初心、忘るべからず
【第51節 水戸-C大阪】 水戸 前田監督コメント
ウチのチームも苦難の時期を乗り越えて今があるのだという事を忘れないように、前田監督のコメントを皆さんも読んでほしいという内容にしたかったのですが、ついつい私のサポ歴を書いてしまいました。
折角なんで、一時期話題となった「なぜ札幌を愛してしまったのか」を、今更ですが残しておきたいと思います。いつか書こうと思っていながら、時期的に忙しかったんですよね。
私にとっての、「初心」です。
私の生活の中に札幌が入ってきたのはいつ頃からだったでしょうか。テレビで生中継が見られる機会が増えてからだったと思いますので、おそらくJに上がった98年からでしょう。その前年にJ昇格の新聞記事を見て歓喜した記憶はありますが、試合を見た記憶はありません。
98年はチームがJリーグに足を踏み入れた歴史的な年であり、勿論皆さんご承知の通り「1度目の降格」の年でもあります。
この頃の私は高校生でしてねぇ、函館市内で普通に両親と暮らしておりました。98年は2年生でしたよ。あの福岡戦、見ていたのは覚えています。ただ、0-3でタイムアップの笛が鳴った時、どんな心境だったかは覚えていません。或いは途中でチャンネルを切り替えていたかもしれません。「1点でも入ってくれ」って思いながら再びチャンネル合わせたりしてたかも(今だから笑)。
そういえばこの一つ前の神戸戦は平日デーゲームだったんだ。確かに家に帰るなり母ちゃんに結果聞いた記憶ある。
当時は携帯電話を持つって事が考えられなかったからなぁ。
と、昔話をしてしまいましたが、話を戻すとこの頃の私は上記の前田監督言うところの「勝ち負けだけを見ている」ファンでしたね。否定しませんよ。今のように「ただ勝つだけなら見る価値無し。中身のある試合が出来ないならJ1は自ら辞退すべき」という心境になどなれなかった。とにかく下に落ちることへの恐怖しか無かったのでしょうな。それに、メディアを通した情報しか入ってこないから、勝ち負け以外の部分に興味を持ちずらいというのもあるでしょう。
でも、J2からの出直しとなった99年も、テレビ中継があれば見ていました。結局、降格してもチームを応援し続けました。
「降格して、注目度も下がって、それでもなぜ応援したのですか?」
岡田監督が入ったという事もありますが、何よりも大きかった事があります。それは、
他に何も無かった。
ということです。
メジャースポーツの中で、心の底から応援できる郷土のチームというのが、他に無かったからです。
余談になりますが、もしも、98年とか99年というタイミングで日ハムが移転していたならば、理由を付けて野球に乗り換えていたかもしれません。もともとサッカーという競技を殆ど知らなかったし、野球は毎晩巨人戦をやっていましたから馴染みは遥かに深かった。もしこの時期だったらドームはまだ無かったわけで、円山を本拠地にするしかない。そんな球団に対して「困難を覚悟で北海道にやって来た」という第一印象を持ったことでしょう。
でもそうはなりませんでした。絶望した12月の室蘭。しかし私達には、このチーム以外無かったのです。
「スタジアムに行こうとは思わなかったのですか?」
はい、できればそうしたかったのですが、大学受験を控えた大事な時期だったこともありますし、それに私は元々積極的に外に出たいとか色んな経験がしたいとか思うような性格ではないのですよ。当時の私にとって青森から南側と長万部から北側は「国外」同然でした。憧れみたいなものはありましたが、自分一人で行ってみるなんて事は発想できませんでしたね。ただ、もしこの時期に千代台でホームゲームをやっていれば行ったと思いますよ。あそこなら歩いて行けますから。
さて、そんな出無精な私も、大学進学によってイヤイヤ(?)一人で札幌へ住まねばならなくなりました。これが2000年の事です。で、「どうせこれから一人で生きなきゃいけないんだから」と吹っ切れた3月、遂に初めての「生観戦」を決断します。サッカー試合の観戦は生まれて初めて。オーシャンスタジアム(千代台の野球場)でのプロ野球観戦も小学生以来無かったから、プロスポーツの観戦も何年かぶり。
買ったチケットは、3月30日のホーム開幕戦。対新潟戦でした。この試合は平日デーゲームだったのですが、この時期には受験も何も全て終わっているわけで問題無し。意気高らかにその日を待ち望んでいました。
しかしこのチケット、結論から言うと紙くずとなりました。
ここで問題、それはなぜでしょう?
・・・
分かりませんか、考えてくださいよ。
・・・
サポ歴の長い人なら、ピンときますよね。
・・・
はい時間です。
正解は、「有珠山の噴火」です。
※正確には「火山活動」。この時点ではまだ噴火していなかった。
幸いこの試合自体は火山活動の影響なく開催できました。しかし実際には既に活動が活発化しており、この影響で長万部-東室蘭間で列車がストップしてしまいました。
この時はまだ函館にいましたので、普段なら「スーパー北斗」に乗れば1時間半くらいで室蘭に行けるのですが、この影響によって長万部から倶知安、小樽、札幌、苫小牧と経由しないと室蘭に行けない状況となっていたのです。
今だったら、「まぁ長万部まで行って、あとは何とかなるだろう」と考えますが(笑)、当時はそこまでの勇気は無く、止む無く初観戦は延期としました。
その後、ならばもう一度とチケットを買った浦和戦は、今度は試合自体が延期(このチケットは無駄にせず、きっちり7月16日に室蘭初参戦を果たしました)。その次のホーム山形戦は、私が札幌へ移ったタイミングを図ったかのように千代台初開催。入学直後の落ち着かない中でおめおめと帰るわけにはいかず、結局私の初観戦は5月4日の厚別開幕・湘南戦まで持ち越されることになったのです。
実はこの日も「障害」が待っていて、慣れない一人暮らし(下宿だけど)の疲れが出たのか体調不良だったんですよ。多分熱もあったと思いますが、上記のような経緯があって私にも「意地」があったものですから、しっかり防寒具着込んで観にいきましたよ。
もう、、、その試合は、、、最高でした。
決勝ゴールが決まって(山瀬だったんだな確か)、前後左右お客さんみんながその瞬間一斉に立ち上がった。私は応援に関して何の予備知識も無くS指定席で見ていたのだけれども、ちゃんとその時には周りと同じタイミングで立ち上がったのですね。
地元のチームを応援できるって、何と素晴らしいことかという思いを抱きながら、帰ってからはひたすら養生に専念するのでした。結局この年のGWは試合観戦以外何もしなかったんだな確か。
長らくお付き合い頂いて有難うございました。ひとまずここで幕といたします。
次回は(→まだあるのか!)、CVSとの出会いについてお話できればと思っています。
※ 時期未定