2021年09月29日
コンサ創設の父•石水勲氏逝く
コンサドーレを札幌に誕生させた功労者がお亡くなりになった。まだ77歳だった。 若手の道内企業経営者で東芝サッカー部を川崎から誘致 名だたる大手企業の長老達は誘致に反対した 1996年、ゼロからの出発だった JFL優勝後もJ2優勝後も多額の累積赤字を出した 選手はレンタルばかりで引き抜かれるばかり 本格的に育成のクラブへ舵を切ったのは2004年 最初はJリーグに上がるのが目標だったが 何度か降格昇格を繰り返すうちにいつしか目標はJ1定着になる これが容易くなかった 札幌というマチの規模の割に金銭面で苦労した 大株主は石屋製菓、石水勲、サポーターズ持株会 親会社を持たない市民クラブの限界を感じた事は何度もあった 幾度の経営危機もあった J 2で低迷していた頃、エレベータークラブと揶揄された頃、随分と叩かれもした だが、サポーター達は知っていた キャンプ地まで飛んでいき選手たちに食事を振る舞っていたことを 何より宮の沢白い恋人サッカー場の開業は偉大なる功績である まずは監督、選手たちの環境整備 この投資が無ければ今のコンサドーレは無い そして練習見学からサポーターたちの輪が広がって、コンサドーレサポーターのサッカー感覚の多様性を生み出した マスコミも含めて札幌のクラブとして再出発できた 2001年の事だ。白恋の壁には当時のサポーターの名前が今でもタイルになり残っている 東芝誘致から岡田武史監督招聘(〜2001年)までが1回目の創業 2回目の創業は、社長に野々村を指名したことだ あの時は本当に感心した 2014年あたりから風向きが変わってきた クラブの価値、コンサドーレの価値が見直されてきた 石水〜岡田〜野々村〜ミシャ 見事にひとつの大河ドラマになっている 石水勲という石狩川なのだ それがルヴァン・カップ準優勝に結実し、J1定着という目標に到達した 札幌5段階強化計画(三上GMが継承)の頂点まで来て、更に上を目指す途中で逝かれたのは無念であろう 残された者たちがコンサドーレの灯を守り続ける これが我々に出来る供養である
posted by odo5312 |09:55 | しろこい | コメント(0) | トラックバック(0)
スポンサーリンク
スポンサーリンク