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2005年12月29日
今年はアウェー観戦は控えめにするつもりだったのに、気がつけば鴨池にも博多の森にも行ったし、鳴門にも西京極にも行った。開幕戦終了直後の甲府駅前のほうとう屋は赤黒な人で埋め尽くされ(地元客が「今日なんでこんなに混んでるの?」と言っていた)、鹿児島の天文館むじゃきでは赤いシャツの人が白熊を食べていた(そしてその後に僕も白熊を注文した)。
5月の室蘭は寒かった。中山峠で雪に遭遇したときにはもう帰ろうかと思ったけど、指先が動かなくなるほどの冷たい雨と風の中で、サテライトの試合を見た。あの頃はまだ、柏レイソルがJ2に落ちるなんて、思ってもみなかった。
コンサドーレ札幌U-18が全日本ユース選手権で決勝に進出した日は、日帰りで東京を往復した。メインスタンドでお会いしたHFCの児玉芳明社長に「お世話になってます」とお辞儀をされたときは、正直、かなり戸惑った。まさか自分がそんな立場になるなんて、デルリスの移籍話が出てきた頃までは、まったくの想定外だった。
今でも、自分の立ち位置をどこにしたらよいのか、答えを見つけられずにいる。サポーターはあくまでもサポーターでしかないのだが、多少なりともクラブとの接点が出てくると、見えなくていいところまで見えるようになって、サポーターとしての自分を作り直さなければならなくなる。たぶん、今は、そういう場所にいるのだと思う。
このコンサドーレ札幌オフィシャルブログの最初の企画書は、確かに、僕が書いたのだが、WEBOSSという会社としては、別に、コンサドーレありきの企画ではなかった。同じような企画を(スポーツに限らず)複数社に持ち込んだ中で、もっともすばやく反応してくれたのがHFCだったに過ぎない。
札幌ドームに隣接したHFCのオフィスを初めて訪問したのは、デルリスの移籍が報道された直後だった。児玉社長の「水戸でかなり点を取っていたみたいですね」との、ビジネスの潤滑油的雑談に、「デルリスはいいですよ!」とサポーター的反応をしてしまってから、心の中で反省して、それからはできるだけサポーターとしての自分を封印して、あくまでもビジネスとして、プレゼンした。
ここには書けないことも含めて、さまざまな幸運が重なって完成に至ったコンサドーレ札幌オフィシャルブログではあるが、児玉社長の、早すぎるぐらいに早い決断と、ブログをメディアとしてとらえることへの的確な理解がなければ、実現はなかった。
多くの企業経営者が、リスク管理を気にしすぎてなかなかこうしたサービスの提供に踏み切れないでいる中、児玉社長は、ネガティブな側面もあることを承知のうえで、ブログの可能性を信じてくれた。これこそが、オフィシャルブログを立ち上げる中での、最大の幸運だったように思う。
WEBOSS株式会社の役員という立場からいえば、このオフィシャルブログは、広告媒体としてはまだまだで、売るための仕組みづくりと商品設計を日々試行錯誤している段階ではあるが、それはそれとして、サポーターとしては多くのみなさんの投稿記事を日々楽しませていただいている(おかげで生活時間の中に占めるコンサドーレ比率がさらに高くなってしまったのは困ったことというか、なんというか)。
まだ今年は2日残っているので、これが年内最後のエントリになるかどうかはわかりませんが、とりあえずご挨拶ということで、今年はお世話になりました(>みなさま)。来年も引き続き、ごひいきにお願い申し上げます。
天皇杯決勝のチケットが見当たらずかなり焦っている(^^;)吹雪の夜に
2005年12月26日
その名も「BEST OF COURAGE 2003 ~THE SONG OF THE YAMAGATA SUPPORTER~」。モンテディオ山形のサポーターによる手作りCD。実物を手に取るとすぐにわかるのは、CD-Rにインクジェットプリンタで印刷したものであること。中に入っているペーパーやジャケットも、おそらく、インクジェットで印刷したもの。2003年シーズンの第2節(曽田雄志の持ち味を存分に発揮したミスで83分に同点に追いつかれるも、その2分後に曽田が勝ち越しゴールを奪って勝った、曽田のための試合)、まだベットが健在でジョアンとウィルがJ1に連れて行ってくれると無邪気に信じていた頃に山形で買った。確か1000円。
同封されているペーパー(ライナーノーツ?)の冒頭には、こんなことが書いてある。ちょっと長いけど引用。
---(引用ここから)---
★BOC2003を手に入れてくれてありがとう!サポートソングをより多くの人に知って欲しくて、カセットテープの手作りから始まったBOCも、今回で早くも6シーズン目。最新版の2003は、参加人数過去最大の規模で収録されました。/今回は、事前に音楽スタジオで楽器・歌の練習などを重ねてクオリティーアップを行い、渋滞の車中で聴いてもイライラしない(微妙な)完成度を達成!さあ!今年もBOCを聴いて、週末はべスパのバックスタンドでハジけようぜ!
---(引用ここまで)---
(注:べスパ=山形県べにばなスポーツパーク。ザスパの間違いではない)
これに続いて、全選手の応援歌の歌詞と、ちょっとした解説が添えられている。この解説がまたおもしろいのだが(たとえば大島秀夫の欄には「伝説のストライカー『真下』のナンバー9とコールを受け継ぐ男」とある)、それをいちいち紹介していると大変なので、さっさと本題に行こう。
本日、コンサドーレ札幌入りが発表された川崎健太郎選手の欄には、こんなことが書いてある。
---(引用ここから)---
▲川崎 健太郎
俺達の健太郎はスゲエ楽しい奴だぞ!
コール:ケンタロウ
オレー!カワサキ! オレー!カワサキ!
オレー!カワサキ!(オイ!)
(太鼓)
ケンタロウ!
---(引用ここまで)---
これだけなら別にどうってことないのだが、川崎選手は、このCDに登場する選手の中で唯一、応援歌がもう1曲収録されているのである。これがもう、一度聴いたら絶対に耳を離れない。僕が、この年、山形の試合の中継で川崎健太郎という選手を意識して見たのは、この歌があったからだ。
この当時、「♪なんでだろう~なんでだろう」ってのが流行ってたことを思い出してほしい。
---(引用ここから)---
▲川崎 健太郎スペシャル
健太郎がゴールを決めたらスペシャル発動!
今話題のあのリズムに乗せて(振りも忘れずに!)
けんたろお~けんたろお~かわさっき けんたろお~
けんたろお~けんたろお~かわさっき けんたろお~
けんたろお~けんたろお~
かわさっき かわさっき かわさっき けんたろお~
---(引用ここまで)---
ちなみにこのシーズン、川崎選手のリーグ戦での得点は「1」なのだが、これはホームで決めたもの(第7節サガン鳥栖戦、山形は4-1で勝利)。その頃、僕は小瀬にいたはずである(ウィルが芝に足を取られてケガをした日、なのだ)。
2005年12月24日
仙台スタジアムで天皇杯準々決勝・鹿島アントラーズ-大宮アルディージャを見てきた。往路は新千歳空港10時55分発、復路は仙台空港20時15分発(短くいうと「日帰り」)。
試合はおもしろかった。鹿島は、小笠原満男にまったくキレがなく(そしてあげくの果てにラフプレー2回で退場<ブラジル人のようなメンタリティーだ)、大宮がつかまえきれていなかった深井正樹が後半開始早々に負傷交代してしまったこともあって、最後まで何をしたいのかがわからないまま。対する大宮は、森田浩史(仙台スタジアムキラー)がアマラオかと思うほどに守備に攻撃にと動きまわり(そして得点も決めた)、全選手が最後の力を振り絞って足を伸ばし、ボールを失うまいと頑張った。
久々の仙台スタジアムも最高(ガラガラだったけど)。やっぱりここは日本一のスタジアムだ(フクダ電子アリーナはこけら落としのときの印象が悪すぎたもので-もう一度行けばまた違う感想を抱くかもしれないけど)。
ただ、ものすごく寒いのには参った。防寒対策には万全を期したつもりだったのだが、ふと気がつくと鼻水がたらりと出ていたりする。そりゃ、こんなに寒いのなら、どちらのチームにも関係のない仙台の人たちは見に来ないわな(それをわざわざ札幌から見に行っている自分はかなりヘンだ)。
今の時期、航空運賃は「ピーク期」なのだが(ゆえに今回は株主優待証を使ったのだが)、往復の飛行機はガラガラ。帰りなんか、126人乗りの飛行機に乗客11人で、これほどすいている便に乗ったのは初めてかもしれない(すごく小さい飛行機でなら、乗客が自分だけ、という経験をしたことがあるが)。
その11人のうち1人は、なんと!大宮でも鹿島でもベガルタ仙台でもコンサドーレ札幌でもないJクラブに所属する某現役選手(スーツ姿)。早めに空港に行ったら、搭乗待合室には彼しかいなくて、なぜかかなりドキドキしてしまった(サインもらおうかと思ったけどあまりの軽装のためサインしてもらうモノが見つからず)。すわ札幌で入団交渉か!?と言いたいところだが、新千歳空港に城福さんはいなかったし、そもそも、彼が札幌に移籍するなんてあるわけがない(来てほしいけどね)。

2005年12月20日
ファンクラブのプレミアム制度ができた年からプレミアムメンバーになっているのだが、正直、あまりメリットを感じたことはない。一般会員との違いを感じるとすれば、オリジナルグッズがもらえることと、試合会場でのフォトカードプレゼントがかならず年2回当たることぐらいで、どちらもさほど嬉しいというほどのものでもない。
児玉芳明社長のブログでプレミアムメンバー限定パーティーの様子を知って、なるほどこれは楽しそうだとは思ったものの、では来年は行くかとなると「?」だ。無料なら行くかもしれないけれど、もともとかなり高い会費を払っているうえに参加費も取られるのは、なんとなく、納得がいかない(というか、そこまでして行かなくてもいいか、って感じ)。
2001年のようにチケットが取りづらい状況になったときに、プレミアムメンバー優先枠のようなものがあれば、メリットはわかりやすい形で出てくるのかもしれない(それにしても自分はシーズンチケットだから、他人の分が買えないのでは意味がないのだが)。そう思って、なんだかんだ言いながらも、来年のプレミアムメンバー継続申込は済ませているのであった。
でも去年のお誕生日プレゼントにもらった曽田のサイン入りグッズはちょっと嬉しかったかも(^^;)。
2005年12月19日
来シーズンの開幕戦に合わせた格安航空券の事前予約がちょっと前にあったが、今回はさすがに見込み予約はできなかった。入れ替え戦のときは、仮に関係ない事態になったとしてもただ東京に行けばよいだけのことだったが(そして実際にそうなったのだが)、開幕戦に関しては、ヤマをかけて東京往復でフライトを予約したのに実際には鳥栖スタジアムだった、なんてことになったら、高いキャンセル料を払わざるを得なくなる(関東地方のクラブの開幕戦を見ればよいのだが、それはちょっと悔しい)。
まあいいや、来季の開幕戦は見なくても。どうしても見たければ、なんとかすればなんとかなるだろう(たとえばマイレージを使うとか)。
昨日まではそう思っていたのだが、今日、お誕生日ですよメールが届いて、大発見。開幕戦が行なわれる週末は、ぼく、バースデー割引使えるですよ。これなら日程が発表になってからでも安く行ける。しかも同行者3名までOKだ(誰か行きますか?)。
ただし、バースデーってのも、枠はけっこう小さいから、ギリギリになると取れない可能性もある。あるけれど、まあ、取れない場合は行かなきゃいいだけのことで。
どうせバースデーで安く行けるんなら(日本語で「バースデー」と書いていると、阪神のバースの日、みたいな感じがしてくる)、鳥栖でも愛媛でもいいぞ(いや、愛媛は直行便がないからダメか)。神戸空港ができるから神戸ウィングや鳴門でもいいぞ。むしろ水戸(パウリーニョにとっては札幌よりも遠く感じる場所らしい)や草津よりも、鳥栖のほうが行きやすくていいぐらいだ。
鳥栖で土曜日の13時、なんてのは、それはそれで困るのだが。
2005年12月18日
日テレの実況が地球一地球一ってやたらと言うから(うるせえ北海道には宇宙一があるんだぞ)、副音声の英語実況にしようかと思ったら、あらま、副音声ないじゃない。でも、それを除けば、日テレのサッカー実況は、ボールのないところの話もするし、けっこういいと思うんだけどね(ただしカズを映し出しているうちにサンパウロのゴールが決まってしまったことは反省してください<平川さんふうに読んでください)。
それでもおもしろかった世界クラブ選手権。決勝は、両チームがすでに日本で1試合やっているからか、選手のコンディションはよさそうだし、見る側にとっても2試合目ということで多少なじみのあるチームになっているから、従来の一発勝負のトヨタカップよりもおもしろく見られたような気がする。
それ以上に意外だったのは(FIFAが新たな収益源を作るためにむりやり参加させたのだと思っていた)南米と欧州以外のチームがみな本気で、しかもそれなりに強かったこと。大会が始まるまではけっこう冷めてたけど、今日なんか準決勝の中継もけっこう真剣に見ちゃったもんな。
僕は世界のサッカーのことはあんまり知らなくて、電車の中で他人が読んでいる新聞の見出しに「クラウ」の文字が見えたときには「クラウチ」ではなく「アルバート・クラウス」だと思ったぐらいなんだが(鈴木隆行=知っている外国人の名前はサッカー選手よりプロレスラーのほうが多いらしい=にはその点では親しみをおぼえる)、世界のクラブサッカー、選手のこと知らなくても、十分におもしろい。見たことのないユニホームや歴史を知るだけでも、けっこう楽しめる。
今年の夏ごろからは、あちこちでこの大会のチラシをもらったが、そのたびに、こんな高い入場料ではお客が来るわけないだろ、知らないチームばっかりなんだしと思っていた(実際に昨日まではあまり客の入りはよくなかったようだが)。でも、これなら、来年はもっと入るんじゃないかな。クラブレベルの本気の勝負、キリンカップの日本じゃないチームどうしの試合よりもずっとおもしろいもん。
何日か前、FIFAの誰か(?)が「札幌や大分など屋根付きスタジアムでやれば寒くないから集客が期待できるんじゃないか」と言ったのに対して、日本側の誰かが「札幌や大分では観客が集まらない」とコメントしたとかなんとかかんとかのニュースがあったが(<すごくいいかげんな書き方でなんですが)、そんなこと言わないで、1試合ぐらい、札幌ドームでやってみてくださいな(ただ、札幌だと、入場料は多少下げないと、きついかもしれないなあ…決勝でもない限り、遠方からわざわざ札幌に見に来る人もそうはいないだろうし)。
来年は、豊田でも横浜でもいいから、1試合ぐらいは見に行ってみよう(でもできれば札幌でもやってほしいなあ)。
※写真は大会記念の東京メトロパスネットカード(東京在住のマニアな友人から譲ってもらった)
2005年12月18日
芳賀博信、野本安啓までは「ふーん」としか思えなかったが、児玉新、千葉貴仁と知っている名前が出てくると「ふむふむ」になってきて、さらに関隆倫と来ると「おおっ」だ。これに、今シーズンの開幕前はえらく評判の高かったフッキが加わるとなれば、そこそこいい補強になるんじゃないかと思う。
ま、決まってるのは、芳賀と野本だけ、なんだけど、これだけ名前が出てるんだから、たぶん、来るんだろう。時期も時期だし。
こうやって並んだ名前を見ると、柳下正明監督がほしい選手ってのは、がんばれる選手、走れる選手だということがよくわかる。関なんてホントわかりやすい(ヤツが水戸ホーリーホックからいなくなると水戸とやるのはずいぶん楽になる…って、そういうことがねらいじゃないよね^^;)。ジュビロ的というよりオシム的。中央からスペースを見つけて配球する(だけの)選手よりも、スペースに向かって走り続ける選手がいい。極論すると全員が羽生直剛。なるほど、それなら砂川誠も生きてくるかもしれないし、金子勇樹や鈴木智樹のちびっこ中盤でもいいのかもしれない。
そうはいっても、汗かき球拾い的なボランチはほしい。多少荒っぽいこともできるようなタイプ、となると、あんまり若くてもダメなんで(かつての今野泰幸のような例もあるが)、とかなんとか言ってるとなかなか出てこないわけで、後ろが安定するなら池内友彦のボランチ転向(復帰?)、なんてのはダメなのかな?
2005年12月17日
さっぽろ村ラジオで毎週金曜日に放送中の「コンサ!ラジオブログ」公開録音に行ってきた。
トークの中身は番組(今月23日放送予定だそうです)で聴いてもらうとして(といっても聴ける人は限られるのだが-かくいう僕もこの番組を実際に聴いたことはない)、まずは野々村芳和さんが台本も何もないのにすらすらとしゃべるのに感心。さすが自分は動かずに他の選手を動かしてきたテレビやラジオで売れっ子になっただけのことはある。
その野々村さん、登場時には僕のすぐ脇をすり抜けていったのだが、雪まみれになった小走りの兄ちゃんは、その辺の兄ちゃんだった(笑)。あれじゃその辺ですれ違ってもわかんないだろうな。全日本ユース決勝の試合前に埼玉スタジアム2002でお見かけしたときは、男から見てもすごくかっこよかったんだけど、今日は「大雪にやられてます」って感じ(<わかるかなあ?)。
司会進行のHFC水澤佳寿子取締役は、開始当初、かなり緊張されていた様子。人前でしゃべるのには慣れているはずの水澤さんでもそうなのかと、僕、ちょっと安心しました。コンサドーレサポーターの、熱気というのとはちょっと違う、でもなんか不思議なパワーのある空気にやられたのだろう(と勝手に想像)。挨拶しただけで拍手をもらうのはありがたいことなのだが、あれ、すごく緊張するのですよ(だからやめてくれってことじゃないです、もちろん)。
あの紀伊国屋書店のビルの1階でどうやってやるのかなあ、ギャラリーを収容しきれるのかなあと、他人事ながらちょっと心配していたのだが、ふだん置いてあるソファー類はすべて撤去されていた(そりゃそうだろ、そうじゃなきゃできないよね)。えらい勢いで降る雪の中、わざわざ見に来た物好きな人の数は、ざっと70人ぐらい(関係者らしき人は除いてカウント)。
今回のイベントは基本的にさっぽろ村ラジオのスタッフの方々が仕切っていたようで(HFCの方は水澤さん以外にはお一人だったみたい)、なるほど、こういうふうにしてクラブの外にいる人たちが盛り上げていけばいいんだなと、よくわかった(<最後の「、」のところ、自分の頭の中では多くの暗黙知が動員されているのだが、いちいち言葉に落としてないのでかなり唐突かも<わかりにくかったらすいません)。
最後に自分の話をすると、知らない(とこちらが思っていた)方々から「こんにちは」と挨拶されて、ちょっとびっくりした。みなさん、ブログ講座に参加された方だそうで(覚えてなくてすいません)、短い時間ながら、お話できて楽しかった(というより嬉しかった)です。僕はこれまで試合はたくさん見てきているけれど、有名サポーターの方々と知り合いだったりすることはまったくなく、サポーターとしては基本的にステルスでやってきたので、ああいう形で声をかけられることには慣れていないのです(別にイヤではないのでお気軽にどうぞ)。失礼があったらごめんなさい。
なんか謝ってばかりだなあ(苦笑)。

2005年12月16日
昨日の続き。
初めて厚別に行ったのは1997年の8月で、なぜかこのときはすでにファンクラブに入会していた(いつ入ったのか記憶がまったくないのだが、当時はファンクラブの会員になると無料招待券がもらえて、それを使って観戦したのだ)。
大通公園に面したところにあったコンサドーレショップで、オフィシャルガイドブックを買ったのはたしかこのときで、カウンターのおねえさんの「試合会場で売ったサイン入りのもありますよ、ディドとコータ(吉原とは言わずにこう言った)とフェルナンデス監督と…」と言われて、「じゃあディドのください」と答えたあたりは、相変わらずひねくれている(普通なら吉原にするよねえ)。
その前に、アウェー(江戸川)の東京ガス戦でまたサポーターに驚かされる、という出来事があるのだが、これはまた別の機会に書くことにしよう。
ファンクラブの無料招待券は、自由席ならどこでも入れたので、バックスタンドもOKだったのだが、僕が見に行ったブランメル仙台戦は観客が集まりすぎて入場制限がかかった。だから、ホーム側のゴール裏(まだ芝生だった)に座ったのだが、試合前に仙台サポーターがやってきて一触即発、ならぬ、エールの交換が行われて、かなりびっくりした。僕の中でのJリーグ的常識では、アウェーチームのサポーターがホーム側のゴール裏に来て声を出すなんてのは、あり得なかった。
まだスカパーでの中継はなかったから(そもそもスカパー自体がJスカイBとパーフェクTVで、ヴァンフォーレ甲府のユニホームの背番号の上には「PerfecTV!」の文字があった)、リアルタイムに近い試合速報は、PHSを使って実験的に行われていた1分間隔の画像更新ページぐらい。静止画しか見えないくせに、本田技研戦のマラドーナのフリーキックに大声上げたりして(牧歌的な時代だ)。
全然移住にならないな。。。というわけで、さらに続く。。。
2005年12月16日
コンサドーレ札幌にさほど関心のない人が今季を振り返ったならば、目につくのはとにかく6位という結果であって「J1昇格は来年に持ち越しになった」「監督が目標にしていた5位以内も実現できなかった」「でも去年は最下位だったことを考えればよくやった」ぐらいのところが無難な総括だろう。ただ、これはあくまでもトップチームの成績の話であって、もっと大きなクラブという単位でみたならば、最大のトピックはHFCの役員逮捕(とそこからの復活)だ(<復活はまだかな?)。
J2で最下位になってもクラブが消滅することはないが、あの事件は、クラブを消滅させる可能性があった。いや、別に、何か特別な情報を握っているとかではなく、推測で言っているに過ぎないのだが、ただでさえ逆風にあったあの状況(金を集めるだけ集めておきながら実質的には破綻状態、おまけにチームはJ2最下位)を考えれば、スポンサーやファンが一気に引いてしまうことは十分にあり得た。
そんなこと起きるわけがないだろうと思うようなことが現実に起きるのは、1998年の横浜フリューゲルスと横浜マリノスの合併なる事象で経験済みだ。あのとき、みんなが慌てふためいたのは、あれが「想定外」の出来事だったからだ。つねに、最悪の事態は、頭の片隅に置いておいたほうがいい(そうすることで救いようのない状況に陥ることだけは避けられる)。
内田樹さんの新刊『知に働けば蔵が建つ』(文藝春秋、ISBN4-16-367700-3)を読んでいたら、こんなことが書いてあった。ちょっと長くなるが、以下、引用する(指示代名詞が何をさしているのか気になるかもしれないが、とりあえずそこは無視してください)。
(引用ここから)
彼らはやはり日本が国民国家として安定期にはいった時代にお育ちになったので、「かなり効果的に法治されている」ことや「通貨が安定していること」や「言論の自由が保障されていること」などを「自明の与件」とされていて、それを「ありがたい」(文字通りに「存在する可能性が低い」)と思う習慣がない。/だから、そのような与件を維持するためには「水面下の、無償のサービス」(村上春樹さんのいうところの「雪かき仕事」)がなくてはすまされない、ということについてあまりご配慮いただけない。/だから、この世代の特徴は、社会問題を論じるときに「悪いのは誰だ?」という他責的構文で語ることには抵抗がないのだが、「この社会問題に関して、私が引き受けるべき責任は何であろう?」というふうに自省されることが少ないという傾向がある。
(~以上、同書p.265より引用、太字強調は大熊による)
世代論はさておき、なんでもかんでもコンサドーレに置き換えて考えてしまう習慣のある僕としては、コンサドーレが存在していることがあまりにも「自明の与件」になっていないか?と、これを読みながら考えた。そこで思い出したのが、例の事件なのだ。
あんなこともう思い出したくもない、という人もいるだろう。しかし、あのときにわざわざ厚別へ出かけた人たちがいたからこそ、今がある。HFCの方々も、関係者も、みな、それぞれの立場で頑張ったから、今がある。「ほれ見ろ、コンサドーレなんてそんなもんだ」と、自分が何をすべきかを考えずにただ(建設的ではない)批判だけする人ばかりだったら、今、6位という最終成績の是非を振り返っていることはなかっただろうし、来季の戦力予想(妄想?)を楽しむこともできなかっただろう。
シーズン中は勝ち負けに一喜一憂してときには怒ってもかまわないと思うが、シーズンオフは、ときどき、もしこのクラブがなかったら(なくなったら)ということを(ごくごくたまに)頭に思い浮かべながら、自分は何をすべきなのか、HFCはどうあるべきなのか(余計なお世話ですが)という観点で、冷静に、コンサドーレをめぐる動きを眺めていきたい。
2005年12月15日
12月8日の続き。
北海道に縁もゆかりもなかった僕をコンサドーレのサポーターにした決定的な要因は、1997年3月、小雨の三ツ沢競技場で行われたヤマザキナビスコカップだった。相手は注目のルーキー・背番号25番の中村俊輔を擁する横浜マリノス。当時のコンサドーレはJFL所属だったが、Jリーグの準会員という立場で大会に参加していた(懐かしいですね、準会員という響き)。
この頃はまだ、僕の中では、Jリーグよりはラグビーだった。この試合の翌日だったか翌々日だったか、香港までラグビー(7人制ワールドカップ)を見に行っているぐらいで、ちょうど同じ時期にやっていたフランスワールドカップの一次予選がテレビ中継されていることに対して「なんでサッカーは一次予選ごときで生なのに、ラグビーは本番ですら中継がないのだ!」と憤っていたりしたのだ。
ともあれ、その三ツ沢の試合で、「昔の名前で出ています」みたいなメンバーばかりのコンサドーレは、日本代表選手が抜けたとはいえそうそうたる顔ぶれが並んでいたマリノスに、3-1で勝った。後藤義一をはじめとする、Jリーグから捨てられた男たちの奮闘に興奮し、寒さを忘れた。
それ以上に僕を熱くしてくれたのは、アウェー側のゴール裏で旗を振っていたサポーターの姿だった。平日の夜だったこともあってか、せいぜい、10人ぐらいしかいなかったのではなかったか(間違ってたらごめんなさい>当時のことを知ってる方)。その数少ない、スタジアム全体でみれば明らかに浮いている人たちの歌-行くぜ、行くぜ、Jリーグ-が、静まり返った会場に響き渡る。あれがなければ、ここまでコンサドーレにはまることはなかった。
まだまだ続く(いつになったら移住するのだ?)。
2005年12月14日
僕には、かつて、スポーツ中継とNHKのニュースとワールドビジネスサテライト以外にはほとんどテレビを見なかった時期があるのだが、最近、その時期がかなり長期にわたっていることがわかってきた。たとえば、僕にとっては、ドリカムという人たちはいつのまにかみんなが知っていた人たちであり、宇多田ヒカルという人の存在を知ったのは売れ始めてから2年後ぐらいだったらしい。日本経済の失われた10年は、僕にとっては、「芸能・音楽の10」ですら答えられない時期である。
だから、ヴォイスという人たちのことも、まったく知らないのだ。コンサドーレ札幌オフィシャルチームソングをヴォイスという人たちが歌ってるんだけどこの人たちって有名なの?と、ある人に聞いたら「24時間の神話とか売れましたよね」と、普通に言われて、ああそうなのかと(ヴォイスが有名だというより自分の無知さ加減に)妙に感心した記憶がある(感心というのもへんな表現だが)。
とにかく、この「AMBITIOUS~炎になれ~」は、コンサドーレ札幌オフィシャルチームソングとして、1998年5月に発売された。ジャケットの裏に「参加ミュージシャン」が掲載されていて、これを見たときに、僕が知ってるのは堀江淳だけだと思ったことをいま思い出した(水割りをくださ~い)。
サビの部分の歌詞に「ファミリー」が登場するのは、当時のフェルナンデス監督を意識してのことなのか。それ以外は、とくにコンサっぽい感じはないけれど、これ、なかなかかっちょいい曲だと思う。ただ、みんなで盛り上がれる曲ではないわな。だから定着しなかったのかな?
ジャケットの裏には「インターネット・コンサドーレ札幌ホームページアドレス」なる文字もあって、その下にURLが書いてある。7年前は「インターネット」と断らないと「ホームページアドレス」の意味がまだまだ通じなかったんだなあ(それにしても「ホームページ」って表現はイヤだなあ…ま、僕も、仕事上やむを得ない場合は使いますけどね)。
というわけで、昨日に続いて、コンサ関連CDのご紹介でありました。
2005年12月13日
ジェッター3のブログができた。
音楽ビジネスの世界のことはまったくわからないのだが、ジェッター3の曲とジョカトーレの曲とコンサドールズが使ってる曲と選手入場のときの曲となんだかんだを組み合わせてCD作ることはできないものか。それじゃミュージシャンとしてのジェッター3に失礼なのかな?それより権利関係が難しいんだろうか?
こういうのはHFCさんの本業からはかなり遠いところにあると思われるので、HFCさんにやってくださいといってもなかなか実現しないでしょうから(やる気の問題ではなくマンパワーの問題とリスク=主としてコストの問題で)、どなたか音楽業界に詳しい方、企画しませんか?応援します。なんだったら、ジャケットデザインのデザイナーぐらいは提供紹介します。
コンサドーレ札幌に勢いがあった頃にはこんなCDもありました、ということで、本日は、もはや懐かしの感がある「好きですサッポロ」をご紹介。民放テレビ各局のアナウンサーが局の垣根を越えて集ったことが話題になった企画で、ジャケット写真の中央にいるのは今や全国的人気となったがBSのレギュラーから降板した途端に結婚していたことを明らかにしてファンを泣かせた石山愛子アナ(当時HBC)。その他2名の女性アナウンサーもすでに姿を見なくなっているのに対し、男性陣はいまだ(スカパー中心とはいえ)バリバリ夕張現役でコンサドーレの試合を実況している宮永真幸アナと永井ハム彦公彦アナ。
このCDが発売されたのは、J2で優勝した2000年シーズンの開幕の頃。やっぱり、ゲンかつぎで、CD出しましょうよ。たくさん曲入れると面倒なら、この「好きですサッポロ」みたいなのでもいいから(とはいえ、いまさら8センチのシングルCDはないんでしょうけど)。

2005年12月12日

本日のサッカー本紹介は『DECADE 柏レイソル10年史』。2001年シーズン途中での西野朗監督の解任という、いわば負の歴史が当事者によって語られているところがとても興味深い。
柏は1999年のヤマザキナビスコカップで優勝、翌2000年はステージ優勝こそ逃したものの年間勝ち点では1位になった(同じ頃、ヴァンフォーレ甲府はJ2で2年連続の最下位だった)。確実にJの強豪へとステップアップしているかと思われたのだが、01年のファーストステージで6位に終わると(このとき、コンサドーレ札幌はなんとJ1で8位だった!)、98年以来指揮をとってきた西野監督を解任。01年のセカンドステージこそ7位でフィニッシュするも、02年は最終節までJ1残留争いに参加、03年は年間総合順位12位、04年は年間16位(最下位)でJ1・J2入れ替え戦に参加、そして05年はついに入れ替え戦に敗れてJ2降格が決定-と、まさしく坂を転げ落ちるように凋落してきた。
短期的にみれば、昨年のファーストステージ・アルビレックス新潟戦のロスタイムが…となるのだろうが、やっぱり、ポイントになるのは、西野監督の解任だろう。
同書の40ページ、01年ファーストステージ最終節について触れたページにはこうある。
「成績不振に憤ったゴール裏のレイソル・サポーターは応援を拒んで、ことりとも音をたてようとしなかった。その分、ごくわずかしかいない福岡サポーターの応援歌がよく響く。西野監督やフロントを中傷する横断幕が下げられた」
そして、その横断幕-「西野さん お疲れ様でした」「西野さん 夢をありがとう」-の写真が添えられている。
西野氏本人は、インタビューで、こう語っている(同書94~95ページより引用)。
「解任されたのは7月22日。娘の誕生日だから、よく覚えている。コーチ陣と第2ステージに向けてのミーティングをしていたら、フロントに呼ばれた。ミーティングが終わってからにしてほしいと答えたら、その前にと言うので、行ってみたら『お前も疲れただろう』と。全く予期していなかったことなので驚いた」
「開幕前に『ゲット・ザ・トップ』をキャッチフレーズにして優勝を狙っていたのだから、確かに6位では問題がある。でも、前年のオフに永久監督のつもりでやってもらいたいと言われ、僕も長期的な展望をもってステップアップしていきたいと考えていたのに、一体どうなっているのかという思いもあった。フロントはアレックス・ファーガソンやオットー・レーハーゲルの名を出して、日本にも長期政権があってもいいと言っていたのに、そのビジョンはどこへ行ってしまったのか」
その西野氏を解任した当時の強化部長・久米一正氏の発言は、インタビュー時にはすでに柏を離れていた(清水エスパルス取締役強化育成本部長の職にあった)気楽さからなのか、判断ミスであったことをはっきりと認めている。以下、同書97ページより引用。
「でも、いま振り返ってみると、あの解任は失敗だったと思う。あの年は西野監督-ペリマン・コーチの体制で通すべきだった。シーズン途中の監督交代はうまくいかない」
難しいな、と、思う。久米氏(あるいは当時のフロント)が成績低迷または西野監督解任という失策の責任をとって柏レイソルを去ったとしても、サポーターは柏レイソルから離れることができない。代替する製品やサービスがあればそちらに乗り換えればいいのだが、サポーターはそういうわけにはいかない。
『柏レイソル10年史』を最初に読んだときは、ずいぶんと思いきったことを載せるものだなあと感心していたのだが、柏の降格が決まった今、あらためて読んでみると、サポーター的には「そんなに簡単に振り返らないでくれよ」と言いたくなるんじゃないかと思えてくる(別に僕は柏サポーターでもなんでもないんですけどね)。
(本のデータ)
DECADE 柏レイソル10年史
2004年2月20日 第1刷発行
ISBN4-434-04119-3
発行 株式会社文化工房
発売 星雲社
定価(本体2000円+税)
2005年12月11日
12月10日に東京にいなければならない理由は11月23日のロスタイムに消えてしまったが、前後の予定は早くから入れてしまっていたので、2ヶ月も前に(一か八かで?)組んだ予定通り、この週末は東京で過ごした(札幌に帰ってきたら風景がいきなり冬になっていてびっくり!)。
そんなわけで、昨日のJ1・J2入れ替え戦の第2戦は、千葉テレビの中継を見た。
ヴァンフォーレ甲府はたいしたことなかった、などというつもりはないのだが、どちらかといえば、柏レイソルのちぐはぐぶりばかりが目についた試合だったように思う。2003年8月、新潟スタジアムでのアルビレックス新潟-コンサドーレ札幌戦~敵将の反町康治いわく「ギャンブルサッカー」、結果的にジョアン・カルロス監督の最後の試合となった~を思い出してしまうほどだった。
柏は、前半30分までに2点のリードを奪われた。第1戦との合計では3点のビハインドだ。柏の11番の選手がタッチライン際に立ったとき、僕は、ディフェンスを減らすのだと思った。ところが、交代は18番のFW矢野貴章。まずこれが最初の「?」。
次はハーフタイム。FW宇野沢祐次が入るのはいいとして、交代するのは前半に警告を受けていた平山智規か永田充のどちらかだろうと思ったら、アウトは大谷秀和だった。おいおい、こんな簡単に交代枠を2つ使っちゃって大丈夫なのか?…その疑問が頭から消え去らないうちに、永田が2度目の警告で退場。だから言わんこっちゃないだろ(と、なぜか柏応援モード)。
永田が退場になるや、やはり前半に警告を受けていた平山が交代でベンチに下がる。このあまりにも場当たり的な交代で、まだ後半の5分過ぎなのに、交代枠はなくなってしまった(あの日のジョアン・カルロスも、頭に血が上っているかのようなつぎはぎ交代をしたんだよね)。
それでもそのすぐ後に柏は1点を返した。これで2試合のトータルでは2点差。さあこれから、というときに、その直後のキックオフから(ラグビーのノーホイッスルトライ的に)甲府に追加点を許してしまう(千葉テレビでは柏の得点シーンのVTRを流しており、気がついたときにはバレーが縦に抜けていた)。これで意気消沈するなというほうが無理だ。
柏には足をつる選手が出てきて、クレーベルだったかは担架でピッチの外に運び出された。しかし、なにしろ、もう選手交代はできないのだ。勝っているのならまだしも、最低でもあと3点を取らねばならない状況で、実質的に9人では戦えるはずがない。
千葉テレビの実況(石井力アナウンサー)が「これだけのお客さんが来ているのだから、云々」とやっていたことに影響されたのかもしれないが、僕は、ああ、甲府がJ1なんだあ…と思う一方で、柏の不甲斐なさにイライラしていた(別に柏のファンでもなんでもないのに)。唯一、土屋征夫だけが最後まで闘志むき出しで高いポジションへと出て行ったものの、テレビ画面を通してとはいえ、柏の選手からは覇気がまったく感じられない(これまた、あの新潟の惨劇を思い出してしまうのだ)。
甲府は、3点取られなければいいのだから、常識的に考えれば、まず大丈夫だ。でも、彼らは札幌ドームでロスタイムに3点を取っている。あの経験があるから、逆に、3点のリードは絶対に安全だといえないと考えているんじゃないか。だから、大量リードでも、最後まで集中が切れることはないんじゃないか。そんなふうに勝手な想像をめぐらしながら、だからバレーがあと1点ぐらい取っちゃうかもしれないなと思ってはいたのだが、まさか6点とは。
途中までは、柏のサポーターが暴れなければいいけど、とか、それとも降格が決まったときの浦和レッズサポーターのように温かい声援を送るのだろうか、とか、いろいろ考えていたのだが、最後は、ああ、これじゃ怒る気にもならないだろうなと、柏のサポーターが気の毒になってしまった。そして、こんな試合でも最後まで見届ける柏サポーターに感心してしまった。
西野朗がガンバ大阪でリーグ制覇した同じ年に、柏の降格が決定。結局、あの西野監督の解任がターニングポイントだったということか。チームづくりは難しい。
2005年12月09日
昨日のエントリに対し、No Life, No Football.さんからトラックバックをいただいた。
「部分的に反対」「いまいち納得できない」と言われると弱い。ましてや「信頼関係」あるいは「リスペクト」という言葉には、僕はとっても弱い。
昨日触れた情報開示云々について、ここで真正面から論じることはしない。リアルな世界でもお互いによく知っているのならともかく、今この状況で文字だけの議論をするのは危険だ(そのうち機会があればお話しましょう)。
それでも、こうやって、ある問題について真剣に考えることは大事だ。最初から結論ありきでなく、相手を尊重しつつ、しかし自分の考え方も明確にする。これもまた、信頼関係があるから、あるいは、信頼関係が築かれつつあるからできるものだと思う。初めに不信感、警戒があったのでは、議論になどならないし、議論がなければ(=全員が一定の方向しか見ていなければ)進歩もない。お互いの立場、意見が異なることを認め合ったうえで、(バーチャルとはいえ)話ができるのはありがたいことだと思っている(このブログサービスを企画した段階では、こんな効果が生まれるとは思っていなかったんですが)。
僕も、ファンとクラブの関係が、従来の消費者と生産者の関係であっていいとは思っていない。それどころか、スポーツに限らず、これからはあらゆる企業と顧客とは信頼で結ばれるようになっていくのではないか、そうならないと生き残れないのではないかと思っているほどだ。
信頼は、馴れ合いとは違う。そうかといって、無責任な批判でもない。努力している部分は認める、不足しているところはどうすれば補えるか考える。お互いの立場を認め合いながら、前向きな意見を戦わせる。それが、信頼関係だと思う(具体的に何かをさして言っているわけではなく、一般論として)。
いまいち歯切れが悪くてすいません。考えれば考えるほど難しい問題で、自分でもすっきりはしていません。
2005年12月08日
12月5日の続き。
北海道には何の縁もなかった僕が、それまでの生活を捨てて長距離転居を考えたのは、児玉芳明社長のプロフィールの言葉を借りれば「北の大地に憧れて」だった。
大学を卒業するときも、就職してからも、思いは燻り続けてはいたのだが、東京から北海道へ移るとなれば、そう簡単なことではない。旅先として訪れている分にはいいけれど、日常生活圏となったらどうなるのか。
僕は、一時期、土曜日の昼間はラグビーやって、秋冬の日曜日は秩父宮ラグビー場のバックスタンドかゴール裏に座ることを週末の最大の楽しみとしていた。北海道へ引っ越したら、前者はともかく、後者の観戦する楽しみは失われてしまう。
そこへ登場したのがコンサドーレだったわけだ。
1995年のラグビーワールドカップ・南アフリカ大会で日本ラグビー協会に愛想をつかしかけていたところに登場したコンサドーレは、僕にとっては、とてもタイミングがよかった。Jリーグの開幕直前に埼玉県民から東京都民になっていた僕には、Jリーグの中にホームチームと呼べるものがなかった。だから、心理的には自分の故郷のような場所になっていた北海道の新しいチームを応援することに、抵抗はなかった。
なかなか移住にたどり着かないな。。。この項、まだ続く。
2005年12月08日
十数年前にベストセラーになった柴門ふみの『恋愛論』に(そんなものを読んだことがあると告白するのはかなり恥ずかしいのだが(笑))、芸能人の恋愛や結婚は一般人の参考にはならない、芸能人は特殊な世界の人々なのだからその恋愛や結婚に関するエピソードは一般人には当てはまらないとの「教え」があった。
プロサッカー選手の世界についても、同じだと思う。いや、恋愛とかなんとかじゃなくて、特殊な世界である、という意味で。
今朝の北海道新聞に、野田達郎は大学進学を希望との記事があったが、なるほどなと思う。契約期間満了で更新せずというのは、かならずしも、クラブが一方的に更新しなかったとは限らない。斉川雄介のごとく、本人が「このままプロでやるのは無理だ」と判断して、事前に話し合いをした結果の「契約更新せず」となった-可能性もある(それじゃHFCは野田に対して1年間無駄な投資をしたのか、と、ケチをつければキリがないのだが)。
そういうことも含めてクラブが情報開示をすべきだ、というのは、一見、もっともなようにも思えるが、僕は賛成しない。
単純に、契約満了選手だけを発表すれば、野田に関する推測のようなことがあったとしても、単純に「若手を切り捨てた」との事実しか出てこなくなる。では契約を更新しない理由を説明すればいいだろう、は、さらに短絡的な考え方で、「A選手は怪我が多くて使えないと判断しました」「B選手は練習態度が悪く成長が感じられません」などといちいちやったら、彼らの次の職探しに悪影響を与えてしまう。
ファン(サポーター)を大事にすべきだとは思うが、チームあるいは選手あってのファン(サポーター)であり、いちばん大事にしなければいけないのは、結局、選手だ(選手がいなくなればファンも存在できないのだから)。契約=自分の生活に直結する微妙な話題なのだから、選手自らが「発表してください」と言わない限りは、あえて契約を更新しない選手を発表する必要はないのではないか。
契約更改のサインするしないも同じこと。選手は自分の能力を売って生活している個人事業主であり、暗黙の終身雇用が保証されている社員とは違う。クラブからの契約条件の提示は、来年1年間の給与の「通知」ではない。自分自身の生活に関わることであり、交渉の余地のある話なのだから、最初の提示を持ち帰ることはなんら不思議なことではない。
サッカー選手としての資質を考えたならば、言われた条件をそのまま「はいわかりました」と飲んでしまうのは、むしろ、まずい。自分の頭の中で咀嚼して、消化したうえで納得する、あるいは(相手を納得させられるだけの材料を揃えて)反論するぐらいでなければ、ゲームの中でも自分の判断で動くことなどできないだろう。
2005年12月08日
『オシムの言葉-フィールドの向こうに人生が見える』
木村元彦・著、集英社インターナショナル、ISBN4-7976-7108-4
2005年12月10日第1刷発行
『誇り-ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参-ユーゴスラビアサッカー戦記』と続いた木村元彦氏の著作は、サッカーを題材にしながらも旧ユーゴをめぐる政治・社会の話が前面に出すぎていた感があったが、本書では、オシムのサッカーとオシムの生い立ち、そしてオシムという人間を作りあげてきたものが何であるかが、バランスよく描かれている。オシムへのロングインタビューだけであれば、ここまで奥の深い作品にはならなかっただろう。
監督としてのオシムの言葉には、現在のコンサドーレ札幌、柳下正明監督の姿をオーバーラップさせたくなるところも少なくない。たとえば-
「ただ、それより重要なのは、ミスをして叱っても使い続けるということだ。選手というのは試合に出続けていかないと成長しない。どんなに悪いプレーをした時でも、叱った上でそれでも使う。ミスをした選手を、それだけで使わなくなったら、どうなる?その選手はもうミスを恐れてリスクを冒さなくなってしまうだろう。いつまでも殻を破ることができない」(p.126)
「私が思考するのは、観客やサポーターはいったい何を望んでいるのか、そして何が目的なのかということだ。(中略)私としては、いる選手がやれる最大限のことをして、魅力的なサッカーを展開したいと考えている。そういうサッカーを目指すには、リスクが付きものだ。(中略)すべての監督が大きなプレッシャーを感じている。ほとんどの人たちが、試合の内容よりも結果に注目しているわけだからね。やはりチームが負けないようなサッカーを監督は選択していくだろう。ただそういうことを続けていたら、残念ながらいい内容の試合は展開されないだろうね」(p.195)
「要するに、この『リスクを冒す哲学』を、私個人だけではなく、千葉の選手たちと共有し、ともにやっていけるのかということだ」(p.196)
何がなんでも勝たなきゃいけない、とにかく目の前の勝ちを拾わなきゃいけない、というチームなら、こんなことは許されないだろう。守備を固めて、エメルソンとジュニーニョを連れてくればいいのか。いや、それでも、勝てばいいのかな。
オシムの本だというのに、最後は結局、なぜ柳下監督なのか、柳下監督のチームとどう付き合うべきなのか、なんてことを考えて、2003年や1999年の記憶を反芻して、付箋をつけたページへと戻って、オシムの言葉をふたたび読んだ。
木村元彦氏の「いい仕事」に感謝。
2005年12月07日
そりゃまあ、心情的には、ヴァンフォーレ甲府を応援したいわけですよ。経営危機だ、25連敗だというところから1ミリ1センチの努力でここまで来たのだから、十分、応援するに値する。昨年、アビスパ福岡が柏レイソル相手にまったく歯が立たなかったことを考えると、今年の甲府がちょっとは頑張ってくれないと、やっぱり入れ替え戦はやめようなんてことになりかねないし。
そのうえ、なんだかんだいっても、柏にはいい選手がたくさんいるのですよ。そんなのがJ2に落ちてきたら、来年、イヤじゃないですか(<すげえ後ろ向き)。
ただ、これで甲府が昇格しちゃったら、甲府サポーターは「あの札幌ドームでロスタイムに逆転して…」って感じに、あの試合を伝説にしちゃうわけですよ。ぼくらがいまだに8年前の川崎フロンターレ戦の話をするように。
それは悔しいんだよな。だから、甲府を応援したいような、したくないような。
始まるまではそんな気分だったけど、これ、甲府を応援するでしょ。おもしろいもん。J1では失点も多いけどそれを得点力でカバーしてしまうガンバ大阪が優勝して、J2でも、今季は(昨年の大宮アルディージャのような)ガチガチに守ってカウンターのチームはことごとく中位以下に沈んだ。やっぱりね、今季の甲府のような、派手な攻撃型チームのほうが、見てておもしろいのだ。ただ勝てばいいってもんじゃあない。
開始からずっとやられっぱなしだった柏が、大野敏隆の精度の高いフリーキックから先制して、20分過ぎに甲府が猛攻を仕掛けるも柏がペナルティエリアの中にみっともないほどの人数をかけて守りきったときは、ああ、やっぱりJ1とJ2なんだなあ、こうやって攻めてるけど点が取れないでいるうちに2点目取られて負けちゃうんだろうなあと思ったですよ。
7年前、あの室蘭のアビスパ福岡戦だってそうだったじゃない。前半はかなり攻め込んでたのに、バウテルのフリーキックがクロスバーに当たったりで、点を取れないでいたら、後半にやられちゃったんだ。
でも、甲府は、めげないんだ、これが。走る走る、とにかく走る。味方を信じて、相手が守りにくいようなコースへと走る。ボールを持っていない選手の仕事を、解説の川勝さんがちゃんとしゃべってくれるから、甲府の攻撃がいかにすばらしいか、よくわかる。
あっという間に追いついて、なおも甲府がゲームを支配し続けて、ついにバレーが決めてしまう(その直前、藤田健のコーナーキックが直接ゴールインしそうになったのもすごかった)。柏は受け身だもん。あれは疲れるって。
序盤はキャッチングが不安定でどうなるかと思った甲府GK阿部謙作も、後半途中からはビッグセーブを連発(80分ごろのレイナウドのヘディングシュートなんて、よくキャッチしたよなあ)。もう、完全に、甲府の試合でありましたよ(観客の熱気も含めて)。
残り数分のところで柏原丈二主審がへんな演出してくれちゃって(一昨年の博多の森で今野泰幸→藤ヶ谷陽介がとられたのと同じパターンの間接フリーキック)、ドキドキしちゃってる自分にまたびっくり。もう、完全に、甲府のサポーター状態。
さあ、ロスタイム4分、なんとか守りきってくれ!…と思ったら、なんですか、いきなり画面真っ暗。おいおい、この大事なところで衛星に問題発生かよ!(<スカパーではときどきある)…いやいや、なんと、停電だとさ。照明思いきり落ちちゃってる。ここはインドか。
ざわわ、ざわわ、な中で、「かし~われいそる!(ダダンッダッダンダン)」。おお、さすが、柏サポーターはやるね。僕は、その間、スカパーの放送時間枠が大丈夫かどうか、心配してました(思わずEPGで確認してしまった)。
小瀬のスタンド、寒そうだったなあ。あれもまた、7年前の室蘭を思い出す風景。これ以上のチャンスはないんだから、甲府、昇格してくれ。普通にやれば負けねえって。こんどの土曜日、運よくチケットを入手できた甲府の人は全力で応援してくれ。僕はたぶん千葉テレビの中継見ます。
2005年12月07日
スカパーで入れ替え戦の第1戦を見ているわけですが、番組のオープニングがJ2リーグ戦中継のタイトルバックで、ちょっとびっくり。柏サポーターならこれだけでも屈辱に思うかも。
おお、柏サポーター、脱いでるぞ(^^;)。
さっきまではHTBで池内友彦見てました。「辛口」と紹介されていた野宮範子さんは、厚別で何度か見かけたことあります。ふだん試合を見てる人じゃなければ、ああいうコメントは出てこないっすよね。
さあ、始まります。選手入場のBGMはコンサドーレの試合開場時と同じ(Jリーグのテーマの新しいほう<曲名失念)。
いろいろありまして、どっちを応援すればいいのか、微妙。終わったときには、気持ちが変わってるだろうな。
やっぱり柏サポーターは声通るなあ。ここは柏に一日の長あり。
(追記)主審が柏原丈二で第4審が家本政明ですか。。。退場するなよ(どっちも)。
2005年12月07日
「TSUNAMI留学生帰国支援・北海道」のブログに、先日のザスパ草津戦での募金活動の模様が報告されています。
タイトルが「世界一温かいコンサドーレ札幌」。嬉しいじゃないですか。
こういう地道な活動が、コンサドーレに対する理解者を増やし、広い意味でのサポーターを増やしていくのです。
※本日午後は普通に仕事してます-お休みの予定だったのだがなあ(笑)。
2005年12月06日
J1・J2入れ替え戦が近づき、札幌駅の地下街では「ヴァンフォーレ、ヴァンフォーレ、ラララーラララララ♪」のチャント(の原曲のインストルメンタル)が流れている。
そうじゃなくて、年末というか、クリスマス商戦用の選曲なのだろうが、僕にはどうしても「ヴァンフォーレ、ヴァンフォーレ」に聞こえてしまう。バカだ。
このCDは、そんなヴァンフォーレ甲府の公認応援歌なのだそうだ(2003年発売-今も使っているのかどうかは不明)。「GO TO THE TOP」「☆また遭いに来るから★~青の残像(きおく)~」の2曲が収録されている。「GO TO THE TOP」(作詞/伸太郎、百年構造)のサビの部分「ヴァンフォーレ ヴァンフォーレ いつか一緒に行こうぜ GO TO THE TOP」がいい。おそらく買った当初以来、このCDは聴いていないと思うのだが、サビの部分だけは歌詞を見なくても歌える。
2000年(その前にコンサドーレがJ2だった年)に小瀬を訪れたときには、CDではなく音楽テープが売られていたように思う。会場で流れていた「ヴァンフォーレ、ヴァンフォーレ、オーレオレオレヴァンフォーレ」という曲は、素人が普通の部屋で録音しました、みたいな感じで「おいおいこれ売るのかよ」と思ったものだが(ごめんなさい)、それを知っていただけに、「GO TO THE TOP」には、おお、ついにちゃんとしたCDを作れるまでになったのかと嬉しくなった。
なにしろ、1999年だったか2000年だったかには、競技場の入口で、サポーターが「このチームをつぶしちゃいけない、協力してください」と必死に訴えていたんだから。リーグ戦25連敗(だったっけ?)とか、解散の危機とか、よくぞあそこからここまで上がってきたものだ。
今年の入れ替え戦はスカパーで中継があるようなので、イライラせずに見られそう。
2005年12月05日
昨日の「コンサドーレが何倍も楽しめる社長日記」のタイトルは「コンサ移住計画」。
考えてみれば(みなくても)、僕も移住組の一人だ。東京で12年間勤めた会社を辞めて、札幌に引っ越してからはや3年8ヶ月。コンサドーレは、退職→転居の主たる目的ではなかったが、コンサドーレがなければ引っ越してくることはたぶんなかった。
東京にいるときの主たる楽しみの一つはスポーツ観戦で、Jリーグが開幕してからはとくにどこのファンということもないままながら、水曜日や土曜日に首都圏のどこかで試合を観戦していることが多かった(埼玉県育ちゆえにレッズを応援していた時期もあったのだ!)。
たとえば、J初年度のニコスシリーズでヴェルディ川崎が4-0で浦和レッズを破った(たしかステージ優勝を決めた)試合、なんてのも、国立競技場で見ている。平日の夜で寒かったうえに途中で雨がぱらぱらと来て、しかも強きをくじき弱気を助けるわたくし的には気に入らない存在だった川崎の圧勝で、高い金を払って見ているのにちっとも楽しくなかった。
当時のレッズは、あまりにディフェンスがザルだからと、FW登録のウーベ・ラーン(元西ドイツ代表)にDFやらせたりしてたんだよなあ。曽田雄志がDFやったのとは違って、本来のポジションがFWとか関係なしに、とにかくチームでいちばんうまいからDFやってもらった、みたいな感じだったんだよねえ(エースで4番、みたいなものだ)。
…こんな話をしていたら、いつまでたってもコンサ移住の話題に行き着かないではないか(^^;)。
というわけで、続きは稿を改めて。
2005年12月04日
タイトルの主語は「わたしは」です。
何がって、昨日の「しまふく寮通信」の最後に書かれている「WEBOSSの素敵なお兄さん」のこと。これ、わたくしではありません(そりゃそうですよね、わたしは事前に紹介されているのだから、名前がわからないはずはないわけで)。
一応、誤解なきように説明しておくと、全体の講座終了後に村野明子さんにマンツーマンで教えたのは事実なのですが、村野さんだから特別扱いしたわけではなく、参加者の中で唯一、村野さんだけが自身のノートパソコンを持って質問に来たからそういうことになった、という次第です。
重そうに、けっこう大きなノートパソコンを抱えてきた熱心さには、頭が下がります。これで「しまふく寮通信」がさらに楽しくなれば、嬉しい限りであります。
2005年12月04日
BNNさんで紹介していただきました。
記事の最後のほうにさらっと書いてあることは、実はブログ講座参加者以外には本邦初公開の情報かも。
こうやってあらためて写真を見ると、この格好はないよなあと反省してます。講師なんだから、それらしい服装と姿勢でないといかんです。別にスーツじゃなければいけないとはまったく思わないのですが、コンサドーレパーカーというのはいかにも中途半端。カジュアルならもっと思いきって、レプユニでやっちゃったほうがよかったかも。
もう少し室温が高ければ、曽田Tシャツでやるつもりで、下に着てはいたのですが(笑)。
2005年12月04日
昨日の試合の中身についてはまったく納得していないのだが、もうちょっと俯瞰して眺めてみれば、今季は17勝12分15敗で、2つ勝ち越している。去年の最下位からのジャンプアップ以上に、これは評価すべきことだろう。なにしろ、去年は、5勝15分24敗で負けのほうが19も多かったのだから。
それが昨日の試合後の、妙な「やりきった感」「大晦日のような感覚」の原因かなと思っていたのだが、久しぶりにぐっすりと眠ってから朝を迎えてみて、それだけではないことに気がついた。
勝って終われるシーズンって、実は初めてなのだ。
いつもなら、この後に天皇杯があって、リーグ戦が終了しても「まだ天皇杯が!」と気合を入れ直さなきゃいけない。それでいて、結局、天皇杯は勝てない。天皇杯で優勝しない限りは、かなりのチームが、シーズン最後の試合は負け試合になる。
ところが、今年は、日程の関係で(と言いたいところだが本当は佐川急便東京に負けたために)、勝ったままシーズンを終われる。それがチームにとってどうなのかはわからないが、見る側にとっては、とても気分がいい。
同じように、勝ったままシーズンを終えられるチームは、今のところ、コンサドーレ札幌のほかは、モンテディオ山形、湘南ベルマーレ(気がつけばサガン鳥栖をに抜いて7位でフィニッシュ)、水戸ホーリーホック、東京ヴェルディ1969の4チームしかない(ヴァンフォーレ甲府はまだわからない)。ベガルタ仙台のサポーターなんて、最後の最後にひっくり返されたもやもや感を持ったまま、あと3ヶ月を過ごさなければならない。
自分が仙台サポーターだったら「この悔しさを来年の開幕まで忘れてはいけない」とか言って、どうにか合理化しようとするだろうから、「勝ったままシーズン終了の幸せ」などと言ってもそれもまた自分に都合のいい解釈でしかないのかもしれないけれど、でも、やっぱり、いいじゃない(<最後の最後になっていきなり論理破綻(笑))。直感的に「いい」と思えることは大事なこと。
なんか、気持ちいいんだよな。あんな試合を見せられた直後なのにね(と、無理して批判的になろうとするのはやめなさいって<もっと素直になろうよともう一人の自分が叫んでいる)。
2005年12月03日
試合後のサンクスウォーク、ゴール裏両側各2箇所、バックスタンドとメインスタンド各3箇所で選手が立ち止まって整列し、スタンドに頭を下げたのはとてもよかった。先頭を走っていたHFCの方は大変だったと思うが(そんなこと気にしてどうする)、いい仕事でした。
三原廣樹の、前面には「I(ハートマーク)12」、背中には「ありがとう」と書いたTシャツ(水曜どうでしょうの最終回のようだ)、すばらしい。サガン鳥栖で矢部次郎と組んでいた頃のキレキレは、結局、札幌では復活しなかったのが残念。
優勝も昇格も関係なく、NHKが生中継をやめたほどの消化試合に1万5千人も入った(今日のJ2では最多!)のはすごいことだと思う(往時に比べればもちろん寂しいのだが、それはとりあえず置いておこう)。
と、試合に関係ないことばかり書きたくなるほど、試合の中身については「???」だったなあ。勝つには勝ったけど、みたいな。石井謙伍が決勝ゴールで最後には藤田征也も出てきた、ということで、むりやり「来季につながる明るいどうこう」とストーリーを作ることは不可能ではないが、そういう試合ではなかったよなあ。石井本人がインタビューで言っていた通り、決められるところ決めてないし(小島伸幸の股抜きをねらったのには恐れ入ったが)。
西谷正也は「おらおら走れ走れ」の昔の10番みたいなスルーパスと、えらく雑なアーリークロスばかりだし(最後はシュート打てたのにパス出したところで柳下正明監督の怒りを買って三原と交代させられてしまった)。
デルリスが前半にして消えてしまったのは、監督からすれば、想定外だろう。イヤだね、あの、動けないまま地面を手で叩く姿。今日はメインスタンドで見ていたので、担架で運ばれる姿も見てしまったのだが、あれは、もしかすると、全治何ヶ月というレベルなんじゃなかろうか。本当に運が悪い。
でも、最大の想定外は、開始直後のわけのわからない失点だ。なんだよ、あれ。曽田雄志はあの凡ミスで自信を失ったのか、久々にエンターテイナー的才能を存分に発揮。以前はそんな曽田が好きだったのだが(笑)、最近はちゃんとしたディフェンダーになっていただけに、この期に及んでああいうのを連発されると、かなりつらい。鈴木智樹のボール扱いの軽さも相変わらずだし、これが来季につながる試合であっては困る(<厳しいっすね^^;)。
とはいえ、最後が勝って終われたのはよかった。シーズン中なら、負けても次の試合がすぐに来るから忘れられるけど、これから3ヶ月の間は、今日の印象を抱えたまま過ごすしかないんだから、勝てずに終わるのと勝って終わるのとは全然違う。
あー、なんか、終わったなーって気分。もう、しばらく、試合はないんだなぁ。
2005年12月03日
「初心者のためのコンサドーレブログ講座」、告知が直前だったにも関わらず、多くの方にお集まりいただきました。参加されたみなさま、どうもありがとうございました。
準備期間がものすごく短かったこともあり(企画から実現までのHFCさんの意思決定の速さ、普通はありえないです^^;)、「初心者」の定義が曖昧だったり、時間が短すぎていろいろと中途半端なことが多かったりと、反省点の多い講座ではありましたが、終了後「またこういう機会を作ってください」「2回目があれば参加します」と、直接、声をかけてくださった方がいらして、救われた気分です(感謝、感謝)。
また、HFC児玉芳明社長からは、非常にわかりやすい(と、ちょっとだけ、オフレコな?)お話があり、私も参考になりました。
おもしろかったのは、開始時、簡単な挨拶をしただけなのに、参加者のみなさまから拍手をいただいたことで、緊張状態だったわたくしは嬉しいというよりびっくりしました。さすがはコンサドーレサポーターのみなさま、温かいです。
もっとおもしろかったのは、アンケートの自由記入欄に「大熊さんはブログのイメージと違って…(以下略)」との回答があったことで、そうかぁ、オレそういうふうに見えるのかぁ、と、笑ってしまいました。正直に書いていただき、とても嬉しいです。
次回があるかどうかはわかりませんが、ご希望があれば、今度はもっと人数を絞って、自由な意見交換ができるような形で開催できればと思っています。

2005年12月01日
僕が言わなくても「そんなことわかっとるわい!」という人はたくさんいるであろう、ということは承知のうえで。
11月末期限のいわゆる0円提示は、契約を更新しません、という意味であって、「解雇」ではない。選手は基本的には1年限りの契約しか結んでおらず(複数年契約の場合もあるが)、一般社会でいえば契約社員のようなもの。サラリーマンのように雇用の継続が暗黙の了解になっている世界を前提に考えると、理解を間違える。
解雇というのは、本来はまだ契約が残っているのに辞めさせられることで、たとえば昨年の新居辰基や中尾康二のケース(これまた「わかってるよ!」とか言われそうだが)。
岡田武史がコンサドーレ札幌の監督を退任したとき、「辞任」と報道されたことに対して「契約満了なのだから辞任ではない、退任だ」と言っていたのも、同じことだ。
1年間の契約が保証されているから、その間、選手は安心してがんばれる。逆に、1年という期限があるから、その間に、がんばらなきゃいけない。契約を更新してもらえなかったということは、1年間がんばったけれど修了試験は残念ながら不合格です、だから次のステップには進めませんと告げられた、ぐらいに考えたほうがいい(とくに今回のように前年も翌年も同じ監督の場合はそうなんじゃないかな)。
解雇、では、まるで、悪いことをしてクビになったみたいでしょ。
本来はもっとも言葉を大事にしなければならないはずのマスコミが、その辺の意味を考えずに「解雇」だの「戦力外」だのを使うのは困ったことだが(「来季の戦力外」という意味では間違いではないのだが)、サポーターとしてはそうした言葉に振り回されることなく、より正しい理解をしていきたいものだ。
※それはそれとして、堀井岳也は残念だ。この話はまた稿をあらためて。
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