コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2022年11月15日

歴代の赤黒ストライカーが引退

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二人とも、コンサドーレを支え盛り上げてくれた
劇的なゴールも多くサポーターからの人気も高かった

体力の限界まで頑張ったのでしょう
お疲れ様でした


posted by odo5312 |16:15 | さっぽろ赤黒史 | トラックバック(0)

2022年08月03日

追悼フェルナンデス監督 電撃解任事件

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真相は明らかになっていない
代理人と監督とクラブ(北海道フットボールクラブ)の
金銭問題のこじれ

フェルナンデス監督の解任が成績不振ではない事は確かだ
10/17厚別名古屋戦(3-2で勝利)が最後の采配となった
有馬のゴールで劇的だったからよく覚えている
その試合の後に電撃解任だったからサポーターの衝撃は大きかった
厚別磐田戦には発煙筒を焚くと(浦和かっ 笑)、脅迫電話もかかってきたらしい
電撃解任後はアウェー平塚と2-2で分け、磐田に1-6で負け、
アウェー等々力でヴェルディに2-1勝利(個人的に初のアウェー遠征)、
神戸には3-0で勝って(吉原、バルデス、棚田)、アウェー市原も3-1で勝利
この試合もバルデス、吉原、棚田。最終節は厚別で横浜フリューゲルスに1-4で敗退。

結果、リーグ戦終盤を石井監督下で戦い健闘虚しく「J1参入決定戦」へ
当時のルールで札幌が一番持ち点が少なくて理不尽な参入戦ではあったが、それは
98シーズン開幕前から決まっていた事だから、やっぱり当時のフロントの戦略ミスだよね

チームは徐々に結束力を失い神戸に2連敗、福岡に2連敗でJ2へ降格してしまう
選手サポーターらのクラブへの不信感、求心力低下など、
今思えば落ちるべくして落ちたと言える

フェルナンデス監督解任の前に、すでにHFCは
岡田武史監督にオファーを出していた
スクラップブックを紐解くと、岡田招聘計画の裏にフェルナンデス解任が見え隠れする
何かと理由をつけて解任へ持ち込んだのかもしれない
HFCの最大の誤算は、岡田監督へのバトンタッチがJ2初年度の舞台だったことだ
フェルナンデス氏は当時3年契約中だった模様
1998年から1999年の未来予想図が大きく狂った出来事だったし、札幌らしいと言えば
札幌らしいゴタゴタであった
あれもこれも札幌の赤黒史の一コマ
あの時があって今がある
サポーター仲間とはこの頃からずっと付き合いが続いている
苦楽を共にする、人生はサッカーと似ている、サッカーは人生そのもの
山あり谷ありモハメッドあり、あれこれ苦難を乗り越えてこそのファミリーだからな
薄っぺらい思いじゃ20うん年も応援できないよ
2022の今季にも言える事ですからね

あれから四半世紀、クラブのフロントは大きく変わった
三上大勝GM社長をもっと信じてあげてよ
古いサポは、そう思わずにいられない

フェルナンデス監督、夢のはじまりをありがとうございました
チームはファミリー
ミシャ札幌も素晴らしいファミリーですよ
南米の空から見守っていてください


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posted by odo5312 |05:56 | さっぽろ赤黒史 | トラックバック(0)

2022年08月03日

追悼フェルナンデス監督 「夢のはじまり」J昇格

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スクラップブックより
1997年
東芝サッカー部でコーチとして来日した縁

選手はもちろんサポーターからも慕われていた
「チームはファミリー」
サッカースタイルは真逆だが、ミシャの考え方に非常に近い信条の持ち主だった


posted by odo5312 |05:47 | さっぽろ赤黒史 | トラックバック(0)

2022年01月22日

歴代ブラジル人🇧🇷ストライカーと西大伍

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GX18加入に伴い振り返り
ゴール数もさることながら、その時代の札幌のカテゴリー
その年代の貢献度、牽引度を考えると
どの選手も甲乙付け難い

その辺りはウリセス氏に任せるとして

エメルソン、ウィル、フッキ
ダヴィ、キリノ、アンロペ

ビッグクラブを渡り歩く運命、それはアンロペも⚓️🚢


西大伍の件
あれからいろいろ考えている
三上GMや河合CRCの発言を見聞きする限り
我々「受け入れ拒否派」が劣勢に立っているとみる

ラジオ番組コンサオーレでの河合竜二の発言
1.サッカーIQが高い
2.リーダーシップもある
3.多くのコンササポが待っている
これは、札幌が獲得の準備に動いているサインと見ていいだろう

3.に関してはネットで見る限り、復帰要望論が多数派なのは間違いない
J1でまだやれるのに「勿体ない」「札幌で引き受けよう」
こんな流れ、世論が出来つつある


そうなると受け入れ準備だ
受け入れない理由はいくつか挙げられるが、この流れで
嫌悪感やアレルギー反応を見せるのは、
「来る者は拒まず」の精神に反する

したがって、西大伍受け入れの心の準備を始め
彼が入団するメリットをまとめたいと思う
竹林部長、ミシャ監督が推せば、間違いなく西大伍は
コンサに復帰する

西大伍入団のデメリットは、この際封印しよう
会社(コンサドーレ)の決定には従う
2008年あたりの月刊誌などを読み返すところから始めるつもりだ


posted by odo5312 |15:48 | さっぽろ赤黒史 | トラックバック(0)

2021年12月30日

ウーゴ•マラドーナの思い出

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ウーゴ•マラドーナさんが52歳の若さで旅立ったとのこと

脳裏に焼き付いているのは
厚別の本田技研戦(JFL)
そして室蘭のベルマーレ平塚戦(J)

フリーキックの凄さと一発の魅力を教えてくれた選手だった


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草創期の札幌を盛り上げてくれた事を感謝したい





別件
メンタルトレーナー 石川直樹氏

https://youtu.be/rT59IauavNY

時間があるとき、見ておこう




posted by odo5312 |04:25 | さっぽろ赤黒史 | トラックバック(0)

2021年04月16日

25周年記念読み物 野々村、内村、ウリセス

報知より

https://hochi.news/articles/20210414-OHT1T50076.html

 ―最後に、記念試合の横浜M戦へ。

「自分としてはどの試合も同じで、前に進むための積み重ね。特別感はメディアやサポーターの方々に出していただいて。この年になったら誕生日や記念日も気にならないでしょう? それと同じ。自分がうれしいではなく、支えてくれる人に感謝を伝える。それが“誕生日”だと思うから」

野々村社長らしいコメント

https://hochi.news/articles/20210415-OHT1T50060.html

ウッチー情報
19年オフに引退。昨年から札幌に本社を置くラテラル・シンキング株式会社の福岡オフィスで、システム開発に携わっている。

「現役時代から効果も分からず、何となく取り入れるのは嫌いだった。この世界はこうやればこうなるとはっきりしてるのがいいなと、普通に履歴書出して応募して入った。
毎日気付きの連続だけど、それが気持ちいい。昔から僕を知ってる人は意外みたいですけどね」

 あえて違う世界に飛び込んだ今も、札幌での9年間は、深く胸に刻まれている。

「いいチームだったしいいサポーターばかりで。降格も経験したけど、本当に一番楽しい時間だった。札幌は離れたけど、その時の人とのつながりが今もあることもありがたいなと。今回、長年応援してくれる人たちにあのゴールを選んでもらったことは、自分の財産だし励みになる。今は大変なこともいっぱいあるけど、頑張れますよ」。


普通のサラリーマン内村さん、おかえりなさい札幌ドームへ
苦労は多いと思うけれど、こういうパターンのセカンドキャリアも良いですよね


https://news.yahoo.co.jp/articles/4031cb3115ce5ee0205d549db971a0525206dc11

この記事もお勧め
J2最下位を経験している数少ない私たちの仲間だ



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posted by odo5312 |09:24 | さっぽろ赤黒史 | コメント(0) | トラックバック(0)

2021年04月13日

【㊗️25周年】4月16日はクラブ設立記念日

サッポロ赤黒史
25周年特集

という訳で1996年の記事を探してみたなり


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室蘭民報



1996年4月13日付の室蘭民報 
会社(北海道フットボールクラブ)設立3日前

丸井今井室蘭支店(当時中島町にあった)で
コンサドーレ応援グッズ販売開始という記事
Tシャツ、トレーナー、フラッグ、キャップ、
メガホン、ステッカーなどをアディダスショップで
販売していたらしい


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4月19日の道新
道内第一戦、チケット前売りの記事
丸井室蘭支店では700枚を売り出す
他にはチケットRiza、チケットセゾンで扱い
4月21日発売開始
5月19日に室蘭入江で大分戦

室蘭だけに、小野甲介や財前恵一の名も


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サッカー⚽️のマチだけにチケット争奪戦は
熱かった記憶がある


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↑室蘭民報

あれから25年
四半世紀
そう、コンサと私は
銀コン式


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↑日経 


posted by odo5312 |23:56 | さっぽろ赤黒史 | コメント(0) | トラックバック(0)

2020年12月16日

2012年を起点として

部屋の片付けをしていて厄介なのが書籍である
とりわけサッカー雑誌⚽️はタチが悪い👎
何故なら断捨離どころか札幌赤黒史の研究が突然始まり
挙げ句の果てにブログを書かないと気が済まなくなるか
らだ

今回取り上げるのは2012年の選手名鑑(サカマガ)
石崎信弘監督か、ふむふむ
からの東芝堀川町サッカー部がコンサの前身
その時にミランを真似て赤黒縦縞にしたのが石崎さん

なんて事を思い出すのも悪くないだろう
カッパからミズノへの変わり目だ
全赤黒が集中すべきネタだ

そんな事より大事なポイントがある
荒野拓馬だ

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ハスキーボイスのタクマくんで思い出すのは
2011年の東日本大震災支援募金の時の宮の沢
誰よりも大声で(芳賀キャプテンの指導で)募金募り
コイツは大物になりそうだと思った覚えがある

あれから8年ももくり、柿8年ですか

それから宮澤裕樹(当時5年目)

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宮澤は石崎監督から「天才」と称された
ボランチやディフェンダーへの転向のきっかけが
この頃で悩みも多かったとは思うが、広い視野や
類稀なパスセンスは年々向上していった
昇格降格を繰り返す中で、移籍も視野に入れていた
ようだしサポの間でも一度外に出て勉強した方が良い
とも言われていた
だが、宮澤に関しては出ないで正解だったのである

何故なのか
それは3人目に登場するこのお方にヒントが隠されている

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河合竜二元キャプテンである
宮澤はこの期間にキャプテン道を学んだはずだ
背中で語ったのか口で教えたかは分からないが
スピリット的なものは間違いなく引き継がれた
こうして見ていくと古雑誌も札幌の歴史考証に役立つ
という事が分かると思う
当時はなかなかここまでは見通せないものだ
なんせ世間ではサポもマスコミもゴン中山一色だったから

数年経てば分かることがある
その一つが札幌赤黒史というジャンルである

これらのあれこれを踏まえて進藤の移籍会見も考えようと思う
コロナ禍におけるクラブの財政の問題
進藤本人のサッカー選手としてのキャリアの問題

前出の荒野や宮澤とはまた置かれた立場は違う気もする
もっと端的に言えば、「可愛い子には旅をさせよ」でいいんじゃないか
なんてことを第一報を見たときから思っていた
移籍は成立するだろうし、本人が良いなら喜んで送り出すよと
なんならミンテや田中もいることだし、なんとかするさと

本人の意向や代理人からのコメントに理解を示す必要も
そしてあまりTwitterでは見かけないが来年の
DF陣を含む登録選手の人数と編成について
進藤が何を語るかというより、コンサドーレが将来に向けて
どのようなビジョンを持っているか確認したい


posted by odo5312 |11:06 | さっぽろ赤黒史 | コメント(0) | トラックバック(0)

2020年10月11日

J1で50勝。久々に鹿島に勝ちたい

コロナ禍
武蔵海外移籍
なかなか難しいシーズンになった
ドームでマリノスから1勝
厚別でベルマーレから1勝
だけど不思議な充実感がある
同点弾、逆転弾の金子拓郎がその象徴だ

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大卒ルーキーが抜きん出た実力がある
東急のトークショーで河合CRCから聴いていた
スタジアムでDAZNで見たサポーター達も
大卒三羽烏と認めた
これだけで充分すごいことだ
さらに現役の大学生が起用された
チャレンジングだ
だから誰も下を向かない
降格がないという取り決めをプラスに変えた
このような柔軟性が未来を切り開く

ゼロトップもあり
1トップ2シャドーもあり
日本代表も苦しんでいるようだが
いつまでも大迫頼みではあるまい
堂安、南野、そして武蔵で勝負となろう

コンサドーレもこれという型はまだ無い
来年に向けて柱の選手3、4人を選定している最中
柱が決まったら、補強計画に移る
おそらく鹿島戦あたりで来季の構想は見えるだろう
予算はたぶん減る
だからこそ若手成長株に期待するしかない

残留を引き寄せるには2通り
一つは失点を大幅に減らす
一つは得点を大幅に増やす

2月中旬開幕でスタートダッシュが難しい
なんとなく方向性は見えてこないだろうか
補強するとしたら得点力のあるDFだ

福森と進藤
二人が奮起すれば補強は要らない
現有勢力で残留できるはずだ


posted by odo5312 |22:42 | さっぽろ赤黒史 | コメント(0) | トラックバック(0)

2020年09月26日

コンサドーレ初代社長斎藤達氏逝く

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道新 1996年3月10日付
サッカーの北風起こせ
コンサドーレ 助っ人入団発表
アルシンド(28)、ペレイラ(36)


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道スポ 1996年6月12日付
本拠地初戦を前に衝撃
アルシンド突然の退団劇
コンサドーレ札幌 カオが消えた


ご苦労が多かったと思います
苦労も過ちも全て今につながる足跡です
ご冥福をお祈りします


posted by odo5312 |06:03 | さっぽろ赤黒史 | コメント(2) | トラックバック(0)

2020年08月26日

アシス氏の記事

きょう横浜M戦
19時30分から
早く帰りましょ

個人的な意見ですが
今日落としても
9/2 厚別は絶対取らなきゃならない
試金石でいいと思ってます
ルヴァン杯決勝進出に全てを注ぎ込んで欲しい

真ん中の記事が金子
攻撃の切り札
と書かれていますね

その左の短信
◇ロナウジーニョ氏釈放
の記事中に
「兄のアシス氏」
と出てくるんです
確かアレは1999年ごろでしたか
札幌ドームがまだ建設中で、練習場は
月寒エアウォーター
あの時のアシス氏はカッコよかった
ナイスガイだった
J2コンサのスター選手でね
とってもファンサービスが良かった
だから今でもファンです
ロナウジーニョ氏の兄の方のファン(笑)

posted by odo5312 |06:43 | さっぽろ赤黒史 | コメント(0) | トラックバック(0)

2020年07月26日

ドーム7月マリノス戦

7月の
マリノスドーム
こけら落とし
(赤黒俳句)

2001〜2020〜
あんな時代もあったねと
中島みゆきが頭の中でかかりまりのす


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チケットが発売初日に完売した伝説の試合
国歌独唱は大橋純子さんだった
初の超満員ドームでの熱戦で興奮して酸欠気味?になった人も

あの時とは対照的な状況ではあるけれど
7月の札幌ドームのマリノス戦はやはり感慨深い


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野々村社長も出場していました


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記念すべきドーム第1号ゴールは播戸竜二
これ、試験に出ます


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さて、本日はいったいどんなドラマが待っているのか
札幌赤黒史を書き加えるのは、ココを見てるアナタだ
ドームで、NHK札幌で、DAZNで
歴史の目撃者になろう

新型コロナの状況は言うまでもなく悪化の一途を辿っている
いつまた無観客になるか分からないし、いつリーグ戦が
中断してもおかしくない
お盆週間には自粛要請の可能性も否定出来ない
見られるうちにしっかり見るんだ👀
いまは見ることが最大級の応援📣になるはずだ


posted by odo5312 |04:24 | さっぽろ赤黒史 | コメント(0) | トラックバック(0)

2019年12月05日

12月5日室蘭の記憶 アビスパ福岡戦

12月5日
きょうは何の日?

1998年(平成10年)12月5日
帰りの臨時特急コンサドーレ号(キハ183系)車内
「来年はアルビレックス新潟がJ2に来るらしいよ」
あえて前向きな会話をしてカラ元気を出した
誓いのコンサドーレコールを寒風に響かせた12月の室蘭入江

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参入決定戦に4連敗
神戸、神戸、福岡、福岡
負のスパイラルを抜け出せなかった

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トップリーグから陥落して
J2のオリジナル10となる
1999年、出直し
岡田武史監督就任

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経営は身の丈だったか
戦術は身の丈だったか
点検して
2000年、野々村芳和が加入した
岡田武史がジェフの野々村を誘ったのだ

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転落は時に転機となる
力を蓄える期間
ジャンプのための屈伸期間
いま、それらは無駄になっていない

赤黒の辛かった歴史
それからのV字回復、成長
2019年(令和元年)の12月5日に改めて刻んでおく
新しいファンのためにも




posted by odo5312 |07:38 | さっぽろ赤黒史 | コメント(2) | トラックバック(0)

2019年10月22日

2008年室蘭ナビスコ杯予選で川崎に勝利

2008年、マッチデープログラム
カッターレ
表紙は平岡です
フロンターレに勝ったーれ
なんて、ギャグでなくホントに川崎に勝ったのだ
勝ったことあるんですよ、J1で
ぶっちゃけ忘れがちな試合ではありますが

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さて問題です
コンサドーレ・カルトクイズ、難問です
決勝点を挙げた選手は誰でしょう

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ヒーローになる時、それは今、ヒロ西嶋

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このジンクスからいくと、DFの点取り屋
つまり進藤あたりが浮かび上がってきませんか
進藤派には心強いデータであります
キム・ヨンデも懐かしいですね
キム・ミンテにとっては、名前がすごく似てるので(笑)良いジンクスかも

とある筋の情報によりますと、西嶋氏は現在Jビレッジの仕事をされているとのこと
もし、埼スタに復興ブースがあってヒロくんを見かけたら、
縁起がいいので声掛けしてみてくださいね


posted by odo5312 |20:19 | さっぽろ赤黒史 | コメント(0) | トラックバック(0)

2019年10月21日

中立地での川崎戦 2001年天皇杯3回戦富山

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岡田武史監督ラストゲーム
今野泰幸(18)プロ初ゴール
黄川田賢司逆転惜別ゴール

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戦力外通告を受けた野々村は黙々と別メニュー
まさかの解雇通知から1週間
東京から富山でのキャンプに合流

ここで注目したいのは野々村の発言だ

「将来的にも札幌で何かしらやりたい」
「この2年間、北海道に感謝している」

中立地・富山で野々村は最後のキャプテンシーを見せる

「みんなには勝ってくれと言っています」

しかし、フロンターレに敗れ4回戦の鳴門にはたどり着かなかった
2001年12月9日 川崎に延長負け

これを境にコンサドーレは長い低迷期に入ることになる



posted by odo5312 |20:26 | さっぽろ赤黒史 | コメント(0) | トラックバック(0)