コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2020年12月16日

2012年を起点として

部屋の片付けをしていて厄介なのが書籍である
とりわけサッカー雑誌⚽️はタチが悪い👎
何故なら断捨離どころか札幌赤黒史の研究が突然始まり
挙げ句の果てにブログを書かないと気が済まなくなるか
らだ

今回取り上げるのは2012年の選手名鑑(サカマガ)
石崎信弘監督か、ふむふむ
からの東芝堀川町サッカー部がコンサの前身
その時にミランを真似て赤黒縦縞にしたのが石崎さん

なんて事を思い出すのも悪くないだろう
カッパからミズノへの変わり目だ
全赤黒が集中すべきネタだ

そんな事より大事なポイントがある
荒野拓馬だ

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ハスキーボイスのタクマくんで思い出すのは
2011年の東日本大震災支援募金の時の宮の沢
誰よりも大声で(芳賀キャプテンの指導で)募金募り
コイツは大物になりそうだと思った覚えがある

あれから8年ももくり、柿8年ですか

それから宮澤裕樹(当時5年目)

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宮澤は石崎監督から「天才」と称された
ボランチやディフェンダーへの転向のきっかけが
この頃で悩みも多かったとは思うが、広い視野や
類稀なパスセンスは年々向上していった
昇格降格を繰り返す中で、移籍も視野に入れていた
ようだしサポの間でも一度外に出て勉強した方が良い
とも言われていた
だが、宮澤に関しては出ないで正解だったのである

何故なのか
それは3人目に登場するこのお方にヒントが隠されている

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河合竜二元キャプテンである
宮澤はこの期間にキャプテン道を学んだはずだ
背中で語ったのか口で教えたかは分からないが
スピリット的なものは間違いなく引き継がれた
こうして見ていくと古雑誌も札幌の歴史考証に役立つ
という事が分かると思う
当時はなかなかここまでは見通せないものだ
なんせ世間ではサポもマスコミもゴン中山一色だったから

数年経てば分かることがある
その一つが札幌赤黒史というジャンルである

これらのあれこれを踏まえて進藤の移籍会見も考えようと思う
コロナ禍におけるクラブの財政の問題
進藤本人のサッカー選手としてのキャリアの問題

前出の荒野や宮澤とはまた置かれた立場は違う気もする
もっと端的に言えば、「可愛い子には旅をさせよ」でいいんじゃないか
なんてことを第一報を見たときから思っていた
移籍は成立するだろうし、本人が良いなら喜んで送り出すよと
なんならミンテや田中もいることだし、なんとかするさと

本人の意向や代理人からのコメントに理解を示す必要も
そしてあまりTwitterでは見かけないが来年の
DF陣を含む登録選手の人数と編成について
進藤が何を語るかというより、コンサドーレが将来に向けて
どのようなビジョンを持っているか確認したい


posted by odo5312 |11:06 | さっぽろ赤黒史 | コメント(0) | トラックバック(0)

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