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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

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aftertalk #24

2008年02月23日

clasics #24でした。ワールドカップの時に感じた違和感というのはaftertalk #20でも書いたんだけど、なんだったんだろうあの騒ぎ。
自分の代表に対する気持ちとかワールドカップへの期待とか、そういう気持ちっていうのは97年をピークにだんだん下がりつつあって、今では流す程度。札幌の選手が代表に選出ということもなくなって(たった一度しかないわけですが)、そのうちJ2に落ち、世代別代表からも遠くなり、という歴史も「代表離れ」が進んでしまったひとつの原因だと思うけど、もうひとつの大きな原因というのは「代表を取り巻く空気」が変わってしまったというか、自分にとって親しみの持てるものではなくなってしまったのもある。みんなこぞってカズの落選と、トルシエの戦術と、ジーコのカリスマを語り始めて、それが自分にとっては煩わしくなってきたのだろう。相変わらず心が狭い。ああいうふうにこぞって盛り上がると目をそらしてしまう性格の人間で、売れる前のアーティストとか無名の小説とかそういうのを好んでいて、いまでもそれは変わらない。そこにある(ある意味で)マイナー性みたいな空気が好きだから、ひょっとしたら札幌というプロビンチアを好きになったのも必然かも知れない。東芝の札幌移転まではガンバ大阪、とりわけヒルハウスとかスクリーニャとか森岡茂とかその辺りの選手が好きだったんだけど、札幌ができてからは足を洗った。正確に言うと国立でのワールドカップ予選の前の日になぜか浦和×ガンバというリーグ戦の試合が組まれていて、国立に並んでいた自分は抜け出してガンバを見に行った。それが応援した最後。あれ以降、ガンバの試合を第3者の立場で見たのもないなあ。万博に札幌の応援に行ったのが2回くらいあるだけ。

話を2002年に戻すと、あのワールドカップのあとでファンの底上げという一応の役割を果たしたとは思うけど、自分が思い描いていたほどみんなが「語る」という現象にはならなかった。もっと深いところで語って欲しいのにもどかしいような。自分の思い描いていたところが高すぎたというか、夢を見すぎていたところもあるけれど。いつだって理想論ばかり語りたがるのはわるいところ。代表の試合を見なくなっても、語らなくなっても、ブログが不満と愚痴と自己批判にまみれても、こういう無駄なところだけが積み重なっていくのがなんともまあ。


post by retreat

21:24

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