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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

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aftertalk#4

2007年12月21日

classics#4をお届けしました。

割り切ろう割り切ろうと考えてきたこの頃になっても、割り切ることのできなかったとある話。そしてそれは今でも割り切ることができていない。割り切らなくていいのかもしれない。フットボールのいくぶんかはそういった忘れられないことでできている、とも思っているから。

98年開幕から入れ替え戦までの話の流れを書いているんだけど、いま思い出してみると浮かれていたなあ、というのが最初に感想として出てくる。それでも開幕戦、日本平での興奮は覚えている。具体的に言うと、できあがったばかりのビッグフラッグ(の真ん中部分だけ)を運び込んで、ゴール裏で広げたときの「おおっ」というどよめき、普通にエスパルスのレプリカを来て座っていた人が「こうやって端っこをピンと張らないと見栄えが悪いから」と言って手伝ってくれたこと、はちきれそうなくらいの誇らしい気持ち。そしてそれが砕かれそうになった気持ち。
やっぱり勝てなかったからか、悔しいことばっかりだったなあ。
京都に負けてトラメガ地面に叩きつけて壊したりとかあったけど、そういうのは若かったからなのかなあ。あのあと秋葉原に買い直しに行って損したのは自分自身だったって思い知ったし(特に金銭面で)。
入れ替え戦に向かうときにまだ「安心感」があった、というのも読み返してみるとなに楽観視してやがるんだって過去の自分に怒りたくもなるし、人数の割に声が出ていないなんて書いているところに自分のことを差し置いて他人に責任をなすりつけているような嫌な気持ちもするけど、たぶんあの時は「恐怖感」を「安心感」に無理矢理上書きして(もしくはごまかして)試合に向かっていたんだろう。恐怖心と正面から向き合うような気持ちはまだ持ち合わせていなかった。今の自分にもそういうところがあるし、解決しなければならない大きな人生の問題なんだろうけど、まだ2002年の時のほうがそういう恐怖と向き合う気持ちを持っていたような気がする。
どこかで「なんとかなるだろう」という正体不明の安心感を引きずり出してきてそれにすがってしまったり、他人に自分の安心感を求めてしまったりするということが自分の人生の中において絶えずどこかにあって、そしてそれは今でも自分のどこかに巣を張っている。実際に「なんとかなってしまった」という経験がなまじあるがゆえに、そこから抜け出すことができない自分というのも感じている。やりきったからこその気持ちではない、やりきれなかったからこその依存心。自分の心の醜さをどこかで感じるのはいつも今でも同じことだ。きょうのテレビで見た三浦監督の潔さ、なにかを成し遂げた表情の素晴らしさといったら!

「過去に生きてはいけない、今何ができるのかというのが大事」と三浦監督が語る姿を今日のテレビで見ていると、今自分自身が書いているこの文章も、ものすごく後ろ向きで情けないことに思えてきた。ひょっとしたら今の自分は「アーカイブする」という「安心感」に、またもやすがっているのかもしれない。


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23:26

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CONSAISM clasics #4

2007年12月20日

続いて第4回。
今でも悔やんでいる、とあるお話の始まりです。


ここまで3回、僕は「サッカーと生活の割り切り」について書いてきました。それはつまり、勉強や仕事といった日常生活に出来るだけ負担をかけず、どんなふうに札幌を応援してきたのか、そして試合の時にはひたすらに応援をしていく、そういうことを書いてきたつもりです。
しかし、今回書く話はそういったテーマではなく、むしろ相反する話です。
多くの人が記憶に残しているであろう「1998・12・5」にまつわる僕自身の心の動きと、そこで得たものを書いていきたいと思います。
 
前年、圧倒的な力でJFLに優勝し、僕自身は「残留できるだろう」という漠然とした安心感を持っていました。ウーゴ・マラドーナとバルデス、吉原を軸とした攻撃陣は抜群の破壊力を誇り、片やペレイラ・ディドの守備も安定していた前年を見る限り大崩れをすることは、普通に試合をすればまずないだろうと思っていました。しかし、その甘い考えは開幕戦の日本平で簡単に砕かれました。バルデスの先制点に驚喜した以降、札幌が得点することはなく逆に失点を繰り返し、1対4の敗退。トップリーグのチームの力という物を目の当たりにさせられました。
ただ、それでも「残留ぐらい大丈夫だ」という考えは捨てませんでした。横浜マリノス、磐田といった上位チームに大敗はしましたが、中位、下位チームとはしぶとい勝負が出来ていると思っていたからです。それでも試合では勝利する事が出来ず、歯がゆい思いをしました。Vゴール取り消しの柏戦、延長負けの名古屋戦、前半2点リードながら後半4失点の京都戦・・・。「何で勝てないんだ!」と憤りながらも自分の気持ちというか、前述の「漠然とした安心感」は変わりませんでした。
「まだ大丈夫、これだけの内容なら残留は出来る」と。

そうして迎えたセカンドステージ、札幌はカウンター戦術がはまり勝ち星を挙げるようになっていきました。いくら攻められても守り抜いて決定力のあるカウンター一発。この戦術で勝ってゆくにつれ、「安心感」は増していきました。特に後半の対ヴェルディ、対市原戦での勝利はアウェイを中心として応援してきた僕にはたまらない勝利でした。そのころには参入決定戦に回ることが確定的になっていたにもかかわらず。
いま考えると、気持ちの中では目先の勝利ばかりを求めることに夢中で、そうやって参入決定戦のことを考える冷静さや、不安感からあえて目をそらす「逃げ」の気持ちがあったんじゃないかと思います。2部に落ちるという恐怖感を克服することよりも、目先の勝利を求めることで漠然とした安心感を手に入れる気持ちが勝っていた、そんな気がします。
 
そんな気持ちの中迎えた神戸との参入決定戦。僕の中ではまだ「安心感」が支配していました。相手は神戸で、2戦2勝で、終盤には調子が上がってきている。だから大丈夫だろう、と。
けれども、試合が始まるとその気持ちにいつもと違う雰囲気が混ざっていることに気がつきました。いくら応援していても何か届かないような、声が萎縮してしまうようなそんな気持ち。実際、あれだけのサポーターがきていたはずなのに、人数ほどには声が出ていない気がしました。結局神戸での試合は敗れ、室蘭での試合に逆転を託すこととなった訳ですが、僕自身は室蘭には行きませんでした。まだどこかに「何とかなるだろう」という安心感にすがって、現実を見切れていなかったのです。
そうして室蘭には行かない事を決め、僕は大学での勉強に戻る事にしました。つまり今までと同じように「割り切った」わけです。 しかし、そうして生活していくうちに何かがいつもと違う感じを覚えました。割り切ることだけではない何か。衝動のような不安のような混乱した感情が僕の中にわき出しました。そうした気持ちを抱えながら僕は学生生活を送りました。
 
そして、ようやくその感情に気がついて、恐怖し、後悔し、僕が今こうして応援していることの礎となる気持ちを経験するのは、室蘭で神戸に破れ、博多での福岡戦を迎える時になります。


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23:43

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aftertalk#3

2007年12月19日

はい、「classics」第3回でした。

昔も今もあまりカネのない生活をしてるんだけど、学生時代っていうのはいちばん「カネがなくても幸せ」な時期なんだろうなと思う。一度就職してそこそこの給料をもらうと、いざそこからドロップアウトしたときにカネのなさを身に染みてわかってしまうわけで。
「サッカーファン版エンゲル係数」の話は、その後小田嶋隆さんが「ギド係数」という言葉で書いていた。うちならばさしずめ「コンサ指数」とでも言うところだろうか。総収入におけるフットボール関係の支出が占める割合。月の総収入の半分くらいがフットボール関係(遠征費やらチケット代やら)で占められていたこともあったっけ。それでも必然的に遠征手段はできるだけ安い方法になってしまうわけで、とにかく学割や18きっぷは必須。というか当たり前だった。「ムーンライトながら」は何回乗ったかわからない。もう乗りたくないと思うくらい。

遠征でいちばんきつかったは97年のアウェー山形。1-4でさんざんに負けて怒って、そのあと天童のバスターミナルまで移動して(たぶん歩いたんじゃなかったか)やっと乗り込んだ夜行バスは普通の観光バス4列シートで、新宿に着くまでろくに眠れなかった。00年真夏の新潟(最高37℃という狂った気温)も、乗り込んだ「ムーンライトえちご」の空調が壊れてぽたぽた落ちる水を見ながら帰った。そんな金のかからない遠征ばっかりしていたこともあって、社会人になってから乗った新幹線には感動した。あれだけ時間をかけて移動してたところまで、3時間とかそこらで移動できるなんて!って。自由にできるお金が増えたぶん、衝動的に見に行ったりして。
たとえば「『日曜日だけど、近場で試合がなくて暇だから』という理由で新幹線に乗ってJ2を見に行く」っていう文があるけど、これは川崎サポーターの知人と飲んでいるときに「明日仙台行かない?」と誘われ、「応援研修」と称して新幹線に乗って仙台に行ったときのエピソード。睡眠時間3時間かそこらで始発の東北新幹線に乗り、仙台の知人にチケットまで用意してもらいコアゾーンで応援、帰りの新幹線は東京までデッキ座りっぱなし、みたいな強行軍。札幌の試合がない日に他チームの応援を勉強することは何度かあった。ナビスコで清水サポの端っこに混じったり、川崎のGゾーン行ったり、もっと昔なら平塚で神戸の応援(矢野マイケルとかいたころ)行ったりして応援のテンポやバランス、タイミングを勉強させてもらってたり。「他チームの応援するなんて何事だ!札幌サポの風上にも置けない!」と怒る人もいそうだけどまあ時効ということで。

もうひとつ、「余裕の持てる移動が出来るのだからその分もっと応援そのものに力をそそぎ込めるはずだ」なんて書いているけど、いちばん充実していたのはいちばん金のなかった学生時代なのかもなあ、と思う。移動していた時間すら楽しかったし、社会人以降は行きも帰りも疲れていた記憶のほうが多い。それでも苦にならなかったのは、旅をするということが昔から好きだったり(中標津に住んでいた小学生の頃、釧路まで通院するのに標津線を使っていたときから「鉄」な人間だ)、小説をみっちり読み込めることができたり(本格的に小説にのめり込んだのは大学生になってからだ)、ときには旅の時間を共にしてくれる友人がいたりしたからだ。今になっても、そういう人たちに恩を返せるような人間になれてないなあ。

あと前回からの流れでもあるんだけど、本当にこのときは応援と実生活を割り切ろう割り切ろうと必死に考えていたんだなあとつくづく思う。それだけ会社が嫌だったということなんだろう。正直、このころから夜眠れなくなったりしたし。そんなわけで私生活では泥沼の気配になりつつあったのでした。


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22:52

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CONSAISM classics #3

2007年12月18日

日付変わっちゃった。
第3回目の「classics」、今回は金銭感覚の話です。
すでにこのあたりからフットボールとかけ離れた話をし出してる気が……。


学生さんは金がない、というのはコンサのスポンサーのライバル会社のキャッチコピーですが、ご多分に漏れず僕自身もそれなりな貧乏学生生活を送っていました。ただ原因のほとんどはおそらく「遠征貧乏」だったのですが。

学生時代の毎月の生活といえば、奨学金と仕送りとバイト代で入るお金は公共料金やら専門書代やらを払ってしまえば結構吹き飛んでしまうので、それから残った金を二つに割って片方は生活費、もう片方はサッカーを見るための交通費やチケット代というふうにに充てていました。もし「サッカーファン版エンゲル係数」があれば、4年間毎月半分以上はサッカーの為につぎ込んでいたわけで、学生としては結構いいセンいっていたんじゃないかと思う事もあります。
そうして毎月暮らしていく中では、かなり遠くのアウェーを見に行くこともあり、そんな月はもっとエンゲル係数が上昇してしまい生活費にサッカー関連費が大きく食い込んでしまう事がかなりありました。あまりにお金がかかって「今回見に行くと、あと一週間は一日一食の生活」なんていう状況が見えるときはさすがに行きませんでしたが。
でも、それでもなんとかやりくりすれば行けるかな、という感じの時は迷わず節約モードに移行し、一日500円とか300円とか予算を決めてやりくりをしていました。もちろんこの予算は「一日で使うすべての金額」で、一日の食費、煙草や酒の嗜好品、図書館で使うコピー代まで含まれています。ゼミの発表とこの緊縮財政が重なると、このコピー代だけで一日の予算を食いつぶしてしまうこともあったりして結構きつかったのを思い出します。

そんな生活を4年間ほぼずっと続けてきて、いざ自分の頭と身体で生活すべての金を稼ぐ社会人生活に入り初めてもらった給料というのは僕にとってはかなり大きい額で、正直使い道に戸惑ったりしました。さらにそのお金で遠征に行くと、学生時代全く乗らなかった新幹線のチケットを買う事もあって、ああ自分も新幹線に乗るくらいの給料をもらっているんだと大げさに思ったりしました。
実際社会に出るようになって自分の自由になる金額というのはかなり広がりました。遠くの試合も行けるようになったし、見に行くサッカーの試合も増えました。時には「日曜日だけど、近場で試合がなくて暇だから」という理由で新幹線に乗ってJ2を見に行くなんて言う突飛な行動もしたりしました。

ただ、それで札幌につぎ込む金額は増えたかというと実はそれほど増えていません。交通費などの間接的な費用は確かに増えましたが、直接的に何かグッズを買ったり、というような事はあまりないような気がします。僕自身が昔からグッズをあまり買わない性分だった、というのもありますが、根底には「金を出すより声を出す方がずっと大事」という思いがあります。お金がなかった学生時代、とにかく行ける限り試合に行って声を出して応援するという気持ちがそのまま今でも自分の応援につながっているのかもしれません。また、普通列車や夜行バスといったかなり体力を使う移動手段で遠征するのに比べて、今はそれなりに余裕の持てる移動が出来るのだからその分もっと応援そのものに力をそそぎ込めるはずだ、という思いもあります。ただ、他の人のようにお金も声も出す人をみるとその気持ちがぐらつくこともあるのですが。
 
たしかに社会人になってお金が増えて、サッカーも見る機会が増えたのは事実ですが、変わったのはそういうお金の使い方だけなんじゃないかと思います。根底に流れているのはやはり「現場第一」の気持ちですし、それはこれからも変わらないんじゃないかと思います。さらに、社会人になってより「(サッカー以外の)日常生活」に置く比重というのは増えているわけで、そういう社会の複雑さというか猥雑さのようなものが大きくなったからこそ、割り切るときは割り切って、試合の時はシンプルに自らの声だけで勝負すると言うことはすごく大事なことなんじゃないのか、と考えています。
 
さて、ここまでは僕が「どのように生活とサッカーを考えているか」という事について話を進めさせていただきましたが、次回はそういう「割り切り」では自分の中で語ることの出来ない、ある一つの過去の話をしていきたいと思います。


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00:26

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aftertalk#2

2007年12月14日

そんなわけで、aftertalk第2回でした。

このころは社会人1年目の年も暮れようとしていた時期で、自分が思い描いていた社会人像と実際の自分の姿がかけ離れていることに悩んで近づこうとしたり、自分自身のスタイルはどこにあるのかと考えたりもして難しい一年だったなあという記憶がある。チームも残留を果たしたけれど岡田監督退任というショックがあり、来シーズンに関しては必ずしも100%ハッピーな想像ができていなかったころ。

で、この回では前回に引き続いて「自分とフットボールの関わり方」ということで話を続けている。学生から社会人になって生活と生きるスピード(大げさだけど)が変わり、そこらへんの線引きや割り切り方に苦労していた頃。そういうふうにフットボールと生活をわざと乖離させて考えようとしていたことが間違っていたのかもしれない。「平日=仕事の日、だから応援には行かない」なんて書いているあたり、ガチガチに堅い頭の人間だなあ。平日じゃないところでも働いている人たちがいるからこそ社会は回っている、ということを思いっきり無視しているというか、明らかに見下しているよなあ。と、自分の青さを恥じてしまう。そういう上から目線を持っていたにもかかわらず会社で働くということを猛烈につまらなく感じていて、このつまらない会社社会と楽しいゴール裏の世界がどこかで繋がっていて、フットボールも生活もすべて地続きだということを信じたくなかった。それでもミスで落ち込んだ気持ちなんかはゴール裏に持ち込まないようにしたし、コールリーダーをやっていたから余計にそういう所は見せないようにしようと強がっていた(と思いこんで、「コールリーダーとしての自分の姿」にすがりついて生きていた)。そんな矛盾がいずれ自己の破綻を生む原因になったのだけど、それは後の話。

もうひとつ、この頃に考えていたのは「ストレス解消の応援はしない」ということ。いち観客として試合を見に行く(他のチームとかリーグとか)のは趣味というかストレス解消になることはあるけど、札幌の応援をするときだけはそんなことを思っちゃいけないというスタンスだった。声を出すのも跳ぶのもチームのため、応援のすべてにおいて自分にも他人にも甘えは許さないというある意味思想的に極端で強制的でヤバい(苦笑)考え方をしていたんだなあと思う。この頃ってそういう自意識の水槽の中に自分で自分を縛ったまま勝手に落ちて溺れていたようなもので、ふとしたことで思い出して「あのときは人間としてマズかった」と落ち込んだりすることもあるけど、わたしは元気です。何この自己批判。

まあ、今はもうちょっとそのあたりをゆるく考えられるようになったというか、「『興行』としてのフットボールを楽しむという人を否定しない」という気持ちにはなっている。「楽しむ気持ち」をそれなりに持っていないと応援は続けられないし、続いたとしても唐突に冷めたり壊れたりしてしまうのだろうと思う。「ゆるい部分を持ちながら続ける」というのが今の自分のスタンスだ。それは意識の変化なのか、大人になったとういうことなのか、老成ということなのかはまだわからないけど。


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23:44

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CONSAISM classics #2

2007年12月13日

引き続いて第2回目の「classics」。
自己紹介というか「学生と社会人の違い」な話が続きます。


さて、この春に大学を卒業し、晴れて社会人となった僕がぶつかったのはその流れの激しさでした。
いままではたまに授業に出て、ゆっくりレポートを書いて、卒論を書いて、サッカーについて考える時間なんて本当に余るほどあったのですがそんな時間はどこかへ吹き飛んでしまったような生活の激変を感じました。
一つの仕事を成し遂げるためには何より早く正確に物事を決断し、処理を行うことが肝要なのですが、最初の頃はそれについていく事が出来ずにひどく苦労しましたし、うまく覚えて仕事を自分の物とする事の出来ない自分に腹が立ってしょうがないこともありました。そしてそれはおそらく応援することにも影響を及ぼしていました。先制されたり、不利になったりすると気が焦ってしまってその結果応援は激しくはなるものの空回りという事態に陥り、それでも流れを変えたりすることは出来なくて空回りしていることを自覚できずに悪循環にはまりこむということが何回がありました。一言で言うと「いっぱいいっぱい」というやつです。仕事においても応援においても、自分自身に余裕のない状態がしばらくの間続いていました。
そんな状況が続いていると、さすがに自分のリズム、というか生活の所々でリラックスするすべを感じ取ることが出来るようになってきました。というか、生活のリズムを自分の状況に応じて変えることが出来るようになった、という方が正しいのかもしれませんが。
その方法の一つとして、今まで線を引いてきた仕事(勉強)とサッカーの割り切りをもっと強くする、ということがあります。つまり、札幌の試合を見に行けない時は割り切って自分の身体を休め、リフレッシュする事に専念するということです。
たとえば厚別でのホームゲームが行われて、自分が行けない時なんかは普通に買い物に行ったりしています。もともとじっとしていて「念」を送ったりということは出来ない性分なので、それくらいならきちんと休んで来るべき仕事に備えよう、と思うわけです。そして時折携帯で途中経過を見ておお勝ってる、とかああ負けてるよ、とか思うくらいです。そうした気持ちがあるから、試合を見に行くときには誰よりも声を出して勝ちにいく激しさを持っていたいと思っています。
ここまでは休日の話をしてきましたが、では平日に試合があるときはどうするかというと今はどこで試合が行われていようとも行かないことにしています。「平日=仕事をする日」という観念をもっているというのと、新入社員とはいえ自分がいないとうまく進まないものもあります。そうしたときに、自分がサッカーに気を取られていたりするとおそらく仕事の上で周囲に迷惑をかける、と思っているからです。だから、仕事中には仕事のことしか考えないようにしていますし、そうしていないと気を取られてしまう自分の弱さに対する戒めも兼ねているのです。ですから仕事に集中していて試合があることなど忘れてしまって、気付いたのは帰りの電車の中だったりする事もあります。
まあ、ここまで書いてきたことを一言で言ってしまうと「仕事の速さに苦労した」という事になるのですが、その中で自分がどんなことを考えていたのか、という事をすこしでもわかっていただければ幸いですし、そんな風に生活が変わってもやはりサッカーと札幌に対する気持ちだけは変わっていないというか、むしろ濃縮されているような気さえしているこの頃です。
 さて、今回の「時間」の話につづいて、次回はもう一つ学生と社会人とで決定的に異なっている点、「お金」について書いてみたいと思います。
 


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23:47

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aftertalk#1

2007年12月12日

そんなわけで「classics」第1回をお届けしました。

最初から中盤過ぎの回くらいまではですます調で書いていて、それはたぶんにかしこまった気持ちで書いていたというか、文章と自分の距離を測りかねてよそよそしくなってしまっていたような感じだったのかなあ、と読み返してみて思う。それに第1回だったし、丁寧に自己紹介をするような気持ちもこめて書いていた。核になる文体というのは今でも変わっていないけど。

ただ、考え方だけは変わったなあと思う。
仕事(生活)とフットボールに線を引くという考え方はあんまりなくなっていて、全部一緒くたにして考える、それもこれもまとめてひとつのものとして考えるようになった。線引きしても人生においては特に何も変わらなかったし、ちょっとゆるくしてみてもこれまた何も変わらなかった。なら、ゆるい方がいいだろうと思って今に至っている。20代の始め、就職したあたりはなにごともきっちりとやっていこうという思いがあったんだけど、そのうちに切り替えのスイッチが壊れてしまったというか、ONもOFFもうまく切り替わらないみたいなことになってしまって。
「No Life,No football」という考え方も、年が過ぎるにつれてゆるくなっていった。最初のほうは「生活がしっかりしてなきゃフットボールは見られない!だからがんばって働かないと!」みたいにきりきりしていたのが、今になっては「死んだらフットボール見れねーから生きとくか」てな感じに変わってきている。というか、あの頃は考えすぎていたんだろうと思う。それが良かったのか悪かったのかにかかわらず。ちなみに最初にこのコラムで書きたかったことというのは「人生におけるフットボール」とか、「生活の中のフットボール」みたいなことを考えていて、そこから生まれたのが「No Life,No football」ていうコラムのタイトルだったりする。いわゆる「日常系」を何となく目指していたわけだ(それがどういうことになったのかはおいおい語りたい)。当時様々なサイトで目にするコラムはゲームリポートやフットボール原理主義みたいなテーマに寄っていたものが多かったので、そういうのとは逆のアプローチをしてみたいと書いていたのを覚えている。

あのコラムを書いてから何年も経って、いろいろなシーンに遭遇し、いろいろな人生観が変わった(あるいは変えさせられた)。けど、変わっていないのは「フットボールに救われている」という思いじゃないかな。自分自身の状況にかかわらずフットボールはいつもそこにあって、フットボールを見て、応援すること、勝敗を超えてコンサドーレというクラブが「ここにある」ということだけで救われるような気持ちになったことは数え切れないし、いつかその感謝を何らかの形で恩返しできればと思う。昔も今もそれだけは変わっていない。


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23:52

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CONSAISM classics #1

2007年12月11日

ということで、2000年12月に掲載された第1回目のコラム。
明日はこのコラムを読み返しながら「aftertalk」を更新する予定です。


このたび、永井さんよりのお誘いを受けてこのコラムを書かせていただくこととなりました。よろしくお願いします。
 
まずは自己紹介を。
僕は高校卒業後横浜の大学に進学し、現在は社会人一年目の生活を送りつつ、主にアウェイの試合に通い、札幌の応援をしています。そんな僕が応援と仕事(=仕事とサッカーのバランスのとりかた)をどんな風に考え、どんな風に生活しているのか、という事を中心に書いていきたいと思っています。そして、今回は学生時代と現在での僕とサッカーの関わりについて思うことを書いていきたいと思います。
 
僕が札幌を応援しはじめたのは高3の時、厚別での日本電装(現:デンソー)戦からでした(ちなみに、本HPで連載されておられる笹田さんと知り合ったのもこのときです)。それまではTVで見ているだけだったのですが、それだけでは我慢ができなくなった、というのがスタジアムに通い始めた正直な気持ちでしょうか。それ以降厚別には何回か足を運び、自分の住む町にプロサッカーチームがあり、それを応援できるということの幸せを感じ始めていました。しかし室蘭での大塚戦に行ってからはスタジアムに見に行くのをやめました。受験に専念するため、ということで。
当時僕は受験生まっ盛り。サッカーを見に行くことより、それを我慢して勉強するほうが今の自分にとっては大事だと考えたのです。大学に行けば自由な時間も増えて、もっとサッカーを見に行けるとも思っていました。
ちなみに札幌を応援するようになってから志望大学を道内にするということは全く考えまず、第一志望は道外の大学のままでした。アウェイでも応援はできるし、札幌にとどまっているよりも多くの刺激を受けるだろうと思っていたからです。言い切ってしまえば、僕は札幌を応援するためだけに生まれてきたのではなく、それだけの人生なんてつまらない、だから内地に出ていろいろなものを見てこよう、という気持ちがありました。
サッカーと生活にきっちり線引きをするという僕の今のスタイルは、おそらくこのときから確立されていたのでしょう。
 
我慢も実って無事に大学に合格し、横浜へ引っ越してからは、札幌の試合(特にアウェイ)に行くようになりました。どこにあるかもわからなかった試合会場を調べ、そこへいくための交通手段を調べ、97年JFL開幕戦の行われた水戸・笠松へとたどり着いたとき、そこで僕が見たのはホームよりも圧倒的に数の少ない、けれども持つ熱だけはホームに負けない札幌のサポーターでした。
それを見て僕は「ここでは自分が一生懸命声を出さなければ、選手たちを鼓舞できない。そしていずれは、アウェイでも多くのサポーターを集めたい」と思い、本格的にアウェイの試合での応援にのめりこむようになりました。
そうして全国を歩いて行きながら、僕はいろいろなものを見ることができました。知らない町の雰囲気、景色、人のつながり。僕は高校時代に思っていた「サッカーだけではないこと」を、サッカーというきっかけによって得ながら遠征を続けました。
また、当時は学生の特権として時間だけは有り余る生活で、遠征費を安くあげるために鈍行を乗り継いだり夜行バスで往復したりしていましたが、その分応援というものについて深く考える時間がありました。「もっとサポーターを集めるには」「なぜ応援するのか」という問題から応援の方法論、新コール・・・などなど。チームの調子が悪いときには自分も思い詰めすぎて本当に飯が食えなくなったり、応援という物を突き詰めて考えすぎたりしてましたが。
でも今思うと、あのころ考えたことはきちんと自分の応援のスタンスとして生かされているわけで、それはそれで良かったかなと思っています。
 
そうしてサッカーを見、応援し、人と会う事を繰り返して今の僕があるわけですが、それで僕が感じているのは
「自分の生活を支えている物は、サッカーや札幌なんだ」
ということです。
ピッチに漂う雰囲気。選手のプレーとそれに起こる歓声。嬉しかったり、流れを変えたかったりしたくて叫ぶチームの、選手の名前。
別に何かに救われるとか癒されるとかそういうのではなく、言うならばともに前へ進んでいけるものが自分のそばにある喜び、それによって得られる強い気持ち。
それによって僕は日々の生活での心の糧を得て、僕自身前に進めるんじゃないだろうか。(別にサッカーと仕事以外に何もない、というわけではないけど)
そんなことを考えながら、学生時代は試合を見ていましたし、今もその気持ちは変わりません。
 
ただ、今年の春に晴れて会社員となり、自分の生活そのものが劇的に変化しました。その変化に戸惑いながらも僕の支えの一つとなったのは、やはりサッカーであり札幌でした。そんな社会人としての今と学生時代との、サッカーへの関わり方の変化を次回は書いていきたいと思います。 


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22:47

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リスタート、あるいはキックオフ

2007年12月10日

J1に昇格したらひとつやりたいことがあった。
むかしコンサドーレのサイトで書いていたコラム、それをおまけ付きで全部アップしてみようという試み。

そしてそれを始めてみる。


書いていたのは「コンサイズム」という名前で、日替わりでいろんな人のコラムが掲載される、コンサドーレとフットボールのことを主に扱うコラムサイトだ。あのサイトで毎日配信されるコンサドーレの諸情報、ゲーム速報、そしてコラムがあり、毎日アクセスして読んでいたという人も多いだろう。僕はそこで約2年間、延べ51回に渡って「No Life,No Football」というタイトルでコラムを書かせてもらっていた。コンサドーレひとすじというよりはちょっとひねくれた視点、でも文章は今読み返してみればまっすぐという文章を51回分。昔の彼女に「貴方は曲がった道をくねくね歩いているというより、いったんすごい方向に曲がってあとは真っ直ぐみたいな感じ」と言われたことがあるがまさしくその通りだったと思うし、たぶんそれは今でも変わっていないことだろうし、そういう性格なんだと思う。

書いていたのは2000年末から2003年春まで。コンサドーレの歴史としては、岡田武史監督(当時)での二度目のJ1昇格から再降格、ジョアン・カルロス体制でJ2からのリスタートを始めた時期に当たる。もう一度J1に上がったら、その頃のことをもう一度語りたいと思っていた。理由としては、本家の「コンサイズム」では過去のコラムがアーカイブされていないということと、前のJ1時代に考えたことをサルベージすることで、来年からのJ1に向けて読んでいる人(どれくらいいるのかは未知数ですが)に何らかの刺激を与えることができればという思いと、「過去の自分を見つめ直す」という名目の自己満足、その三つ。
でも、ただ昔の文章を引っ張り出してきてのっけるだけじゃ芸がない。そういうことでタイトルにもあるとおり「+ after talk」ということにした。一日は過去のコラムを載せて、次の日にアフタートークを載せるというスタイルで、サイドバックやウイングバックさながらに過去と現在の往復運動を行う予定でいる。ちなみに、全部載せ終わったあとのことは考えておりません(だらだら駄文を書くんだろうなあ、たぶん)。ちなみにもう一つのブログのほうは諸事情によりあのまま塩漬けにします。

この企画を始めるにあたって「コンサイズム」の関係者の方々に掲載の許可をお願いしたのだが、快く許可を頂きました。深く感謝いたします。


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23:32

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