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2008年08月13日

思い出のビールの話(サッポロビール様ごめんなさいとお願い)

こんにちは、龍士文です。
K県K市に戻り北海道がとても涼しいことを実感している今日この頃です。

今日は、とあるビールのおはなし。(サッポロビール様ごめんなさい。)
自分自身下戸でございましてふだん自宅で晩酌することもなく、
ビールは社員旅行のときにのむぐらいで、
この前の北海道でものむことはありませんでした。

自分は、いわゆる「ドライビ-ル」が、嫌いです。
なんていうか舌を刺すような感覚が嫌いなのです。

聖酒サッポロクラシックの重厚さが、良いと感じるのです。

そんな自分でも、思い出に残るビールがありまして、
時々飲みたいと感じる唯一のお酒で、
名前を「DB DRAFT」といいます。
ニュージーランドの地ビールで日本では入手できないようです。

14年前自分がラグビー合宿でニュージーランド(カンタベリー州クライストチャーチ)に行った時、現地のチームとの試合(不出場)後の交流会で出されたビールがこの「DB DRAFT」だったのです。

この時もビールが苦手でしたので、1杯だけと考え一口つけたときのつけたときの出会いは衝撃的でした。
それは、一口飲んだ時に焼きたてのパンの香りがしてとても自分にとって飲みやすく、初めて自分の意志でへべれけになるまで飲んでNZの宿舎の帰り道
に、
 八神純子の「思い出は美しすぎて」「パープルタウン」「ミスターブルー」
(知っている方は、少ないと思いますが・・・。)
を歌いがなりながら、帰った思い出があります。

そのビール会社は当時ラグビ-のカンタベリー州チームのオフィシャルパートナーでそのチームのチームカラーが赤と黒で、
今を考えると何かの縁を感じずにはいられないのです。

サッポロビール様には、他社のビールのことを書くのははばかれますが、
できれば、将来「DB DRAFT」の輸入元になっていただけたらと思ってしまうのです。

posted by 龍 士文 |14:33 | 昔話 | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年02月14日

GKだよ、人生は!!(体の大きい人の宿命)

3点
遊びや学校の授業、昼休み、球技大会等で12年プレイしたサッカーでの自分が上げた得点です。

体の大きい自分は、ほぼ毎回GKで出場した為、シュートするチャンスはほぼ皆無、GKでの得点は、パワープレー時の1点のみ。

授業では、サッカーだけでなく、今話題のハンドボールでもGKで、唯一の自慢は球技大会では、どちらの競技でも、いわゆる「本職」と言われるサッカー部員やハンド部の選手からの失点は0に抑えていたことです、(PKでも7mスローも含め)

サッカーなどの競技では、得点がひまわりのように扱われますが、GKとしては、1対1や2対1の状況でのセーブやPKを止める月見草のような活躍をできたときは、なんともいえない快感があるのです。

だから自分としては、コンサドーレでは、佐藤洋平選手や高木選手の活躍や佐藤優也選手の味のある守備が見ていて楽しいのです。

だから体の大きいGKばかりやる小学生の人には、そこにある快感を楽しんで欲しいのです。

「GKだよ、人生は!!」

posted by 龍 士文 |08:34 | 昔話 | コメント(1) | トラックバック(0)

2008年02月09日

電車で札幌までいったときの話4(もう一つの目的地「中頓別」)

K県K市から、北海道札幌まで26時間かけ厚別で仙台戦を観戦してその後の話。
母方の祖母が仙台戦の1年半前に亡くなり、そのお墓を家族で訪れることが、目的で、(家族で札幌サポーターは自分だけ。)仙台戦勝利の祝杯をあげることもなく、急いで大谷地~大通~札幌から特急電車に飛び乗り、音威子府へここからこの日の最終バスにのり中頓別へ、関東から札幌まで1万円の企画切符できたのですが、
札幌~中頓別まで9千円かかります。おなじ北海道で・・・すごいです。
4時に厚別をでて中頓別到着は、9時近く、親類と会い時の流れを感じながら次の日祖母のお墓(先祖代代のお墓)をたずね、祖母の家に戻り祖母の家のまわりの小さくきれいな花々をふとみながら、小さい頃よく訪ねた中頓別での思い出を思い出すと涙が止まりませんでした。
中頓別の町は、北海道のなかの普通の町ですが、自分にとっては、心を揺さぶる町なのです。
市町村合併がさかんな北海道ですが、わがままかもしれませんが、中頓別がなくならないことを祈るばかりです。中頓別は自分の心を揺さぶる町だから。
この話は、これでおわりです。1~4まで長々とよんでいただきありがとうございました。

posted by 龍 士文 |05:35 | 昔話 | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年02月02日

電車で札幌までいったときの話3(観戦)

この日の試合は、第3クール仙台戦その年の仙台戦は、ここまで2連敗中。
 途中の電車の中にも仙台サポーターとみられる方々が札幌戦の話をしていました。
 中程の席にすわりキックオフの時間を待ちますそこにドールズがあらわれダンスを踊りますびっくりしたのは、アウェイの席の方でドールズのダンスを一緒に踊る札幌サポもいることです。
「厚別の歌」に感動して、そして選手入場のときアウェイと違う歌に戸惑いました。(アウェイは、「俺達の札幌」を歌ってむかえます)そしていよいよ初ホームゲームの開始です。
前半は、0-0で終えて後半26分仙台に先制点、ここまできて初ホームだけは、負けたくありません。しかし時間はじりじり過ぎていきます。そして後半37分途中出場の中山選手のゴールで同点!! 厚別でのっちさんと大盛り上がりそしてどこからともなく札幌サポからは、「あと1点!!あと1点!!」と歓声がひびきます。その声が収まらぬうちの後半40分に池内選手のゴールで逆転!!!そのまま試合終了!!最高の初ホームゲームとなりました。
本当はそのまま祝杯をあげたかったのですがもうひとつの目的地に向かうためここでのっちさんと別れ、札幌に向かいます。
その目的地は、特急電車とバスで5時間かかる「中頓別」という町です。
続きはまた書きます。

posted by 龍 士文 |16:56 | 昔話 | コメント(1) | トラックバック(0)

2008年02月01日

電車で札幌までいった時の話2(花巻~札幌編)

この前の話の続きです。  花巻で各駅停車の列車を降り別の線からくる快速に乗り途中の駅でぬき先に盛岡に先回りして次にのる列車のイスを確保する。 そんなことを考えていたのですが、花巻駅の放送でのその列車が遅れているとのこと、おかげで次の列車(青い森鉄道)の発車時刻2分前に盛岡に到着ダッシュで乗り換えホームへ行きほぼ駆け込み乗車で間に合いましたが、大倉山のバッケンレコードの数字より少し重い体には大変でした。         青い森鉄道で八戸に向かいますがここでだいじなことにきづきます。青森からの急行「はまなす」(自由席は2両でイスは約240席周りの旅人は約400人)でイスの確保の失敗は札幌まで9時間立っていくのはキツイのでなんとかしようと考え時刻表を開きある決断をします。八戸から特急「白鳥」に乗り野辺地で野辺地始発の各駅停車に乗り換えることにしました。八戸~野辺地(特急内で清算1400円弱)野辺地~青森。青森に先回りで到着リンゴチップスとずんだもちを食べながら「はまなす」を一人で待つ。後から来た旅人がダッシュでこちらに向かって来る様子は、迫力満点でした。 「はまなす」ではよゆうでイスを確保して札幌へ。朝6時30分新さっぽろ到着し東西線で南郷へ(何丁目かは伏せます)。祖母の家に(出発から26時間半後)到着してあいさつ祖母もおばも元気でなにより。昼からの試合に備えしばし休憩。この日は自分とって初のホームゲーム(厚別)一緒にみる約束したかた(のっちさん)と厚別で会い初のホームゲームが始まりました。(もう少し続きます)

posted by 龍 士文 |12:34 | 昔話 | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年01月29日

電車で札幌へ行った時の話(昔話)1(北海道東日本きっぷにて)

自分の住んでいるK市から聖地厚別まで飛行機を使うと約4時間、新幹線とフェリーで約14時間、各駅電車と急行「はまなす」で約26時間、今日は26時間、かかった時の話、夏休み前最後の夜勤前に東日本北海道きっぷを購入(1万円)夜勤を終えて会社が夏休みに入り着替えとおにぎりと凍らせたウーロン茶をもって、朝一の電車にのりこみまずは、自宅近くの駅~府中本町~南浦和~大宮へ、ここまでは、寝過ごしに注意するため立って移動。大宮で15分待ち、大宮~宇都宮~黒磯~郡山~仙台へ、大宮以外すべて列車終着駅のため爆睡して前日の夜勤の疲れを癒す。仙台で40分待ちのため昼食(おにぎりとずんだもち)ここまで8時間経過。ずんだもちがおいしかったので2パック追加で買い込み乗車。仙台~子牛田~一関へ、子牛田辺りから周りの人々(約300人ほど)がおなじきっぷで北海道を目指していることにきづく、しかし一関にきた列車はわずか2両編成、一関駅はごった返してました。当然イスにはすわれずたったまま時刻表みていたとき。ある快速列車に気付き花巻で途中下車をしたのでした。しかしこの選択が大変なことになるのです。眠くなりました。続きはまたかきます。

posted by 龍 士文 |03:02 | 昔話 | コメント(0) | トラックバック(0)