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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

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aftertalk #36

2008年04月01日

clasics #36でした。連載史上もっとも観念的で抽象的な回ですねこれ。

人生の面白さとサッカーの面白さ、というのをリンクさせて語ろうと思っていたんだろうけど、何でだろうというかやっぱりというか、最後の方ではそこはかとない悲しさと無情さが漂うような方向になってしまっている。もはや性分。サッカーには喜怒哀楽のすべてが入っているとも言っているけど、どうやらそうでもないらしいということがようやくこの歳になってわかってきたような気もする。確かにサッカーには喜怒哀楽がある。しかしそれはスポーツというカテゴリで展開される喜怒哀楽であって、人生とか生活とかそういうところと比べるとダウンサイジングされていることは否めない。人が生きることのすべてをサッカーで語ることは不可能だ。でもその不可能を何とかして可能に近づけたいと思うこと、語ることを止められないのもまた自分にとってのサッカーという存在。喜怒哀楽が90分に凝縮されている、というところもそういう気持ちを抑えられないひとつの理由だと思う。

とはいってもサッカーが面白くなくなったという意味ではない。サッカーに対する興味は昔も今もそれほど変わらっていないし、この回を書いているときから沈黙する時間が長かったからそう思えてしまうんだろう。実際、ここ数年で僕自身がサッカーを語ることのできる言葉というのはかなり少なくなってしまった。サッカーがつまらなくなったのではなく、サッカー以外で語りたいことがあったり、サッカーを言葉にすることから離れてしまっていたのが原因だ。何かを言葉にできるだけの語彙というのは確実に僕の頭の中から減ってしまった。だからともあれリハビリにこうやって書いているというのもあるけれど、語る内容はサッカーから離れているという不思議。いやべつに不思議じゃないか、自覚的に書いてるんだし。サッカーを見ること、応援するということが自分にどんな影響を及ぼして自分がどんな風に思ったり考えるのかということに興味を持ち続けている、あるいはそれを形にできる方法を探り続けているといったほうが正しいのかもしれない。そして今も昔も、形にできる方法でいちばんどうにかなりそうなのがこうやって何事かを書き連ねていくことなんだというところは変わっていない。もっと語り、もっと考える。そしてもっとその産物をどこかにまき散らしていく。恥ずかしげもなく、悪びれもせずに。そんなことが今必要なんだろうと思う。

ああ、ちょっと思ってしまった。ひょっとして自分は「サッカーに興味がある」のではなく、「サッカーに興味がある自分自身に興味がある」という場所から抜け出せていないのではないか。悪い癖だとは思うけれど、ひょっとしたら僕は「自分」というフィルターを通さないとすべてのものごとを把握できない人間なんじゃないかとも思う。それはそれで問題だろうけど、抜け出す方法も知らないままここまで来てしまっているのでどうやっていいのかもわからないというのが今の正直な心境だ。


post by retreat

23:33

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