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2017年02月07日

『イエスの生涯』 他  遠藤周作

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『イエスの生涯』 と 『キリストの誕生』 は、日本人であり、小説家であり、キリスト者である遠藤周作が、遠藤なりの独自の解釈と、小説家らしい鋭い洞察で、出来るだけ客観的に、と心を砕いて描いた イエス・キリスト伝です。この2冊で ひとつの作品と捉えて良いと思います。
『イエスの生涯』 は、人間イエスが、時にユダヤ教の律法を守りながら、時に律法を無視しながら 神の愛、愛の神を説き、やがて 友や弟子たちの期待に応えられなかったために 裏切られ、見棄てられ、十字架の上で磔刑にされて息絶えるまで、弱き者イエスとしての姿を描いています。
『キリストの誕生』 は、地上にあっては無力だったイエスが、十字架の上でみじめに死んだ後、どうやって 弱き弟子たちを信念の使徒に変え、何故 人々から 〝神の子”、〝キリスト(救い主)” と呼ばれるようになって行ったのか。原始キリスト教団の姿を通して、その過程、残された人々の魂のドラマを描いています。

遠藤は、“事実” と キリスト者にとっての “真実” は異なるといい、イエスの 〝復活” は弟子たちの深い 〝宗教体験” だったと語ります。
一方で、受胎告知や処女懐胎など イエスの誕生のシーンや イエスが起こした 〝奇蹟” など、美しい聖書物語については、後世の作家による創作だとして切って捨て、殆ど触れていません。
残されている史料は 乏しく限られているが、その中から 出来るだけ客観的な材料を掘り起こし、自分が納得できるイエス・キリストの姿を追求したい。この2冊からは そうした遠藤の苦悩と葛藤、誠実に真摯に取り組む姿勢が ヒシヒシと伝わってきます。

11歳で母親に洗礼を受けさせられて信者となった遠藤は、キリスト教信仰を母から着せられた洋服に例え、「この信仰に関して 私はしばしば悩んだが、愛する者が私のためにくれた洋服を脱ぎ捨てる事はできなかった。後になって 私はもう脱ごうとは思うまい、この洋服を自分に合う和服にしよう と思ったのである。」 と語っているそうです。
イエス・キリストを無条件な愛、善とする西洋的なキリスト教観からは遠く離れており、その為に 様々な批判を受けたようですが、日本人であり、非キリスト者である僕にとっては 納得できる部分が多々あります。
少々難解ですが、読み応えのある作品でした。


posted by aozora |22:23 | 本の話 | コメント(0) | トラックバック(0)