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2005年12月16日
コンサドーレ札幌にさほど関心のない人が今季を振り返ったならば、目につくのはとにかく6位という結果であって「J1昇格は来年に持ち越しになった」「監督が目標にしていた5位以内も実現できなかった」「でも去年は最下位だったことを考えればよくやった」ぐらいのところが無難な総括だろう。ただ、これはあくまでもトップチームの成績の話であって、もっと大きなクラブという単位でみたならば、最大のトピックはHFCの役員逮捕(とそこからの復活)だ(<復活はまだかな?)。
J2で最下位になってもクラブが消滅することはないが、あの事件は、クラブを消滅させる可能性があった。いや、別に、何か特別な情報を握っているとかではなく、推測で言っているに過ぎないのだが、ただでさえ逆風にあったあの状況(金を集めるだけ集めておきながら実質的には破綻状態、おまけにチームはJ2最下位)を考えれば、スポンサーやファンが一気に引いてしまうことは十分にあり得た。
そんなこと起きるわけがないだろうと思うようなことが現実に起きるのは、1998年の横浜フリューゲルスと横浜マリノスの合併なる事象で経験済みだ。あのとき、みんなが慌てふためいたのは、あれが「想定外」の出来事だったからだ。つねに、最悪の事態は、頭の片隅に置いておいたほうがいい(そうすることで救いようのない状況に陥ることだけは避けられる)。
内田樹さんの新刊『知に働けば蔵が建つ』(文藝春秋、ISBN4-16-367700-3)を読んでいたら、こんなことが書いてあった。ちょっと長くなるが、以下、引用する(指示代名詞が何をさしているのか気になるかもしれないが、とりあえずそこは無視してください)。
(引用ここから)
彼らはやはり日本が国民国家として安定期にはいった時代にお育ちになったので、「かなり効果的に法治されている」ことや「通貨が安定していること」や「言論の自由が保障されていること」などを「自明の与件」とされていて、それを「ありがたい」(文字通りに「存在する可能性が低い」)と思う習慣がない。/だから、そのような与件を維持するためには「水面下の、無償のサービス」(村上春樹さんのいうところの「雪かき仕事」)がなくてはすまされない、ということについてあまりご配慮いただけない。/だから、この世代の特徴は、社会問題を論じるときに「悪いのは誰だ?」という他責的構文で語ることには抵抗がないのだが、「この社会問題に関して、私が引き受けるべき責任は何であろう?」というふうに自省されることが少ないという傾向がある。
(~以上、同書p.265より引用、太字強調は大熊による)
世代論はさておき、なんでもかんでもコンサドーレに置き換えて考えてしまう習慣のある僕としては、コンサドーレが存在していることがあまりにも「自明の与件」になっていないか?と、これを読みながら考えた。そこで思い出したのが、例の事件なのだ。
あんなこともう思い出したくもない、という人もいるだろう。しかし、あのときにわざわざ厚別へ出かけた人たちがいたからこそ、今がある。HFCの方々も、関係者も、みな、それぞれの立場で頑張ったから、今がある。「ほれ見ろ、コンサドーレなんてそんなもんだ」と、自分が何をすべきかを考えずにただ(建設的ではない)批判だけする人ばかりだったら、今、6位という最終成績の是非を振り返っていることはなかっただろうし、来季の戦力予想(妄想?)を楽しむこともできなかっただろう。
シーズン中は勝ち負けに一喜一憂してときには怒ってもかまわないと思うが、シーズンオフは、ときどき、もしこのクラブがなかったら(なくなったら)ということを(ごくごくたまに)頭に思い浮かべながら、自分は何をすべきなのか、HFCはどうあるべきなのか(余計なお世話ですが)という観点で、冷静に、コンサドーレをめぐる動きを眺めていきたい。
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