コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2008年02月12日

お元気ですか。

人はなぜ、他人を傷つけようとするのでしょうか。

お元気ですか、Gekiteiです。

戦後60年以上が経過し、この国は世界でも有数の豊かな国になりました。

しかしながら、人間の心という部分ではどうなのでしょうか。弱い人の立場になって考えるということが、今の私達にできているでしょうか。

お恥ずかしいのであまり話したくないのですが、私の中学生時代の話をしましょう。

私は中学生時代に、いわゆる「いじめ」に遭っていました。相手はそのように解釈していないかもしれませんが、私は「いじめ」であったと認識しています。

その内容をいちいち書くような真似はしませんが、辛かったですね。先生には機会がある毎に言いましたが、それも大して効き目が無く、結局は3年の時間が過ぎるのを待つほかありませんでした。

その時感じたことですが、一口にいじめと言っても、色々なやり方があるわけです。相手を特定できるやり方であれば、先生や親に言うなどの対策も考えられますが、やられた側には誰がやったのか分からないようなやり口というのもあります。

誰に怒りの矛先を向けるべきかも分からないわけです。こういうやり方は被害者にとっては屈辱この上ないですし、一方で加害者側からすれば、いわば相手の攻撃が当たらない場所から鉄砲を撃つようなもので、自分の安全を確保しながら相手を攻撃できるわけです。賢いやり方であり、卑怯なやり方です。

私は何も彼らを糾弾するためにこれを書いているわけではありません。私だって学校生活の中で他人を傷つけてしまったこともある筈です。彼らを許すつもりはありませんが、いくら被害者だからといっても私には彼らを批判する権利は無いと思っています。

彼らには彼らなりのストレスがあったでしょう。或いはいつ自分に矛先が変わるかもしれないという強迫観念があったかもしれません。これは想像ですが、彼らはいわば大人が煙草を吸うような感覚で、ちょっとしたストレス発散目的でやっていたのでしょう。

いじめの根って、本当に深いというのが私の経験です。
大人が事の深刻さに気付かないことは十分にあり得ます。そして、そのまま見過ごしてしまっては、人として非常に問題のある大人になってしまうのではないかと思います。たばこや酒の依存と同じように、誰かを攻撃していないとストレスが溜まるというような、恐ろしい人間になってしまうかもしれません。

今の社会は、成果さえ残せば多少後ろ暗い部分があっても無視されがちです。本人が「それは卑怯な事だ」と気付いてくれないと、他人を蹴落とすことしか考えないような人間になってしまう可能性もあると思います。

そして、インターネットの普及という点も見逃せません。

ネットは匿名が可能で、しかもいろんな人間がいますから、自分に合った「カモ」を見つけ、学校のいじめと同じように、自分の安全を保ちつつ相手を一方的に攻撃することが簡単にできます。

今、そういったことに対して激しい憤りを覚えている方も多数おられるかと思います。

そこで提案なのですが、貴方が抱いたその憤りを、ご家族とよく話し合ってみてはいかがでしょうか。特にお子様がいればお子様と話し合うと良いと思います。子供は大人のそういう態度を見て、それが卑怯な行為なのだということを学ぶものだと思います。お子様がいらっしゃらなくても、周りの方と話すことで、見えてくるものもあるかと思います。
(って、独身のおいらが言っても説得力ないかw。まぁ両親は健在だから家族はいるw)

残念ながらいつの世にも悪い輩は存在します。不幸にして傷ついてしまう人もいます。

私達がするべきことは、ただ怒るだけでなく、卑怯な事を卑怯な事と理解できる人間を世の中に一人でも増やすことだと思います。特に将来を担う子供への人間教育は重要です。その積み重ねで、良い社会ができるのだと思います。

かねここうじGekiteiでした。

posted by Gekitei |19:45 | 筆者動静 | コメント(0) |

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