2010年10月13日
妄想(希望?贔屓目?)的石崎監督評価(??)
久々の更新。 というか…ネット上で情報収集できたこと自体が久しぶり(苦) 多忙もここまで来ると…悲しくしかならない(苦笑) さて、久々、情報探しをする中で、実に興味深いものを発見! 拙ブログでも最初のリンク先になっていただいている方のページ。 ここ数回の記事は実に深い。 多角的な観方で…実に知的好奇心をくすぐられる。 「こんな面白いものに参加し損ねた↓」と思わず凹んでしまった。 ここ数日の記事は必見と思うので、ご覧になられていない方は是非。 (私自身は、知的な活動を十分にできないときは、コメントを遠慮させていただいたり…) 実に深いブログである。 さて、天皇杯(名古屋に2-1で負け)こそあったものの…リーグ戦はかなり間があいた。 そこで、自分なりに、石崎監督を振り返ってみた。 前節(第28節)のホーム岐阜戦。 勝利が期待された中でのドロー。 成績が芳しくない状況で、監督への"風当たり"もさすがに厳しいモノになっている(だろう)。 しかしながら、この1年半強の期間、石崎監督は何を目指してきたのだろうか。 それが明確な上での、"監督交代"なら理解できなくはない。 が、自分自身、それほど"見直し"をしながら過ごしてきていない。 次節の前に、"見直し"をしてみよう…というのが、今回の記事の主題。 "妄想"盛りだくさん、そして"贔屓目"が過ぎるきらいもあるが…まとめたい。 一言で言うと…石崎監督がやってきたのは"できること増やし"。 これは、"チームとしてのサッカーの引き出し増やし"と言えると思う。 この先は、"妄想盛りだくさんで綴る"ので、不快感を覚えそうな方は、お読みにならぬよう。 柏レイソルを天皇杯で準優勝に導き、コンサの監督に就任した石崎監督。 だが、実のところ、柏でやっていたサッカーに"限界"を感じていたのではないか?と推察する。 新しいことに挑戦しようとコンサに来たものの… コンサ自体は08シーズンの壊滅的な状況があって、本来、自信を失わなくてもよかったはずの"三浦監督の守備理論"について懐疑的な状況だったのではないだろうか。 石崎監督は、4枚×2の守備ブロックを組み(現在のサッカーを見渡すに、これは守備の主流?)、堅守をベースにサッカーを創りたかったのではないだろうか。 しかし、コンサの状況がそれを許さなかった(と思う)ため、とりあえず、柏時代のサッカーを注入した。 前から積極的に守備に行き、ハーフカウンター(?)を攻撃の主武器とするサッカーである。 昨期の前半は、こういうサッカーになっていたように思う。 ただ、三浦時代の蓄積を、石崎監督は捨てるつもりはなかったのであろう(と推察)。 実際、退場者を出し、数敵不利になりながら、虎の子の1点を守りきった試合(昨期の第10節=横浜戦)もあった。 あの試合で勝てたのは、間違いなく三浦監督の遺産(と思うのだが…)。 若いチームが新しいことへ取り組み活力を回復し、その上で、過去にやってきたことに自信を取り戻すには、あの横浜FC戦は大きい意味がある(と思う)。 石崎監督が、4枚×2の守備ブロックを組む堅守なサッカーを意図していたことは、採用してきたフォーメーションからも推察できる。 昨季、クライトンがいた時には、4-2-3-1が主流。 昨季、クライトン退団後は、ダニをアンカーに置く4-1-4-1。 これは、両外国籍選手にある程度の"自由"を与えながら、4枚×2の守備ブロックを組むことに長けているフォーメーションを選択していたと観ることができる(のではないか?)。 前者は攻撃的、後者が守備的であることは言うまでもないが、そうした方が、両外国籍選手の特性を最も生かしやすかった。 拙ブログをスタートさせた試合が、昨季の緑戦(第33節)なのだが、この近辺で私はダニを"ハーフリベロ"と表現している。 言葉が思いつかなかったからだが、"中盤における守備的自由人"という意図で。 実際、4枚×2の守備ブロックを組むことに関せず、自由に守備に動く(チャレンジを選択しやすい?)ダニが機能すると、面白いサッカーになっていた(と思う)。 今季は、そのダニが抜け、"接着力"が最も高いプレイヤー=西が抜け…その状況で滑り出し。 宮澤、上里をWボランチにしてスタートしたものの、4枚×2の守備ブロック形成と攻撃参加のバランスを取るには、思考判断の面で厳しい状況に陥った。 そんな四苦八苦がこの間続き、今に至っている(と思う)。 自分でもわかりにくくなってきたので、まとめると… 石崎監督は、以下のことをしてきたということ。 ①柏時代のサッカーを注入することによる活力の創出 ②4枚×2の守備ブロックを組むサッカーへの自信回復 ③新しいこと(=現段階ではそれがポゼッションサッカー)への挑戦 コンサ自信は、カウンターができないチームになってしまったわけではない。 実際、今季の第25節、大分戦では、ポゼッションでは相手に圧倒的に上回られたものの、カウンター気味2連発で逆転勝ちをしている。 ならば「カウンターサッカーを追究すべきでは?」という考えも当然浮かぶ。が、個人的にはそれは反対である。 もし、コンサがカウンターサッカーの追究で来ていたならば、前節の岐阜戦は"世紀の凡戦"になった可能性が高い。 もっとも、サッカーで"タラレバ"を言っても意味がないことは承知の上。 コンサが"ドン引きカウンター狙い"なら、岐阜があそこまで顕著に"攻撃捨て"をする状況に陥らず、カウンター炸裂で勝利した可能性もある。 ただ、個人的には石崎監督の取り組む"できること増やし"を後押ししていきたいと考えている。 結局のところサッカーは、90分の中で、状況に合わせて出せる"引き出し"を多く持っている方が、勝てる確率(負けない確率?)は上がるのではなかろうか。 そして、それが"チームとして強い"ということではないか。 カウンターサッカーを追究しても、ポゼッションサッカーはできるようにはならない(と思う)。 だが、ポゼッションサッカーを志向しても"カウンター"自体ができなくなるわけではない。 なぜなら、サッカーは"パス"のスポーツであり、その長さと使うスペースの"距離"が変わるだけだから。 重要なのは、ピッチ上の選手の判断。そしてそれが、"チームとしての判断"として機能すること。 ここが、今季のコンサは未成熟のまま(及第点に到達していないと言うべきか?)である。 石崎監督は、少なくとも、三浦監督時代の"正の遺産"については継続しようとしていると思う。 様々な観方はあろうかと思うが、三浦監督は柳下監督の"正の遺産"を引き継がなかった(意志すらなかった)と個人的には思っている。 柳下監督は攻撃面についてチームが"同じ絵を描く"をキーワードにしていたように感じているが、三浦監督は守備面で"ブレずに同じ絵を描き"やすくしただけ。 "同じ絵"という共通点を作れても、同じ方向を指してはいない(と思う)。 それが、現在のコンサの状況を生み出す一因となっているのではないか(完全に断ち切れたという意味で)。 石崎監督は、そのような"断裂"をさせず、"できること"が増えるよう積み上げている点で、もっと評価されてよいのではなかろうか。 それは、"攻守"に"同じ絵"を描けるように、選手を育てていると言い換えることもできる(?)。 先日、ザッケローニ代表監督が言っていた言葉が印象的である。 監督は2年で替わるべき。なぜなら、2年で教えられることは教えきれるから。選手は、新しい監督から新しいことことを学ぶべき(というような内容だったか)。 これは、まさに選手の中に"できることを増やす"という考えから来ているものであろう。 "引き出し"を適切に判断し、使う仕事は"選手"のもの。 いつ私たちに"見えやすい形"でそれを示してくれるか…楽しみに気長に待とうと思っている。 追伸 現在の"できること増やし"="ポゼッションサッカー"は…難しい。 代表戦2試合(対アルゼンチン1-0勝利、対韓国0-0)を観て、改めてそう思った。 ポゼッションができても、そして仮にそのレベルが高くとも、必ずしもそれで得点できるわけではない。 コンサの現状を鑑み、今すぐに"ポゼッションサッカー"による結果を求めるのは…観方としては"無謀"なように思えてならない。 あくまで、"できること"が増えた上で、それを試合の中で"適切に近い形でチームが使える"ようになった時点で、結果を期待した方がよい。 現時点では、"サッカーを明確"にしているチームに、"チームとして上回れる"ほどの"判断力"は育っていないのだから。 視点をサッカーの内容のみにすると気長も許されるが… チーム存続、経営面等の視点を当てると、気長が許されない状況にあることは…否定しない(苦笑)。
posted by はげお |22:07 | 私的思考≒妄想? | コメント(0) | トラックバック(0)