コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2012年05月31日

531

今日5月31日は藻岩山の日でありまする。
標高が531メートルにちなんだ記念日になっています。

私もこの数字で藻岩山の標高を覚えました。

札幌市民ならおなじみの山です。
もちろん山頂には何回かは上がってはいますが、自分の足で麓から登山した記憶がありません。
車かロープウェイがほとんどです。

折りにふれて上ってはいます。
ご来光を見に、元旦にとか、それに6月1日の山開きに上ってとか です。

そんな親しみのある藻岩山ですが、

ここのところ御無沙汰していますな。
山頂部分を改修したとか、ロープウェイをメンテンスしたとか、いろいろあるのですが、

御無沙汰

申し訳ないですね、藻岩山

でわ

posted by 去舟庵海人 |21:19 | 日々徒然 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年05月29日

世間は楽しいな

昨日書きかけたことを今日紹介したいと思います。
日曜日に法事がありまして、叔父の3回忌でした。

叔父は岩手県の二戸市を故郷としていました。
北海道に縁が有りまして、結局こちらで一生を終えることになりました。

その法事の席で昔話が出ました。岩手の故郷の話です。
二戸市と言えば金田一村があります。

どうやら叔父の実家は近所らしいです。
金田一家とは当然面識はあったとかと聞きました。

その金田一さんといえば石川啄木と連想してしまいました。
石川啄木の面倒を一番見ていたのが金田一京助です。

家は山一つ越えた所に渋民村があったそうです。

そんな石川啄木は北海道に一家の墓があるぐらい縁があります。
函館、墓があります、札幌、小樽、釧路に住まいをしていました。
旭川は立ち寄った際に何首か短歌を残しています。

そんな啄木を改めて賞賛したいので「国際啄木会」と言う団体があるのです。
国際組織の下に札幌啄木会とか小樽啄木会とか多数の組織が結成されているのです。

そして今年は啄木没後100年にあたります。

と言うことで叔父の法事から我が家に縁が繋がりました。
身内である長男が「札幌啄木会」の会員であることが最近分かりました。
旭川で啄木の歌碑が設立されたおりにその会合に長男が4月に出席してきたとの事です。

世間は結構狭いものがあります。

何か我が家に啄木が遊びに来るような気がしてきた です。

でわ

posted by 去舟庵海人 |23:16 | 日々徒然 | コメント(0) | トラックバック(1)

2012年05月28日

コンササポの効用

昨日は叔父の法事がありまして、今年度のヨットレースの初戦には参加できませんでした。
親戚も結構な年齢になってきましたので今会っておかないと今生の別れなんていうことが・・・・

もっとも法事に出席しているぐらいですからお元気です、はい。

そんな月曜日三角山放送の「GO WEST!」を昼間聞いておりました。
パーソナリティの相沢さんがおっしゃっていました。

「一晩寝ると立ち直っている」と。

コンササボはこうなっていますよ。
打たれ強い→サボ以外の人のコメントにうまく対応できる。
立ち直りが早い→負けを引きずって居られません。次の試合がすぐだ。
コンサに金がない→俺や私もないけどなんとかひねり出す。
スポンサーは大事だ→こんな弱いチームをスポンサードしてくれる企業や団体は運命共同体だ。

そして何よりも自分達の郷土にあるチームは家族だ。

実は法事で仕入れた話はまた明日の心だ。
世間は広いようでどこかに円が、いや縁が有るもんだの心です。

でわ

posted by 去舟庵海人 |22:22 | コンサドーレ | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年05月27日

品質の差

広島戦での感じたことを書きたいと思います。
昨日は私の中で消化出来ませんでしたのでブログ更新が出来ませんでした。

一晩空けて気がつきました。

それは業務品質の差であると。

広島のプレーは一つ一つJ1で揉まれ、かつ熟練した選手が落ち着いたプレーをしていました。
壁パスを使い、出した選手が前を向いたまま走りこんでスピードを上げるプレーをしていました。

かたや我がコンサはいまだプレーが途切れ途切れです。
熟成されていないのです。
やむを得ません。
システムが同じでも選手が代わる代わるのため、呼吸が合わない、と言うよりスムースじゃないのです。
奈良くんがボールを持った時出すところがないプレーがありました。

ボールを前目で奪ったら即攻撃がコンセプトでした。
思うようにいっていないのです。

選手もコーチ陣、もちろん監督も理解していると思います。

どうやら今シーズンはJ1仕様の品質にコンサ全選手が受ける研修のシーズンになるみたいですね。
若い選手とベテランで他チームで控えに甘んじていた選手がこのWC予選の期間明けまでに品質向上してくれると願います。
怪我から復帰してくる選手も居ます。

反抗は7月から

そう願う日曜日の朝です。

posted by 去舟庵海人 |07:39 | コンサドーレ | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年05月26日

そろそろ出陣

なかなかブログ更新がままならないのは

眠たくて

気がついたら

寝ている

寝ていたら気がついていないという突っ込みを甘んじてうけます。
だからと言って朝が早いかと  おしっこで・・・・

そんな言い訳をして

これから出陣します。

でわ

posted by 去舟庵海人 |10:11 | コンサドーレ | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年05月24日

今週は長いぞ

たまに、本当にたまたまですが真面目に仕事をすると一週間は長いなと思うブログは日頃遊んでいるから です。

本日は木曜日、ラジオなどで木曜日の放送を聞いているのに帰宅途中ローソン様に寄って金曜日の夕刊を買い求めようとしていました。
金曜日の夕刊、道新ですが身内が書いているコラムを読もうとしていました。

木曜日の夕刊には載っていませんわ。

そんな話は置いといて、

コンサの布陣はどうなるのでしょう。
10代の二人のCBが頑張ってくれるのでしょうか。

聖地厚別は独特の雰囲気があるところです。

コンサにとってやりやすい所と信じています。
まして、どうやら雨天との気象状況みたいです。

 雨の厚別

結構好い印象があります。
前回もぱらぱらときましたが、

勝利をゲット

そのジンクスをものにしたいです。

でわ

posted by 去舟庵海人 |22:26 | 日々徒然 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年05月22日

あちらを立てればこちらが下がる

先に下がった方を言えばホスンの怪我と前俊の怪我、どちらも重傷です。
本人が一番つらいでしょうが、ここは気持ちを強く回復を待っています。

そして上がった方は持ち株会の目標に到達したこと、そして今日あちこちで
話題になっていた東京スカイツリーの完成です。

どうも比較の対象が不釣合いなのは人間が二人痛い思いを抱えていますので、
私個人としては振り子が下がっています。

気を取り直して
無理やり上げてみました。

ここここ

展望台からの眺めです。

シドニータワーからの展望
20120522-04.JPG
20120522-01.JPG
台北101からの展望
20120522-02.JPG
20120522-03.JPG
どうも私は高所恐怖症のわりに高い所に上がりたがります。 念のために申し添えますと札幌テレビ塔と東京タワーも上がっています。


posted by 去舟庵海人 |23:31 | 日々徒然 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年05月21日

日食が見られた(^_^)v

早朝は曇っていまして、しかしながら日食がある時間帯に晴れてくれました。
世紀の天体ショーでした。ほんとラッキーです。

肉眼では眼球を痛めるということで車の中からスモークガラスにサングラスで太陽を見ていました。
ちょうど薄曇りが幸いで雲がフィルター代わりとなって最高の状態でした。

夕刊を見ていましたら、今回の金環日食は関東では173年ぶりだとか。
国内では沖縄で見えてから25年ぶり。あとは何とかが993年ぶりとかだそうです。

そんな奇跡に近い現象だったのですか、知りませんでした。

173年前と言えば1839年、 んんん待ってくださいよ。
最近そんな話を書いたばかりじゃ。。。。

1839年であったこと

これ以前に生まれた人は見ていたのでしょう。
篤姫は鹿児島だから多分見ていないかと思います。

そういえば歴史という事に関して

 「歴史とは何か」E・H・カー

この本が教科書でした。最近復刊されたとか。
今また読んだらすっと頭に入りそうな気がします。

posted by 去舟庵海人 |22:37 | 日々徒然 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年05月20日

どうしたらの日曜日

唖然とする失点でさてどうしようかと言う時に脳天気に

「篤姫の時代総まとめ」

現実から離れないと来週が暮らせません。
せめて厚別に参戦する時には立ち直りたい です。

篤姫の生年を軸に検索し、
幕末の有名人を時系列に並べてみました。
自分自身がどんな感じかと思い、作成しました。

本来なら生年だけでなく死亡年も入れたいところですが、生まれた時代を共有したと言うことで、
そんな小難しく考えないで調べてみました。

1776年 調所広郷
1794年 ペリー
1800年 水戸斉昭
1804年 ハリス、ケプロン
1808年 幾島←篤姫付の年寄
1809年 島津斉彬
1815年 井伊直弼
1819年 阿部正弘
1822年 島義勇←札幌の判官
1823年 勝海舟
1824年 徳川家定
1825年 岩倉具視
1826年 クラーク博士
1827年 山内容堂、ジョン万次郎
1828年 西郷隆盛、松平春嶽
1829年 武市瑞山
1830年 吉田松陰、大久保利通
1831年 孝明天皇←和宮の異母兄で明治天皇の父
1832年 田中新兵衛(人斬り新兵衛)、坂本乙女←竜馬の姉
1833年 桂小五郎
1834年 近藤勇、大友亀太郎←創成川を掘った人
1835年 小松帯刀、土方歳三、高橋泥舟、井上馨、福沢諭吉、岩崎弥太郎、伊達邦直←当別開拓 
1836年 篤姫、坂本竜馬、五代友厚、山岡鉄舟、榎本武揚
1837年 一橋慶喜、三条実美、板垣退助
1838年 グラバー、岡田以蔵
1839年 永倉新八←新撰組の一人で月形で剣術指南
1840年 調所広丈←調所広郷の息子で札幌県令・札幌農学校長
1841年 伊藤博文
1842年 沖田総司
1846年 和宮←家茂の正室で孝明天皇の異母妹、徳川家茂←14代将軍、
      月形潔←月形の開拓で地名はこの名から。
      ちなみに叔父月形洗蔵は月形半平太のモデル

今回検索してみて初めて知ったのが家茂と和宮が同い年だった。
家茂が若かったのは知っていましたが、篤姫の養子にするためにとその若さを必要としていたのですね。
そりゃ慶喜じゃ一つ違いですし、当時から偏屈な人格と言われていましたし。いくら慶喜が優秀でも養子とするのには周囲がお膳立てしますわ。

posted by 去舟庵海人 |12:05 | 日々徒然 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年05月19日

見事な、あまりにもすごい結末

私は今日仕事がありましたので試合に関して情報不足があったので、
ところどころの試合経過で・・・

ここまで

けちょんけちょん

記憶に残るスコア

言葉が浮かんでこない

でも

あるぞ

 リベンジ

posted by 去舟庵海人 |19:59 | コンサドーレ | コメント(0) | トラックバック(0)