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2011年02月01日

龍の一文(高麗川の慰霊碑)

  


「今日の現場は埼玉県日高市高麗川(こまがわ)

そこから少し離れた場所での作業です。

車を止めたところのそばには慰霊碑が立っています。

午前の仕事を終え携帯で調べてみることにしました。

「八高線高麗川脱線転覆事故」

この場所は昭和22年2月25日午前7時ごろ

客車6両を連ねた機関車の2両目と3両目の連結器が離れ、

3両目から後ろの4両の客車が、脱線転覆して

死者163名負傷者249名という大惨事があったのです。

この場所は、急カーブ区間(R250)で
(半径250メートルの円状)
しかも下り坂(1000分の20)という
(1000mで20mの標高差)
危険な場所で、当時は終戦直後もあり

保線管理がまだ十分でなく客車は木製で

また終戦直後の食糧不足のため買い出しの為に

たくさんの乗客が乗っていました、

その当時はいわゆる箱乗りや屋根に乗っていた人もいたそうです

今でいえば加重過積載の状態で安定性は悪くなっていたことに加え

ブレーキがかかりにくい状態でもあり

その当時のその場所の制限速度は50キロでしたが、

スピードを落とし切れず突入したためにこのようなことが起きたのでした。

この時の運転手は23歳の経験の浅い運転手で

運転手はこの事故を次の駅の高麗川駅で駅員に指摘されて

はじめて気付いたそうです。

はじめは木製の墓標があったそうなのですが、

32回忌のときに現在の石碑が建てられたそうです。」


今も静かな曲がり角にでひっそりと石碑はたっています。

自分はこの事件を調べたとき

福知山線の事故を思い出します。

この時もスピードの出しすぎが原因での事故でした。

このような事故は繰り返されないことを今は祈るばかりです。


また明日。

posted by 龍 士文 |17:07 | 一文 | コメント(0) | トラックバック(0)