コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2009年06月14日

三沢光晴

昨夜「心肺停止」のニュースをネットで目にしたとき、信じたくないという思いがあった。同時に覚悟も決めていた。

プロレスラーという職業は、常に死と隣り合わせである。
悲しいことであるが、「三沢コール」に包まれながら最期の言葉をつぶやいたのは、レスラー冥利に尽きるのかもしれない。残された人達はやりきれないだろうが・・・。

プロレスファンは過去の名勝負を忘れない。そして過去の記憶の中でレスラーは生き続けるものだ。
俺の中で最も三沢が輝いていた試合は、1990年6月8日、武道館のジャンボ鶴田戦だ。三沢の試合でというよりも全日本プロレスで見たシングルマッチの中で、間違いなくナンバー1だったと言える。その前の年にジャンボと天龍が同じ武道館でシングルマッチを行い、天龍が勝って大興奮したのだが、この頃の全日の試合会場は凄い熱気に包まれていた。

ジャンボ側から見た三沢戦が論文@「ジャンボ鶴田の部屋」に綴られている。マット界の新旧交代期だったのだなと改めて思う。

プロレスリング・ノアが設立されたのは2000年6月だ。俺はすでにコンサの世界にどっぷり浸かり、プロレス会場から足が遠のいていた。だから一度もナマでノアを見たことがない。
ただ、三沢がのし上がった瞬間というか絶頂期の手前の瞬間に立ち会えたことは、19年経った今でも鮮烈に甦ってくるのだ。

プロレスファンは過去に生きる。
だから三沢光晴は永遠に死なない。

合掌
         

posted by (oDo) |06:38 | コメント(0) | トラックバック(0)

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