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2008年08月30日

『靖国 YASUKUNI』

映画 『靖国 YASUKUNI』 を観てきました 

2006年8月15日、終戦記念日の靖国神社の 早朝から深夜までの一日を追った映像と、靖国刀を作り続ける最後の刀匠のインタビューによって構成される、ドキュメンタリー風の映画。
手持ちのカメラで撮る映像は 大きくブレ、アングルも悪い。録音状態も 決して良くない。

マスコミのニュースでは 首相や閣僚、国会議員の参拝ばかりを取り上げるが、こんなにも様々な人たちが参拝しているのだと改めて知り、驚いた。ちょっと考えれば 容易に想像できる事なのだけど、一般人は そもそも靖国神社にさほど関心を持っていないし、なかなかそこまで考えないだろう。

判断や 評価が 非常に難しい映画です。
靖国神社に関する知識を 多少は持っていないと理解できないシーンの連続。
もっとも、靖国神社に関心が無い人は そもそもこの作品を観たいと思わないのだろうから、それは問題ないのかな。



はじめに登場するのは、様々な制服や軍服を着て参拝する人たち。
大切に保存していたのだろうか、旧日本軍の軍服を着た老人が無言で参拝する姿からは深く重い心が伝わってくる。
しかし、日章旗と旭日旗を掲げる右翼団体の一行が 大声で読み飛ばす紋切り型の檄文には 共感できないし、自衛隊風の制服を着た若者と老人の一団などは むしろ滑稽だ。

その後に登場するのは、慰霊の式典に乱入し 反戦を叫ぶ若者、その若者を取り押さえ排除しようとする大人たち。
境内で星条旗を掲げ小泉首相支持のビラを配るアメリカ人、そのアメリカ人に共感する日本人と反発し排除しようとする日本人。
同じ靖国神社に参拝に訪れながらも様々な考え方や価値観がぶつかるが、相手の意見に耳を貸そうとせず自分の意見だけを一方的に声高に叫ぶ姿は醜い。

参拝客とは別に、自分の親を 靖国神社の合祀から外すように訴え続ける台湾人女性や 日本人僧侶も登場するが、靖国神社側は 分祀はできない とする原則論を繰り返すだけに終始。
境内の茶店で寛ぐ遺族のインタビューでは、戦死した肉親を悼むと共に 強く平和を願う想いが伝わってくる。
この映画を通じて 本当に多くの様々な意見、想い、価値観がぶつかり合い、渦巻き、不協和音を奏でる。


並行して登場するのが、年老いた最後の刀匠。
靖国神社の御神体であり、戦時中には将校に賜られたという 靖国刀。その靖国刀を 今も作り続けている刀匠に監督自らがインタビューしているが、刀匠の口は重い。なかなかその想いを語ろうとはしない。語りたくても様々な想いが去来し、言葉にならないのだろう。正確な言い回しは覚えていないが、最後に刀匠がつぶやいた 戦死者を悼み平和を願う気持から靖国神社を尊崇するという趣旨の言葉に全てが凝縮されているだろう。

監督は靖国刀と南京大虐殺や100人切り伝説などをなんとか結び付けたいようだが、所詮それは無理なことで、空回りの連続。
ラストで斬首のシーンの写真が何枚も何枚も映し出されるが、これも余計で、とても違和感があった。
解説を排除して淡々と映像を流すことで客観的なドキュメンタリーという印象を与えたかったのかもしれないが、刀匠へのインタビューやこの最後の写真で全てはぶち壊し。靖国から遠く離れたところに行ってしまったように思う。




靖国神社には 2度参拝したことがあります。伯父(母の兄)が祭られているので、本殿まで上がって 参拝しました。伯父の命日と 僕の誕生日が同じで、生まれ変わりだと言われて育ったことも影響しているのかもしれません。参拝してきたことを母に報告すると、とても喜んでくれました。


posted by aozora |02:41 | 映画 | コメント(0) | トラックバック(1)

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