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2010年03月10日

北教組の思い出

15年前、息子が小学生だった時のことです。

新学期の交通安全指導、通学路の横断歩道などに親や先生が立って子供達を見守る運動に 一部の先生が反対した。
理由は、目の前で事故が起きた時に 責任が取れない。

子供達が楽しみにしている夏休みのプール開放にも 一部の先生が反対した。
理由は、事故が起きたら 責任が取れない。もうひとつ、プールサイドに電話が無いので、事故が起きても すぐに消防などに連絡できないから、大事になる可能性がある。(当時は 携帯電話が出始めた頃で、まだ一般には普及していなかった。)

どちらも 事故が起きないように、事故が起きない事を願っての活動なのに、事故が起きたら困るから 協力できないって。。。。。
結局、PTAと協力的な先生方が中心となって 実施はしたのですけどね。

卒業式の前には 学校の近くの会館を借りて 日の丸掲揚に反対する集会を行っていましたが、そういう先生が担任するクラスの親を中心に、結構な人数が集まっていたようです。
そういう先生も 多くは授業やクラス運営には結構熱心で、学級通信などもまめに発行するので、子供達や親には 人気があるんですよ。
ありましたが、残念ながら、PTA活動やクラブ活動には 非協力的。非協力的というより、本音は 早出(交通安全)や 休日出勤(プール開放)が嫌なものだから、上記のような屁理屈をこねて反対し 邪魔をするのが困る。そういう先生の方が声が大きくて 何かと目立つんですよね。自分が協力しないのは構わないから、周囲を巻き込まないでくれ と 切実に思いました。

本当かどうかは判りませんが、当時は 組合活動に熱心な先生を あちこちの学校に分散させるのではなく、いくつかの学校に集中させる というのが教育委員会の方針だったらしく、息子の学校が その中の一つだったとの話も聞きました。


昨今の北教組の問題を見るたびに いろいろと悩まされたあの頃を思い出す青空でした。

posted by aozora |23:59 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)