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2008年11月09日

龍の一文(お詫びといろいろと………。)

こんばんは龍士文です。
今朝の意見文に対してのコメントがあり、
自分自身の勉強不足の点がありました。
その点についてはお詫び申し上げます。


ただ現時点では、
札幌サポーターがバラバラの状態であることは確かです。

コンサドーレが発展するためには、
まず先にバラバラになったサポーターのベクトルをまとめることだと思います。

この状態が、1日1日続けば続くほどそれだけチーム消滅の危機が近づくことは確かだと思うのです。

今日の一文

「こんな状態を春まで続けるのですか?
フロントにしろUSにしろ妥協点を早く見出してほしいのです。
このような状態を続けること自体危機感が欠如しているように思えてなりません。」



また朝に続いて虎の尾を踏むような一文となりました。
また明日。







posted by 龍 士文 |18:09 | 一文 | コメント(3) | トラックバック(0)

2008年11月09日

龍の意見文(コンサドーレ札幌にあるベルリンの壁)

 
一夜明けて・・・・・・・・・・・。
おはようございます龍士文です。

昨日の夜半に書いた文章が中途半端になったことをまずはお詫び申し上げます。
今日は虎の尾を踏む覚悟でこの意見文を書いています。


現在コンサドーレ札幌の消滅の危機は、瀬戸際または、往生際のところまで迫っています。


まずは、チーム、フロントの改革以前にサポーターの改革が必要だと思うのです。


自分は、川崎市生まれの川崎市育ち、両親が北海道生まれで夏休みにはよく北海道に来ていました。(社会人になった今でもコンサドーレの応援に、北海道に来ることは変わりませんが、)

その北海道に、プロ球団ができることを聞いた時には自分の事のように喜んだことを今でも覚えています。

しかもそのチームが、川崎にあったチーム(東芝堀川町)が北海道に行ったことを知って、いつかは北海道の大地に大輪の花が咲くことを夢見ていました。

そして社会人になってようやくコンサドーレ札幌を間近で見る機会がようやく訪れたのでした。

1999年7月9日小瀬スポーツ公園陸上競技場
コンサドーレ札幌対ヴァンフォーレ甲府

この日が自分にとってのコンサドーレ札幌の初観戦の日でした。
この当時石和町(現笛吹市)に住んでいた自分は、
レプリカユニなどなく真っ黒なポロシャツを着て応援をしようゴール裏の芝生席にいました。
そんなとき一人の札幌サポーターの方が、応援に赤いものがあった方がいいと、
ビニール製の赤と黒のポンチョをくれたのでした。
とてもうれしかったことを今でも思い出します。
この時から本格的にコンサドーレ札幌を応援しようと思ったのです。
この時のサポーターには、どんな人でも受け入れる姿勢があったと思うのです。

時は過ぎて、会社を辞めていろいろあってもいつかは北海道でコンサドーレを見たいと思いながら何年か過ぎようやくその機会が訪れたのでした。

2005年8月13日札幌厚別公園競技場
コンサドーレ札幌対ベガルタ仙台

「コンサドーレメモ」の掲示板で知り合った方と始めて聖地厚別で観戦した時の感動、「厚別の歌」、試合結果どれをとってもいい思いをしましたが、唯一気にかかったものがあったのです。

これより先は、「熱烈サポーターゾーン」

今までのコンサドーレ札幌になかった、違和感がそこにはあったのです。
サポーターにはいろいろな方々がいると思いますが、
そこには、ある一定の人しか受け入れない国境の壁、ベルリンの壁のようなものがそこにはあったのです。

自分としてはこれこそが、
コンサドーレ札幌が、市民球団になれなかった原因だと思うのです。
どんな人でもコンサドーレが応援できる環境になかったことが今の状況を生んだと思うのです。

サポーターが変わること!!
どんな人でも受け入れる心を取り戻すこと。
それが整わないことには、サポーターの数は減っていく一方だと思うのです。
これからコンサドーレを応援する人を受け入れる器をまずはサポーターから作らないといけないのだと思うのです。
支える人が増えれば増えるほどチームが発展するものだと考えるのです。
それからチームを改革することを考えるのが筋だと思います。

2008年11月9日

               龍 士文

posted by 龍 士文 |06:55 | 一文 | コメント(4) | トラックバック(0)