コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2008年12月29日

やっと発表されました

オフィシャルでやっと発表されました「ノブリン」監督の就任。
ヨットでもそうですが監督=スキッパー(操舵手)がいなくちゃ、どこへ行くか分かりません。

これでHFCの中の人も堂々と選手補強、と言っても予算の関係上あと数人なんでしょうが・・・

ヨットではやっぱり分業している場合もありますが、船長(キャプテン)がスキッパー(操舵手)を兼任していることもあります。そして作戦を練る人間もおります。この役割がネビゲーターもしくはタクテシャンといいます。
潮の流れや風向き、レース中や終わりまでの天候などを読みます。
この役目は沖田コーチもしくは三浦コーチになるのでしようか。

そしてクルーが選手ということになります。
選手の意思が一致していないと試合になりませんが、ヨットの場合もクルーワークが一致していないとスピーディに船が進みません。

ヨットは向かい風には進みません。ですからジグザグにヨットを位置取りをして前に進みます。
ですのでクルーが理解不足では潤滑にワーク出来ません。

まぁ、スポーツだけではないのですが・・・
人間社会の総てにあてはまるものですが、結論は

 監督が決まって良かった      話が長い

posted by 去舟庵海人 |19:24 | コンサドーレ | コメント(0) | トラックバック(1)

2008年12月29日

蛇足の東芝話

東芝の話がありましたので蛇足の話。

東芝の社長さんに就任した「土光敏夫」さんの逸話です。

土光さんが東芝の社長に就任した当日、いつも朝早い土光さん。
いつものように会社に朝早く出勤したところ、もちろん社員もいなく、いたのは守衛さん。
社長が朝早く単身で来るなんて思っていなかったもので。
「どなた様」と問われたそうです。

で、土光さんは守衛さんに「今度社長になった土光です」と丁寧に挨拶したとの話が残っています。

posted by 去舟庵海人 |12:24 | 日々徒然 | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年12月29日

やっぱり言葉足らずでしたか

昨日の「東芝」の話で港区芝とあえて書きましたが、やっぱり釣られた人がいるみたいで。
詳しく書いていなくてすみません。

東京都の歴史というより江戸の歴史では「芝」いわゆる「芝生」の芝です。
それで江戸湾の海岸部には芝がおい茂っていました。
その地区を埋め立てたので芝が芝浦になったのです。

ですから「芝浜」の時代背景では芝の地域はすぐに浜辺だったのです。

そんな埋立地に工場を作ったのが田中製造所、そして芝浦製作所。そして東京芝浦電気、東芝と発展大きくなった歴史があります。

ですから東京都が東京市から変わった際には、ここの地域は東京都芝区となったのです。そして芝区が港区芝、そして芝浦となってきました。

まず「芝」が最初にあったのです。

そこで「東芝」がこの地にあったいろいろな工場を分離して子会社にしたわけなんですが、「西芝」「北芝」という名称をつけています。

「芝」という地名でこんなに書き込めるのですから、落語も突き詰めると結構面白いです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%8A%9D

posted by 去舟庵海人 |11:48 | 日々徒然 | コメント(0) | トラックバック(0)