きつけられた枷でもあるのだと思う。それならば答えはもう、出ている。それを認識するだけだ。
 
自分は応援しかできない立場なのだから、やることはただひとつ、今この現実でできることを、精一杯に世界に放つ、それだけ。

声を挙げないで終わりたくはない。
だから今この瞬間を、瞬間を越えた刹那を、現実を見据えて見える未来を自分のものとするために、応援したい。
諦めないことを決めたら、それだけで自然と顔を上げて、前へ進めるはずだ。
 
 ひとつだけ決めよう
 あとは自由
 約束しよう
 あきらめない
 それだけがルール
              (坂本龍一・甲本ヒロト『桜のころ』)


post by retreat

23:06

classics コメント(0)

aftertalk #28

2008年03月07日

clasics #28でした。
もう明日は開幕か。早いなあ。
なかなかいいタイミングでこの文章が出てきてよかった。あんまり読んでる人いないけど。

この頃、よくサッカーの夢を見ていた。本当にこの文章で書いていたような夢を何度も。浅い眠りでこんな夢を見て、がばっと夜明け前に起き上がると寝汗でシャツがびっしょりと濡れていて、着替えてもう一度寝ようとしても再び眠気が訪れることはなく、はっきりしない意識のまま夜明けを迎えた。ラジオからは今日の天気と朝いちばんのニュース、憎たらしいほどの青空、きょうも暑くなりそうな日射し。身体を壊してからそんな日が多くなった。
とにかく治そう、病気に打ち勝ってやろう、ばりばり仕事ができるようになってあの連中を見返してやろう、と思いすぎていたのだろうか。肩の力が入りすぎていて、それがまた病気の進行を早めてしまっていたのだろうか。薬を飲んで一ヶ月、まだこのころ大きな変化は見あたらなかった。とりあえず普通に応援ができるようになったのはよかったけど、それ以外のところでは苦しい毎日が続いていた。

最近、あんな夢を見なくなってきた。もう自分に勝とうとか病気に勝とうとか、あんまり思わなくなったのだろうか。とにかく身体を休めること以外に病気を治す近道はない、ということに気づいたのは数年前になってやっとのことだった。それとも、人生全般において戦う気持ちが萎えてしまったのか、老成したのか、衰えたのか。自分の気持ちとうまくつきあう術を覚えたのだろうなあ、やっと。6年も経ってから、やっと。
でもあの夢を見て、少しだけがんばれたのも事実なんだ。サッカーで必死に戦うあの夢だけで、一日がんばれたことがあるのも本当のことなんだ。コンサドーレが、僕の人生を救ってくれた瞬間があるのも、本当なんだ。だから僕はコンサドーレに恩返しがしたい。今すぐじゃなくていい、遠い未来のことでもいい。どれほど感謝しても足りないくらいのこの気持ちを、応援というのもそうだけど、もっと他の方法でも。
でもその前に、僕は僕の身体を治さなくてはならない。普通に働ける身体を、あの日の恐怖を忘れるくらいの充実を、僕は取り戻さなくてはならない。それが僕にとっての、最初の恩返し。サッカーへの、支えてくれた人への、甘えさせてくれた人への、いろいろな人たちへの恩返し。


post by retreat

19:30

aftertalk コメント(0)

CONSAISM clasics #28

2008年03月06日

clasics #28、このあたりから人生とか哲学とかに例えてサッカーを語り出してきます。文章もなんだか堅い。


サッカー好きでサッポロ好き、という以外は、僕も多分に漏れずごく普通のサラリーマンの一人だ。
朝起きて、シャワーを浴びて、ネクタイを締め、ラッシュにもまれて東京へ、会社へと早足で歩く。
そんなわけでごく普通にいろいろと仕事上での失敗も成功もある。電話をかけたり、会議したり、資料作ったり、ごまかしたり、謝ったり。上司とのコミュニケーションがうまくいかなくていらいらしたり。プレゼンで何を話そうか考えて耳から煙が出そうになったり。でも割合に日々のサイクルは単調で、普通の人とおそらく変わらない平日の一日。でも、すべてがうまくいく日があれば、トラブルが起こって不安と焦燥と憤りのうちに一日が終わることもある。
そういうときに、僕がしおれた菜っぱみたいに疲れてぼーっと帰りの電車に乗っているときに、ふと浮かんでくる情景がある。

場所はどこかの競技場。厚別にも似ているし国立競技場のようでもあるけれど、はっきりとはわからない。僕はそこを俯瞰的に眺めている。ちょうどテレビが反対側のゴール裏を映すみたいな感じ。
やがて選手入場の音楽が鳴り、同時にゴール裏ではそれをかき消すほどの声が響き渡る。めいめいが手にマフラーを、旗を広げ、赤と黒の荘厳な光景が僕の視界を覆う。
フェアプレーフラッグに先導されて、札幌の、そして対戦相手の選手が入場してくる。スタンドに向かって整列し手を挙げる選手達。それと同時に縦に揺れるスタンド、振り回されるマフラーや旗、爆発する声、声、声。この試合を見るために集った人々が想いのたけをありったけに、これでもかと言うほどに詰め込んでみんなが歌っている。叫んでいる。
試合が始まる。応援の響きは一層その激しさを増し、それに押されるかのように札幌の選手達は前線から果敢にプレスをかけていく。ディフェンスラインも高く、全体がコンパクトになっているのがよくわかる。そして何より選手達から伝わる気持ちがある。戦う気持ち。勝ちたい気持ち。
札幌ペースのまま試合は進んでいく。ボランチの選手が見事な読みでインターセプトを見せ、サイドアタッカーが鋭いドリブルで切れ込んでいく。早くて低い理想的なクロスがゴール前に上がる。けれどもフォワードが合わせられなくてボールがこぼれ、そこに猛然と走り込んできた二列目がミドルを放つが相手キーパーに止められる。あっと言う間にカウンターで攻め込まれ、ディフェンスのスライディングもわずかに届かず、絶好の位置からシュートを打たれる。けれどもキーパーが美しい弧を描いて跳びクリアする。ラインを上げろ、と味方を鼓舞するキーパーの姿と重なり合うように歌い出すスタンド。僕らのチームを鼓舞し、僕らも選手も共に戦うための歌。声とボールの動きが止むこともなく、そこに一つの大きな響きが体中を埋め尽くしていく感覚。
 
だけどそうして浮かべている情景には、不思議なことに選手の顔がはっきりと出てこない。背番号もあやふやだし、そもそもここがどこなのかもわからない。相手のチームがどこなのかもわからない。そんな奇妙なビジョンの中で、僕の頭の中の札幌は攻め込んでいく。ピンチを招く。先制する。失点を食らう。さらに逆転ゴールを奪われる。
一瞬の静寂、そして悲鳴とため息が漏れる。けれども、選手の誰かがすぐさまボールを脇に抱えて走り出す。取られたら取り返すばかりだ、と言わんばかりの勢いでボールをセンターサークルに置き、そして札幌は再び攻撃を掛ける。同点ゴールが決まる。耳を貫く狂喜の声。赤と黒の交錯する、猛り狂うスタンド。みんなが立ち上がり、拳を突き上げて喜んでいる姿。けれども、それすらもどこか朧気な世界。顔の見えない情景。
 
けれどもその断片だけは何故か見えるのだ。体を張り歯を食いしばって競り合うディフェンダーの顔が。相手を振りきってサイドラインを疾走するアタッカーの形相が。隙をついてゴールを奪わんとするフォワードの野生に満ちた目が。ゴールキーパーの絶対的な自信に溢れた表情が。
そして僕は理解してしまう。すべての表情が僕のものであることを。ピッチの上で戦う自分、それをゴール裏で後押しする自分、冷静にメインスタンドから見つめている自分。僕は僕自身と戦っている。自身の内面からの恐怖や不安と。日常の些末で不快な出来事と。思うようにいかない意志の疎通と。それらすべてが、この競技場の中で展開されている。
その感覚を覚えて、僕はそれらに打ち勝ちたいと強く想う。自分の人生の中で、一度で良いからとてつもなく美しいゴールを決めたいと想う。僕が守るべきモノを守りたいと想う。信じるべき人を信じていたいと想う。胸を張って歩きたいと願う。

夜の漆黒に染まった電車の中で窓に映った自分の目を見つめながら、僕はそんな想いが心の奥から湧き出る音を聞く。そして同時に、現実の世界では目の前のドアが開き、僕は電車を降りる。そして生きる力を(というのは大げさで照れるけれども)、完全にではないけれど、いくらか取り戻している自分に気づいて家へと歩き出す。そして眠り、目覚めれば新しい朝が始まる。僕はユニフォームを着て社会のピッチへ駆け出していく。
  
このゲームがまだまだ続くことを、僕は本能でわかっている。
だから、がむしゃらに走って、走って、走ってやる。
ゴールを決めてやる。
この試合に勝ってやる。


post by retreat

23:01

classics コメント(0)

aftertalk #27

2008年03月05日

aftertalk #27でした。
世界は変わらないな、とつくづく思う。大きな意味でね。

飲み会から帰る途中の電車の中で、滅多にこない緊急配信のスカイメール(そのころはJ-PHONEを使っていた)が来ていることに気づいて見てみたら「航空機が衝突」みたいな簡単な中身だったので、せいぜい突っ込んだのはセスナとか小さいのなんだろう、大げさだなあ、つか緊急配信って初めてだなあ、と思いながら家に帰った。電車の中でも大して騒いでなかったし。で、帰っていつも通りにラジオをつけたまま寝ようとしたら、なんだか雰囲気が違う。いつもの番組じゃないし、緊迫してる。よく聴くと、どうもさっきメールで来てた事件のことらしい。これはちょっとおおごとなのかも、と思ってテレビをつけた。
画面の向こうには黒煙を上げる超高層ビル、そして突っ込んでゆく航空機、崩れてゆくビル、悲鳴、土煙、轟音、悲鳴、悲鳴、悲鳴。不思議と恐怖への実感はなかった。テレビの向こうの出来事、としか思えなかった。現実に感じたのは、翌日会社に行ってからだった。シンガポールの支社とアメリカの現地法人は大騒ぎ、社内メールが飛び交い、どこからか衝突の瞬間の動画ファイルが流れてきた。そこまできてはじめて、これは恐ろしいことが起きたんじゃないのかと思い始めた。そうして何よりもそれを感じたのが、やはりスタジアムで見た光景だった。半旗の掲げられたポール、戸惑いながらも黙祷を捧げる観客、そのなかの一人として僕もいた。正直、何に対して祈ればいいのかわからなかった。ただわかるのは数千人の犠牲と、世界に与えた衝撃の大きさ。

そうして酷薄かも知れないが、僕は海の向こうで起きたテロリズムよりも、サッカーの方が大事だった。サッカーを通してしか世界のことを考えられなかった。今でもそういう部分はある。そうして、事実を受け止める以上の勇気を持つことは、今でもできていない。自分が残酷だとか冷徹だとか、そういう事も書いているけど、本当のところはただひとつ、臆病者だった、ただそれだけ。
あれからテロと戦う世界が日常になって、その中でもサッカーは続いていて、僕らは違和感を持ちつつも従っていって(というか、そのまま押し流されていって)それに慣れていった。
あの時感じた無力感だけは、せめて忘れたくない。


post by retreat

23:42

aftertalk コメント(0)

CONSAISM clasics #27

2008年03月04日

clasics #27、今回は忘れられない「あの日」の記憶。


僕は帰りの電車に乗り込んだところだった。
酔いの回った頭で携帯電話を取り出してメールを打とうとしたら、ニュースメールが来ていたらしい。どこかのビルに飛行機が突っ込んだ、というニュースだった。
ふーん、と僕は思って、携帯をしまい込んでウォークマンを耳に押し込んだ。
 
家に帰って、着替えて、シャワーを浴びて、酔い醒ましにオレンジジュースを飲みながらいつものようにラジオを聴いていた。けれども、いつもとは様子がおかしい。
緊迫した声でしかし冷静に、国営放送のアナウンサーがニュースを伝えている。ずっと、繰り返し伝えている。どこかの国の様子が中継されている。どうやらさっきメールで見たニュースのことらしい。
今度はテレビをつけてみた。やっぱりニュースしかやってない。テレビの向こう。ニューヨーク。エンパイアステートビルの片方から上がる黒煙。聞こえてくる誰かの叫び声とざわめき。程なくして、僕は二機目の航空機が、もう片方のビルに突っ込んでいくのをブラウン管の向こうに見た。怪獣映画の撮影みたいに、まるで何かの冗談みたいにあっけなく、ニューヨークの象徴が崩れ落ちていく。テレビの向こうのニューヨークは、悲劇と混乱にに支配された別世界だった。
あの日から一年が過ぎた。あの事件に関してあまりにも多くの物事が行われ、語られ、憎しみと悲しみが世界を覆った。必死の救助活動、テロリズムへの怒り、そしてテロリストへの報復。そして、すべてはまだ終わってはいない。
 
Jリーグでも(そしてもちろんそれ以外のスポーツも)テロリズムの落とした影を僕は目にした。J2を見に行った大宮サッカー場では半旗が掲げられ、黙祷が捧げられた。湘南のゴール裏には「NO TERROLISM」の横断幕があった。FC東京のサポーターは、「Imagine」の歌詞を横断幕にして、ゴール裏に掲げた。星条旗も見かけられた。けれどもそれらはもうここにはない、一年たった今では。それは全く関心がなくなったということではなくて、心の中に占める「9.11」の記憶がだんだんと小さくなっているのか、あるいはこの日常に麻痺してしまったのかもしれない。繰り返される空爆。異常なまでの警戒態勢。熱心にイスラム主義を語り、アメリカを語る人たちの姿。日常の中に霞んでゆくそれらのすべて。けれどそれでもサッカーは続いていく。笛が鳴り、プレーが始まる。そういう世界に僕たちは生きている。
そして僕は目の前の試合に没頭する。ゴールの瞬間を待ちわびる。2時間後の勝利の雄叫びを心待ちにしている。打ちひしがれるなんてまっぴらだ。そのときの僕の頭の中には、サッカーボールが駆けめぐっている。今この瞬間に空爆が始まり、何千人死んだとしても、いくつビルが倒れたとしても、僕はおそらく気にしない。たとえそれを事実として知っていても。そうして家に帰ったらテレビなりラジオなりをつけてニュースを見たり聴いたりするだろう。そしてそのとき初めて恐怖に打ち震える人々のことを思うのだろう。
テロの犯人探しの向こう側、遙か離れた極東の島国で、今日もホイッスルが吹かれる。そして僕らの生活は変わらないし、この国のサッカーは変わらない。残酷であっても、冷徹であっても、それがこの世界の事実。そしてサッカーから僕が得るのは、その事実を受け止める勇気。

それでも僕はあの日の大宮サッカー場の雰囲気を忘れたくないと思う。選手も、審判も、観客もみんな立ち上がり、未だ見知らぬテロの犠牲者に黙祷を捧げた一分間を。その中で僕が感じた、この世界で生きているという事実を。アフガニスタンでワールドカップを見ていた人々の目を。たった一つのボールを追いかけ、スタジアムに駆けてゆくカブールの子供達の姿を。それがいま、僕が思うこと。絶対に忘れたくないこと。


post by retreat

23:47

classics コメント(0)

aftertalk #26

2008年03月02日

clasics #26でした。

からっとした文章を、と言っていた割にはですます口調をやめたのと、過剰な表現を抑えたくらいで中身の湿っぽさは余り変わっていないと言うことに今更気づいた。どこかで達観しているように見えて、その実は中身が叙情に寄りかかりすぎているのがあからさまでなんだかなあ、というのがこの文章を読み返していて思う最初の感想。でもこれを書いたときの充実感というのは、コラムを書いていた中でいちばんだろう。やっと書きたいものに近づけたという気持ちと、ですます口調でおとなしくのっそりしていた文章の殻を一枚破ってやったぜというちょっとだけ凶暴な感情と、日常のショックを少しは振り払うことができたかなという爽快感があった。

これを書いたテキストファイルの日付を見ると、だいたい前回から一ヶ月。「aftertalk #25」で書いたように本当にぶっ倒れてしまってから2週間会社を休み、さらにサッカーを見に行くのも自重し、やっと見られたのがこの国立アウェイ2連戦だった。正直に言うと2週間会社を休むだけではなんの解決にもなってなくて、経過を観察した医者の人は「もう少し休んだ方がいいんじゃないか」というアプローチをしてくれたんだけど、自分から断ってしまった。なぜって、会社で「干される」ことが怖かったから。病気になってしまったことをカミングアウトした、その時点で干されることが確定だということにこのとき何で気づけなかったんだろうなあ。それも考えられないほどの状況だったのか。復帰してもまあ、仕事に関しては相変わらずだった。むしろ理解もされず、疎まれる視線を感じてしまうこともあるくらいだった。体育会系の人たちばかりが揃っている部署でわかってくれなんて、言う方が間違っているのかもしれないけれど。だから、誰にも理解してもらおうなんて積極的に言わないようにしたし、そういう人たちとは距離を置くようにした。ゴール裏の人たちの方が、よっぽど理解をしてくれた。なんで相談してくれなかった、って怒ってくれたのは同じくゴール裏で応援していた友人だったし、とにかく休めって言ってくれたのもその人だった。

ひょっとしたら自分は、この文章で浮世を離れたかったのかもしれない。地に足の着いたおとなしい文章をやめてきっぱりさっぱりと綴ることで、痛ましく疎ましくどうしようもなくふてくされてばかりいた、背広を着て淡々と仕事をする日々のことを。あんな毎日を送っているのは自分じゃないとでも言いたげな気持ちを、今読み返しているあの日の文章から感じている。まあその気持ちも間違っていたんだけど。それをどんどんと推し進めていった結果、僕の日常と休日との乖離はますます酷くなっていって、もはや自分が何者でなんのために生きているのか、どうしてサッカーを見てどうして仕事をしているのかもわからなくなっていった。そんな真夏の国立で、東京に3点取られて完敗したあの夜に、僕はまたぶっ倒れた。こんどは熱射病で。
どうしようもない試合内容(これ以上どこに手を施していいのかわからない、と言う意味で)でまたも完敗したあの夜、僕はゴール裏で選手が挨拶に来るか来ないかのところでくったりと手すりにもたれかかり、意識が混濁していた。そのまま立っているのも面倒くさくなってもういいや、とコンクリートにそのまま倒れ込んだら起き上がれなくなってしまった。身体がほてってだるく、なにもできない。明らかに脱水症状か熱射病かのどちらかだった。僕が倒れているのに気づいた誰かが警備員経由で担架を呼んでくれたらしく、抱えられて乗せられて運ばれていくのをかすかに記憶に残している。ちゃんと意識が戻ったとき、そこは国立競技場の医務室だった。付き添ってくれた川崎サポの友人に「コンタクト外して」って言ったのよなあ、確か。そのあとどこからかスポーツドリンクが差し入れられてきて、よくよく見たらサッポロビールのサプライしているやつだった。どうやら、どこかで僕が倒れた事を聞きつけたスタッフの人が持ってきてくれたらしい。7年も8年も経ってなんだが、あのスタッフのひとにはまだお礼を言っていない。その節はありがとうございました。

とりあえず一心地ついたあと、他の友人が車で送ってくれることになり僕はふらふらと乗り込んだ。首都高を抜けて走る車の中、シートを倒してずっと夜空を見上げながら過ごしていたけど、頭の中では「どうしてこんなことになっちゃったんだろう、どうしよう」という、明日の自分の姿さえも想像できないことへの恐れと不安にずっと追いかけられていた。
いくら考えても、どうしようもなかった。


post by retreat

22:53

aftertalk コメント(0)

CONSAISM clasics #26

2008年03月01日

今回はclasics #26、奔流怒濤の大事件(私事)を経て文体もからっとさせてリニューアル。
これ書いたとき、読んだ人たちから「一気に文体変えてどうしたの?」と良く言われたことは内緒。


僕はもともと日焼けしやすい肌をしている。
一度日に焼けると腕やら顔やらが赤くなるより早く黒くなり、あっという間に夏男完成しかも長持ち、という訳だ。ただし外見だけだけれども。
今年の夏もずいぶんと日に焼けた。会社の人から「そんなに焼けて、どこ行ったんだ?」なんて聞かれるくらい日に焼けていた。そのたびに僕は答える。
「あ、これですか?サッカー焼けですよ~。」
 
今年の僕の肌が(特に腕周りが)どうして一気に焼けてしまったかはだいたい見当がつく。国立2連戦のせいだ。まず最初の浦和戦。僕は10時半という、普通の「サッカーファン」なら決して来ないであろう時間に国立競技場に来た。しかも僕より早く並んでいる人がいた。つくづくサポーターというのはナンギな性分やなぁ、なんて関西人でもないのにつぶやいて列に並ぶ。
アウェイサポーターの入場列は代々木門というところに設定されていて、この場所が晴れた空の下で並ぶには少々、いやかなりきつい場所である。だだっ広い入場ゲートの前にロープが縦に幾列も張られていてそこに並ぶわけなのだけど、何しろ燦々と降り注ぐお天道様の紫外線を遮る場所がどこにもない。気温30度をとっくにオーバーした東京のど真ん中で、そこに並んでいるだけでたらたらと汗がつたい、じりじりと僕のカラダの露出した部分を容赦なく焼いていく。これはもう我慢大会の領域である。このままいたらぶっ倒れるなおい、なんて話しながら日陰を求めてその場を離れた。
隣にある明治公園の木陰でわずかな涼をとりながらいろんな人たちと話す。顔なじみの人、久しぶりの人。初めて顔を合わせる人。いろんな話。バカ話。昔の話。そして応援の話。そうして時間は過ぎていって、入場しても太陽はまだ高い位置から僕たちを照らしていた。けれどもその長い長い、僕たちを照らしていた太陽はどうやら僕たちの味方ではなかったらしい。時間は流れ、夜になり、ボールが動き、ゴールが決まり、ゴールを決められ、そして最後は僕たちの目の前でVゴールを押し込まれ負けた。
次の日にベッドからのそっと起きあがり洗面所の鏡を見ると、腕と、サングラスをかけていたところ以外の顔の部分が信じられないほど黒くなっていた自分がいた。
びっくりした。
 
それでも僕は(というかアウェイサポーターの大多数も、だけど)翌週の日曜日に同じ顔で同じ場所に並んでいた。しかし今回は余裕を持って開門1時間前の4時前に代々木門に同じように並んでいた(そもそも浦和戦が異常だったのだが)。そしてきっちり僕よりも前に来て並んでいる人がいた。ここまで来るとサポーターというのはナンギな性分、とか言うよりも何か別の苦行を課せられる坊主のような感じだ。
しかしそんな夕方になろうとする時間でも、東京の夏の太陽は容赦なく照りつけてくる。何しろ浦和戦の時に並んでいる最中梅雨明けをしやがった太陽だ。夏本番の太陽だ。僕の皮膚が焼ける感触が伝わってくる。
そうして僕らは同じように入場して、キックオフを待ち、そしてボールが動き、立て続けに3点取られて「がんばれ札幌!」なんて東京サポーターからコールされて、素直に頑張って見たけれど1点取るのが精一杯で、負けた。
そうしてやはり次の日に鏡を見ると、いっそう黒さを増した肌がそこにあった。
肌に当たるシャワーが痛かった。
 
2,3日経つと焼けた部分が痛み出した。じんじんと火傷をしたような痛みではなく、日に焼けた部分をひりついた痛みが静かにまとわりついてくる感覚。
痛いなぁ、と呟きながらそれでも僕は何でもない風をして会社に行き、仕事を淡々とこなした。ミスもあったし成功もあった。普通の生活の日々。
そうしてその間、札幌は未だ勝ち星をあげられずにいた。
ただ、もう日に焼けるのは嫌だった。真っ昼間に外に出てどこまで焼けてしまうのか、、たまったもんじゃない。
 
8月10日も普通の休日だった。キックオフの頃に買い物にでて、冷房の効いた百貨店のお中元コーナーで祖母の喜寿祝いを探していた。気に入ったものを見つけて、支払いを済ませて、携帯で試合結果を確認する。1対0。勝った。やっと勝った。
嬉しかったと言うよりもほっとしたという感情の方が強くて、僕は人知れずため息をついた。深く、大きい安堵のため息をついた。そしてそろそろ帰ろうかと腕時計を見る。
腕時計の巻かれた僕の左腕。真っ黒だった腕は少しいい具合に色が落ちてきて、あのひりついた痛みもいつの間にか消えていた。

僕たちの夏はこれから始まる、と思った。ここからが札幌の夏だ。そしてそれがずっとずっと続くことを、熱く僕らを焦がすことを、勝利が続くことを心の中で願いながら、僕はいつもよりも軽いフットワークで人々をかわし、電車に乗った。
 


post by retreat

23:29

classics コメント(0)